婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト

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第19話「処刑台の上で、世界をひっくり返す」

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 王都の中心広場に、見慣れない影が立っていた。

 巨大な木組み。
 空を切り取るような足場。
 濃い赤の布で飾られた、異様に高い台。

 誰が見ても、“それ”が何のためのものか分かる形。

 ――処刑台。

 冬が終わりきらない冷たい風が、その板の隙間を抜けていく。
 木の匂いと、鉄の匂いと、群衆の汗の匂いが混ざり合って、鼻の奥に重く張り付いた。

「聞いたか? 今日、あの“悪役令嬢”が裁かれるんだとよ」
「孤児院で冷たいこと言った女だろ? あと、第二王子を唆したってやつ」
「新聞に書いてあった。暴動の裏には全部あいつがいるって」

 噂と好奇心と怒りと、暇つぶし。
 色々な感情が混ざった視線が、処刑台の方角へ向けられている。

 頭の上では、鐘が鳴り続けていた。

 罪を告げる鐘か、祭りを告げる鐘か。
 この瞬間だけは、その違いが曖昧だった。



「……やっぱり、趣味悪いわね」

 控えの小部屋の窓から、広場を見下ろしながら、レティシアは小さく呟いた。

 両手には、軽い鉄の枷。
 足首にも、同じく。

 動こうと思えば動ける。
 でも、“囚人らしく見せるため”の象徴として、それはしっかりとつけられていた。

「お嬢様……」

 傍らにはクロエ。

 彼女は、本来ならここにいるべきではない。
 でも、「最後までお嬢様の身の回りを」と無理を通して付き添いを願い出たところ、
 なぜか王宮側もあっさり許可を出した。

(“処刑された後、遺体の世話をさせる侍女”って想定なんでしょうね)

 レティシアは、自分の立場を冷静に分析できる程度には落ち着いていた。

 怖いかどうかと聞かれたら――怖い。

 処刑台なんて、前世では教科書の挿絵でしか見たことがない。
 今は、その上に自分が立つ番だ。

「お嬢様、本当に……本当に大丈夫なんですよね?」

 クロエが、縋るように袖を握る。

「計画通りにいけば、処刑される前に“ひっくり返る”って……何度も確認しましたけど……」

「計画通りに“いけば”ね」

 レティシアは、わざと軽く言った。

「もしコケたら、まあ、そこまでの女だったってことよ」

「そんな……!」

「クロエ」

 レティシアは、彼女の手を握った。

 指先は冷たく、少し震えている。

「怖かったら、目を閉じてていいから。

 でも、耳だけは塞がないで。

 “何が起きるか”を、ちゃんと聞いて覚えておいて」

 クロエは、涙目で頷いた。

「絶対、忘れません」

 扉の向こうで、靴音。

 ギルバートが現れた。

 いつも通りの無表情。
 だが、その目の奥には、深い緊張が渦巻いている。

「時間です」

「殿下は?」

「広場の別の入り口から。
 予定通り、“処刑開始直前”に姿を見せる段取りです」

「テオは?」

「物陰で書類を抱えて震えております」

 少しだけ口元が緩んだ。

「ルネは人混みに紛れて。
 ギヨームは読み上げ役として、合図を待機中です」

「完璧ね」

 レティシアは、小さく息を吐いた。

(ここまで積み上げてきた。

 辺境での小さな成功例。
 テオの帳簿。
 ギルバートの裏工作。
 ギヨームの言葉。
 ルネの足。
 殿下の決断。

 ――全部、今日の“たった数分”のため)

 扉が開く。

 兵士が二人。

「レティシア・ド・ヴァロワ。
 処刑台へ」

 その言葉を、“自分への案内”として聞く日が来るとは、前世の自分は絶対に想像しなかっただろう。

 レティシアは立ち上がり、微笑んだ。

「分かりました。

 ――舞台に上がってきます」



 広場のざわめきが、近づくごとに大きくなる。

 罵声。
 野次。
 好奇心。

「出てきたぞ……!」
「あれが、“暴動の元凶”か」
「思ったより綺麗な顔してるな」

「綺麗だからって、許されるもんかよ!」

 レティシアは、俯かなかった。

 まっすぐ前を見て歩く。

 石畳の上に、錆びた血の跡が薄く残っている。
 先日の暴動で流れたものだ。

(この上で、また血を足す気だったんだ)

 アルマンと王妃派は、この光景を“カタルシス”にするつもりだった。

 腹を空かせた民衆に、
 「お前たちの怒りの原因はこの悪女だ」と指差して、
 全てをそこに投げ捨てる。

 つらい現実と、見えない構造と、王宮の責任を、
 全部一人の女の首に乗せて終わらせる。

(――悪役令嬢の最期としては、テンプレすぎるわね)

 レティシアは、内心で肩をすくめた。

 だったら。
 そのテンプレを、丸ごとひっくり返す。

 処刑台の階段を登るとき、足がほんの少し震えた。

 それでも、一段一段、踏みしめて上がっていく。

 台の上から見る王都の広場は、
 海のようだった。

 人の頭が、波紋みたいに揺れている。

 遠くの屋根の上にも、人影。
 窓から身を乗り出す者。

(見てなさい)

 心の中で、まだ見ぬ未来の読者に向けて呟く。

(“悪役令嬢が処刑されるはずだった日が、どんなふうに書き換わるか”)



 処刑台の端には、王宮の高官と兵士たち。

 その中に、王妃派の侯爵、王太子派の伯爵――
 そして、王太子アルマンの姿があった。

 正装。
 冷たい表情。

 彼の存在だけで、この処刑が“ただの私刑”ではなく、“王家のお墨付き”であることが示されている。

 処刑人は、顔を布で隠していた。
 手には大きな剣。

 レティシアの視界の端に、その刃がちらりと光る。

 刃の冷たさが、皮膚の感覚にまで侵食してきそうだった。

「静粛に!」

 高官が声を張る。

 広場のざわめきが、少しだけ薄らいだ。

「これより――

 王太子殿下の命により、
 暴動の元凶たる悪女、

 ヴァロワ公爵令嬢、レティシア・ド・ヴァロワの断罪を行う!」

 罵声が、一気に爆発した。

「民を裏切った貴族め!」
「第二王子を巻き込んだ女狐!」
「お前のせいで、仲間が死んだんだ!」

 その中に、聞き覚えのある声が混じっている。

「――レティ!」

 遠くから。
 でも、確かに届く声。

 レティシアは、そっと視線を動かした。

 群衆の隙間に、ルネがいた。

 背を伸ばし、人の肩に足をかけて、必死にこちらを見ている。

 その横には、ダミアン。

 黒髪の青年は、血の跡の残るコートを羽織り、
 拳を握りしめていた。

「貴族を倒せ!」

 彼の叫びは、前と変わらない。

 ただ、目の奥には迷いがあった。

(いいわ。

 今はまだ、“私が敵”で構わない)

 レティシアは、視線を前に戻した。

 今は、とにかく――

(殿下の合図を待つ)

 処刑人が、一歩近づく。

 剣の影が、足元まで伸びる。

 首に冷たい指が触れるような錯覚。

(怖い)

 胃がきゅっと縮まる。

 足が、少しだけ竦む。

 それでも、表情は崩さない。

 “悪役令嬢”は、最後まで笑って処刑台に立つらしい。

 それくらいの演出は、してみせないと。

「何か弁明はあるか、レティシア・ド・ヴァロワ」

 高官の声が響く。

 用意された台詞。

 ここで泣き叫び、命乞いをしてくれれば、
 “惨めな悪女”としての物語は完璧だ。

 レティシアは、ゆっくりと口を開いた。

「弁明、ですか」

 広場の空気が、彼女の言葉を待つように止まる。

「そうですね……一つだけ」

 彼女は、背筋を伸ばした。

「――いい天気ですね」

 ぽかん、とした沈黙。

 次の瞬間、広場のあちこちから笑いと罵声が重なって飛んだ。

「何言ってんだこいつ!」
「頭おかしくなったんじゃねぇのか!」

 高官が顔をしかめる。

「ふざけるな――」

「ふざけてなんかいませんわ」

 レティシアは、真顔で言った。

「“処刑にちょうどいい天気”ってことは、
 “よく燃える天気”でもありますから」

 アルマンの眉がぴくりと動く。

(来るわよ)

 彼女は、心の中でカウントダウンを始めた。

 三。

 二。

 一――

「やめろ!」

 広場の端から、別の声が飛んだ。

 よく通る、涼やかな声。

 振り返る必要もない。

 レティシアは、自然と笑みを浮かべた。

「――少々、お待ちくださいませ」

 処刑人に向けて、穏やかに言う。

 階段を駆け上がる足音。

 鎧の音ではない。
 革靴の音。

 シャルル・ド・リュミエールが、処刑台の上に姿を現した。

 第二王子の正装。
 王家の紋章をあしらったマント。

 その姿だけで、空気が変わる。

「第二王子殿下……!」

 高官たちがざわめく。

「ど、どうしてここに――」

「“ここにいないほうがおかしい場所”だからだ」

 シャルルは、静かに言った。

 彼の目は、処刑人の剣へ向けられていた。

「その剣を下ろせ。

 “王の血族”がここにいる前で、
 勝手に首を落としてはならない」

 処刑人の手が、震える。

「で、ですが、命令は王太子殿下から――」

「“王太子”と“王”のどちらが上か、忘れたのか?」

 シャルルの声が、初めて冷たくなった。

 広場の人々も、息を呑む。

(さあ――ここからが、“計画”の本番)

 レティシアは、内心で深呼吸した。



 扇形に広がる群衆の中。

 物陰で震えながら、分厚い紙束を抱えていたのは、テオだった。

「や、やるしかないですよね、これ……」

「今さらビビってんじゃねえよ」

 背中をどついたのは、ルネだ。

 彼の顔も真っ青だが、目だけはぎらぎらしている。

「お前の数字がなきゃ、全部口先だけで終わる。

 “誰がどれだけ盗ったか”を見せる役、できんのは、お前だけだろ」

「……分かってます」

 テオは、大きく息を吸い込み――

「ギヨームさん!」

 合図を送った。

 少し離れた屋台の上で、ギヨームが帽子を押さえながら頷く。

 次の瞬間、彼はひらりと高台に飛び乗り、
 大声で叫んだ。

「おーい、お前ら!」

 ギヨームの声は、新聞売りの呼び込みよりもよく通る。

 広場の視線が、一瞬そちらへ向いた。

「“悪女一人で全部終わり”って筋書きに、飽きてねぇか?」

 ざわめき。

「こっちは、“本当の台本”持ってきてやったぞ!」

 彼は、腕を高く振り上げた。

 その合図で、テオが紙束を広場へ向けて放り投げる。

 帳簿の写し。
 領収書。
 王宮内の命令書の控え。

 紙片が、雪のように舞い落ちる。

「な、何だあれは……」

「町中にばら撒くことになってたが――今日は“ここ”だ」

 ギヨームは、広場の真ん中に転がった一枚を拾い上げた。

「“王立倉庫からの兵糧出庫命令”。

 名義は――モンテール伯爵。

 行き先、“不明”。
 備考欄、“王妃派私的晩餐会用”。

 あー、聞いたことあんな、この名前」

 モンテール伯爵。

 以前レティシアが失脚させた、兵糧横流し貴族だ。

「こんな紙なら、いくらでもある。

 兵糧の横流し。
 貴族の税のごまかし。
 市場のパンの量を減らすための密約。

 ぜーんぶ、“王妃派と王太子派の連名”で出してやがる!」

 ざわあっ、と空気が揺れる。

 近くに落ちた別の紙を拾った男が、震える声で叫んだ。

「こ、これ……“北区暴動鎮圧命令”……!

 “威嚇射撃を行い、抵抗する者は躊躇なく排除せよ”って……殿下の署名が……!」

「王太子殿下の……!?」

 悲鳴と怒声が混ざる。

 シャルルは、その混乱を横目で見ながら、
 処刑台の上で声を張り上げた。

「民よ!」

 その一言で、視線が再び上へと集まる。

「お前たちの前にいる女は――確かに、“口の悪い女”だ」

「殿下!?」

 レティシアが、横目で睨む。

 今その前置きいります? と目が言っている。

 だが、シャルルは続けた。

「だが、“暴動の元凶”ではない。

 彼女が市場にパンを流したとき、
 死なずに済んだ子どもたちがいる。

 彼女が兵糧横流しを暴いたとき、
 飢えなかった村がある。

 彼女が“このままでは革命が起きる”と言ったとき、
 それを笑って流したのは――この王宮だ!」

 アルマンの顔色が変わる。

「シャルル!」

 王妃派の貴族たちが一斉にざわめいた。

「殿下、それ以上は――」

「黙れ!」

 シャルルは、初めて怒鳴った。

「お前たちは、“王家の権威”を隠れ蓑に、
 民を飢えさせ、兵糧を抜き、

 暴動が起きれば、“悪女一人に全部押し付けて終わらせよう”としている!」

 広場のあちこちで、ばら撒かれた紙を読む声がする。

「税が……俺たちの地区の税が、“書類上では”前より少ないことになってる……!」
「じゃあ実際に払ってる分、どこ行ったんだよ!」
「“慰労晩餐会費用”……? ふざけるな!」

 ダミアンは、足元に舞い落ちた一枚を拾い、
 その内容を読んで、固まった。

「……北区暴動鎮圧命令。

 “威嚇射撃”って書いておきながら、
 “鎮静を見ない場合は”の後に、“武力行使”じゃなくて――

 “排除”って書いてやがる」

 その文字が、頭の中で血に変わる。

 あのとき、自分の目の前で倒れた男。
 泣き叫ぶ女。
 引き裂かれた家族。

(俺は――“誰の命令”で撃たれたと思ってた?)

 “貴族”。
 “王宮”。

 その全部を、漠然とした一つの塊として憎んできた。

 でも、紙は知っている。

 “誰が署名したか”。

 その下に書かれている名前を見て、
 ダミアンは、歯を軋ませた。

 アルマン・ド・リュミエール。

 王太子殿下。

「ダミアン!」

 どこからか、レティシアの声が飛んでくる。

 彼女の目は、真っ直ぐに彼を見ていた。

 処刑台の上から。
 剣を向けられている立場から。

 それでも、怯えていない目で。

「あなたは、ずっと“怒りの言葉”を探してきたんでしょう?

 だったら今、言いなさいよ」

「……何を」

「“本当に裁かれるべきは、誰か”」

 シンプルな問いだった。

 喉の奥が熱くなる。

 拳が震える。

 ダミアンは、ゆっくりと顔を上げた。

 自分の声が、広場全体に届くのを想像する。

 怖い。

 でも、今ここで黙れば、
 自分は一生「間違った相手を殴り続けた男」のままだ。

「――おい!」

 腹の底から、声を絞り出した。

「聞けよ、お前ら!」

 叫びは、炎をまとっていた。

「俺はずっと、“貴族も王も全部いらねぇ”って叫んできた!

 でも――違ったんだ!」

 ざわめき。

「紙を見ろ!

 俺たちのパンを奪ったのは、“名前のない怪物”じゃない。

 モンテール伯爵。
 王妃派の誰それ。
 そして――“王太子アルマン”だ!」

 アルマンの顔が、恐怖と怒りで歪む。

「ふざけるな……!」

 彼は、思わず前に一歩踏み出した。

「暴動を起こしたのは貴様らだろう!
 私の命令がなければ、王都はもっと早く滅びていた!」

「滅びかけてんのは、今だろうが!」

 ダミアンは、歯を剥き出しにした。

「お前の命令で撃たれた奴らの家族が、そこら中にいるんだよ!

 あそこに! あそこにも!

 “威嚇射撃”とか綺麗な言葉でごまかして、
 実際は“排除”しろって書いてある紙に署名したのは誰だよ!」

 群衆の視線が、一斉にアルマンへ向かう。

 さっきまで“悪女”に注がれていた憎しみが、
 別の場所へと流れ始める。

 その速度は、想像以上に速かった。

 人々は、怒りの矛先をいつでも探している。

 その矛先が、“悪女一人”から、“王太子とその取り巻き”に変わるのに、
 そう時間はかからない。

「私を、誰だと思っている!」

 アルマンは叫んだ。

 叫んでしまった。

「私は王太子だぞ!

 お前たちのために働いてやっているんだ!

 お前たち庶民は、黙って命令に従っていればいいんだ!」

 その瞬間、なぜか、静寂が訪れた。

 広場の端から端まで、
 風の音だけが通り抜ける。

 誰もが思った。

(ああ――)

 “王太子が、口に出してはいけない言葉を言った”。

 レティシアは、心の中でそっと目を閉じた。

(やっと、“本物の悪役”が喋ったわね、殿下)



 王宮のバルコニー。

 王と王妃が、その光景を見下ろしていた。

 王妃の顔は青ざめ、王の眉間には深い皺が刻まれている。

「アルマンは……何をしておるのだ」

 王の声は、震えていた。

 王妃は、扇子を握る手に力を込めながら、必死に笑みを作る。

「殿下は……“王としての威厳”を示そうと――」

「“民は黙って従え”が、威厳か」

 王の瞳が、静かに怒りを帯びる。

「シャルル。

 あの子のほうが、よほど――」

 その先は、言葉にならなかった。

 バルコニーの下で、シャルルは処刑台の上から再び声を上げる。

「民よ!」

 彼は、アルマンのほうを振り向いた。

「兄上。

 貴方は、今日ここで全てをごまかそうとした。
 “悪女一人を殺して終わり”にしようとした。

 だが――もう無理だ」

 シャルルは、一度だけ父のいる方角を仰ぎ見て、

「父上――陛下!」

 と叫んだ。

 広場の奥。
 バルコニー。

 老人の姿が、ゆっくりと前に出てくる。

「王が……!」

 群衆のざわめき。

 王は、欄干に手を置き、広場を見下ろした。

 長い沈黙のあと、
 彼は、老いた声で言った。

「アルマン・ド・リュミエール」

 その名を呼ばれた瞬間、
 アルマンの顔から血の気が引いた。

「父上……」

「お前は、王太子としての責務を果たせなかった」

 王の声は、重かった。

「民を飢えさせ、
 暴動を招き、
 その責任を、一人の娘に押し付けようとした。

 王家の名を持つ者として――あまりにも、浅はかだ」

 王妃が、慌てて口を挟む。

「陛下! それは……!」

「黙れ」

 王の一喝。

 それは、久しく聞かれなかった“王の声”だった。

「シャルル」

「はい」

「お前の言う、“民と共に国を治める仕組み”――

 それが、本当にこの国を救うかは分からぬ。

 だが、“今のままでは滅ぶ”ことだけは、
 さすがの老いぼれにも分かる」

 その言葉に、広場全体が息を呑んだ。

「ゆえに――」

 王は、ゆっくりと宣言した。

「アルマン・ド・リュミエールの王位継承権を剥奪する」

 雷が落ちたような衝撃。

 アルマンが、膝から崩れ落ちる。

「そ、そんな……父上! 私は王太子です!
 次の王は、私で――!」

「“王たる器”は、血筋だけでは決まらぬ」

 王の声は、静まらなかった。

「民が飢えているときに、
 “黙って従え”と言う王に、
 誰がついていく?」

 王妃派の貴族たちが、ざわざわと色めき立つ。

「陛下、それはあまりにも――!」
「王太子の権威をここで失わせるのは、王家そのものの……!」

「お前たちこそ、
 王家の名のもとにどれだけの不正を働いてきたか――
 この帳簿が証明しておる」

 王は、ギルバートから受け取った書類を掲げた。

 その瞬間、王妃派の何人かの顔色が変わる。

「モンテール伯爵のみならず、
 他にも多くの貴族が、
 税を誤魔化し、
 兵糧を抜き、
 王妃の名を使って私腹を肥やした。

 ――全員、“調査”の名のもとに拘束せよ」

 王立軍が、一斉に動いた。

 今まで民衆に向けていた槍を、
 今度は貴族たちへ向ける。

 王妃が、凍りついた。

「陛下……」

 彼女は、信じられないという顔で王を見つめた。

「これは、どういう――」

「お前もだ、王妃」

 王の声は、少しだけ寂しげだった。

「“王妃派”の名のもと、
 どれだけの命が軽んじられてきたか。

 その責任から、逃げられると思うな」

 王妃の唇が、何度も震え、
 結局、一言も出てこなかった。



 処刑台の上。

 レティシアは、静かに枷を見下ろした。

 ギルバートが、いつの間にか背後に回り、
 鍵をひねる。

 カシャン、と金属音。

 鉄の感触が消え、
 手首が軽くなる。

「レティシア・ド・ヴァロワ」

 王の声が、彼女に向けて降りてきた。

「お前は――“無罪”だ」

 広場にいた誰もが、息を止めた。

「いや、それどころか」

 王は、目を細める。

「この国の腐敗を暴き、
 命を懸けて真実を晒した者として、

 私の前で、その名誉を認めよう」

 次の瞬間。

 最初に声を上げたのは、ルネだった。

「レティ!」

 彼は、両手を頭の上で叩いた。

 それは、拍手。

 最初は、一人だけの音。

 すぐにクロエが、目を真っ赤にしながら手を叩く。

 ギヨームが笑いながら続き、
 テオが震える手で手を合わせ、
 ダミアンが、歯を食いしばりながらも、力強く掌を打ち合わせた。

 拍手は、波紋になって広がる。

 奥のほうで、誰かが叫んだ。

「“悪女”じゃなかったんだ……!」

「俺たちのために、動いてくれてたんだ……!」

 怒りで上ずっていた声が、
 少しずつ、「感謝」と「戸惑い」と「希望」の混じった音に変わっていく。

「レティシア!
 レティシア・ド・ヴァロワ!」

 名前を呼ぶ声。

 呪いの言葉ではなく、
 讃える声として。

 レティシアは、処刑台の上に立ったまま、
 ゆっくりと一礼した。

「ありがとうございます。

 ――でも、勘違いしないでくださいね」

 広場のざわめきが、また彼女の言葉を待つ。

「私は、“救世主”じゃありません。

 相変わらず、貴族で、
 “口の悪い悪役令嬢”です」

 笑いが起きる。

「ただ――

 “悪役令嬢を処刑して終わり”っていう、つまらない物語だけは、
 どうしても気に入らなかった」

 レティシアは、口元を上げた。

「だから、勝手に書き換えさせてもらいました。

 “悪女として処刑されるはずだった女が、

 処刑台の上で、
 王太子と腐った貴族を全部巻き込んで、

 世界をひっくり返した”っていう物語に」

 その言葉に、
 広場のあちこちで笑いと歓声が混ざり合う。

「ざまぁ、だな」

 ルネが、ニヤリと笑って呟いた。

「ほんっと、盛大な“ざまぁ”だよ」

 ダミアンも、苦笑いしながら同意する。

 アルマンは、崩れ落ちたまま、
 その光景を呆然と見上げていた。

 自分が主役になるはずだった“断罪劇”は、
 いつの間にか、
 自分が“愚かな暴君の卵”として晒される舞台に変わっていた。

 その台本を書き換えたのは、
 処刑台の上に立つ女。

 悪役令嬢。

 レティシア・ド・ヴァロワ。



 処刑は行われなかった。

 処刑台は、そのまま“新しい広場の象徴”として残された。

 ここから先、
 この台の上で語られるのは、

 “恐怖の見せしめ”ではなく、
“これからの国の形”についての言葉になる――はずだ。

 革命は、まだ終わっていない。

 ただ、少なくともこの日。

 「悪役令嬢として処刑されるはずだった舞台が、
 王太子と腐敗貴族への最大の“ザマァ”逆転劇になった」

 その一点だけは、
 歴史のどこかに、はっきりと刻まれることになった。

 処刑台の上で、世界はほんの少しだけ、
 違う方向へと回り始めたのだった。
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灯乃
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十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

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