上 下
10 / 29
第1章

人の世界と人魚の物語 1

しおりを挟む


 ✳︎ ✳︎ ✳︎


 二本の足で歩くのは、本当に久しぶりだから。
 おとぎ話では、歩くたびに足が痛むと語られていたけれど、人魚の時よりも快適なぐらいだ。
 そもそも、人魚の体に慣れるまで、クルクルと泳ぐたびに体が回ってしまって、よく家族を心配させたものだ。

「クラウス様?」

 クラウス様が、筆頭魔術師は有事の際以外は暇だと言っていたのは、本当だったようだ。
 
「ちゃんと、目が覚めた?」

 クラウス様の表情が、明らかに依然と違うことに、ドギマギする。
 でも、確かめなくては。
 クラウス様の背中側に回った私は、許可を得ることもなくいきなり、ゆったりとしたシャツをまくり上げる。

 そこには、血は流れていないものの、まだ生々しい大きな傷が残っていた。

「――――レイラ、あまり見ないで。美しいものではないだろう?」

 確かに、大きな傷だ。それだけでなく、たくさんの傷が残っている背中。
 さわさわお腹を触ってみると、思いのほか鍛えられた筋肉と、触っただけでわかるほどの傷がたくさんあった。

「レイラ!」

 傷を確認しただけ、そんなに怒らなくてもいいのにと思って顔をあげると、クラウス様の耳元が赤くなっていた。
 そこでようやく、私は我に返る。

「す、すみません」

 ど、どうしよう。どうしてこんな行動をしたのか、私だって理解に苦しむ。ただ……。

「ただ……。心配で」

 その言葉を伝えたとたん、クラウス様はクルリとこちらを振り返り、私の前に膝をついた。

「俺のこと、あまり甘やかさないで?」
「え? 甘やかしてなんか」
「本当に……。俺は、レイラが思っているような人間じゃない。生きるためには、何でもしてきたし、これからだって、王国の……」

 少しだけ赤い耳のまま、そんなことを言うクラウス様から、再び目を離すことが出来ないまま私は目を見開く。眦まで赤い。
 不自然にも、会話を切り上げようと、視線を逸らしたクラウス様。
 その表情から、今の話の続きをするつもりがないことがわかってしまう。

 ああそうだ。一番大事なことを、私はまだ伝えていない。

「――――これからも、甘やかしますよ」
「レイラ?」
「だって私は、クラウス様のことが」

 人魚の歌声は、恋を告げるため。
 けれども、人間の記憶を持っている私は、言葉で恋を告げる。

「好きです。クラウス様」
「――――俺だって、恋に落とされた。信じられないくらい刹那に。これ以上ないくらい深く」

 まるで、恋に落ちたことが不服だとでもいうようなクラウス様。
 一言、言い返そうかなと思ったのに、その言葉は続く。

「ごめん。それでも、海の底まで追いかけたのは、魔術師としての興味が半分くらいあった。……人魚と、その桜貝のような髪に。いや、たぶんそれを自分への言い訳にして、恋に落ちた気持ちを何とか否定しようとしたのだろうな、俺は」
「この髪色……。人間にはいないんですよね」
「――――過去いなかったわけではないが。でも、もう一度会えば、思い違いだったことが、分かると思ったのに、まさかこの気持ちを否定することすら許されず、もっともっと、深みにはまるなんて」

 クラウス様は、間違っている。堕ちてはいけない恋なら、もう会ってはいけなかったのだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ヤクザと犬

BL / 連載中 24h.ポイント:702pt お気に入り:387

ある日王女になって嫁いだのですが、妾らしいです

恋愛 / 完結 24h.ポイント:291pt お気に入り:2,658

姫プレイがやりたくてトップランカー辞めました!

BL / 連載中 24h.ポイント:2,307pt お気に入り:397

婚約破棄された王女は暗殺者に攫われる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:967

AMEFURASHI 召喚された異世界で俺様祭司に溺愛されています

BL / 完結 24h.ポイント:3,287pt お気に入り:162

すきだよ私の人魚姫

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:589pt お気に入り:0

【R18】お飾り皇后のやり直し初夜【完結】

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:262pt お気に入り:1,424

【完結】何度出会ってもやっぱり超絶腹黒聖職者

恋愛 / 完結 24h.ポイント:42pt お気に入り:591

処理中です...