王都のモウカハナは夜に咲く

咲村門

文字の大きさ
136 / 185
海辺の桜が夜に舞う

#10

しおりを挟む
 春の暖かさが冬の冷たさを追いやってしばらく、夜になっても冷え込むことは無くなりました。
 少し離れた所から来る花の香りも相まって、店の前は穏やかな空気に包まれています。
 少しだけ花の香りを楽しんでから、バー「モウカハナ」を開店させます。
 店の入口の看板をAPERTO営業中に切り替え、店内に戻ります。

 今日は気温も穏やかで良い夜です。
 お客様のご来店もいつもより早いかもしれません。
 しばらくは調理場で仕込みの作業をしつつ、ご来店の対応にすぐに出れるようにしておこうかと思います。


「ご来店ありがとうございました」

 今日もいつもよりお客様が多く、忙しい時間を過ごしました。
 観光で訪れる方が多い時期でもありませんし、春の陽気でお酒が飲みたくなったのかもしれません。

「今日も多かったわね」
「仕方ありませんよ、噂になってますし」
「銀のアネモネの君ねぇ、分かるけどちょっと違うわよね」

 調理場へ皿やグラスを運んでいる途中、カーラ様から非常に不穏な単語が聞こえました。

「恐れ入りますが、今何と仰いましたか?」
「え? アネモネの君の事?」
「その単語をどこで耳にされたのですか?」
「グルナ・アルジャンの新戯曲で登場する恋人ですよ。舞台はまだリュンヌでしか公演されてませんが、最近本が売り出されたんです」
「今回のも素敵よ~! 小さい頃に一度だけ出会った二人が十数年の時を経て再会するの。再会した二人はすぐに恋に落ちるんだけど、国の陰謀で引き裂かれちゃって! 連れ去られるエルジュを切ない笑みで見送る銀のアネモネの君……」

 気のせいですね。
 最近聞いた単語と同じでしたのでまさかとは思いましたが、あの言葉とは関係ないようです。

「その銀のアネモネの君と言うのが、キーノスの特徴にそっくりなんですよ」
「ホント見た目の特徴は合ってるわよ? 銀の髪、鋭い目付き、話し方はルト君と話してる時と似てるし」
「誰かが言い出したんでしょうね、一目見ようとここに来るんでしょう」

 ……聞かなかった事にしましょう。
 私は一礼して洗い物をしに調理場へ入りました。
 最近は少しだけ洗い物が多いです。

 磨くグラスを盆に乗せてトレイに乗せて店内へ戻りました。
 カーラ様とシオ様はまだ先程の戯曲の話をなさっているようです。

「アルジャンの新作なんて久しぶりよね、もうかなりのお年だし仕方ないとは思ってたけど」
「昔は本人が舞台に立ってたそうですね」
「凄いわよね、ただ役者ソッチの才能はイマイチだったから早めに引退したそうだけど」
「劇作家としての人気は凄まじいですよね、年齢問わず女性の購読率の高さは目を見張るものがあります」

 カウンターの前に立ち、グラスを磨き始めます。
 普段は使われないカクテルグラスが多く、数も多いです。

「最後はいつもハッピーエンドなのに今回は切なく終わるもんだから、もうワタシ何回も読み返したわ!」
「その恋人役の人は、キーノスとはどう違うんですか?」
「だって……本人ポンコツだし、切なく微笑むなんて想像できないし」
「ふふ、確かにそうですね」

 これから新しいお客様がいらっしゃる可能性も含めて、磨く作業にばかり集中しないようにしましょう。

「シオも読んだんでしょ?」
「いえ、あらすじだけ店の子から聞いたくらいですね」
「まぁそうよね」
「その子は、再会してからしばらくお互いが気付かないところがやきもきするとか」
「分かるわ~! パーティで偶然ダンスを踊ったりもするのに、どっちも意識するのに気付かないのよ! 早く気付いて! ってなるの!」

 一つ目のグラスを磨き終えます。
 今日はカクテルをご注文される方が多かったせいか、シェイカーもいくつか磨く必要があります。

「でも国の陰謀でパーティのシャンパーニュに毒が仕組まれてて、エルジュに渡されたシャンパーニュを飲んだアネモネの君が倒れちゃうのよね」
「国の陰謀って、なんでそんな事をしたんですか?」
「主人公のエルジュが王女様だったからなの! それを知った眼鏡の宰相が王女のグラスに毒を盛るのよ」

 二つ目のグラスを手に取り磨き始めます。

「登場人物の設定が難しいですね、王女はなぜパーティに?」
「退屈してたんだったかしら? その辺はいつもふんわりしてるのよね、アルジャンの作品って」

 カーラ様が頬杖をつきながら小さくため息をつきます。
 詳細な作り込みより情感を大事にする傾向にあるのでしょう。

「そういえば、なんでキーノスは銀のアネモネの君って言葉に反応したのかしら? シオ以上にこういう本読まなそうなのに」
「誰かに言われたりしたんですか?」
「……そんなところです」

 二つ目のグラスを磨き終えます。
 公爵夫人はどこかでそのお話の内容を知ったのでしょう、余程似ているようですね。

「この様子だと明後日のおハナミ心配ねぇ、キーノスの周りに人集り出来ちゃいそう」
「大丈夫ですよ、布の衝立持っていく予定ですし」
「それならまぁ大丈夫そうね、バルサミーナには馬車で行くんでしょ?」
「そうですね、到着は夜を予定してます。キーノスは別で来るそうですが、泊まる予定のホテルアルベルゴの場所は分かりますか?」
「大丈夫かと思います」

 明後日はカズロ様からのお誘いで、バルサミーナのチリエージョの下でハナミをする予定です。
 フィルマに先に行ってもらい、彼の座標に転移で移動する予定です。

「夜のチリエージョも人気でしょ? よく宿取れたわね」
「カズロは違う場所に泊まりたかったみたいですけど、流石に無理だったからまた別の機会にと聞きましたよ」
「おハナミは今やらないと来年になっちゃうもの! キーノスのサクラモチ楽しみにしてるわよ?」
「承知致しました」

 三つ目のグラスを手に取り磨き始めます。
 カクテルグラスはこれが最後です。

「前に話してたハナミ向けの事業は来年ですね。今年は別邸の工事を優先させたいですし」
「そうね。その事業の話、ケータ君から聞いたキモノでやってみたいし」
「あの文献……キーノスが教えてくれなかった理由は分かりますけど、もう少し前に知りたかったですね」
「いや、キーノスが言わないのも分かるわ……図柄が難解すぎるのよ。ケータ君も困ってたみたいだし」

 サチ様はこの国の文明の発展に大きく貢献され、実現が無理とお考えになったものをいくつか文献として残されました。
 しかし、洗濯をするための機械などは蓋が開く大型の箱という絵が描かれているだけで、その中身の仕組みまで描かれていないので読解力を求められます。

「他にも何か、本当は知ってたりしませんか?」

 シオ様がまっすぐこちらに視線を向けてくるのが分かります。
 一度グラスを磨く手を止め、お答えできる事をお答えします。

「以前魔道具を使用した家具をご制作されたいと仰ってましたね」
「……まさかとは思いますが、あるんですか?」
「当店で個人用の鍋で使用している器の底に、料理が冷めにくくなる術が施してあります。これを応用すればデンシレンジが制作可能かもしれません」
「あら、だからここのお鍋ってずっとあったかいのね!」

 術式の回路を切り替えるような仕組みにすれば作ることは可能でしょう。

「それから文献にはあったセンタクキは部屋で使用しております」
「え! 実物があるんですか?」
「手動でも使えるように作りましたがかなり体力が必要でして、洗濯屋に頼む方が遥かに効率が良いです」
「それをキーノスが術で使えるように作り替えたのですか?」
「はい、魔力を一定量込めることで動作します」

 最近は私がいない間にリィが魔力を込めておいてくれていたりします。

「どうですか? やはり便利な物ですか?」
「そうですね。一度動作させてから数十分程放置すれば洗濯が終わります」
「何それ、凄く便利じゃない!」
「今度実物を見せてもらっても良いですか?」
「構いません、ご都合の良い日にでも」

 シオ様が手帳を開き中身を確認していらっしゃいます。
 私もグラスを磨く作業に戻ります。

「良いなぁ、ワタシもキーノスのお部屋行ってみたいわ」
「構いませんよ、ご都合の良い日があれば」
「え、良いの!?」
「私が術士と知る方なら、特に不都合はございません」

 カーラ様の表情が花が咲いたように明るいものになります。
 誰かの笑顔は良いものですね、その理由が私の部屋へ招く事なら、相手次第では問題などありません、が。

「ただ、少し驚かれるかもしれません」
「あら、何かあるの?」
「植物が多いのです、主に薬草ですが」
「良いわね、オシャレじゃない! ワタシの部屋は服ばっかね~ロフトが無いと収まらないの」
「そちらの方が素敵な物に思えますが」
「どうかしらね、メルからはワタシらしいって言われたけど」

 服がたくさんある部屋なら、確かにカーラ様らしいものかもしれません。
 その人らしい部屋、という意味ならビャンコ様の部屋も彼らしい部屋だったとは思います。

「自分だけの空間ですからね。私は自分の部屋を理想通りにしたいから、今の仕事をしてる部分はあります」
「そんな理由だったの?」
「姉と妹がいまして……それが理由です」
「あ、なんか分かるかもそれ。ワタシからすると羨ましいわね」
「私は兄が欲しかったですよ」
「……どんなのか次第よ」

 お二人は少しだけご兄弟のお話をされましたが、元の明後日のハナミの話に戻りました。
 明日は店を早めに閉めてからサクラモチの用意をする予定です。
 恐らく明後日ならチリエージョの散る様が吹雪トルメンタのように見えるはずです。
 良い夜が過ごせると期待が高く、とても楽しみに思っています。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...