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気に入らない婚約者と敬愛する勇者さま
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「………スパイス、お前とローゼ=アムールの婚約は解消されたぞ。」
夕餉の際に、こともなげな父親であるビリヤニ伯爵の報告に、スパイスは目を輝かせた。
ロマンスグレーをオールバックにしている絞まった体躯の父は、我ながらスマートでカッコイイ。
こういう大人になりたいものだ。
「ありがとうございます!お父様!」
「この国一番のアムール商会と縁続きになれば利があると結んだ婚約だったが、オメガはオメガでも欠陥オメガじゃしょうがない。見目もオメガにしては普通だったし、お前にはもっと良い縁談を探してやろう。」
「そうねぇ、スパイスちゃんは一人っ子でうちの大事な跡取りですものぉ。旦那様に似て涼やかな目元にアンバーの瞳に艶やかな黒髪でアルファなのだし…。息子ながらこんなに素敵なのだもの、健康で良いご令嬢じゃなきゃ可哀そうですわ。跡取りも産んでもらわなきゃいけませんし!」
お母様ったらいつまでも俺を子ども扱いして、べったりで嬉しいけど恥ずかしい。
――――そうだ、はじめからいい縁談じゃなかった。
オメガのくせに地味眼鏡でちっともきれいじゃないし、ヒートと呼ばれる発情期も来ない、フェロモンの匂いさえしない無味無臭なオメガ。
社交界でも学園でも見たことがないから、彼が何者で何を考え、どういう人間なのかもちっともわからない。
かといって、あの地味なオメガに自分から歩み寄る気はこれっぽっちもおきなかった。
そもそも、うちは香辛料を扱っているから、大きな商会を営んでいるアムール伯爵家と結ばれれば……。
そんな婚約の申し入れだった。
俺だってできればマリエッタ嬢がよかったのに、アムール伯爵が彼を推してきて、婚約者になったのだ。
「だがしかし、アムール商会に良い条件で卸すのは難しくなったな。どこの商会と契約するか…。」
「ガーデン商会はダメなのかしら!繁盛ぶりではアムール商会より上だと思うけれど。」
「あそこは、シュヴァイツァーの系列だからなあ。本店は向こうでこの国の店は支店なのだよ。この国の貴族としては、この国の商会と取引したかったのだが…。」
「お父様、仕方ありませんよ。領地が潤う方が大事です。シュバイツァーが本店ならば、香辛料を向こうでも売ってもらえばいいのではないでしょうか。外貨を稼ぐとなれば、この国のためにもなりましょう。………それに、確か、この国の支店長は…。」
憧れの『あの人』を思い浮かべる。
「ああ、白薔薇の勇者様だったな!」
年齢不詳・性別不詳(たぶん男性)の麗しき勇者様!
何年か前から突如この国に現れたんだよなぁ…。
冒険者らしいけど、ギルドへ報告とか手続きが終わったらさっと転移魔法でどこかに消えてしまうという…。
一説ではその立ち居振る舞いも相まって、どこかの貴族がお忍びで冒険者をやっているのでは?と噂だ…。
去年出現したスタンピードからこの国を守って陛下から褒章も得ていて…。
国王陛下もたいそう勇者様を気に入っているらしい。
「そうだな、ではさっそくガーデン商会に文を送ってみよう!向こうから返事が来たら、交渉に向かうぞ!」
お前も付いてくるように、と言われ、二つ返事で頷いた。
数日後、ガーデン商会に向かうと、応対してくれたのは『彼』だった。
真っ白な天使のような艶やかな髪に、桃色の瞳。
白い肌の上にあるすべてのパーツが華やかで完璧で、まるで女神のようだ…。
「席へどうぞ。ビリヤニ伯爵さま。私はワイズマンと申します。」
ワイズマンというのか~。家名かな…。ファーストネームは教えてもらえないのだろうか。
彼をウットリ見ているが、お父様は何やら驚いた様子でおろおろしている。
「わ、ワイズマン…。ワイズマンといいますと、シュバイツァー王国の知恵袋、代々相談役を仰せつかっている王立図書館の主、懐刀…。名門中の名門、ワイズマン伯爵家…のワイズマン、でしょうか。」
「はい。爵位こそ伯爵家ですが、王族や大神官さえも敬うという、あのワイズマンです。」
「ゆ、勇者様がこのお店の支店長なのは存じ上げておりましたが、なるほど、あちらのご出身でしたか。」
「出身はこちらなのですがね、母があちらなので。ワイズマンは母の家名なのですよ。この店を立ち上げる際には、母の実家にはお世話になりました。」
「成程…。」
一挙手一投足が美しい。
声もなんて聞きやすく、歌のようなのだろう。
お父様との交渉はうまくいったようで、羊皮紙にすらすらと彼の人は名前を書いた。
『ローゼ=ワイズマン』
あの元婚約者と同じ名前か…。
同じ名前でも向こうは名前負けだが、こちらは納得だ。
彼がオメガで私の婚約者だったら素敵だったのに。
でも、勇者で商会主のやり手の彼がオメガなはずはないな…。
うっとり頬を染めてバカだな。
商売相手としてはビリヤニ伯爵家は悪くないが。
こちらも『ヒートの来ない孕めない欠陥オメガ』を装ったのだから非がある。
婚約解消だって何とも思ってないし、でもなんだか見た目を変えただけでこうも変わるとなあ。
そう頻繁に会っていたわけではないとはいえ、間近でも全然気づかないんだもんな。
閉店後、自分の執務室で今日の帳簿をつけながら、乾いた笑いが唇に浮かぶ。
「あらあら、婚約者のこと好きだった?」
夕餉の時間なのだろう、いつの間にか母が部屋に来ていた。
「お母さま。別にそういうわけでは。」
母の顔にやけどはない。
あの家を出て、やけどについての診断も得たので、自分の治癒魔法できれいに治療し、輝くばかりの美貌を取り戻している。
今からでも1人くらい出産できるだろう母は、誰かと一緒になる気はないらしい。
伯爵に囚われる前も、結婚願望はなかったそうだ。
「好きな相手が出来たなら、薬を止めていいのよ?」
ワイズマンの天才研究者である母が長い時間かけて製薬を成功させた完全なヒートコントロール薬は、俺が第二次性徴を始める前には完成した。もちろん副作用は一切ない。
ちょうど、母がやけどを負った頃だ。
母と伯爵は運命の番というやつだったらしいが、『火傷』ができて美が損なったからだけじゃない。
薬のおかげで伯爵は母に興味をなくしたのだ。
そして、俺もヒートの苦しみのない体を手に入れた。
ヒートさえなければ、オメガは発情の苦しみもなく、いたずらに集中力を欠いたり長く休みがちになることもない。
母のように『運命の番』というやらに惑わされて人生を失うこともなく、自分の力を最大限発揮できる。
学園に通わなかったが母のおかげで俺は知識を蓄えたし、いつか外に出るための隠し資金を溜めるため、少しの合間に屋敷を抜け出して冒険者をした結果、勇者と呼ばれるようになった。
「ありがとう、お母さま。でもまだしばらくはいいかな。俺は、オメガの特性が出ていない状態で好きになれる人ができるなら…。その時でいいかなって、さ。」
「そうねぇ。『運命』っていうけど、迷惑だものねぇ。頭が馬鹿になっちゃうし。」
「お嬢様、ローゼ様。夕餉が冷めてしまいます。」
「「あっ。」」
シュヴァイツァー王国のワイズマン伯爵家から来てくれた侍女のメリージェンがため息をついている。
前髪をぴっちり七三に分けて、長い髪をひっつめにした、眼鏡で高身長・細身のクールビューティ。
彼女とお母様は昔からの友人らしい。
………なんとなく、彼女とお母様が良い感じな気がするのは、俺の気のせいだろうか。
友人、といえば。
いつも気弱な冒険者仲間のアーシュ。
好き、か分からないけど。俺はあいつを気に入っている。
なんか気になるんだよなぁ。
絶対あいつは家でなんかあるんだ。
あんなお人好し…。
俺は、泥水をぶっかけられようが、朝から晩まで働かされようが、陰口を叩かれようが、なにくそってやってこれたし、家を捨てることができたけど。
あいつは、そういうタイプじゃない…。
助けてやろうとか、思ってるわけじゃない。
思ってるわけじゃ…。
夕餉の際に、こともなげな父親であるビリヤニ伯爵の報告に、スパイスは目を輝かせた。
ロマンスグレーをオールバックにしている絞まった体躯の父は、我ながらスマートでカッコイイ。
こういう大人になりたいものだ。
「ありがとうございます!お父様!」
「この国一番のアムール商会と縁続きになれば利があると結んだ婚約だったが、オメガはオメガでも欠陥オメガじゃしょうがない。見目もオメガにしては普通だったし、お前にはもっと良い縁談を探してやろう。」
「そうねぇ、スパイスちゃんは一人っ子でうちの大事な跡取りですものぉ。旦那様に似て涼やかな目元にアンバーの瞳に艶やかな黒髪でアルファなのだし…。息子ながらこんなに素敵なのだもの、健康で良いご令嬢じゃなきゃ可哀そうですわ。跡取りも産んでもらわなきゃいけませんし!」
お母様ったらいつまでも俺を子ども扱いして、べったりで嬉しいけど恥ずかしい。
――――そうだ、はじめからいい縁談じゃなかった。
オメガのくせに地味眼鏡でちっともきれいじゃないし、ヒートと呼ばれる発情期も来ない、フェロモンの匂いさえしない無味無臭なオメガ。
社交界でも学園でも見たことがないから、彼が何者で何を考え、どういう人間なのかもちっともわからない。
かといって、あの地味なオメガに自分から歩み寄る気はこれっぽっちもおきなかった。
そもそも、うちは香辛料を扱っているから、大きな商会を営んでいるアムール伯爵家と結ばれれば……。
そんな婚約の申し入れだった。
俺だってできればマリエッタ嬢がよかったのに、アムール伯爵が彼を推してきて、婚約者になったのだ。
「だがしかし、アムール商会に良い条件で卸すのは難しくなったな。どこの商会と契約するか…。」
「ガーデン商会はダメなのかしら!繁盛ぶりではアムール商会より上だと思うけれど。」
「あそこは、シュヴァイツァーの系列だからなあ。本店は向こうでこの国の店は支店なのだよ。この国の貴族としては、この国の商会と取引したかったのだが…。」
「お父様、仕方ありませんよ。領地が潤う方が大事です。シュバイツァーが本店ならば、香辛料を向こうでも売ってもらえばいいのではないでしょうか。外貨を稼ぐとなれば、この国のためにもなりましょう。………それに、確か、この国の支店長は…。」
憧れの『あの人』を思い浮かべる。
「ああ、白薔薇の勇者様だったな!」
年齢不詳・性別不詳(たぶん男性)の麗しき勇者様!
何年か前から突如この国に現れたんだよなぁ…。
冒険者らしいけど、ギルドへ報告とか手続きが終わったらさっと転移魔法でどこかに消えてしまうという…。
一説ではその立ち居振る舞いも相まって、どこかの貴族がお忍びで冒険者をやっているのでは?と噂だ…。
去年出現したスタンピードからこの国を守って陛下から褒章も得ていて…。
国王陛下もたいそう勇者様を気に入っているらしい。
「そうだな、ではさっそくガーデン商会に文を送ってみよう!向こうから返事が来たら、交渉に向かうぞ!」
お前も付いてくるように、と言われ、二つ返事で頷いた。
数日後、ガーデン商会に向かうと、応対してくれたのは『彼』だった。
真っ白な天使のような艶やかな髪に、桃色の瞳。
白い肌の上にあるすべてのパーツが華やかで完璧で、まるで女神のようだ…。
「席へどうぞ。ビリヤニ伯爵さま。私はワイズマンと申します。」
ワイズマンというのか~。家名かな…。ファーストネームは教えてもらえないのだろうか。
彼をウットリ見ているが、お父様は何やら驚いた様子でおろおろしている。
「わ、ワイズマン…。ワイズマンといいますと、シュバイツァー王国の知恵袋、代々相談役を仰せつかっている王立図書館の主、懐刀…。名門中の名門、ワイズマン伯爵家…のワイズマン、でしょうか。」
「はい。爵位こそ伯爵家ですが、王族や大神官さえも敬うという、あのワイズマンです。」
「ゆ、勇者様がこのお店の支店長なのは存じ上げておりましたが、なるほど、あちらのご出身でしたか。」
「出身はこちらなのですがね、母があちらなので。ワイズマンは母の家名なのですよ。この店を立ち上げる際には、母の実家にはお世話になりました。」
「成程…。」
一挙手一投足が美しい。
声もなんて聞きやすく、歌のようなのだろう。
お父様との交渉はうまくいったようで、羊皮紙にすらすらと彼の人は名前を書いた。
『ローゼ=ワイズマン』
あの元婚約者と同じ名前か…。
同じ名前でも向こうは名前負けだが、こちらは納得だ。
彼がオメガで私の婚約者だったら素敵だったのに。
でも、勇者で商会主のやり手の彼がオメガなはずはないな…。
うっとり頬を染めてバカだな。
商売相手としてはビリヤニ伯爵家は悪くないが。
こちらも『ヒートの来ない孕めない欠陥オメガ』を装ったのだから非がある。
婚約解消だって何とも思ってないし、でもなんだか見た目を変えただけでこうも変わるとなあ。
そう頻繁に会っていたわけではないとはいえ、間近でも全然気づかないんだもんな。
閉店後、自分の執務室で今日の帳簿をつけながら、乾いた笑いが唇に浮かぶ。
「あらあら、婚約者のこと好きだった?」
夕餉の時間なのだろう、いつの間にか母が部屋に来ていた。
「お母さま。別にそういうわけでは。」
母の顔にやけどはない。
あの家を出て、やけどについての診断も得たので、自分の治癒魔法できれいに治療し、輝くばかりの美貌を取り戻している。
今からでも1人くらい出産できるだろう母は、誰かと一緒になる気はないらしい。
伯爵に囚われる前も、結婚願望はなかったそうだ。
「好きな相手が出来たなら、薬を止めていいのよ?」
ワイズマンの天才研究者である母が長い時間かけて製薬を成功させた完全なヒートコントロール薬は、俺が第二次性徴を始める前には完成した。もちろん副作用は一切ない。
ちょうど、母がやけどを負った頃だ。
母と伯爵は運命の番というやつだったらしいが、『火傷』ができて美が損なったからだけじゃない。
薬のおかげで伯爵は母に興味をなくしたのだ。
そして、俺もヒートの苦しみのない体を手に入れた。
ヒートさえなければ、オメガは発情の苦しみもなく、いたずらに集中力を欠いたり長く休みがちになることもない。
母のように『運命の番』というやらに惑わされて人生を失うこともなく、自分の力を最大限発揮できる。
学園に通わなかったが母のおかげで俺は知識を蓄えたし、いつか外に出るための隠し資金を溜めるため、少しの合間に屋敷を抜け出して冒険者をした結果、勇者と呼ばれるようになった。
「ありがとう、お母さま。でもまだしばらくはいいかな。俺は、オメガの特性が出ていない状態で好きになれる人ができるなら…。その時でいいかなって、さ。」
「そうねぇ。『運命』っていうけど、迷惑だものねぇ。頭が馬鹿になっちゃうし。」
「お嬢様、ローゼ様。夕餉が冷めてしまいます。」
「「あっ。」」
シュヴァイツァー王国のワイズマン伯爵家から来てくれた侍女のメリージェンがため息をついている。
前髪をぴっちり七三に分けて、長い髪をひっつめにした、眼鏡で高身長・細身のクールビューティ。
彼女とお母様は昔からの友人らしい。
………なんとなく、彼女とお母様が良い感じな気がするのは、俺の気のせいだろうか。
友人、といえば。
いつも気弱な冒険者仲間のアーシュ。
好き、か分からないけど。俺はあいつを気に入っている。
なんか気になるんだよなぁ。
絶対あいつは家でなんかあるんだ。
あんなお人好し…。
俺は、泥水をぶっかけられようが、朝から晩まで働かされようが、陰口を叩かれようが、なにくそってやってこれたし、家を捨てることができたけど。
あいつは、そういうタイプじゃない…。
助けてやろうとか、思ってるわけじゃない。
思ってるわけじゃ…。
応援ありがとうございます!
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