王都のモウカハナは夜に咲く

咲村門

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海辺の桜が夜に舞う

#9

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 明け方の店から海涯への道は、春を感じさせるような暖かさがあります。
 冬が終わろうとしているのでしょう、溶けた積雪で地面が滑りやすくなっています。

 私はこの季節が嫌いです。

 整えられた石畳の道は歩きやすいですが、馬車の車輪には簡単に事故へ繋がる危険な物に思えます。
 あの日私が一緒に馬車に乗っていたら、サチ様と過ごす日はもう少し長いものになったのでしょうか。

『キー君、あれかね?』

 隣を歩くリィが私に声を掛けてきます。
 サチ様の慰霊碑の前に着いたようです。
 この季節にここへ来るとずっと同じことを考えてしまうのは、何年経っても変わらないようです。

「そうですね」

 サチ様の慰霊碑の横にはカンヒザクラの苗木が置いてあります。
 シアン様から今日の昼頃受け取り、ここへ運んで置いたものです。
 小さなツボミが付いているくらいで、一見すると何の木か分かりません。

 私は慰霊碑から数メートル離れた位置に、苗木を植えるのに丁度良さそうな穴を掘ります。
 道具を用いずとも、私なら術で簡単に掘ることができます。

 それから苗木を包んでいた麻布を取り除き、苗木を穴へ入れます。
 それから、ナイフを懐から取り出します。
 ナイフはかなり硬いものにしているので、私の皮膚に傷を付ける事ができます。

『何するのさ?』
「オーガの私に使える特殊な手段です」
『本当に何するのさ?』
「髪の毛と血を与えると生命力の強化が可能です」
『魔獣の素材でできるとかいうアレかい?』
「はい、手に入れる事ができたらやるつもりでした」

 私はあの事故の後で何度かカンヒザクラを手に入れられないかと悩みました。
 しかしサチ様の千里眼リコノシェーレでもなぜかかの帝国にしかないと分かっていましたし、苗木の譲渡を断られていたため何もできることが思いつきませんでした。
 今ならあのご令嬢がカンヒザクラを別のものと勘違いしたのだと分かりますが、ほとんど諦めておりました。

 サチ様が最期まで望んでいた花、これ以上の餞はないでしょう。

 私は髪の毛をナイフで切り落としてから苗木の穴へ落とし、袖を捲り腕に切り傷を付け血を流します。

『ちょっと、大丈夫なのかい?』
「はい、もう少しです」

 しばらく血を注いでいると、桜のツボミが少し大きくなりました。
 血はこの位で良さそうです。

 私は指を鳴らし、穴に土を被せて埋めます。
 カンヒザクラの周りの草も育っていますが、その程度なら問題ありません。

 少しして、カンヒザクラに花が咲きました、これで余程のことがなければ枯れることはないでしょう。

『綺麗だね』
「はい」
『オランディのチリエージョとはまた違う赴きさね、サッちゃんはこれが見たかったのかい?』
「そう、聞いてます」
『うん、そうかい……』

 リィは座り込んだ私の隣に座り、頭を私に預けてきます。

 分かっています。
 この餞は、ただの私の自己満足です。




 しばらくカンヒザクラを見ながら座っていました。
 太陽が高い位置まで上がり、ここへ来た時より暖かくなっています。

「これで、最後か」
『何がだい?』

 思わず独り言が口に出ていたようです。

「すみません、独り言です」
『良いよ、楽に話しなよ。それより最後って?』
「彼女に頼まれて、可能な範囲で叶えられなかった事はこれで最後なのです」

 彼女から頼まれた事は無茶ばかりでした。
 ショーユのための麹、サトイモコロカージャ系の植物の加工で作るコンニャク……全てを叶えられた訳ではありませんが、共に研究するのは楽しかった記憶があります。
 彼女が亡き後に試したことも含め、聞いた話ならカンヒザクラで一通り終えました。

『キー君、オランディから出てくのかい?』
「なぜそう思うのですか?」
『いやさ、最後ってならもうオランディにいる必要もないみたいに聞こえてさ』
「あぁ、そういう事ですか」

 あまり考えた事はありませんでした。
 サチ様への遺言に従うならオランディにいる必要はありません。
 別にカンヒザクラのためにオランディにいた訳ではありませんが、要不要の話をするなら不要ではあります。

「どうでしょうね、私は穏やかに暮らしたいので今のままで良いと考えています」
『なら別に何も変わらないのかい?』
「はい、このチリエージョの様子も見守りたいと思いますし」
『そうかい、まぁアタイはどこでも付いてくよ』

 私の先程の姿を見た上での言葉と思うと、本当に嬉しく思います。
 思わず顔が緩みます。

「ありがとうございます」
『そうやって、普通に笑う機会が増えれば良いのにね』
「別にカンヒザクラを植えた所で、顔の造形が変わるわけではありませんよ」

 リィは私の横から離れ、目の前に移動します。

『キー君はさ、店のお客さんが笑ってると嬉しく思わないかい?』
「そうですね、出来れば笑顔でいていただけると嬉しいです」
『それをアタイやお客さんもキー君にそう思ってるんだよ、顔の造形の問題じゃないのさ』

 確かにその例えを聞くと、造形の問題ではないのかもしれませんが

「私の笑顔を見て怖がる方がいらっしゃるくらいですから、あまり見せない方が良いかと思います」
『怖がってるわけじゃないさ、滅多に見れないもん見て驚いてるのさ』
「そうですか?」
『そうさ、だからもっと笑うようになれば変わるさ!』

 確かにハーロルトはともかく、他の方も私の笑顔に驚いていたような反応をされたように思います。
 珍しいものでなければ、怖がられることも減るのでしょうか。

「リィとフィルマには、話すべきですね」
『何をだい?』
「フィルマもいる時に話します」

 私が黒色種のオーガの里で育った変異種で、ここへは神の力で移り住んだこと。
 里にあった伝承もお二方ならご存知かもしれません。

 とりあえず用事は済みましたし帰宅しましょう。
 カンヒザクラの花を包む陽気は、冬の終わりを告げています。

​───────

「髪切ったんだな」
「はい、長くなってましたので」
「そっちのが良いな、前髪は切らないのか?」
「はい」
「それ邪魔じゃないのか?」
「慣れてますし、このままが良いかと思います」

 本日はミケーノ様がお一人でご来店されております。
 お食事は他でなさったようで、今はアツカンをご注文され召し上がっております。

「厄落としになれば良いな」
「厄、ですか」

 長く悩んでいた事が解消されましたし、落とす厄が特に思いつきません。

「去年の今頃はユメノに突き落とされるわ、今年は貴族に毒盛られるわで、お前この時期呪われてんじゃねぇか?」
「そういえば、そうかもしれませんね」
「まさかお茶会開いて招待客に毒盛るなんてなぁ。事前に聞いてたとはいえ、貴族っておっかねぇな」
「そうですね」
「あの毒何なんだ? キーノスそういうの詳しいだろ?」

 今まで聞いた情報から、ある程度推理はしております。

「推測の域を出ませんが、おそらく毒花で出来た腐葉土の様な物かと思われます」
「は? 土?」
「普通の方に影響はないもので、魔力を持つ存在には力を与えてくれるのでしょう。私が倒れたのはその副作用です」
「副作用って……」
「またその腐葉土は特殊な加工を施すとかなり硬度のある石にする事が可能で、その石は魔力に反応を示します。ただ魔力のない物に弱くなる性質があるようです」

 おそらくその加工方法にも何かあるのでしょうけど、毒性とは関係ないものだと思います。
 魔力のない方には無害な植物は他にも存在しますし、それに似た性質のあるものなのでしょう。

「じゃああれ、毒じゃないのか?」
「副作用が強すぎる薬といったところでしょう」
「その与えられる力ってのも術かなんかに関係したものか?」
「はい、先日ビャンコ様と実験して参りましたので間違いないかと思います」
「……はぁ、なるほどな。貴族アイツらはそれ知ってたのか」
「どうでしょうね、毒としか認識していない可能性はありますね」

 中身を知った上で飲むなら毒とは言えないかもしれませんし、実際普通の方には効果はないようです。

「いやしかし、そうなるとアイツらオレたちに最後の一杯で泥水飲ませたんだな」
「……あぁ、確かにそうなりますね」
「お高くとまってるのに泥水か……くっ、これ誰かに言っても大丈夫か?」
「推測の域を出ない話ですが、特に問題はないかと思います」

 ミケーノ様が笑いながら仰います。
 そうするとビャンコ様が食べたものは、文字通り泥団子ですね。
 夜中に泥団子を食べさせられて拉致監禁されたと考えると、滑稽な物に思えてきます。

 私もミケーノ様に釣られてか表情が緩むのが分かります。

「髪も切ったし、気分も晴れたのか」
「ここ数ヶ月の悩みも解消しましたし、そうかもしれません」
「切ったのってそれが理由なのか?」
「そうとも言えなくはありません」

 髪を切った理由なら正確には数十年ですが、気分が晴れたのは間違いありません。

「良いんじゃねぇか? 普段からそれくらい緩い顔してた方が周りは安心すんだよ」
「いつもご心配ありがとうございます」

 この私の緩んだ表情になるような感情も、過去にサチ様から頂いたものです。
 その時も同じ事を言われたように思います。

「なんだか、本当に不甲斐ないですね」
「そんな話でもねぇだろ」

 ミケーノ様が楽しそうに笑います。

 サチ様の亡き後、私は昔の事を出来るだけ思い出さないようにしてました。
 皆様を大切に思うようになってから、少しずつ明るい思い出が蘇ることが増えています。

 沢山の物を頂いていたのに、頂いたものの大切さは分かってなかったようです。
 私は数十年何をしていたのかと思うと、今更自分が情けない物に思えました。
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