無能令嬢、『雑役係』として辺境送りされたけど、世界樹の加護を受けて規格外に成長する

タマ マコト

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第15話「“国のため”という名の鎖」

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 謁見の間は、息が詰まるほど広かった。

 高い天井。
 磨き上げられた白い石の床。
 赤い絨毯が、まっすぐ王座まで伸びている。

 左右には、色とりどりの衣装を纏った貴族たち。
 胸元にはそれぞれの家の紋章。
 宝石と金と、香水と野心の匂い。

(……フィルナの食堂のほうが、絶対落ち着く)

 場違いな感想が、頭の片隅に浮かぶ。

 でも、笑えなかった。

 喉の奥が、きゅっと硬くなっている。
 世界樹の感覚を半分ほど閉じていても、ここに渦巻く感情の匂いは濃すぎた。

 好奇心。
 期待。
 警戒。
 打算。
 恐怖。

 それらが、とぐろを巻いて、空気を重くしている。

 赤い絨毯の先――

 ひときわ高い段の上に、王が座っていた。

 年配ではあるが、まだ現役感の残る体躯。
 深い紺色のマント、肩にかかる白い毛皮。
 手には金の装飾が施された杖。

 その両側には、王家の血を引く者たちと、高位貴族たちが並んでいる。

 エルフォルト家の父も、その一角に立っていた。
 表情は固いが、どこか誇らしげに顎を上げている。

 クレアは、赤い絨毯の上を歩かされていた。

 一歩、進むたび。
 視線が突き刺さる。

「……あれが、エルフォルト家の」

「森を浄化した娘か」

「ずいぶん華奢だな」

「本当にそんな力が?」

 小声で交わされる囁き。
 その一つ一つが、皮膚の上を這っていく。

 膝が震えそうになるのを、ぐっと堪える。

(大丈夫。マリアさんが言ってた)

『怖くなったら叫べ』
『助けてくださいって言え』

 ただ――今ここでそれをやったら、騒動どころでは済まない。

 だからせめて。

(ちゃんと、“見る”)

 わたしがどう扱われるのか。
 わたしの“力”を、みんながどう見ているのか。

 それを、誤魔化さず、目を逸らさず、見ておく。

 王座の前まで来ると、侍従が一歩前に出た。

「クレア・エルフォルト、陛下の御前に参上致しました」

 クレアは、教え込まれた通りにドレスの裾をつまみ、深く膝を折る。

「クレア・エルフォルト……陛下にお目にかかれましたこと、光栄に存じます」

 声は、震えてはいなかった。
 訓練された“令嬢の仮面”が、自動的に口を動かしてくれる。

「顔を上げよ」

 王の声は、意外なほど柔らかかった。

 クレアはゆっくりと顔を上げる。
 視線が、王の瞳と重なる。

 その瞳の奥には、疲労と、そして――計算が見えた。

「フィルナの瘴気の森については報告を受けている。
 一夜にして瘴気が薄れ、森が息を吹き返したと」

「……はい」

「あれは、そなたの力によるものか」

 問われて、少しだけ迷う。

 本当は、「世界樹の欠片が目覚めたから」とか、「わたしは末裔で」とか、説明したほうがいいのかもしれない。

 でも、それをしたところで――彼らは“利用法”しか考えないだろう。

 だから、クレアは、簡潔に頷いた。

「……わたしの中にある力と、森の声が、応えた結果だと思います」

 王は何度か頷く。

「謙虚だな。
 どれほどの奇跡であれ、自分ひとりの力ではないと語る者は、信頼できる」

 その言葉に、周囲の貴族たちがざわりとした。

「さすが、エルフォルト侯のご息女」

「やはり良い教育を……」

 父のほうから、ドヤ顔に近い気配がした。

 王は右隣に立つ壮年の男に視線を向けた。
 軍務卿――国軍を束ねる立場の人物だ。

「軍務卿。そなたの見解は」

「は」

 軍務卿は、一歩前に出た。

「辺境の報告、ならびに瘴気被害の推移から鑑みるに――クレア殿の能力は、極めて特異かつ有用であると推察されます」

 淡々とした声。
 だが、その目はギラギラしていた。

「もしこの力を制御し、意図的に発動させることができるならば、瘴気被害だけでなく、魔獣の巣、戦場の浄化など、多岐にわたり国防に寄与し得るでしょう」

 戦場の浄化。

 その単語に、クレアの背中に冷たいものが走る。

(……ああ、やっぱり)

 “国のため”という言葉の下には、必ず“戦い”がついて回る。

 国境の向こう。
 争いの続く土地。
 汚れた血と、流れない涙。

 そこへ、“浄化できる便利な存在”として連れて行かれる未来が、容易に想像できた。

 軍務卿は続ける。

「しかし同時に、その力は制御を誤れば、王都をも壊しかねないリスクを孕んでおります。
 よって、慎重な管理が必要であると考えます」

 “管理”。

 その言葉が、やけに重く響いた。

 王は、今度は左隣の初老の男性――宰相に目を向ける。

「宰相の意見は」

「は」

 宰相は、静かに頷いた。

「軍務卿殿と同じく、クレア殿の力は極めて貴重であり、同時に危険でもあると認識しております。
 よって、王家としては、クレア殿を“特別保護対象”として迎え入れることを提案いたします」

「特別保護対象……」

 聞こえは良い。
 でも、中身は――

「具体的には?」

 王の問いに、宰相は滑らかに答える。

「王都内に専用の施設を設け、そこで生活していただくこと。
 移動の際は、常に王家直属の護衛をつけること。
 力の暴走や不測の事態を防ぐため、勝手な行動を慎んでいただくこと。
 これらを条件として、“王家の庇護のもと”暮らしていただくのであれば――」

 貴族たちの間に、感嘆のざわめきが起きる。

「専用施設……」

「王家の庇護……」

「それはすごい待遇だ」

 クレアは、心の中で小さく笑った。

(……それ、“監禁”って言うんじゃないの?)

 王都の中。
 王家の目の届く場所。
 護衛という名の監視。
 勝手な行動は慎め。

 “特別保護対象”という飾りをつけた、事実上の檻だ。

 宰相は続けた。

「もちろん、クレア殿のご家族――エルフォルト家には、適切な報酬と名誉をお渡しします。
 “国を救う英雄を生み出した一族”として、歴史に名を刻むことになるでしょう」

 その言葉に、父が静かに頷くのが視界の端で見えた。

「国のためだ、クレア」

 堂々とした声が、横から響く。

 アルベルト・エルフォルト。
 父は、王に礼をしながら、しかしその視線の先にはクレアを捉えていた。

「この国は今、瘴気や魔獣の脅威に晒されている。
 民は怯え、兵は疲弊している。
 お前の力は、その闇を払う光となる」

 「だから」と、父は続ける。

「国のために、その力を差し出しなさい。
 エルフォルト家の娘として、“誇りある務め”だ」

 “差し出しなさい”。

 その言葉に、胸の奥が、ざりっと削れた。

(ああ、やっぱり)

 これだ。

 家を出る前の日も、似たような言葉を聞いた。

『家のためを思うなら、辺境へ行け』
『それが、お前にできる唯一の役目だ』

 今度は、もう少しスケールを大きくして言っているだけ。

 “家のため”から、“国のため”へ。

 でも、根っこは同じだ。

 ――「お前がどうしたいか」は、どこにもない。

 王が、クレアのほうを見る。

「クレア・エルフォルト」

 その声には、重々しい響きがあった。

「そなたの力は素晴らしい。
 国を救う英雄になれる。
 王家は、その力を認め、庇護を約束しよう」

 英雄。

 庇護。

 綺麗な言葉が並ぶたびに、胸の内側が冷たくなっていく。

「この提案を受け入れ、王都の専用施設で暮らし、国のために力を振るう覚悟はあるか」

 覚悟。

 覚悟って、なんだろう。

 自分の心を殺して、誰かのための駒になる覚悟?
 それとも、自分の願いを貫き通して、誰かを失望させる覚悟?

 どちらにせよ、簡単なものではない。

 謁見の間にいる全員の視線が、クレア一人に注がれていた。

 圧。
 空気の重さ。
 石の冷たさ。

 そのすべてが、「はい」と言えと迫っている。

 父は、当然のように頷きを待っている。
 エルフォルト家のため。
 国のため。
 家族のため。

 貴族たちは、「英雄誕生の瞬間」を見たがっている。
 自分たちの安全と繁栄のために。

 軍務卿は、「使える兵器」の誕生を期待している。

 宰相は、「管理下に置ける特異点」を求めている。

 誰も――
 「クレア」という一人の人間のために、この場を整えてはいない。

 胸の奥で、世界樹の灯りが、静かにゆらりと揺れた。

 土の匂い。
 森の風。
 フィルナの井戸の冷たい水。
 マリアの声。
 ノエルの笑い。

 それらが、ごちゃごちゃの王都の空気の中に、ほんの少しだけ温度を取り戻してくれる。

(わたしは――)

 ここで、ただ「はい」と言ったら。

 たぶん、二度と戻れない。

 フィルナにも。
 “クレア”にも。

 静かに、唇が動いた。

「……ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

 謁見の間の空気が、ぴくりと揺れる。

 王は、少しだけ目を細めた。

「なんだ」

「もし、私が――」

 喉が乾く。
 舌が張り付く。

 それでも、言葉を絞り出す。

「……もし、私が、それを“断ったら”?」

 瞬間。

 謁見の間の空気が、固まった。

 ざわめきが、ぴたりと止まる。
 誰かが小さく息を呑む音だけが聞こえた。

 王の瞳から、ふっと笑みが消える。

 軍務卿の顔からも、宰相の口元からも、貴族たちの柔らかな表情からも――
 一斉に「余裕」の色が抜け落ちた。

「断る……だと?」

 王の声は、低く、硬くなる。

「国王陛下のご厚意と提案を、断るという意味か」

(“ご厚意”ね……)

 心の中で自嘲が浮かぶ。

 でも、表情には出さない。

「わたしの力は、わたしのものです」

 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

「“国のため”に使うことも、きっとできると思います。
 でも、それは――」

 胸元のペンダントを、ぎゅっと握る。

 木の感触。
 世界樹の残り火。
 フィルナで受け取った日々。

「“わたしが、そうしたいと願ったとき”に、わたし自身の意思で振るいたい。
 もし、わたしの意思が尊重されず、“力だけ”が求められるのだとしたら――」

 そこで、一度、言葉を切る。

 王の視線。
 貴族たちの視線。
 父の鋭い視線。

 全部をまとめて、真っ向から受け止める。

「……その場所に、いたくはありません」

 謁見の間に、重い沈黙が落ちた。

 誰も、すぐには言葉を発さない。

 空気の温度が、すっと下がる。

 王の瞳が、じわりと冷たくなっていく。
 軍務卿の口元が、わずかに歪む。
 宰相の手が、杖を握りしめる指先に力をこめる。

 父は――
 怒りとも驚きともつかない表情で、クレアを睨みつけていた。

「……クレア」

 アルベルトの低い声。

「何を言っているのか分かっているのか」

「はい」

 はっきりと、頷く。

「“国のため”という言葉は、重いです。
 それを完全に否定するつもりはありません。
 国があって、日々の生活が守られているのも、事実ですから」

 フィルナの村を思い浮かべる。
 子どもたちの笑い声。
 兵士たちの訓練。
 市場のざわめき。

「でも、“国のため”という言葉が、わたし一人に全部を背負わせるための鎖になるのなら――」

 指先から、ひんやりとした感覚が広がってくる。

 胸の奥で、何かが、ひび割れた。

「それは、わたしにとって“優しさ”じゃなくて、“拘束”です」

 誰かが、小さく息を飲む。

 王は、しばらくクレアをじっと見ていた。
 やがて、低く告げる。

「……断るという選択肢はない」

 静かな言葉。

 しかし、それは、“宣告”に等しかった。

「国は、そなたの力を必要としている。
 そなたの意思であろうとなかろうと、その力をこの国から離すわけにはいかぬ」

 軍務卿も重ねる。

「瘴気が再び濃くなったらどうする。
 他の土地で森や湖が死にかけているのを、見捨てるのか」

 宰相も言う。

「そなた一人の自由と、数万の民の命。
 天秤にかけるまでもない」

 父がとどめを刺す。

「クレア。
 “わがまま”を言うな。
 お前一人の願いより、“家”と“国”の未来のほうが重いに決まっているだろう」

 その瞬間。

 胸の中の、何かが――ぷつん、と音を立てて切れた。

 実際に音がしたわけじゃない。
 でも、たしかに“感覚”として分かった。

 これまで、必死に繋ぎ止めていたなにか。
 「家族への期待」とか、「理解されたいという願い」とか、そういうものが――

 音もなく、足元に崩れ落ちていく。

(ああ――)

 思った。

(やっぱり、何も変わってないんだ)

 エルフォルト家も。
 王都も。
 この国も。

 「国のため」
 「家のため」
 「みんなのため」

 それらを掲げて――
 結局、彼らが見ているのは“都合のいい駒”だけだ。

 病弱で役に立たないときは、辺境送り。
 力を手に入れたと分かった途端、英雄扱いして、鎖をつけようとする。

 どちらにしても、扱いは“物”。

 “クレア”という人間は、そのどこにもいない。

 胸の中が、ひどく静かになった。

 怒り。
 悲しみ。
 失望。

 いろんな感情が、ぐつぐつ煮立っていたはずなのに――
 急に、表面だけが凍りついたみたいに、サラサラと冷えていく。

 世界樹の灯りだけが、ぽつん、とそこに残っていた。

 クレアは、ゆっくりと息を吸い込む。

 王都の空気は、やっぱり苦くて、重たくて、息苦しい。
 でも、その苦さはもう――どこか遠くに感じられた。

「……よく分かりました」

 静かな声で、彼女は言った。

「“ここでは、わたしの意思は必要とされていない”ということが」

 謁見の間に、ざわりと波紋が広がる。

 王の眉が、わずかに動いた。

「クレア」

 父が、低く名前を呼ぶ。
 しかし、その声は、もはやクレアに届いていなかった。

 クレアは、彼らから視線を外しはしなかった。
 ただ、その奥で――“期待”という名の糸だけを、静かに断ち切っていた。

(もういいや)

 ふいに、そんな諦めに近い言葉が浮かぶ。

(家族として、わたしを見てくれることは、きっと一生ないんだ)

 世界樹の声が、かすかに揺れた。

《選ベ》

 今度は、その言葉が、くっきりと聞こえた気がした。

 “国のため”という名の鎖を、受け入れるのか。
 それとも――鎖を断ち切って、自分の願う場所へ戻るのか。

 謁見の間の空気は、まだ重く、冷たい。
 けれど、クレアの胸の中には、ひとつだけはっきりとした温度が灯っていた。

 フィルナの風の匂い。
 土のざらつき。
 マリアの「お前が決めろ」という声。
 ノエルの「嫌なら逃げちまえよ」という笑い声。

 ――王都の誰も知らない、その温度が。

 彼女の中で、鎖よりも強く、確かなものになり始めていた。
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