夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら

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第1章

すれ違い

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 兄はしばらくの間、私のことを見つめていた。
 そしてなぜか軽く首を振ってから再び口を開いた。

「いや……隣国との国境が少々きな臭くてね。念のため陛下にご報告に上がったのだよ」
「まあ……一大事ではないですか。カインお兄様、お話はもう終わったのですか?」

 私の生家であるフォルス辺境伯家は、隣国と国境を接している。
 そして、二百年前にこの国に忠誠を誓った。
 けれど、その一方で古くまで遡れば隣国の王家との繋がりがある。

 ――他の貴族家とはこの国における立ち位置が少々違うのだ。

「実は大事な話の席に、宰相殿が現れなくてね。何かあったのかと様子を見に来たのだが、すれ違ってしまったようだな」
「まさか、そんな大事な話し合いがあったなんて……」
「宰相殿が重要な席に参加しているのは、いつものことだ……。だが、本当に珍しいな」

 そんなにも大事な報告の席に遅刻していくなんて、アシェル様は一体どうしてしまったのだろう。
 結婚してから今日まで、遅く出掛けるなんて一度もなかったのに。

「どうしましょう、私のせいだわ」
「思い当たることがあるのか?」

 思い当たるも何も、アシェル様は昨日の夜会で具合が悪いと先に帰ってしまった私のことを心配して、遅くまで屋敷に残ってくれていたのだ。
 ひとまず、私はその事実を兄に伝えることにした。

「実は……昨日の夜会で、具合が悪くなり先に帰ったのです。そのことを心配したアシェル様は今日は遅くまでお屋敷に残っていらっしゃって……」
「フィリアを心配して遅刻したと? 宰相殿が?」

 しばらくの間、兄は思案しているようだった。

「――夫婦仲は……悪くないのか」
「えっ?」

 陛下との話し合いの席にアシェル様が現れなかったからというのは事実なのだろう。しかし、兄はそれを口実に様子を見に来たというのも、また事実なのかもしれない。

(二週間前と昨日の夜会の件は、きっと噂になっている。それを聞いたお兄様は、私たちの夫婦仲が悪いのではないかと心配したのかも)

 ランディス子爵令嬢のドレスの色については、面白おかしく噂されているようだし、私も昨日の夜会には夫の色のドレスを着なかった。

 辺境伯家で師事したマナーの教師デメル夫人には、公式の場では必ず夫の色のドレスを着るように指導されていた。
 公式の場で夫人が夫の色のドレスを着るのはこの国だけでなく隣国でも古くからの習わしだ。

 最近は必ずしもそうでなくていいという風潮が強くなっているが、隣国の王家に嫁ぐのだから公式の場では必ず夫の色のドレスを着るように、と言われ続けていた。

「あの」
「――フィリアは、この場所で辛くないのか」
「えっと……辛くはないですね」

 のんびりと花を愛で、優しい使用人たちに大切にされる毎日。
 アシェル様は私のことを愛していないかもしれないけれど、温かいこの場所で辛いと思うようなことはなかった。

「はあ、もしもフィリアがないがしろにされているのなら、即連れ帰ろうと思ったが」
「え……」
「杞憂だったようだ」

 もしかすると、もうすぐ離縁されてしまうかもしれない……そのことを口にすることはできなかった。
 私とアシェル様の結婚は王命であり、隣国と辺境伯家、そしてこのミラバス王国との関係を調整するためのものなのだ。確認もせずに口にしていいものではない。

「あの……アシェル様はすでに王城に向かわれました。お兄様が戻らないと話が始まらないのでは」
「その通りだな。では、また来ることにする」
「はい、お待ちしております」
「可愛い妹の元気そうな姿が見れて良かった」

 グシャグシャと頭が撫でられた。

「それでは失礼する」
「はい、またお会いできるのを楽しみにしております」

 兄は嵐のように現れて、再び嵐のように去って行った。
 玄関で見送りながら、先ほど兄が口にした隣国との国境がきな臭いという言葉を思い返す。

 隣国とこの国が戦争状態だったのは、もう百年も前の話だ。
 それから現在まで両国の平和は保たれてきた。
その平和に一役買っているのが、隣国との繋がりが深いフォルス辺境伯家なのだ。

「それにしても、アシェル様はそんなにも大事な場があるのに、今日に限って遅刻するなんて……一体どうされたのかしら」

(――アシェル様の考えていることが、よくわからない)

 自室に戻り、窓のから外を見れば、兄は栗毛の馬にまたがるところだった。

(どちらにしても、そこまでの大事な話し合いに遅れて行ったのなら、アシェル様はきっと今日は帰ってこないわね)

 そんなことを思いながら、セバスチャンによりすでに用意されていた私宛の招待状に視線を送る。

「それにしても、こんなにたくさんの招待状が来ていたなんて知らなかったわ……」

 机の上に積み上がった招待状の数は、想像していた量の十倍近くある。
 私は、ひとまず手紙に目を通そうと席に座ったのだった。
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