太陽王と終焉の月

帰り花

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第三章 月の檻

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 妃としての日々は、静かだった。
 嵐のような戦の後に与えられたのが、この静けさだった。
 それは、安らぎではない。
 嵐の中心の静寂だ。
 嵐が止んだのではない。
 ただ――
 嵐の中心が、移っただけだ。
 その中心にいるのが、ルナだった。

 朝、ルナが目を覚ますと、すでに侍女たちは控えている。
 音を立てない足取り。伏せられた視線。触れない距離。
 敬意ではない。
 恐れだ。
 彼女たちは、知っている。
 この妃は、王の“最も触れてはならないもの”だと。
 宝物ではない。
 宝物なら、飾られる。
 これは違う。
 ――囲われている。

 衣が用意される。
 白。
 銀。
 淡い青。
 すべて、ソルが選んだ色だった。
「陛下のご命令です」
 侍女は、必ずそう言う。
 つまりこれは、衣ではない。
 王の世界の色だ。
 ルナが何色を纏うかは、王の世界が何色で染まるかを意味する。

 朝議の時間。
 ソルは、必ず言う。
「隣へ」
 それが、命令。
 ルナは、王座の隣に立つ。
 椅子はない。
 座らせない。
 立たせる。
 王と同じ高さに。
 だが、同じ位置にはしない。
 半歩後ろ。
 その半歩が、支配の距離だった。

 大臣が報告する。
 将軍が進言する。
 使者が跪く。
 誰も、ルナを見ない。
 見ないようにしている。
 だが、視線は感じる。
 背中に。
 首筋に。
 指先に。
 “見てはいけないもの”ほど、人は見たくなる。
 それを、ソルは知っている。
 だから隠さない。
 隠す代わりに――見せつける。

 ある日の朝議で。
 ソルは、何気なく手を伸ばした。
 ルナの手首を取る。
 静かに。
 だが、確実に。
 報告していた大臣の声が、わずかに震えた。
 ソルは、視線を向けない。
 大臣ではなく、ルナを見ている。
 指先で、脈をなぞる。
 鼓動を、確かめる。
 生きている。
 ここにいる。
 逃げていない。
 その確認。
 それだけ。
 だがそれだけの仕草が、王の間の空気を支配する。
 誰も息を深く吸えない。
 王の手が、離れるまで。

 ルナは理解していた。
 これは、愛ではない。
 確認だ。
 失わないための確認。
 壊れていないかの確認。
 消えていないかの確認。
 ソルは、国を支配している。
 いずれ、世界をも支配するだろう。
 現に、エルセリア陥落後も、周辺諸国はヴァルディアの想像以上の軍事力に恐れをなし、息を潜めている。
 だが。
 ルナだけは支配しきれていないと、どこかで知っている。
 だから、触れる。
 触れて、確かめる。
 触れて、安心する。

 夜。
 王の寝所。
 灯りは少なく、影が多い。
 ソルは、夜になると静かになる。
 昼の王とは別人のように。
 命令もしない。
 怒りもしない。
 ただ、近くに来る。
 距離を詰める。
 逃げ場が、なくなるまで。

 最初の夜、ルナは覚悟していた。
 命令されると。
 強制されると。
 奪われると。
 だが、ソルは違った。
 触れた。
 頬に。
 髪に。
 唇に。
 まるで、壊れ物を扱うみたいに。
 恐れているみたいに。
 自分が、壊してしまうことを。

「……逃げないな」
 低い声。
 ルナは答える。
「逃げません」
 本当だった。
 逃げられないからではない。
 逃げれば壊れるから。
 ソルが。

 ソルは、目を閉じる。
 その瞬間だけ、王ではなくなる。
 ただの少年になる。
 孤独な少年。
 拾われなかった少年。
 呼ばれなかった少年。
 その少年が、ルナの肩に額を預ける。
 触れる。
 寄りかかる。
 すがる。
 言葉にはしない。
 だが、身体が言っている。
 ――ここにいて。

 やがて、ソルはルナを寝台へ導く。
 動きは静かだ。
 急がない。
 奪うのではない。
 確かめるために、触れる。
 指先で、輪郭をなぞる。
 頬に。
 首に。
 肩に。
 胸に。
 まるで、記憶に刻み込むみたいに。
 失ったとき、思い出せるように。

 唇が触れる。
 深くはない。
 だが、長い。
 離れない。
 確かめるみたいに。
 何度も。
 何度も。
 呼吸が混ざる。
 体温が移る。
 だが、それ以上を急がない。
 欲望はある。
 だが、衝動に任せない。
 衝動で壊したら、終わるから。

 ルナは、目を閉じる。
 抵抗はしない。
 受け入れる。
 愛しているからではない。
 壊したくないからだ。
 遠く祖国にいる恋人を。
 そして、ソルを。

 やがて夜は深くなり。
 灯が揺れ。
 影が重なり。
 静かに時間が過ぎる。
 声はない。
 命令もない。
 ただ呼吸だけが重なる。
 王と妃ではなく。
 人と人として。

 夜が終わる頃。
 ソルは必ず言う。
 眠りに落ちる直前、囁く。
 同じ言葉を。
 毎晩。
 欠かさず。

「……ここにいろ」

 それは、命令ではない。
 祈りだ。

 ルナは、知っている。
 この祈りがある限り。
 この王はまだ、怪物ではない。
 だから、答える。
 毎晩。
 同じ言葉を。

「います」

 それが、鎖だと知りながら。
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