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●あたしだけのお義姉様

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 ……その後。

 レティシア・ファラリスは三日の謹慎処分を受けた。

 様子を見に来た先生が見たのは、泣きじゃくるあたしとレティシア・ファラリスで……

 説明を求められたが、あたしは涙が止められなくて何も答えられずにいて。
 周りの生徒たちからの聞き取りでは、レティシア・ファラリスがあたしを叩いたってことしかはっきりしたことがわからなかったようだ。

 落ち着いてから抗議に行ったけれど、暴力を振るった場合は最低三日間謹慎、の決まりは覆すことはできなかった。

 レティシア・ファラリスがいない三日間。
 あたしは暇な時間があれば刺繍をした。

 ただ、無心で針を動かす。
 答えのない疑問や、落としどころのない感情がぐるぐると渦巻いてあふれてしまいそうで……

 手を動かす。
 教科書からハンカチに写した構図通りに針を刺す。
 ひと針ひと針。
 何度も何度も針を刺して、糸を引いて、糸の色を変えて何度も何度も針を刺して、糸を引いて、それでやっと花弁が一枚できる。
 気が遠くなる作業だ。

「別に、付き合わなくていいのよ」

 なぜだかイルマとラウラも一緒に針箱を囲んでいる。

「ん~。別に楽しいからやってるだけだし」
「そっすよ。グローリアさんと一緒じゃなきゃ、ほかのことつまんないすから。それにほら」

 イルマがくいと顎を動かして教室を示す。

 ほとんどのクラスメイトたちが刺繍をしている。
 あの一件から、このクラスだけ刺繍のブームが来ているのだ。

『無駄じゃないわよ。こうやってひと針ひと針、好きな人に大好きな気持ちを伝えるつもりで刺していけば……』

 レティシア・ファラリスの言葉。
 あたしたちのやり取りを聞いていた子たちから広まったらしい。

「まぁ、アタシはすぐに飽きると思いますけど」
「それでも~、気が乗ってるうちはね~」
「ふん。好きにすれば」
「そうするっす。あ、青の糸欲しいっす」
「はい~、どの青~?」

 私はまた刺繍に戻る。
 ひと針、ひと針。
 なぜか、レティシア・ファラリスのことばかり考えてしまう。

 ひどくはかない様に見えて、とても強い人のことを。
 あの人には、何色が似合うだろうか?

 この学園でただ一人だけがつける純白のスカーフ。
 いつも髪を飾るバラ色のリボン。
 夜に沈む瞬間の空の色の瞳。
 淡い水色が似合いそう。
 けれども赤やオレンジも似合いそう。
 月の黄色も、きっと彼女の色。

 そんな風に糸に手を延ばすうちに、花はひとつ、ひとつと増えていく。

「それ、レティシアさんにあげたらどうっすか?」
「へ?」

 突然言われてあたしはまた針で指を突きそうになる。

「どうしてよ!?」
「お詫び~。グローリアさんのせいで、三日の謹慎だから~」
「んんんっ」

 確かに、確かにそうかもしれないけれど!

「グローリアさん、筋はちゃんと通さなきゃダメっすよ」
「そうそう~」
「わ、わかったわよ!」

 ああ、もう、あの人に渡すならもっと丁寧にやればよかった!
 いえ、今からでも遅くないわ!
 あの人に渡して、恥ずかしくない程度にはっ!


 3日かけて、あたしはハンカチに刺しゅうを施した。
 ぐるりと花が一周したところで、それ以上は使い心地が悪くなると、イルマとラウラに止められた。

 自分ではなかなかの出来だと思うけれど……これどんな顔して渡せばいいのよ!!

「おはようございます……」

 おっとりとレティシア・ファラリスが教室に入ってきた。

 来たっ!
 どうしよう、どうしよう!?
 視線でイルマとラウラに助けを求めるが、こんな時に限ってぼんやりと天井を見ている。
 ああああああっ!

「おはようございます。レティシア様、今日からですね」
「大変だったでしょう、何もありませんでした?」
「これ、3日分のノートです」
「私たちみんなで作ったんですよ」
「まぁ、ありがとう」

 クラスの子たちがレティシア・ファラリスを囲んで楽し気に笑う声をきいていると……途端になにか、嫌な気分が胸にわいてくる。

「ちょっと、道を開けてくれないかしら?」

 彼女らを退かせてレティシア・ファラリスの前に出る。

「ごめんなさいね。叩いたところもう痛くない?」
「はんっ。あんなのそよ風に吹かれたようなものよ。あのくらいで私をどうにかできるだなんて思わないことね」
「そう?」

 ああ、もう、何を言ってるんだか!
 だけど、他に何を話せばいいの!?
 ああああ、そうだ、ハンカチ。
 謝って、ハンカチ渡せばいいのよ!!

「あたしも少し言い過ぎたから、これはお詫びよ」

 ハンカチをレティシア・ファラリスに突き出す。

「ありがとう。素敵な刺繍ね」

 って、ダメ!
 今、あたし慌ててる。
 こんな時に触られると大変なんだから!

「あ、あたしに触ると感電するからっ」

 机の上にハンカチを置いて、さっと手を引く。

「感電……静電気ね。そういう時はね。ちょっと散らせば平気なのよ」

 レティシア・ファラリスはハンカチを広げると、ふわりとあたしの手に乗せて揺らし、

「だからこうすれば、平気でしょ」

 すっとあたしの手を握った。

「なっ!」

 素手で誰かに触れるの何て、いつぶりのこと?
 しっとりとした手、暖かな指先……心臓が跳ね、勝手に魔法が組みあがる!
 ダメ!!

 と、不意にそれが全部ほどけた。

「あれ? うそ……なんともない」
「こうして、電気を逃がせばいいのよ」
「え? ええ?」

 レティシア・ファラリスがあたしに何かをした?
 じゃなきゃおかしい。
 ことあるごとに暴走しかけていたあたしの魔法が、すっかり落ち着いている。
 こんなことは二度目。
 レティシア・ファラリスに叩かれたあの時と、今日。

 この人はあたしに何かをしてくれた?
 そして、それを言わないでいてくれている?

 この人と一緒ならあたしはもう何も怖がる必要はないんだ。
 もう、大丈夫なんだ。

「そんくらいで平気なんすか?」
「え~? バチって来ない~? こな~い!」
「いったん散らせばしばらくは大丈夫なはずよ」

 イルマとラウラがふれてくる。
 彼女たちのぬくもりを感じるのも久しぶりだ。
 触れられるのも、触れるのも怖くない。

 二人の目は涙で少しうるんでいる。
 あたしも泣きそうだ。

「レティシア様、物知りですのね」
「すごいですわ」
「ほかにも何かありますの?」
「教えてくださいませ」
「ええっと……」

 また、胸がざわつく。

「ちょっと! あんたたちあたしのお義姉(ねえ)さまに迷惑かけないでくれる?」
「はい?」

 あああああ、あたしは何を言って!?
 ううん、間違ってない。間違ってないわ!!

「お兄様の婚約者なんだから、お義姉さまでしょ!」
「まぁ、そうね」
「未来はどうなるかわからないけれど……今はあたしのお義姉さま……ですよね?」
「そう、ね」

 そう、レティシア・ファラリスはあたしのお義姉さまよ。
 あなたたちとは立場が違うのよ!!

 もちろん、お義姉さまはお兄さまにはもったいなさすぎる人ですけど!
 学園を卒業するころにはあたしだってそれなりにいろいろできるようになっているはずなんで、お義姉さまを支えることだってできるはずで!

「それでは、お義姉さま。ふつつかものですがよろしくお願いいたします!」
「よろしく……ね」

 だからそれまでは、お義姉さまで我慢するわ!
 それまでは、ね!
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