今さら泣いても遅いですよ

有賀冬馬

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ゼノス様との正式な婚約が決まり、私は公爵夫人にふさわしい教養を身につけるため、毎日忙しくも充実した時間を過ごしていました。ある日、領地の視察へ向かうゼノス様に同行して、私たちは王都の端にある下町を馬車で通りかかりました。

窓の外に広がるのは、華やかな中央通りとは打って変わった、薄暗くて石畳の欠けた路地裏です。そこで私は、信じられないほど無様な姿を見ることになりました。

「おい、ぐずぐずするな! さっさと樽を運べ、この役立たず!」

酒場の店主に怒鳴られ、泥にまみれた重い樽を引きずっていたのは、かつての第一王子、エドワード様でした。あんなに光り輝いていた金髪は汚れ、着ている服はあちこちが破れて悪臭を放っています。かつて「自分は選ばれた人間だ」と豪語していた面影は、もうどこにもありません。

そのすぐそばでは、ミラベルがボロボロの布を頭に巻き、借金取りと思われる男たちに囲まれて泣き叫んでいました。

「待ってください! 私は伯爵令嬢なのよ! こんな汚い仕事なんてできないわ。お姉様が……エルサが戻ってきさえすれば、こんな借金なんてすぐに返せるんだから!」

「うるせえ! ローラン家はもう取り潰されたんだ。お前に姉なんていねえだろうが。さっさと働いて金を返せ!」

男たちに突き飛ばされ、ミラベルは泥水の中に顔から突っ込みました。その時、私たちの乗った豪華な馬車が、ぬかるんだ道で一時停止しました。馬車の扉についた公爵家の紋章を見て、二人が弾かれたように顔を上げました。

「エ、エルサ!? エルサだろう! 助けてくれ、頼む! 私は悪かった、お前にすべての仕事を押し付けて、浮気なんてした私が馬鹿だったんだ! 今なら分かる、お前こそが私の唯一のパートナーだ。だから、国王陛下に口を利いてくれ。私を王子に戻してくれ!」

エドワード様は泥だらけの手で馬車の窓を叩き、必死に訴えかけてきました。その目は充血し、執念深い光を宿していて、見ていて背筋が凍るほどでした。

ミラベルも這いつくばって馬車に縋り付きました。

「お姉様! ごめんなさい、私が全部悪かったの! 意地悪をしたのも、毒を混ぜたのも、全部若気の至りだったわ。私たち、家族でしょう? お願い、この地獄から救い出して! お姉様の言うことなら何でも聞くから、またあの屋敷で一緒に暮らしましょう!」

二人の必死な、けれど自分勝手な謝罪の言葉が馬車の中にまで響いてきます。かつての私なら、情に絆されて涙を流したかもしれません。でも、今の私の心は、驚くほど静かでした。

私はゆっくりと、窓越しに彼らを見つめました。ゼノス様が私の手をそっと握り、「無理に答える必要はない」と視線で伝えてくれましたが、私はあえて口を開きました。

「……あの、失礼ですが、あなた方はどなたですか?」

私の言葉に、エドワード様とミラベルが凍りついたように動きを止めました。

「何を言っているんだエルサ! 君の婚約者だったエドワードだよ! 妹のミラベルだよ! 忘れたなんて言わせないぞ!」

「いいえ。私の知っている王子様は、あの日、公衆の面前で私を『無能なドブネズミ』と呼び、雨の中に捨てました。私の知っている妹は、姉が死ぬことを望んで毒を盛りました。……あの日、エルサという娘はあなたたちの手で一度死んだのです」

私は冷徹に、けれど穏やかな声で続けました。

「今ここにいるのは、ゼノス様に救われ、一人の人間として大切にされている新しい私です。過去の私を切り捨てたあなたたちに、今の私を呼び止める権利はありません。見ず知らずの方にこれ以上付きまとうなら、衛兵を呼びますわ」

「そんな……嘘だろ、エルサ……! 頼む、見捨てないでくれ!」

「お姉様! ひどいわ、私を見捨てるなんて!」

二人の悲鳴のような叫びを背に、馬車はゆっくりと動き出しました。私は一度も後ろを振り返ることなく、隣で微笑んでくれているゼノス様を見つめました。

「……よく言ったな、エルサ。君の強さを誇りに思う」

「ありがとうございます、ゼノス様。私、ようやく自分の人生を歩き出せた気がします」

泥の中で醜く争い続ける二人の姿は、すぐに遠ざかり、見えなくなりました。彼らに与えられるのは、これから一生続く「自業自得」という名の罰だけ。私の心には、もう一欠片の未練も残っていませんでした。

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