王都のモウカハナは夜に咲く

咲村門

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海辺の桜が夜に舞う

#10

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 春の暖かさが冬の冷たさを追いやってしばらく、夜になっても冷え込むことは無くなりました。
 少し離れた所から来る花の香りも相まって、店の前は穏やかな空気に包まれています。
 少しだけ花の香りを楽しんでから、バー「モウカハナ」を開店させます。
 店の入口の看板をAPERTO営業中に切り替え、店内に戻ります。

 今日は気温も穏やかで良い夜です。
 お客様のご来店もいつもより早いかもしれません。
 しばらくは調理場で仕込みの作業をしつつ、ご来店の対応にすぐに出れるようにしておこうかと思います。


「ご来店ありがとうございました」

 今日もいつもよりお客様が多く、忙しい時間を過ごしました。
 観光で訪れる方が多い時期でもありませんし、春の陽気でお酒が飲みたくなったのかもしれません。

「今日も多かったわね」
「仕方ありませんよ、噂になってますし」
「銀のアネモネの君ねぇ、分かるけどちょっと違うわよね」

 調理場へ皿やグラスを運んでいる途中、カーラ様から非常に不穏な単語が聞こえました。

「恐れ入りますが、今何と仰いましたか?」
「え? アネモネの君の事?」
「その単語をどこで耳にされたのですか?」
「グルナ・アルジャンの新戯曲で登場する恋人ですよ。舞台はまだリュンヌでしか公演されてませんが、最近本が売り出されたんです」
「今回のも素敵よ~! 小さい頃に一度だけ出会った二人が十数年の時を経て再会するの。再会した二人はすぐに恋に落ちるんだけど、国の陰謀で引き裂かれちゃって! 連れ去られるエルジュを切ない笑みで見送る銀のアネモネの君……」

 気のせいですね。
 最近聞いた単語と同じでしたのでまさかとは思いましたが、あの言葉とは関係ないようです。

「その銀のアネモネの君と言うのが、キーノスの特徴にそっくりなんですよ」
「ホント見た目の特徴は合ってるわよ? 銀の髪、鋭い目付き、話し方はルト君と話してる時と似てるし」
「誰かが言い出したんでしょうね、一目見ようとここに来るんでしょう」

 ……聞かなかった事にしましょう。
 私は一礼して洗い物をしに調理場へ入りました。
 最近は少しだけ洗い物が多いです。

 磨くグラスを盆に乗せてトレイに乗せて店内へ戻りました。
 カーラ様とシオ様はまだ先程の戯曲の話をなさっているようです。

「アルジャンの新作なんて久しぶりよね、もうかなりのお年だし仕方ないとは思ってたけど」
「昔は本人が舞台に立ってたそうですね」
「凄いわよね、ただ役者ソッチの才能はイマイチだったから早めに引退したそうだけど」
「劇作家としての人気は凄まじいですよね、年齢問わず女性の購読率の高さは目を見張るものがあります」

 カウンターの前に立ち、グラスを磨き始めます。
 普段は使われないカクテルグラスが多く、数も多いです。

「最後はいつもハッピーエンドなのに今回は切なく終わるもんだから、もうワタシ何回も読み返したわ!」
「その恋人役の人は、キーノスとはどう違うんですか?」
「だって……本人ポンコツだし、切なく微笑むなんて想像できないし」
「ふふ、確かにそうですね」

 これから新しいお客様がいらっしゃる可能性も含めて、磨く作業にばかり集中しないようにしましょう。

「シオも読んだんでしょ?」
「いえ、あらすじだけ店の子から聞いたくらいですね」
「まぁそうよね」
「その子は、再会してからしばらくお互いが気付かないところがやきもきするとか」
「分かるわ~! パーティで偶然ダンスを踊ったりもするのに、どっちも意識するのに気付かないのよ! 早く気付いて! ってなるの!」

 一つ目のグラスを磨き終えます。
 今日はカクテルをご注文される方が多かったせいか、シェイカーもいくつか磨く必要があります。

「でも国の陰謀でパーティのシャンパーニュに毒が仕組まれてて、エルジュに渡されたシャンパーニュを飲んだアネモネの君が倒れちゃうのよね」
「国の陰謀って、なんでそんな事をしたんですか?」
「主人公のエルジュが王女様だったからなの! それを知った眼鏡の宰相が王女のグラスに毒を盛るのよ」

 二つ目のグラスを手に取り磨き始めます。

「登場人物の設定が難しいですね、王女はなぜパーティに?」
「退屈してたんだったかしら? その辺はいつもふんわりしてるのよね、アルジャンの作品って」

 カーラ様が頬杖をつきながら小さくため息をつきます。
 詳細な作り込みより情感を大事にする傾向にあるのでしょう。

「そういえば、なんでキーノスは銀のアネモネの君って言葉に反応したのかしら? シオ以上にこういう本読まなそうなのに」
「誰かに言われたりしたんですか?」
「……そんなところです」

 二つ目のグラスを磨き終えます。
 公爵夫人はどこかでそのお話の内容を知ったのでしょう、余程似ているようですね。

「この様子だと明後日のおハナミ心配ねぇ、キーノスの周りに人集り出来ちゃいそう」
「大丈夫ですよ、布の衝立持っていく予定ですし」
「それならまぁ大丈夫そうね、バルサミーナには馬車で行くんでしょ?」
「そうですね、到着は夜を予定してます。キーノスは別で来るそうですが、泊まる予定のホテルアルベルゴの場所は分かりますか?」
「大丈夫かと思います」

 明後日はカズロ様からのお誘いで、バルサミーナのチリエージョの下でハナミをする予定です。
 フィルマに先に行ってもらい、彼の座標に転移で移動する予定です。

「夜のチリエージョも人気でしょ? よく宿取れたわね」
「カズロは違う場所に泊まりたかったみたいですけど、流石に無理だったからまた別の機会にと聞きましたよ」
「おハナミは今やらないと来年になっちゃうもの! キーノスのサクラモチ楽しみにしてるわよ?」
「承知致しました」

 三つ目のグラスを手に取り磨き始めます。
 カクテルグラスはこれが最後です。

「前に話してたハナミ向けの事業は来年ですね。今年は別邸の工事を優先させたいですし」
「そうね。その事業の話、ケータ君から聞いたキモノでやってみたいし」
「あの文献……キーノスが教えてくれなかった理由は分かりますけど、もう少し前に知りたかったですね」
「いや、キーノスが言わないのも分かるわ……図柄が難解すぎるのよ。ケータ君も困ってたみたいだし」

 サチ様はこの国の文明の発展に大きく貢献され、実現が無理とお考えになったものをいくつか文献として残されました。
 しかし、洗濯をするための機械などは蓋が開く大型の箱という絵が描かれているだけで、その中身の仕組みまで描かれていないので読解力を求められます。

「他にも何か、本当は知ってたりしませんか?」

 シオ様がまっすぐこちらに視線を向けてくるのが分かります。
 一度グラスを磨く手を止め、お答えできる事をお答えします。

「以前魔道具を使用した家具をご制作されたいと仰ってましたね」
「……まさかとは思いますが、あるんですか?」
「当店で個人用の鍋で使用している器の底に、料理が冷めにくくなる術が施してあります。これを応用すればデンシレンジが制作可能かもしれません」
「あら、だからここのお鍋ってずっとあったかいのね!」

 術式の回路を切り替えるような仕組みにすれば作ることは可能でしょう。

「それから文献にはあったセンタクキは部屋で使用しております」
「え! 実物があるんですか?」
「手動でも使えるように作りましたがかなり体力が必要でして、洗濯屋に頼む方が遥かに効率が良いです」
「それをキーノスが術で使えるように作り替えたのですか?」
「はい、魔力を一定量込めることで動作します」

 最近は私がいない間にリィが魔力を込めておいてくれていたりします。

「どうですか? やはり便利な物ですか?」
「そうですね。一度動作させてから数十分程放置すれば洗濯が終わります」
「何それ、凄く便利じゃない!」
「今度実物を見せてもらっても良いですか?」
「構いません、ご都合の良い日にでも」

 シオ様が手帳を開き中身を確認していらっしゃいます。
 私もグラスを磨く作業に戻ります。

「良いなぁ、ワタシもキーノスのお部屋行ってみたいわ」
「構いませんよ、ご都合の良い日があれば」
「え、良いの!?」
「私が術士と知る方なら、特に不都合はございません」

 カーラ様の表情が花が咲いたように明るいものになります。
 誰かの笑顔は良いものですね、その理由が私の部屋へ招く事なら、相手次第では問題などありません、が。

「ただ、少し驚かれるかもしれません」
「あら、何かあるの?」
「植物が多いのです、主に薬草ですが」
「良いわね、オシャレじゃない! ワタシの部屋は服ばっかね~ロフトが無いと収まらないの」
「そちらの方が素敵な物に思えますが」
「どうかしらね、メルからはワタシらしいって言われたけど」

 服がたくさんある部屋なら、確かにカーラ様らしいものかもしれません。
 その人らしい部屋、という意味ならビャンコ様の部屋も彼らしい部屋だったとは思います。

「自分だけの空間ですからね。私は自分の部屋を理想通りにしたいから、今の仕事をしてる部分はあります」
「そんな理由だったの?」
「姉と妹がいまして……それが理由です」
「あ、なんか分かるかもそれ。ワタシからすると羨ましいわね」
「私は兄が欲しかったですよ」
「……どんなのか次第よ」

 お二人は少しだけご兄弟のお話をされましたが、元の明後日のハナミの話に戻りました。
 明日は店を早めに閉めてからサクラモチの用意をする予定です。
 恐らく明後日ならチリエージョの散る様が吹雪トルメンタのように見えるはずです。
 良い夜が過ごせると期待が高く、とても楽しみに思っています。
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