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●ずっと信じたかったもの

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 なのにどうして、レティシア・ファラリスは無事なの?
 イルマやラウラの時のように反発しないのはわかるとして、どうして無傷で?
 さっきまで発動しようとしていた魔法がない?
 それどころか、すでにあふれていた雷さえない?

「なに……」

 これは、いったいどういうこと?
 何が起こったの?

「そんなこと、言わないでっ」

 レティシア・ファラリス、あなた、あたしに何をしたの?
 混乱する、わからない。

「人を好きになることを、無駄だなんて言わないで!」

 何を言っているの?

「たとえ思いが通じなかったとしても、結ばれなかったとしてもっ、その思いは本物だったはず。人は誰に恋してもいい! 誰を愛してもいい!」

 彼女が何を言っているか、本当にわからない。

 好きになることは無駄じゃない。
 誰に恋してもいい。
 誰を愛してもいい。

 全部、全部、全部、荒唐無稽なおとぎ話。
 そうでしょう?

 ただひたすらに憧れて、焦がれて、嘘と決めつけ、あきらめたおとぎ話。

 この学園を卒業したら、家を出て一人で生きて……恋をする。

 あたしの、あたしたちの目標。

 それに向かって努力を重ねてはいるけれど……心の底では無理だとあきらめていたおとぎ話。

「貴族の娘だからそれできないなんて――」
「なんで……」
「そんなの私が許さないわ!!」
「なんであんたが泣いてるのよ?」

 レティシア・ファラリスの紫の瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれる。

「泣いてない……」

 拭っても、拭っても次々に湧き出してくる。

「お兄様は……あたしから見ても、そんなに悪い人じゃないわ。泣くほど結婚したくないだなんて、ひどいわね」

 彼女がそんなことを言ってないのはわかってる。
 だけど曲解してでも憎まれ口をたたきたい。
 そうじゃなきゃ……

「……どんなに素敵な人でも、よ」

 また……おとぎ話を信じたくなる。
 信じてしまいたくなる。

「だけど『どうせできない』なんて言葉で全部をあきらめないで。あなたは『貴族の娘』じゃないわ。一人の女の子、グローリア・ヴェロネージェよ!」

 言葉が、しみ込む。

 レティシア・ファラリスの言葉に嘘はない。
 本当に、本当に信じている。

「恋をすることを、あきらめないで」

「なんで……」

 なんでそれをあなたが言うの?
 だれもそんなこと言ってくれなかった。

 何不自由なく暮らすには、必要な犠牲。
 恵まれているんだから、そのくらいは我慢すべき。
 昔から決まっていること。
 貴族の娘の義務。

 繰り返された言葉。
 この教室にいる女の子たちの、ほとんどを縛りつけている言葉。

「なんであんたが……」

 なんであんたがそれを言うの?

 あたしたちがずっと欲しかったその言葉を。
 自分の未来を信じてもいいんだって、許しを。

 どうしてあんたがくれるのよ。

 視界がゆがむ。
 頬に涙が伝う。

 どうして泣いているのか分からない。
 悲しいのか、嬉しいのか、悔しいのか、怒っているのか……ぜんぶの感情がぐちゃぐちゃに渦巻いで……ただ涙がこぼれる。

「ねぇ……あたし……あたし、人を好きになっていいの? 恋をしてもいいの? 許してもらえるの?」

 誰でもいいから、許してほしい。

 あたしたちも誰かを好きになっていいって。
 つらい恋でもいい。
 苦しい恋でもいい。
 それでも、自分の心のままに誰かを好きになりたい。

 あたしの未来は、決まりきった約束事じゃなくて……辛くても苦しくてもいい。
 それでも、自分で切り開いていくことを……

 だれでもいいから許してほしい。

「当たり前じゃない! 世界中がだめだって言っても、私が許すわ!!」

 それは、ずっと欲しかった言葉。
 がんじがらめの私たちを解放する言葉。

「う……うわぁぁぁぁっ」

 恥も外聞もなく私は泣いた。
 小さな子供みたいに。

 貴族の娘は、声を出して泣いてはいけない。
 涙を流すときも優美に……そんなの知らないっ!
 あたしたちはあたしたちのままで、思いっきり泣いて、笑うの!

「大丈夫、大丈夫よ……あなたはあなたでいいの」

 ふわりと、レティシア・ファラリスのぬくもりが私を包む。
 ああ、ここなら、大丈夫だ。
 何も心配しなくていい。

 ここは、あたしがあたしでいられる場所。

「あなたの恋を大切にして……」
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