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第一章 太陽の檻
月の神官
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ルナが最期に感じたのは、光だった。
雪解けの匂いが残る春の朝、村は燃えていた。
炎は音を立てない。遠くから見ると、ただ揺れているだけに見える。だが近づけば分かる。焼ける音、裂ける音、崩れる音、そして叫び声。すべてが混ざり合い、空気そのものが震えている。
彼は妹を庇っていた。
腕の中で震える小さな身体を抱き、背中を剣に貫かれた。
痛みの次に感じたのは――光だった。
太陽の光。
雲が流れている。
(きれいだ)
太陽に手をのばす。
(まだ終わりたくない)
(あの太陽に、触れるまでは)
そう思った。
そして死んだ。
次に目を開けたときも、空は同じだった。
雲が流れていた。
だが村はなかった。
家もなかった。
人もいなかった。
焼け跡だけが残っていた。
妹の体も消えていた。
自分だけが残っていた。
背後から声がした。
―契約は成った―
振り向く。
誰もいない。
だが声は確かにある。
空間そのものから響いている。
「……だれ」
―神だ―
静かな声。
怒りも威圧もない。
ただ事実だけを告げる声。
―お前は死なない―
沈黙。
意味を理解するより先に、体が理解した。
胸に穴が空いているはずなのに、痛くない。血が流れていたはずなのに、乾いている。呼吸が止まっていたはずなのに、息ができる。
生きている。
「……どうして」
―願ったからだ―
思い出す。
死ぬ直前。
確かに思った。
―まだ終わりたくない。
ただそれだけ。
祈りでも誓いでもない。
本能。
だが神は答えた。
―代償は一つ―
声が続く。
―お前は見送る側になる―
―お前の太陽に出会うまで―
神の声は、それきり聞こえなくなった。
その日、ルナは妹も村人も消えた焼け跡で、最初の祈りを捧げた。
二十年後。
ルナは、別の村の家に、一人で住んでいた。
ルナは、三十七歳のはずだった。
だが姿は、十七歳のままだった。
最初に気づいたのは子供だった。
「お兄ちゃん、変わらないね」
笑って言った。
大人たちは、笑わなかった。
ある日、井戸端で囁き声が聞こえた。
「気味が悪い」
「老けない」
「呪われてる」
石が投げられた。
肩に当たった。
痛みはあった。
だが驚きはなかった。
理解していたからだ。
終わらないものは怖い。
人は終わる。
だから安心できる。
終わらないものは、理解できない。
理解できないものは――恐ろしい。
村を出た。
追われたわけではない。
だが残れなかった。
優しさだった。
彼らにとっても。
自分にとっても。
さらに二十年後。
依然として、ルナの姿は十七歳のままだった。
旅の途中、子供が倒れていた。
熱病だった。
呼吸が浅い。
命が消えかけている。
ルナは抱き上げた。
理由はなかった。
ただ放っておけなかった。
触れた。
その瞬間。
―光が溢れた。
熱が消えた。
呼吸が整った。
子供が目を開けた。
「……あれ?」
奇跡だった。
最初は感謝された。
母親が泣いて礼を言った。
村人たちが頭を下げた。
だが翌日。
空気が変わった。
「触っただけで治した」
「人間じゃない」
「化け物だ」
崇拝は恐怖に変わる。
恐怖は排除に変わる。
ルナは理解する。
癒しは祝福ではない。
異物だ。
その日のうちに、ひっそりと村を出た。
慣れていた。
孤独には。
それから十年がたった。
噂が、王都に届いた。
「病を消す男」
「死なない旅人」
「月の使い」
兵が来た。
捕らえられた。
連れていかれた。
抵抗しなかった。
意味がないからだ。
大神殿は白かった。
柱は高く、天井は空のように遠い。香の煙が薄く漂い、床は鏡のように磨かれている。そこに立たされ、大司祭が言った。
「力を見せよ」
瀕死の兵が運ばれてくる。
ルナは手を差し出す。
触れる。
光が溢れる。
傷が塞がる。
血が止まる。
命が戻る。
沈黙。
―長い沈黙。
そして。
大司祭が跪いた。
「神の恩寵だ」
その日。
ルナは神官になった。
望んだわけではない。
だが拒まなかった。
理由は一つ。
――ここなら、追われない。
神殿は優しかった。
少なくとも最初は。
石は投げられない。
呪われない。
逃げなくていい。
ただ、距離があった。
敬意という名の距離。
神聖という名の隔離。
だがそれでいい。
拒絶より、ずっといい。
不老不死になって百年が過ぎる頃には、ルナは名前を覚えなくなった。
覚えると苦しいから。
人は死ぬ。
必ず死ぬ。
友も。
子も。
孫も。
自分だけが残る。
だから踏み込まない。
微笑む。
癒す。
祈る。
だが。
愛さない。
それが最も優しい距離だった。
そう思っていた。
―あの日までは。
回廊の先に、少年が倒れていた。
血の匂い。
薄暗い石床。
小さな体。
ルナは立ち止まる。
少年が目を開ける。
炎の瞳。
その瞳を見た瞬間。
(ああ)
理解する。
この目を知っている。
遠い昔。
焼け跡の中で。
自分がしていた目。
すべてを失った目。
助けを求める目。
――壊れる前の目。
その瞬間、分かった。
この子は、放っておけば壊れる。
確実に。
だから。
手が伸びた。
触れた。
癒した。
それが、―すべての始まりだった。
雪解けの匂いが残る春の朝、村は燃えていた。
炎は音を立てない。遠くから見ると、ただ揺れているだけに見える。だが近づけば分かる。焼ける音、裂ける音、崩れる音、そして叫び声。すべてが混ざり合い、空気そのものが震えている。
彼は妹を庇っていた。
腕の中で震える小さな身体を抱き、背中を剣に貫かれた。
痛みの次に感じたのは――光だった。
太陽の光。
雲が流れている。
(きれいだ)
太陽に手をのばす。
(まだ終わりたくない)
(あの太陽に、触れるまでは)
そう思った。
そして死んだ。
次に目を開けたときも、空は同じだった。
雲が流れていた。
だが村はなかった。
家もなかった。
人もいなかった。
焼け跡だけが残っていた。
妹の体も消えていた。
自分だけが残っていた。
背後から声がした。
―契約は成った―
振り向く。
誰もいない。
だが声は確かにある。
空間そのものから響いている。
「……だれ」
―神だ―
静かな声。
怒りも威圧もない。
ただ事実だけを告げる声。
―お前は死なない―
沈黙。
意味を理解するより先に、体が理解した。
胸に穴が空いているはずなのに、痛くない。血が流れていたはずなのに、乾いている。呼吸が止まっていたはずなのに、息ができる。
生きている。
「……どうして」
―願ったからだ―
思い出す。
死ぬ直前。
確かに思った。
―まだ終わりたくない。
ただそれだけ。
祈りでも誓いでもない。
本能。
だが神は答えた。
―代償は一つ―
声が続く。
―お前は見送る側になる―
―お前の太陽に出会うまで―
神の声は、それきり聞こえなくなった。
その日、ルナは妹も村人も消えた焼け跡で、最初の祈りを捧げた。
二十年後。
ルナは、別の村の家に、一人で住んでいた。
ルナは、三十七歳のはずだった。
だが姿は、十七歳のままだった。
最初に気づいたのは子供だった。
「お兄ちゃん、変わらないね」
笑って言った。
大人たちは、笑わなかった。
ある日、井戸端で囁き声が聞こえた。
「気味が悪い」
「老けない」
「呪われてる」
石が投げられた。
肩に当たった。
痛みはあった。
だが驚きはなかった。
理解していたからだ。
終わらないものは怖い。
人は終わる。
だから安心できる。
終わらないものは、理解できない。
理解できないものは――恐ろしい。
村を出た。
追われたわけではない。
だが残れなかった。
優しさだった。
彼らにとっても。
自分にとっても。
さらに二十年後。
依然として、ルナの姿は十七歳のままだった。
旅の途中、子供が倒れていた。
熱病だった。
呼吸が浅い。
命が消えかけている。
ルナは抱き上げた。
理由はなかった。
ただ放っておけなかった。
触れた。
その瞬間。
―光が溢れた。
熱が消えた。
呼吸が整った。
子供が目を開けた。
「……あれ?」
奇跡だった。
最初は感謝された。
母親が泣いて礼を言った。
村人たちが頭を下げた。
だが翌日。
空気が変わった。
「触っただけで治した」
「人間じゃない」
「化け物だ」
崇拝は恐怖に変わる。
恐怖は排除に変わる。
ルナは理解する。
癒しは祝福ではない。
異物だ。
その日のうちに、ひっそりと村を出た。
慣れていた。
孤独には。
それから十年がたった。
噂が、王都に届いた。
「病を消す男」
「死なない旅人」
「月の使い」
兵が来た。
捕らえられた。
連れていかれた。
抵抗しなかった。
意味がないからだ。
大神殿は白かった。
柱は高く、天井は空のように遠い。香の煙が薄く漂い、床は鏡のように磨かれている。そこに立たされ、大司祭が言った。
「力を見せよ」
瀕死の兵が運ばれてくる。
ルナは手を差し出す。
触れる。
光が溢れる。
傷が塞がる。
血が止まる。
命が戻る。
沈黙。
―長い沈黙。
そして。
大司祭が跪いた。
「神の恩寵だ」
その日。
ルナは神官になった。
望んだわけではない。
だが拒まなかった。
理由は一つ。
――ここなら、追われない。
神殿は優しかった。
少なくとも最初は。
石は投げられない。
呪われない。
逃げなくていい。
ただ、距離があった。
敬意という名の距離。
神聖という名の隔離。
だがそれでいい。
拒絶より、ずっといい。
不老不死になって百年が過ぎる頃には、ルナは名前を覚えなくなった。
覚えると苦しいから。
人は死ぬ。
必ず死ぬ。
友も。
子も。
孫も。
自分だけが残る。
だから踏み込まない。
微笑む。
癒す。
祈る。
だが。
愛さない。
それが最も優しい距離だった。
そう思っていた。
―あの日までは。
回廊の先に、少年が倒れていた。
血の匂い。
薄暗い石床。
小さな体。
ルナは立ち止まる。
少年が目を開ける。
炎の瞳。
その瞳を見た瞬間。
(ああ)
理解する。
この目を知っている。
遠い昔。
焼け跡の中で。
自分がしていた目。
すべてを失った目。
助けを求める目。
――壊れる前の目。
その瞬間、分かった。
この子は、放っておけば壊れる。
確実に。
だから。
手が伸びた。
触れた。
癒した。
それが、―すべての始まりだった。
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