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第17話:断罪神殿の帰還、二人の末路が決まる
しおりを挟む白砂の夜は、喉を乾かす。
泣いても泣いても水分が奪われて、涙は塩になって頬に残るだけ。
風は優しくない。砂を運ぶ指先で、皮膚を薄く削っていく。
ここは慰めを許さない場所だった。慰めるより先に、真実を突き立てる。
光の鏡は、まだ壁面に浮かんでいた。
揺れない。
反論を受け付けない目。
見た者の言い訳を、全部飲み込んで吐き出さない目。
エドワードは、鏡の前で立てなくなっていた。
膝が笑うどころじゃない。
膝が折れて、砂の上に落ちる。
金髪が砂に触れ、上質だった服が白に汚れる。
「……俺は……」
声が出ない。
喉の奥で、言葉が砂に絡まって詰まる。
“騙された”。
そう言えば楽だった。
でも鏡が見せたのは、騙された男じゃない。
騙されることを選んだ男だ。
自分が“正義の主人公”になれる筋書きを、喜んで受け取った男だ。
膝をついたまま、エドワードは自分の指先を見た。
あの日、壇上で婚約破棄を宣言したときの指。
何も震えていなかった。
正しいと信じていた。
むしろ、誇らしかった。
――吐き気がした。
隣でマリエッタは、まだ泣けた。
泣くことを武器にして生きてきた者は、泣き方だけは忘れない。
だがその涙は、さっきまでのように美しくない。
砂にまみれ、鼻水が混じり、声が割れている。
“可哀想”の形が崩れている。
「違うの……! 私は……私は……っ!」
叫んでも、白いローブの者たちは動かない。
セラフィナの配下の女は、ただ立っている。
立っているだけで、ここが裁きの場だと分からせる顔。
マリエッタは視線を彷徨わせ、最後に縋る先を見つけた。
いつも通りだ。
この女は、落ちるとき必ず誰かを掴む。
「エドワード様が悪いのよ!」
唐突に、声が鋭くなる。
涙の声から、刃の声へ。
「だって、あなたが! あなたが信じたから! あなたが勝手に正義ぶったから!
私は……私は、あなたのためにやったのに……!」
エドワードが顔を上げた。
その目は驚きで見開かれている。
彼はまだ、彼女が自分を守ると思っていた。
守ると思っていたから、ここまで落ちた。
「……マリエッタ?」
「何よその顔! 私だけ悪者みたいに!
だって、婚約破棄を宣言したのはあなたでしょう!?
壇上に立って、あの子を切り捨てたのはあなたでしょう!?」
マリエッタの声が神殿に反響する。
崩れた石柱が、その声を冷たく跳ね返す。
逃げ場のない反響。
言葉が、自分に戻ってくる反響。
エドワードの唇が震えた。
否定したい。
でも否定できない。
鏡が全部映してしまった。
「……俺は……正しいと思った」
絞り出した言葉は、言い訳でも懺悔でもない。
ただの事実。
痛い事実。
マリエッタは笑った。
泣きながら笑った。
その笑いは、壊れた玩具みたいに歪んでいる。
「正しい? 正しい? 何それ。
正しいなら、どうして私たちがこんな目に遭うのよ!」
そして矛先は、次に向いた。
いつもの流れ。
責任を押し付けた次は、外の敵を作る。
マリエッタは光の鏡に向かって叫んだ。
「リリアーナ!!」
鏡の中には、まだリリアーナの姿が映っていなかった。
今映っているのは、断罪の神殿の冷たい光だけ。
それでも彼女は叫ぶ。
相手がいなくても、呪う相手が必要だから。
「あなたのせいよ!
あんたが大人しくしてれば!
あんたが目立たなければ!
あんたが、選ばれなければ……!」
選ばれなければ。
その言葉は、彼女の本音だった。
彼女はリリアーナが憎いのではない。
“選ばれた現実”が憎い。
自分が主役でいられない現実が憎い。
白いローブの女が、初めて口を開いた。
「……十分です」
声は静か。
静かなのに、空気が止まる。
女は壁面の光の鏡へ、掌を向けた。
鏡の光が強くなる。
まるで白砂神殿そのものが目を開けるように。
空気が震え、白い砂がふわりと舞った。
風ではない。
神器の圧が、砂を持ち上げた。
鏡の中央に、文字が浮かび上がる。
この世界の古い文字。読めないはずなのに、意味だけが胸に落ちてくる。
――真実を歪めた者は、真実に焼かれる。
女が淡々と読み上げた。
「神器の裁定です」
マリエッタが息を呑む。
「焼かれる……? な、何それ……怖い……」
怖い。
その言葉は本物だった。
でも同情は生まれない。
この神殿では、怖いは免罪符にならない。
エドワードは、膝をついたまま笑った。
乾いた笑い。
自分を嘲る笑い。
「……焼かれるのは、俺たちの名誉か」
女は頷かない。
肯定も否定もしない。
ただ事実を告げる。
「あなた方は、宮廷に送り返します」
「宮廷……?」
マリエッタの声が震える。
彼女の中で“宮廷”は歓待の舞台のはずだった。
でも今、その言葉は処刑台に聞こえる。
女は続けた。
「英雄でも客人でもありません。
あなた方は“証言者”として帰還します」
証言者。
その言葉が、二人の背骨を折る。
「ま、待って……証言って……誰に……」
マリエッタが縋るように言うと、女は淡々と答えた。
「あなた方の世界の王都。
あなた方が捨てた者の名を、あなた方の口で正すために」
エドワードの顔が歪む。
彼は理解した。
ここでの断罪は、殴られることでも、罵られることでもない。
逃げられない形で、事実を言わされることだ。
マリエッタは首を振った。
「嫌! 嫌よ! 私は悪くない!
あれは……あれは、必要だったの! 私は……!」
女が一歩近づいた。
白い砂の上に足跡がつく。
その足跡が、まるで線引きみたいに二人の逃げ道を塞ぐ。
「あなた方の口から語られるのは、リリアーナへの罪です」
罪。
その単語が、エドワードの胸を刺した。
罪を着せた側が、罪を語る。
滑稽で、残酷で、そして完璧な罰。
「語れないなら?」
エドワードが掠れた声で聞く。
女は淡々と答えた。
「語れるようになります」
それだけ。
脅しに聞こえるのに、脅しではなく“仕様”の説明みたいだった。
神器の裁定は、感情で揺れない。
白いローブの者たちが円を作る。
魔法陣が砂の上に浮かび上がる。
白い光ではない。青白い冷たい光。
落下する時と同じ光。
逃げられない光。
マリエッタが叫んだ。
「エドワード様! 助けて! ねえ、助けてってば!」
でもエドワードは、彼女を見なかった。
見られなかった。
見たら、また縋ってしまうから。
縋って、また正義ぶってしまうから。
彼はただ、砂に濡れた指先を握りしめた。
白い砂が、指の間から落ちる。
落ちる砂みたいに、彼の誇りも静かに崩れていく。
「……リリアーナ」
彼はその名前をつぶやいた。
声に出せないほど喉が痛かった。
「……俺は……」
続きは言えなかった。
言えば、戻れない。
でも、もう戻れないのだ。
光が強くなる。
神殿が息を吸うみたいに、空気が圧縮される。
そして――二人の身体が浮いた。
「やだっ!!」
マリエッタの叫びが砂漠に吸われる。
涙が舞い、砂が舞い、白い夜が舞台みたいに回転する。
エドワードは目を閉じた。
英雄として召喚される夢が、ようやく完全に終わった瞬間だった。
――断罪は、刃ではなく鏡だ。
大声の復讐ではなく、逃げられない事実の公開だ。
二人は、帰還する。
拍手も歓声もない帰還。
栄光でも救済でもない帰還。
証言者として。
自分たちの口で、自分たちの罪を世界に刻むために。
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