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蠍の火

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 クリスマス・イヴがなんのためにあるのか凛は知らない。
ある人は敬虔な信徒が礼拝をするためだといい、ある人は恋人と愛を語り合うためにあるのだという。どちらにしろ凛にはあまり関係ない。今年も家族でチキンとケーキを食べて祝うだけだ。凛はクリスマスプレゼントに父と母から高価なプレゼントをもらった。薫風亭にあった、アンティークの星座早見盤だ。双葉は笑顔で、
 「どう? 今年は奮発したでしょ。港君から凛がこれを気にいってるって聞いたのよ。お父さんとお母さんからのプレゼントよ」
 「大事にするんだぞ」
 「うん、嬉しい。ありがと」
 そう言いながら凛はすっきりしない気分でいた。プレゼントが気に入らないのではない――渚の事が頭から離れない。だから両親が深い眠りについて、地震が起きても簡単に起きそうにないのを確認してから――ベランダに立った。
着ているパーカーのフードがバサバサと揺れる。今日は風が強い。寒さも一段と……強い。満月の日。今日は会える、と思った。

 「心の深淵」

 凛の声に応えて胸から心の深淵が現れる。同時に全身を光の粒が覆い、はじけた。短いマントがたなびいて髪は金色に、瞳は蒼く染まる。立てかけてあるシグナスを持ち、ベランダの手すりから飛び降りた。
――身体はふわりと浮いて、冬空に光沢のある服が輝く。

 「どこいくねん」
 「シリウスに向かって飛んで」
 白鳥座の名の通り、鳥が弧を描くように見事に飛ぶ。しばらくすると一帯、高層ビルだらけの場所へ出た。ビルを避けながらシリウスを目指す。
 が、そこに。
 「シグナス止まって」

 凛の視線の先に、満月を背にして宙に浮く魔女。――目が赤く光っている。満月の逆光で表情は見えないが、目だけが燃えるようにしてこちらを見ているのがわかる。
 (やっぱり会えた)
 真っ黒なドレスにわずかばかりの深紅の飾り――彼女は凛の近くまで飛んできた。
 「待っていたぞシリウスの魔女」
 凛は心の深淵を持つ手が汗ばむのを感じた。
 「私はスカーレット。全天二十一の一等星が一つ、蠍座アンタレスの加護をうけし者。お前に挑もうとする良き魔女達は私が食った」
 声は確かに渚と変わらない。しかし向こうは凛とは気付いていないようだ。姿がまるきり違うのだから当たり前だが。
 「彼女たちの力を食うことで私は強くなれる……かりそめの光を手に入れられる……我が心の深淵のために……そのシリウスの光をもらう」
 そういって渚……スカーレットは凛に心の深淵を向けた。曇っている。まるで輝いていない。ただの灰色の石だ。
 「そうか……星の光はあっても、心の光はないということか」
 「私を倒せば東の良き魔女になれるかもしれないが、どうかな。いくぞ――顕現せよ「蠍の火」……スコーピオン・テイル」
 赤い光が収束して、たちまちスカーレットの周囲に大きな、赤い人魂のような炎が三つあらわれた。
 「燃え尽きるがいい」
 そういってスカーレットが大きく後ろに下がる。炎がいっせいに凛めがけて襲ってきた。あの、ホログラムの魔女のように墜落させるつもりか。シグナスが間をとるために凛を乗せて急上昇する。炎は想像より遅く、赤い光の尾を残しながら凛を追った。
 「ロータスほど速くないみたいだ……だけど」
 追いつかれることはないが凛から離れることもない。どこまでも追ってくる。しかも離れているのにとても熱さを感じる。これがスカーレットの星の力だとしたら。

 (あの光の無い心の深淵と全然釣りあっていない……暴発してしまうぞ!)

 炎から逃げながら対策を考える。ゆっくりと、しかししつこく追ってくる炎をみると、相手は最初から長期戦に持ち込む気なのだろう。凛の力が尽きるかそれとも――、
 「シグナス! 大丈夫?」
 「これくらい平気や。いったやん、わいスタミナあるって。でもあの熱さどうにかしてほしいわ。体が燃えてまうねん。箒は火が苦手や」
 「そんなに熱いの!?」
 「凛はその破廉恥な服と星の加護に守られとるからわからんと思うけど、かなりの熱さやで。アンタレスは「大火」を意味するんや。火の性やからな。それに蠍座は黄道十二宮の一つやし」
 「それってなんか強いの?」
 「こないだ双子の連中とやりあったやん。強かったやろ。あんなチビがタキオン乗りこなせるなんてめったにないで。双子座も黄道十二宮の一つなんよ。まあそういった連中はちょっと他の奴らより星の力が強いってことや」
 「ふーん……」
 炎の追手から逃げながらスカーレットの様子を窺う。いつのまにか左手に妙なものを持っている。木だろうか……木で出来た、楕円形の絵を描く際に使うパレットのようなものを手にし、その表面を右手の指でシュッシュッといろんな方向になぞっている。
 「何だあれ……」
 「ウィジャ盤やな。悪しき魔女が使う奴や。あれで炎をあやつっとるんやろ。道具の力を借りんといけへんのなら、バランスとれてへんのかもしれん。本来なら心の深淵が力の源やからな」
 シグナスも気付いていたのか。――あの板を壊せば追跡は止むだろう。しかし……。
 (彼女は、悪しき魔女)
 どうしたらいい。スカーレットが渚であることは間違いない。でも自分は悪しき魔女の敵である良き魔女――一体どうしたら。
 「凛、攻撃せえ! このままじゃ埒あかんで」
 「わ、わかった」
 凛は思いを巡らし、
 「あの双子にやったやつをやる! ぶつかって、落とすんだ」
 荒っぽくなるがそうすれば話ができるかも――そう思い、
 「シグナス、彼女に近づくんだ!」
 炎の玉を背にしたままスカーレットに一気に近づく。スカーレットは動かしていた右手を止め、目を細めるとヴィジャ盤をどこかへしまい、その場から箒で飛びだす。
 「にがさへんで!」
 シグナスはその後を追うが、スカーレットは何回も軌道を修正してシグナスの追随を許さない。まるで跳びはねる猫のようだ。
 「――参ったで。タキオンみたいに速くあらへんけど、すばしっこいねん。凛、接近するのは難しいと思うで」
 「くそ……」
 凛は一旦シグナスを止める。その上空を飛ぶスカーレットが笑った。
 「私に近付くのは無理の様だな……」
 「でも隙は与えない! その妙な板がないと炎を操れないんだろう。その暇は与えない」
 「それはどうかな。ヴィジャ盤などなくても……アンタレスの力があれば十分――スコーピオン・テイル」
 スカーレットが右手を握るように動かす。凛の周囲にいくつもの炎があらわれ、火力を増した。
 「あちち! 燃えてまうでえ凛!」
 凛の肌もさすがにチリチリと熱を感じ始めた。ふはは、と笑うスカーレットはさらに炎を増やす。アンタレスの力が、過熱している。
 (――だめだ)
 アンジェの声がこだまする。いずれ――、
 (それ以上は)
 凛は声を振り絞って叫んだ。
 「――それ以上はだめだよ霜月ぃィッ!!」
 凛の叫びにスカーレット――渚は目を見張って動きを止め、

 「う」

 と、突然うめき声をあげると箒と一緒にすぐ下にあるビルの屋上へと落ちていった。
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