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第14話 第一部 13・清嶺高校陸上部顧問 上野悦子
しおりを挟む春季記録会が終わってしばらくしたころに1年生部員十名が沼田先生に呼ばれ、清嶺高校の練習に参加するように言われた。今年の1年生は全くの素人はゼロで(いや、僕は素人だが)今までにない期待の学年なのだと山口さんから聞いた。そこで更に別の視点からそれぞれの特徴を伸ばすようにと、定期的に行っている合同練習を今回は1年生限定にしたのだそうだ。
いつものように突然の沼田先生の命令で、なぜそんなことをするのか不安に思っていたのだが、今までのメニューや一人ずつの特徴を伝えるために山口さんが一緒に行ってくれることになっていたので、僕たちの気持ちはずいぶんと軽くなっていた。もっとも、なぜか長距離グループの四人は暗い顔のままだった。
その土曜日がやって来た。清嶺高校は南が丘高校から歩いて十分のところにある女子高で、同じ電車やバスで通学している生徒たちも多いと聞いた。
「おねがいしまーす!!」
40人以上もの女子部員たちが、一人ひとりいっぱいに声を張り上げ、全員がきれいにそろった礼をして練習開始前のミーティングになった。南が丘高校からの10人の参加者は、誰もこの挨拶に付いていくことができなかった。ちょっと戸惑ったような、恥ずかしがっているような表情をしている。別な世界に来てしまったと感じている生徒が多いようだ。長距離の中川健太郎は下を向いたままだ。
去年までの僕だったら、当たり前のようにこの2倍は大きな声で挨拶していたはずだが、わずか2ケ月ほどの南が丘の生活でこの挨拶の感覚を忘れかけていた。なんだか、昔の楽しかった時間が始まりそうで気持ちが高揚してきた。
「お願いしまーす!!」
かなり遅ればせながら誰にも負けない大きな声で挨拶をした。南が丘の9人は2回目の驚きの顔を僕に向け、清嶺高校の女子部員たちはクスクス笑いの目を僕に向けた。彼女たちは黒にオレンジ色のラインの入ったジャージで統一されている。二人の顧問のうち長距離を担当しているという秋山啓介先生が横目でにらんだような顔になった。女性の上野悦子先生が「フッフッ……」と声に出して笑い、山口美優の方に顔を向けた。山口さんは素晴らしく素敵な笑顔を僕に向けてくれた。笑われながら僕はなんだかうれしくなっていた。
上野先生が話し始めた。
「はい。じゃあ、今日は恒例の南が丘との合同練習になります。今年は一年生だけの参加ですが、みんな優秀な選手ばかりのようですから、お互いの良いところを学び合うようにして下さい。」
「はいっ!」
清嶺高校側は、すかさず全員が返事をする。僕も今回は遅れることはなかった。なんだか昔のリズムが戻ってきたようで、身体の奥の方からやる気の塊が湧き上がってきたようだ。楽しい一日になりそうな気がしてきた。南が丘の九人も小さな声でぱらぱらと返事があった。
上野先生は返事を返すタイミングをしっかり取った話し方をしている。僕たちの自己紹介などもなく、話がそのまま続いていった。
「では、今日のグループ分けです。長距離はいつものように秋山先生にお願いします。南が丘は男女二人ずつが長距離のようですから、山口さんと一緒に秋山先生に進め方を教えてもらって下さい。」
「はいっ!」
南が丘の4人は小さな声だった。いや、中川健太郎は下を向いて無言のままだった。女子相手の練習にむくれているのだと僕は思っていたのだが、それは違っていた。秋山先生は駅伝や長距離の指導では名の知れた方で、厳しい練習方法でも有名な先生だった。そして、中川健太郎は中学の時に選抜チームの一員として秋山先生に指導され、その非常に厳しいメニューと叱咤の言葉を経験していたのだった。
「短距離グループと跳躍グループはいつもと同じですが、午前中は投擲グループも一緒になって下さい。」
「はいっ!」
走路にハードルが並べてあったり、高跳びのバーがかけてあったりと清嶺高校のグラウンドは本格的な練習の雰囲気たっぷりだった。そのため僕は朝から期待感でいっぱいだったのだが、「午前中」という言葉ではっとしてしまった。午後からも練習するのだ。南が丘では半日の練習が当たり前だったので、てっきり今日もそのつもりでいた。そのため弁当を用意してもらい忘れたのだ。下宿先の丹野の婆さんは、試合でも練習でも、日曜講習でもちゃんと弁当を用意してくれるのだが、伝え忘れてしまった。
下宿先の丹野邸はここからでも走れば十分ぐらいで行けそうだったので、昼食時間には戻ってこようと考えていた。いろんな練習ができそうなことに比べれば、そんなのはたいしたことじゃない。最悪、昼食抜きだって何とかなるだろう。
長距離の秋山先生はミーティングでは発言しないようで、「じゃあ、そういうことで、キャプテンどうぞ」という言葉で上野先生の話が終わった。
「おはようございます。」
清嶺高校陸上部キャプテンの長野沙保里が前に出て話し始めた。益々野球部気分になっていった。野球部では最後にキャプテンがその日の目標や反省を伝え、試合前だとエールをかけたり、手拍子で盛り上げたりと円陣の中心で締めくくるのがいつものことだった。
「高体連札幌地区予選まであと約4週間になりました。3年生にとっては残り少ない時間ですが、今日からはいつも以上にひとつひとつの練習を大切にして、自己ベストを目指して頑張りましょう。」
「はいっ!」
「南が丘高校の1年生の皆さん、こんにちは。」
「こんにちは」
今度は女の子達が素直に反応した。
「すぐ近くにある学校なのに、大会でしか会うことができませんが、今日は一緒に練習できる機会を作っていただきましたので、お互いの良いところを吸収できるように頑張りましょう。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いします!」という40人の女子の声に「よろしくお願いします……」という、1人プラス9人の声が交差した。山口さんと同じようにしっかりとした話ができる清嶺高校のキャプテンに僕は大きく心を動かされた。いままで、全体をリードする女性を見たことがなかったのだ。
ロングジョグとゆっくりとした何種類ものストレッチのあと、スプリントドリルを長い時間かけて行った。短距離走の形を作るための基本的な動きを繰り返す練習だ。4月に陸上部員としての初めての練習を開始してから、このスプリントドリルの持つ意味が分かってきたのはつい最近のことだ。野球のキャッチボールや素振りやトスバッティングと同じ意味を持っている。動きを覚えてしまうと面白かった。とにかく毎日毎日繰り返し行った。清嶺高校の女子選手の動きは正確で速く、リズミカルだった。体育の時間にやったモモ上げだけじゃなく、膝から下の振り出し、ツーステップジャンプ、バックステップ、小刻み走、と何種類ものドリルがある。
力いっぱい走るためではなく、より効率的に走るための体の動きとリズムを覚える練習であるらしく、なんとなくうまくできるようになった時には自分の走り方が変わってきたような気がしていた。
野球だと投手が投げたボールを打つ練習の前に、トスバッティングやティーバッティングを繰り返し行うことで、自分のバッティングに対する形が出来上がるのと同じことだろうと思った。
その後に150mのウインドスプリントとミニハードル走を行った。不要な力を抜いた滑らかな走りと、ピッチを素速く刻み脚の回転を上げる練習のようだ。初めてやった腕組みスタートからの後半走は、組んでいた腕を振り始めたとたんに、スピードがグンと上がるのが実感できて楽しめるメニューだった。これはきっと100mの後半を意識した練習だろうと思う。スタートダッシュを8本と助走付き50メートル走を5本やって午前の練習が終了した。
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