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第15話 第一部 14・木陰のランチタイム
しおりを挟む昼休みの時間になった。バックの中にタオルを入れ丹野邸に向かおうと顔を上げた時、武部裕也と同じ中学出身で高跳びを専門にしている川相智子と、マネージャーの山口美優さんに声をかけられた。
「野田君、お弁当持ってきてないんでしょう」
山口さんが笑っていた。川相智子が自分のバックの中を覗いている。その後ろから中川健太郎を初めとする長距離グループの四人がさえない顔をしてやって来た。結局、南が丘の十人と山口先輩が一か所に集まり、それぞれが持ってきた弁当を広げ始めた。
校舎側とは反対にあるグラウンドの一帯は、緑色の金網フェンスで隔てられ大きな公園に面していた。みんなが集まって来たあたりは、札幌の象徴でもあるアカシアの木の他にも柳や銀杏の大木が連なって日陰を作る格好の休憩場所になっていた。山口さんが何人分ものサンドイッチと缶入りの野菜ジュースを持って来てくれていた。中川健太郎は自分の弁当を開きもせずにサンドイッチを食べ始めた。山口さんは試合の時でも必ずこうやって、自分が食べる分以上の大量の弁当を持ってきてくれるのだという。
上野先生と清嶺高校の生徒も何人かやってきて、遠足の弁当の時間のような賑やかさになった。
「あらー、ミス山口はまたたくさん作ってきたのねー。いつもありがとうねー。」
上野先生は最初からそのつもりでなにも持ってきてないという。
「今日はうちの旦那はカップラーメンね!へへっ!いつもお世話になってますね。」
「自分の作ったものを食べてくれる人がいるって、なんか楽しいじゃないですか。」
「そう? へー、そう思えるんだぁ。」
上野先生は、何かまぶしいものでも見るようして山口さんにそう言った。
柳の枝が揺れ木漏れ日がみんなの髪の毛を明るく照らした。
「ほら、転ぶから、そんなに走っちゃダメだって……」
母親の声と子供たちの歓声とがフェンスの向こうから小さく聞こえてきた。
「イチゴ、食べませんか?」
丸いタッパーに入った小粒のイチゴを差し出してくれたのは、清嶺高校の短距離グループでさっきまで一緒に走っていた千葉颯希という生徒だった。その言葉をきっかけに、広げられたレジャーシートの上にはいくつものオカズたちが並べられ、ブッフェスタイルの昼食会場のようになった。
その中で大はしゃぎをしているのは山口さんだった。彼女の楽しみはこういう時間なのだろうか。自分が誰かのために食べ物を用意したり、道具のセットや練習メニューの制作やタイムの計時をしたり、そのほかにもいろいろな裏方仕事を楽しんでやっている。それに対して自分に返ってくるものは何があるのだろう。満足感? 奉仕の精神? 他人の笑顔から自分の幸せを感じているというのだろうか。
「うちの旦那からなんの種目か聞いてる?」
上野先生は僕に話しかけているようだ。
「はいっ?」
この人に会ったのだって今日が初めてなのに、旦那さんのことなんか知るわけがない。
「なんか、南が丘の新人十人の中で種目が決まりそうにないのは野田君だけという話だけど?」
「中学では野球部だったので、まだはっきり自分の力がつかめてないようなんです」
山口さんが答えてくれた。
「沼田先生はジャンプ系だろうって言ってました。でも、野田くんは、なんだかもっといろんなことやってみたいようです」
「そう、さすがミス山口!うちの旦那よりよく見てるね」
僕は食べかけのサンドイッチを落としそうになった。そうか、上野先生と沼田先生は夫婦なのだ。またしても、知らないのは僕だけなのか。
「野球やってただけあって肩幅広いね! 身長はいくつ?」
「178くらいです」
「去年は?」
「173くらいだったと思います」
「そう、まだ伸びるね! 受け答え野球部っぽいね。いいよ!」
「ちょっと足首見せて」
「あしくび? ですか?」
ジャージの裾をめくって靴を脱ぐと、上野先生が足首の周りとかかとのあたりを触り始めた。両手で足首を回し、足の裏を指圧するように押してから「いいよ」と手を離した。
「太くていい骨してるね。いいわ! 足首細いし、ふくらはぎに良い筋肉付いてる。足底のアーチが見事に発達してる。少しО脚気味だし、バネがありそう。うちの旦那も見る目あるかもね」
きっと30歳代と思われる上野先生の笑顔は、周りの女子高校生たちと変わらず若々しかった。そして大きな口だった。
「サージャント測ったことある? ああ、垂直跳びね」
「はい、中学の体力テストでやったときは86センチでした」
中川健太郎が珍しく大きな目で僕を見た。そして、それ以上に一番驚いた顔をしていたのは野田琢磨だ。
野田琢磨は札幌近郊の江別からやって来ている。僕とは違って高い学力でこの学校に入学した。それだけでなく彼は中学時代に陸上の全道大会で入賞している。種目は走り高跳びだ。山野沙希と中川健太郎とは中学の強化合宿で顔見知りだという。と同時にこの3人は中学時代の全道学力コンクールでも上位を争ったライバルであったらしい。そして、彼の家もまた江別市では名の知れた開業医だった。
野田賢治と野田琢磨。「野田」という苗字はそんなに多いわけではないのに、同じ学校に、しかも同じ陸上部に二人もの野田がいる。二人の野田の存在は周りにとっては煩わしい。
「タクマ」という呼び名はすぐに広がり、彼の方は下の名前で呼ばれるようになった。二人が一緒にいるときには「タクマ」と「ケンジ」と呼び分けることになったが、「ケンジ」は3年生にも2年生にもいる。それで、単に「野田」と呼ばれたり、「ノダ」と「ケンジ」を縮めて「ノダケン」と呼ばれることが多くなった。それは中学時代の呼ばれ方でもあった。
「タクマ」の方は「野田」と呼ばれることはなくなり「タク」と縮めて呼ばれることになった。「タク」という軽く透き通った音と「ノダケン」というゴツゴツした音がそのまま二人の持つイメージとつながることになった。
タクは高跳びを専門にするが、走るスピードは全くなく、百メートル走は14秒くらいもかかってしまう。その代わりジャンプ力に優れ、跳びはねるような走り方をする。何よりも長身で細身な体型をしていた。中川健太郎よりも更に細く、身長は180センチを超えるのに、体重は50㎏ちょっとしかない。肩幅はノダケンの半分くらいに見えるし、両足の太さに至ってはどこの筋肉であれだけのジャンプができるのか不思議に思うほどだ。中学時代には走り高跳びで180センチに迫る記録を持っている。
「ほー、大したもんね。高跳びやったことある?」
「体育の時間でやっただけです」
「どのくらいだった?」
「150センチくらいまでしかやりませんでしたから」
「跳び方は? 体育の時間だからベリーロール?」
「そうです」
「体力テスト受けてるんだったら、立ち幅跳びと三段跳びやってるよね?」
「立ち幅跳びは、マットの上でやったので記録は正確じゃないみたいですけど、2m80㎝位でした。立ち三段跳びはやらなかったです」
タクは2人の会話を聞き逃すまいという表情で、弁当のふたさえ開けていない。
「野球部だったんだから、長い距離は走ってたよね。グラウンド何周とか?」
「5キロくらいはいつも練習で走ってました」
上野先生は清嶺高校の生徒が持ってきたおにぎりをほおばりながら公園の親子に目をやった。
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