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第1章
いつもと違う朝
しおりを挟む「アシェル様……どうなさったのですか?」
アシェル様がこんな時間までお屋敷にいるはずない。幻でも見たような気分になる。
「2回連続で妻が体調不良で先に帰ったんだ。仕事は遅れていくことにした」
「まあ……私のことなんて心配なさらなくてもいいのに」
「心配くらいさせてくれ」
「……でも、お仕事の邪魔になるのは嫌です」
「仕事、か……」
アシェル様が気まずそうな表情を浮かべた。
今までだって、熱を出せば、日が変わる前には帰ってきてくれた。
それでも、アシェル様は次の日にはいつも通り登城した。こんなふうに、私が起きるまで待っているなんてことはなかったはずだ。
(もちろん子どもではないから、仕事に行くなとは思わないけれど)
いつもと違いアシェル様が座っていることに戸惑いながら、少し離れた席に座る。
辺境伯家ではいつも兄たちに挟まれるように食べていたから少し寂しいけれど、普通の貴族の家庭はそういうものだという。
静まり返った食堂。カチャカチャと小さな音だけが響き渡る。非常に落ち着かない。
上品に口を拭いたアシェル様が、私を濃い緑の瞳で見つめる。
つい2週間前までなら見つめられたことに喜んだだろうけれど、今はなぜ見つめるのかと不可思議に思うばかりだ。
そこで私はようやく、もしやと思い当たった。
「アシェル様、もしかして具合が悪いのですか?」
「いや、そんなことはないが」
「それなら良かったです。では、そろそろお城に行かないと、皆さま待ってらっしゃいますよ」
宰相であるアシェル様は、国王陛下にものすごく頼りにされているのだと聞いたことがある。
そういえば、ランディス子爵令嬢も一緒に働いているのだ。
そんなことを考えかけて、その思考を振り払い笑顔を浮かべる。
「……行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
結局私は、今日もアシェル様を見送ることになった。
アシェル様は玄関を出るときに「そのドレス似合うな。今度一緒に新しい物を買いに行こうか」と声をかけてきた。
「そうですね。アシェル様のお仕事が一段落つきましたら。では、いってらっしゃいませ」
私はニッコリ笑ってはぐらかした。
だって、アシェル様は忙しすぎて私との時間なんて取れるはずがない。
それに、アシェル様と一緒にドレスを買いに行ったなら、絶対に似合わない色のドレスを勧められるだろう。
(あら、でも買い物に誘われたのは初めてよね)
アシェル様は、婚約したときの約束通り私がいつでも最新のドレスを着られるように取り計らってくれた。
もちろん、無駄遣いなどしなかったけれど、いつでもなじみの商会がお屋敷に来てくれたため買い物に行く必要がなかったのだ。
どちらにしても離縁されたなら、アシェル様の色のドレスを着ることはもうないだろう。
(それにしても、いつも一緒にアシェル様を見送る使用人たちの姿が誰一人見えないのはなぜかしら)
アシェル様は、私の手をそっと持ち上げて口づけを落とした。
「今日は早く帰ってくる」
「ご無理なさらず」
ニッコリ笑ってそう言うと、アシェル様はこころなしか肩を落として去って行った……気がした。
(そんなはずないわ。もちろん私の思い違いよね、きっと)
そんなことを思いながら、私はアシェル様を見送ったのだった。
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