婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト

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第18話「再会と、“合意による革命”プラン」

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 王都へ戻る道は、行きと同じはずなのに、まるで別の世界みたいだった。

 前は、ただ遠くへ追い出されるための道。
 今は、燃え上がる火の中へ歩いていくための道。

 車輪が石畳に乗り換えた瞬間、レティシアは、息を飲んだ。

「……これが、今の王都」

 リュミエール王都。

 かつて“光”と呼ばれた街は、
 どこか、色を失っていた。

 通りには、王立軍の兵士たちが立ち、
 槍を持ったまま、石像のように動かない。

 その視線の先では、民衆が小さな塊になって動いている。

 怒鳴り声はない。
 暴動そのものも、今は鎮まっている。

 けれど――空気に残ったざらつきが、
 つい最近までここで血が流れていたことを、強引に思い出させてくる。

「お嬢様……」

 クロエが、窓の向こうを見て震えた。

「なんか……みんな、笑ってないですね」

「笑ってる場合じゃないのよ」

 レティシアは、静かに言った。

 通り沿いのパン屋。
 焼き窯はあるのに、店は閉まっている。

 その前で、女が一人、潰れたように座り込んでいた。

 腕の中には、小さな子ども。
 目だけが、空っぽに空を見ていた。

(――間に合う? ここからでも)

 自分に問いかける。
 答えは、誰もくれない。



 王宮の門は、前よりも重く見えた。

 装飾こそ変わらないが、門番の手の位置、視線の鋭さ――
 どれも、「今、中は地獄絵図ですよ」と無言で教えてくる。

 馬車の扉が開き、レティシアが降りる。

 監視役として同行してきた王立軍の将校が、厳めしい顔で口を開いた。

「ここから先は、我らの監視下だ。
 “辺境からの静養中の令嬢を、一時的に呼び戻した”という建前になっている。

 殿下――第二王子殿下の名目だが、
 王妃派も王太子派も、貴様の動きには注目している」

「はいはい。
 “問題児を呼び戻した”って噂も、すぐ広まるでしょうね」

 レティシアは、肩をすくめた。

「でも、“問題児”は問題児なりに、やらなきゃいけないことがあるので」

 将校は小さく舌打ちし、歩みを進める。

 王宮の廊下。

 高い天井は変わらない。
 豪奢な絨毯も、壁にかかる絵画も、何一つ減っていない。

 でも、感じる。

 この煌びやかさには、もう前ほどの説得力はない。

 外の通りで血が流れたあとも、
 ここだけは同じ顔をしている。

 その「ズレ」が、以前よりずっと目立っている。

(前は、ただ“腐ってるな”って思ってただけだったけど)

 今は、「崩れかけてる音」まで聞こえる。



 案内されたのは、王宮の一室――“いつも二人が打ち合わせに使っていた”部屋だった。

 ドアの前で、将校が立ち止まる。

「ここからは、殿下の許可なく中には入らん。
 ただし、扉の外には常に見張りがいる。

 変な動きはするなよ、公爵令嬢殿」

「……善処します」

 半分だけ本気で答え、レティシアはドアノブに手をかけた。

 深呼吸。

(いちいち緊張してんじゃない、私)

 自分にツッコミを入れてから、扉を開ける。



 そこにいた。

 窓のそばで、書類の束を片手に立っている。

 青みがかった黒髪。
 少しやつれた横顔。

 それでも、姿勢はまっすぐで――

「殿下」

 声が震えた。

 シャルルが、驚いたように顔を上げる。

 目が合った瞬間、
 その表情が、わずかに崩れた。

「……レティシア」

 たったそれだけの言葉を言うのに、
 彼は数秒かかった。

 レティシアは、ゆっくりと歩み寄る。

 距離が縮まるごとに、
 辺境の雪、村の子どもたちの笑い声、
 王都の血の匂い、ダミアンの叫び――

 全部が、一気に胸に押し寄せてきた。

「生きてましたね」

 出てきた第一声がそれで、
 自分で自分に苦笑する。

「君こそ」

 シャルルも、わずかに笑った。

「文字では“元気だ”と書いてあったが、
 実際、こうして顔を見るまでは、信じ切れなかった」

 レティシアは、何か気の利いた冗談を言おうとして――
 うまく言葉が出てこなかった。

 喉の奥が詰まる。

 気づけば、視界がにじんでいた。

「あれ? ……おかしいな」

 目尻を指で押さえながら、苦笑いする。

「泣くつもりなんてなかったのに」

「泣いていい」

 シャルルは、一歩、二歩と近づき、
 そっと、彼女の肩に手を置いた。

「俺も――少し、安心した」

 その声は、震えていた。

 いつも冷静で、
 少し距離を置いた言葉を選ぶ彼が、

 今だけは、弱さを隠さない。

 それが、余計に胸に刺さった。

「生きていてくれて、ありがとう」

 その一言で、
 堰が切れたように涙が溢れた。

(ずるい)

 レティシアは、心の中で文句を言いながら、
 シャルルの胸元に額を押し付けた。

「殿下」

「何だ」

「会いたかったです」

 彼の手が、そっと彼女の背中に回る。

 それだけで、
 辺境で一人、夜通しタイムラインと睨み合っていた自分が、
 ほんの少しだけ報われた気がした。



 泣き顔が少し落ち着いたところで、
 二人はソファに向かい合って座った。

 机の上には、地図と書類の束。

 王都の現状が、数字と線で示されている。

「暴動、死者の数、軍の動き――
 大体の概要は聞いています」

 レティシアは、紙を流し読みしながら言った。

「噂の速度は、こっちにも届いてましたから」

「こちらから送った詳細な報告は、届いたか?」

「はい。
 その上で――考えてきました」

 彼女は、自分のバッグから、分厚い束の紙を取り出した。

「辺境の領地での、ミニ国家運営の結果です」

 輪作の記録。
 穀物倉の運用結果。
 簡易教育場での識字率の変化。

 そして――村人たちの声を簡単にまとめたもの。

「あの小さな領地で、“うまく回り始めた仕組み”がいくつかあります。

 規模は違っても、
 考え方は王都でも応用できます」

 シャルルは、その束を受け取り、
 素早く目を通した。

 ページをめくる指先が、途中で止まる。

「……“共同穀物倉+緩い返済義務付きの貸し出し”」

「マイルドな“公的食糧銀行”ですわね」

 レティシアは、さらりと言う。

「完全な無料配布ではなく、
 “皆で守る倉”として運用することで、
 “奪い合い”を減らせます。

 王都でも、
 王立の大倉をそういう形に再設計できれば――
 “王家は奪うだけ”というイメージも、少しは変わるかもしれません」

「少しは、か」

「“一気に全部変わる”なんて、誰も信じませんよ」

 彼女は、苦笑する。

「だからこそ、“制度”をいじりたいんです。

 暴力の代わりに、“ルールの変更”で怒りを受け止める」

 シャルルは、次のページへ指を滑らせた。

 そこには、太い文字でこう書かれている。

『貴族特権税制の廃止案』

「……大胆だな」

 思わず漏れた声に、レティシアは小さく肩をすくめた。

「貴族の“免税特権”をなくす。

 土地に対して、貴族も平民も“同じ税率”にする。
 代わりに――王家が受け取る税収の一部を、“公共支出”として明確にする」

「つまり、“王家も貴族も、自分の分を払うところは払え”と」

「そういうことです。

 今のままだと、“働くほど取られる側”だけが損をする。
 それを、“持ってる側も負担する方式”に変える」

 シャルルは、数秒黙った。

 頭では、正しさが分かる。

 しかし、これは単なる税率変更ではない。

 “貴族であることの特権”を、根本から揺るがす提案だ。

「これをやれば、貴族の半分は敵に回る」

「半分で済めば万々歳ですわ」

 レティシアは、淡々と言った。

「でも、やらないと、“民衆全部”が敵になります。

 どっちの炎のほうがマシかって話です」

 彼女の指が、別の資料を指し示す。

 そこには――さらに大きく、こう書かれていた。

『国民代表議会の設置案』

「これは……」

「選挙です」

 レティシアは、迷いなく言った。

「身分に関係なく、“各地区から代表を選ぶ”。

 彼らを集めて、“王家と一緒に国のルールを決める場”――
 議会を作る」

「議会……」

 シャルルの目が、少し揺れる。

 彼は、前世の知識こそ持たないが、
 「王権に対する制限」という発想そのものは理解している。

「それは、実質――王権を制限することになる」

「そうです。

 だから、“王権の一部制限”を明文化した憲章も必要になる」

 レティシアは、新たな紙束を取り出した。

 そこには、びっしりと条文の素案が書かれている。

「王は、“何でもできる”から怖がられる。

 “やっていいことと、ダメなこと”を自分で決めて、
 それを紙に書いて、
 皆の前で守ると宣言してもらう」

 前世の世界で言うなら、
 「立憲君主制」への移行。

 ただ、それを一言で説明したところで、
 今の王都の誰もピンとこないだろう。

 だからこそ、
 彼女は言葉を砕いて説明する。

「“殿下は何でもできる”と思われているから、
 “殿下の命令で殺された”という噂が、あんなに早く広まったんです。

 もし、“殿下の権限はここまで”と皆が知っていたら――
 怒りの矛先は、もう少し分散する」

 シャルルは、手の中の紙束を見つめた。

「つまり、お前の考えている“革命”は――」

 彼は、慎重に言葉を選びながら続けた。

「“王を頂点から引きずり下ろす”んじゃなくて、“王が自分で少し降りてくる”形か」

「合意による革命。

 暴力で何もかも壊すより、
 ずっと地味で、ずっと面倒で、
 多分、“革命っぽくない革命”です」

 レティシアは、自虐的に笑う。

「でも、“血の海”じゃなくて、“紙とペン”で変えられるなら――
 私はそっちを選びたい」

 シャルルの胸の奥で、何かが静かに震えた。

(やっぱり、この女は危険だ)

 王宮にいる誰よりも、
 革命家たちよりも、
 彼女はよほど根本的に「この国の形を変えようとしている」。

 それも、暴力ではなく、
 制度と合意で。

「……分かっているのか」

 彼は、ゆっくりと言った。

「これを実行しようとして、
 失敗した場合の未来を」

 レティシアは、視線を上げる。

 二人の目が合った。

「貴族からは“裏切り者”として嫌われ、
 民衆からは“中途半端な改革者”として嘲笑され、

 王太子派には“王権を削ごうとした反逆者”として扱われる。

 そのときは、君も僕も――処刑台行きだ」

 その言葉を、彼は自分に向けるように言った。

 レティシアは、ほんの一瞬だけ黙り込み――
 次の瞬間、ふっと笑った。

「知ってます」

 目尻には、さっきまでの涙の跡がうっすら残っているのに、
 その瞳は、不思議なほど落ち着いていた。

「歴史を変えるって、そういうことですよ。

 “やってみてダメでした、あはは”で済むなら、
 誰だってやってます」

「怖くないのか」

「怖いですよ?」

 即答だった。

「めちゃくちゃ怖いです。
 処刑台なんて、前世の本でしか見たことないですし。

 でも――」

 レティシアは、指先に力を込めた。

 頭の中に、村の雪景色。
 穀物倉。
 子どもたちの笑い声。

 そして、ダミアンの血にまみれた叫び。

「“何もしないで”この国が燃えるのを眺めるほうが、もっと怖い」

 シャルルは、深く息を吸い込んだ。

 彼の中で、「王族としての恐怖」と「一人の人間としての良心」が、
 何度もぶつかり合って、擦り切れそうになっている。

 それでも――。

「……わかった」

 短くそう言って、彼は紙束を机に置いた。

「この“合意による革命”プランに乗る。

 ただし、条件がある」

「条件?」

「一人で先に走るな。

 必ず俺を巻き込め。

 “王族も一緒に罪を背負っている”という形にしないと、
 どのみちこのプランは通らない」

 レティシアは、数秒間彼の顔を見つめ――
 やがて、小さく笑った。

「了解しました、殿下。

 じゃあこれから、死ぬときは一緒です」

「縁起でもないことを、さらっと言うな」

 そう言いながらも、
 シャルルの口元には、わずかな笑みが浮かんでいた。



 その夜。

 王宮の奥の、小さな会議室。

 普段なら書類や茶器が並ぶだけのその部屋に、
 珍しく、顔触れの異なる人間たちが集まっていた。

 レティシア。
 シャルル。

 テオ・ランベール――平民出身の文官。
 ギルバート――ヴァロワ家の執事にして諜報担当。
 クロエ――レティシアの侍女であり、庶民の視点を持つ少女。
 ルネ――貧民街出身の少年情報屋。

 そして、思想家サロンからは――ダミアンではなく、別の人物が呼ばれていた。

 ギヨーム。

「いやぁ、まさか王宮に呼ばれる日が来るとはね」

 元新聞記者は、皮肉な笑みを浮かべて帽子を取った。

「てっきり俺なんか真っ先に牢屋コースだと思ってたんだが」

「牢屋に入っていただくには、あなたの頭が惜しいのよ」

 レティシアは、椅子を勧めながら言った。

「“ペンで世界を煽り続けてきた男”の視点、ぜひ借りたいです」

「褒め言葉として受け取っておくよ、悪役令嬢様」

 皮肉と敬意が半分ずつ混ざった呼び方。

 テーブルの上には、レティシアとテオがまとめたプランの概要が広げられた。

 貴族特権税制の廃止案。
 国民代表議会の設置案。
 王権制限のための暫定憲章案。

 それを前に、しばしの沈黙。

「……やべぇな」

 最初に口を開いたのは、ルネだった。

「これ通ったら、“世界変わる”やつじゃん」

「通さないと、世界が燃えるままになる」

 レティシアは、彼を見て答えた。

「やべぇのは、今も同じよ」

 テオは、眉間を押さえながら条文に目を通す。

「数字の上では、成立します。
 王家の歳入も、貴族階級からの税収も、“ある程度”は確保できる。

 ただ――短期的には、貴族の生活レベルは確実に落ちます」

「“生活レベルが落ちる”のを、彼らは“死刑宣告”くらいに受け取るだろうな」

 ギヨームが苦笑する。

「議会のほうは?」

 シャルルが問う。

 レティシアが、代わりに説明する。

「最初から“完全な平等選挙”は無理でしょう。
 識字率も低い。

 だから、暫定的に――

 土地持ち、商人、職人、そして一部の農民の代表を集める。

 それでも、“今の貴族だけ会議”よりは遥かにマシです」

「“理想の半分”でも、“現状の十倍マシ”ってやつですね」

 テオが、苦く笑った。

 クロエは、資料をきゅっと握りしめたまま、何度も頷いている。

「お嬢様が村でやってたことの、“でっかい版”ですよね。

 皆で倉を守る。
 皆でルールを決める。

 あれが、“国全体”でできたら……」

 彼女の頬は、少しだけ紅潮していた。

「……見てみたい、です」

「私も」

 レティシアは、柔らかく笑う。

「だから、やる」

 ギルバートが、静かに手を挙げた。

「問題は、“これをどうやって通すか”です。

 王太子殿下、王妃派貴族、保守的な公爵・侯爵クラス――
 彼らを、完全に敵に回せば、
 この場の全員の命は持ちません」

「“完全に敵に回さない”ルートなんてあるのか」

 ギヨームが肩をすくめる。

「だが、その“どこで線を引くか”を決めるために、
 俺たちはここにいるんだろう?」

 シャルルは、全員の顔を順番に見た。

 テオ。
 数字に誠実な青年。

 ギルバート。
 寡黙な守護者。

 クロエ。
 レティシアの心の温度を守ってきた侍女。

 ルネ。
 貧民街の泥の中から這い上がってきた少年。

 ギヨーム。
 言葉で火を灯してきた男。

 そして、レティシア。

(おかしいな)

 普通なら、この場に“第二王子”がいること自体が異常だ。
 貴族でもない者たちと一緒に、王権制限の話をしている。

 でも今は、それが、妙に自然に思えた。

「……ひとつだけ、確認させてくれ」

 シャルルは、低く言った。

「ここにいる全員。

 これからやろうとしていることは、
 失敗すれば、確実に命を落とす。

 途中で裏切れば、生き延びる可能性はあるかもしれない。

 それでも――この場にいるか?」

 テオが、真っ先に頷いた。

「僕は、“数字の上で正しいこと”を見て見ぬふりはできません。

 レティシア様のやり方が、
 この国にとって最善かどうかは分からない。

 でも――“何も考えていない人たちのやり方”よりは、ずっとマシです」

 ギルバートは、短く言った。

「レティシア様の命令であれば」

 それだけ。
 だが、その一言に、彼の全ての覚悟が詰まっている。

 クロエは、涙目で笑った。

「私は……お嬢様のそばにいたいです。

 ここでも、辺境でも、どこでも。

 だから、“一緒に死ぬかもしれない場所”でも、
 一緒にいます」

 ルネは、椅子の背にもたれながら、鼻で笑った。

「ま、俺なんか、とっくに何回か死にかけてるしな。

 今さら“死ぬかもしれないよ”って脅されても、“またかよ”って感じだ。

 だったら、“面白い死に方”のほうがいい」

「自分の死に方に注文つける十代、やかましいですね」

 レティシアが苦笑すると、
 ルネも気まずそうに笑った。

 最後に、ギヨーム。

「俺は、“物語”を書いてきた人間だ。

 王妃のドレスの値段から、
 貧民街の手のひび割れまで。

 この国が、この先どうやって燃え尽きるか――
 だいたい想像はつく。

 だが、“別の物語”を試してみる価値があるなら、
 俺はそっちに賭けたい」

 彼は、グラスを持ち上げるふりをして、空気に乾杯した。

「“合意による革命”。

 名前がダサいのが難点だが――
 中身は、嫌いじゃない」

 レティシアは、息を吸い込んだ。

「じゃあ――決まりですね」

 彼女は、テーブルに手を置いた。

「この場にいる全員。

 これから、“王と貴族と民衆が、一緒に未来を決める仕組み”を作る。

 ――命懸けで」

 静寂。

 次の瞬間、何人かが軽く笑い、
 何人かが真剣に頷き、
 何人かが、まだ怖さに震えながらも、椅子から立ち上がった。

「この瞬間を後悔しません?」

 レティシアが問うと、
 シャルルは迷いなく答えた。

「後悔するのは、“何もしなかった日のこと”だけだ」

 その言葉を合図に、
 小さな会合は、
 この国の未来を変える“青写真づくり”に本格的に取りかかった。



 同じ頃。

 王宮の別の一室。

 王妃派の重鎮たちと、
 王太子アルマンが、静かな怒りと共に集まっていた。

「――ヴァロワ嬢が、再び王宮に戻ってきたそうですな」

 侯爵が、薄く笑う。

「第二王子殿下の招きだとか」

「弟は、相変わらず“聡明なつもりで危うい”な」

 アルマンは、グラスの中身を一口飲み干した。

 酒の味が、最近やけに薄く感じる。

「一度追放された女を、また近くに呼び戻すとは」

「ですが、殿下」

 王妃が、静かに口を開いた。

「これは好機でもありますわ」

 扇子の陰から、鋭い瞳が覗く。

「“民衆扇動”“第二王子との結託”“王権制限の陰謀”――

 彼女の周りには、疑いを積み上げやすい要素が揃っている。

 前回は、処分を“静養”で留めましたが――
 今度こそ、“完全な断罪”に持ち込めるかもしれません」

 アルマンの手が、グラスを強く握る。

(また、あいつの名前だ)

 何度追い出そうとしても、
 何度悪女に仕立て上げようとしても、

 レティシア・ド・ヴァロワという女は、
 必ずどこかで、自分の前に戻ってくる。

 彼女がいなければ、
 こんな面倒なことにはならなかったのに――

 そう思いながらも、
 彼女のいない世界を想像すると、胸のどこかが空虚になる。

(……俺は、何に執着している?)

 自分でも分からない。

 ただ、はっきりしているのは、
 「次こそ決着をつけなければならない」ということだけだ。

「“もう一度、レティシアに罪を着せて、全てを終わらせる”。

 それが、“王太子としての仕事”だと?」

 自嘲気味に呟くと、
 王妃は穏やかに微笑んだ。

「殿下が“王たる器”を示される絶好の機会ですわ。

 危険な芽は、早いうちに摘む。

 そのために――
 彼女には、“すべての責任を負っていただく”のがよろしいかと」

 アルマンは、ゆっくりと目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、
 弾劾の場で、自分を真っ直ぐに見据えたレティシアの瞳。

『本当にこの国を浪費しているのは誰か――殿下ご自身が一番ご存じでは?』

 あの言葉は、今も胸の奥で刺さったままだ。

 それを、今度こそ完全に引き抜いてしまうために――

「……いいだろう」

 アルマンは、口の端を冷たく歪めた。

「もう一度、舞台を整えろ。

 “悪役令嬢”にふさわしい、最後の幕を」

 こうして、
 “合意による革命”を目指すレティシアたちと、

 “全てを悪女一人に押し付けて終わらせようとする”王太子たちの、

 静かで致命的な最終決戦の準備が、
 ゆっくりと、その姿を現し始めていた。
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