日ノ本国秘聞 愛玩

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「おーい、尾上!」

  佐久間さくまが大声で呼び止めると、少し先を歩いていた青年が立ち止まった。
 すらりとした彼の服装は開襟シャツにループタイ。古めかしい金具でとめた琥珀は本物なのだと、佐久間は本人から聞いたことがある。
 少し時代がかった格好がこの上なく似合う尾上岬に、秋波を送る生徒は多い。
 尾上自身は色めいた誘いを飄々とかわし、つれないところがまた溜まらない、とは佐久間の知る岬への評のひとつ。

「なぁ、次の講義、休講だって聞いたか?」
「またか。ありがとう、佐久間。講義室行く前に聞けてよかったよ。ここから北六棟まで行ってそれ聞いたら、今日一日は自主休講するところだった」

 尾上は足をカフェテリアに向けた。佐久間も横に並ぶ。

「情報提供の礼にコーヒーぐらい奢ってくれるよな」
「ちゃっかりしてるなぁ」

 佐久間たちが受ける講義の教授は、天下の最高学府に勤務しながら、腹痛だの風邪だのと生徒が白けるような理由でいきなり休講にしてしまうことで有名だった。むろん、仮病である。真面目な講義をしたのはオリエンテーリングと最初の二回くらいだっただろうか。

「前振りなしの休講は参るわ。レポートを出しときゃ単位はくれるんだし、楽っちゃ楽なんだが」
「そのわりに、課題には辛口だもんな」

 うっそり笑う尾上だが、唯一、件の教授からレポートで最高評価を貰った生徒であったことを佐久間は知っている。
 佐久間も尾上も最高学年。互いの連絡先を知っているが、下宿先は知らない。同じ学部でほぼ同じカリキュラムを組んでいるので、構内ではつるんでいる、という仲だった。

「そういえば、内定おめでとう」
「当然。そのための赤門みたいなもんだろ。ここはあくまで通過点さ」
「言うね。さすが未来の総理大臣様」

 佐久間の内定先は中央省庁。日ノ本で国家権力を得るならば、やはり最高学府を優秀な成績で修めるほうが通りがいい。名家の出でも政治家の子でもない佐久間がのし上がるならば、海外で飛び級する手もあるが、出る杭は打たれるものだ。

「そういうおまえは? なんか、謎なんだよなぁ。尾上の就職先って」
「ああ、俺は実家に帰るんだ」

 尾上はさらりと言ってのけた。

「はぁ!? おまえ、どういうことだよ!」
「どういうも何も、最初からそういうつもりで俺はいるんだけど」

 佐久間は自分を未来の総理大臣だと思っている。実際、今現在その道のとっかかりにも立っている。生来、自分は恵まれた男だと自負してきたが、唯一コイツには勝てない、敵わないと思ったのが尾上である。

 がっしりした体躯の佐久間に見劣りしない長身、物静かな性格が陰気と取られず、ミステリアスだと騒がれる涼やかな風貌。「田舎成金だよ」と言いながら、関東一円の土地転がしや株取引はじめ金融を生業とする一族に属し、右肩上がりの実家の資産力は財閥レベルだともっぱらの噂である。

「俺は未来の総理大臣、おまえは財務大臣だと踏んでたのに……」
「それは悪かったな」
「ちっとも悪いって思ってないだろ、その口ぶりは!」
「そんなことないって」

 知り合った最初は対抗心もあったが、話してみればウマもあうし、頭の回転も速い。
 そして、おそらく今期の主席卒業者は尾上だろうと佐久間は踏んでいる。認めるのは悔しいが、わずかに成績は尾上が上回っているのだ。

「省庁じゃなくても引く手数多だろうによ、勿体ない」
「そうは言っても。俺、働きたいところなんか無いし」
「……就活中の連中に刺されるぞ」

 尾上が心底そう思っているとわかるだけに佐久間は複雑だった。実に勿体ない。
 日ノ本は先の二度の大戦から復興を遂げ、経済成長を続けている。権益の争奪戦は絶えず、若い狼のような野心家の佐久間がのし上がっていけるだけの余地は十分にある。
 その傍らに尾上がいてくれれば心強いと思っていたのに。

「それで? 田舎に帰って先物にでも手を出すってか? おまえの実家、株でも投資でも絶対損を出さないって聞いたことがあるけど」
「引き際を心得てるだけさ。実家に帰ったら俺は……そうだなぁ、きっと運転手かな」
「はあぁ?」
「俺は次期当主様のお目付役、まぁそういう役目なんだ。ただ、まだお若い方だから、あえて仕事をくれって言ったら、させて貰えるのは運転手くらいかなと」
「一族とか、当主とか……おまえ、探偵小説の世界に生きてるのか」
「どちちかというと伝奇小説かな。なんなら来てみるか? 山奥すぎて携帯電話は通じない可能性が出てくるけど」
「今時そんな秘境が日ノ本にあるのかよ」
「そう言わないでくれ、俺の故郷なんだ。いつでも、帰りたくて仕方ないんだよ」
「なんだかんだで帰ってるだろ。飲み会に誘いたくても捕まらないってよ」
「それ、高木が言ったんだろ。あいつは俺を女ウケする数合わせにしか思ってないからな」

 もしかして、故郷に女でもいるのだろうか。佐久間はふと思った。

 尾上に女の影はまったく見えない。それなのに、大学と家を往復の日々。アルバイトはせず、遊びも飲みも誘われない限りは姿を見せない。暇を見つけては実家に戻っているという。移動には何時間も列車に揺られるとか。
 そうまでして帰りたい理由を尾上は明かさなかった。ただ、うっすらと笑う。

「ここに通っているのも、実は次期当主様のお言いつけでね。自分に仕えるのなら最高の人間じゃなきゃダメだって言われて」

 その口ぶりは嫌そうどころか、自慢をするかのように嬉しげだ。

「……作るのは手間がかからなかったが、育てるのは勝手が違うしな」

「……何の話だ?」
「いや、未来の総理大臣様にはとんと関係のない話さ」

 ぶすくれた佐久間に尾上はいつも通りのアルカイックスマイルを浮かべる。
 ループタイの琥珀と相まって、ますます尾上の浮き世離れした雰囲気を助長させた。
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