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劇場の紫陽花 8
しおりを挟む「…意味が分からないんだけど」
「これは死活問題なんだ」
そう真面目な顔で訴えるミカには申し訳ないが、それが死活問題と呼ぶ程の事なのか佳世には理解出来ないでいた。そもそも本気で言っているのか、もしかしたら、からかわれているだけなのではないか。それなら、本気で向き合うなんて馬鹿げている。
佳世は大きく溜め息を吐いた。
「子猫ちゃん、子守唄が必要なら他所をあたって」
「この顔を見て、子猫というのか」
「他人の顔でしょ、妖怪だか何だか知らないけど、結局はただの猫じゃない」
「確かに僕は猫だ、けれどただの猫ではない、僕は特別な猫だ。その証しに立派な名前だってある。僕の名前はミケラン、」
「名前はいい!わかった、あなたの気持ちは受け入れる。また楽しく歌えばそれで良い?」
「ダメだ、君は勘違いしている。今の君に歌って貰ったって僕はきっと悪夢にうなされるだけだ」
「何その言い種…」
「あの頃の君が良い、まだ夢を目指していた頃の」
「そう言われても、なんで猫に私の人生左右されなきゃ」
言いかけて、ふと思い至る。劇団員の時から佳世はこのアパートに居たが、猫がやって来るようになったのは、最近てはなかった。最近はその歌さえ忘れていたのだ、ミカが聞ける筈もない。
それとも、自分が気づかないだけで、ミカは昔からベランダに来ていたのだろうか、だとしたら、どうして今頃文句を言いに来たのだろう。
「君が、今を受け入れていないからだよ」
ミカの言葉に、違和感を追い始めた思考が止まる。佳世は「え、」と顔を上げた。
「あの時、配役オーディションで君は才能がないと諦めた」
劇団に居た頃の話だ。何故それをミカが知っているのか、嘆いている姿をベランダから見ていたのだろうか。
「でも、本心では割りきれていなかったんじゃないか?自分が納得出来ないまま辞めたから、今そんな顔をしているんだ」
何故それを知っているのか、問いただそうとした言葉が、ミカの言葉によって喉に引っ掛かる。佳世は返す言葉を見失い、視線を彷徨わせた。
「…だってそんな、」
「言われて当然だ、それが君の実力だったんだから」
「…は?」
「けど、諦める必要なんてなかったんだ。望み続けていれば、何年かかろうが道は開けたかもしれない。もし諦めるにしても、納得したかしないかじゃその先は全く変わってくる。君はいつだって中途半端だ、夢見る覚悟も、それを諦める覚悟すらない」
佳世はぎゅっと手を握った。そんな事、自分が一番良く分かっている、それを何故こんな正体の掴めないミカに言われないといけないのか。そう思ったら、だんだんと腹が立ってきた。
「…何なの、じゃあ、あのまま惨めな思いしてろって?笑われろっていうの?」
「笑われるほど本気でやってきたの?」
「…やってきたよ」
「そう、でも今の君の方がよっぽど惨めだ、昔の君が悲しむよ」
「あなたに何が分かるの!」
さすがにカチンときて、佳世はミカに詰め寄った。もう巽の顔だろうがどうでもいい、ここに居るのは失礼な化け猫のミカだ。
佳世は座っているミカの肩を掴み、そのシャツを握りしめる。怒り任せの行動だったが、ミカは平然としている。真っ直ぐに佳世を見上げる瞳は揺らぐ事はなく、一辺の曇りもないその力強い眼差しは、海のように深く計り知れない。その思いの深さを目の当たりにすれば、佳世の方が狼狽えてしまった。
ミカはそんな佳世の揺らぎを見たのだろうか、シャツを掴む佳世の手に手を添えると、ゆっくりとシャツからその手を引き剥がした。その瞳が優しく緩められ、まるで巽のような表情に、佳世は僅かに胸を跳ねさせ視線を俯けた。
「恥をかかない人間なんていない。傷つかない人間なんていない。本当にやる気があるなら、恥じだなんだと安いプライドは捨てて、とことん突っ走ってみたら良いんだ。昔の君には出来なかった事が、今の君には出来るじゃないか」
「…何?」
「開き直り」
そう言うと、ミカはテーブルの上に置いてあった、オーディションのチラシを佳世に突きつけた。
「オーディションを受けるんだ」
「え?」
そのチラシの中、ミカが指差したのは、下部に書かれた入団オーディションではなく、大きく宣伝された次回作のヒロイン役のオーディションだった。
「は?これ?」
「どのみち入団オーディションには変わりない、受かれば一足飛びで君はヒロインだ」
「ムリムリ!劇団に居た時だってヒロインなんか無理だったのに!」
「やってみないと分からないだろ?外部から募集するって事は、劇団の中に新しい風を吹かそうとしてるんだ。誰にでもチャンスは平等にある、何事も経験だよ」
「…いや、でも、」
「恥かいて綺麗さっぱり、そのしみったれた顔を洗い流してくればいい。稽古は僕がつけるから」
「…は?」
「君に拒否権はないよ、僕はここに居ると決めた。優しい君は、か弱い“子猫ちゃん”を表に放り出すなんて出来ないだろうしね」
したり顔で言われ、佳世は頬をひきつらせた。どうやら、先程の“子猫ちゃん”発言を、ミカは根に持っているようだ。
佳世は迷うように、オーディションのチラシに視線を落とした。同時に、昼間に会った巽の言葉が脳裏に甦り、佳世はそのままミカに視線を向けた。
確かに、このままミカを放り出す事は気が引ける。何たって、姿は巽なのだ。それに、追い出したところで、もしベランダで猫の姿で騒がれでもしたら、大家さんが良く思う筈もない。
「………」
それが言い訳だと分かっていても、そう自分に言い聞かせなければ、佳世は勇気を持てそうになかった。ちらりとミカを見上げれば、どういう訳か自信満々にこちらが応じるのを待っている。
その姿に、癪ではあるが、背中を押されてしまった。
佳世はきゅっと唇を結ぶと、思いきりよく顔を上げた。また心が迷う前に、一歩を踏み出す為に。
「…分かった、やってみる」
「そうこなくちゃ!」
ミカは嬉しそうに頬を緩めると、佳世に手を差し出した。
「これからよろしくね、佳世」
何故、自分の名前を知っているのかと疑問が浮かんだが、ミカの謎はそれに始まった事ではない。
佳世は気持ちを決めて、その手を握った。
「…よろしく」
かくして、謎の猫による、まさかの演技指導が幕を開けるのだった。
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