妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第1話 甘い毒の祝宴

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 甘い。
 花の蜜みたいに甘くて、なのに――鼻の奥に、焼けた金属みたいな匂いが刺さって離れない。

 王城の大広間は、今日だけは夢みたいにきらびやかだった。天井画には金箔が星屑みたいに散らされて、燭台の炎がそれを拾って、まるで夜空が室内に落ちてきたみたいに揺れている。笑い声が石壁に跳ね返って、ひとつの音が百に増える。グラスが触れ合う澄んだ音が、祝福の鈴みたいに鳴り続ける。

 ――祝福?
 笑わせないで。

 私は第一王女、セレスティア・ルミナス・アルヴァリア。
 国の未来だと持ち上げられて、国の都合だと押し潰される、そういう立場の人間。

 壇上の前に立ち、私は“王女としての微笑み”を貼りつけたまま、司式官の朗読を聞いていた。

「……よって本日をもって、王太子アレクシス・ヴァレンロード殿下と、第二王女ミレイア・アルヴァリア殿下の婚約を、ここに正式に――」

 言葉が耳に入ってくるたび、体の内側からじわじわ冷えていく。
 冷たいのに、背中だけ汗が出る。王族の礼装は重い。肩章が、鎖が、宝石が、私の身体を「逃げるな」と抱きしめてくるみたいだった。

 隣で、父王レオニスが小さく咳払いをする。
 乾いた咳。喉の奥に砂が詰まったみたいな音。

 その声が聞こえた瞬間、私は反射的に微笑みを深くした。
 父の顔を見なくても分かる。今この場で、父は“国王”の仮面を被っている。父ではなく、国の装置として、娘の人生を処理しに来ている。

「セレスティア」

 父が私の名を呼ぶ。
 声の温度は低い。優しさはない。でも怒りもない。
 ただ、“波風を立てるな”という命令だけが含まれていた。

 私は頷いて、口角を上げる。鏡の前で何千回も練習した角度。誰も不快にならない、誰も心配しない、そして誰も私の心に触れない笑顔。

「……承知しております、陛下」

 現代の言葉で言えば――
 はい、了解。黙って飲み込みます。
 それがここでの正解。

 壇上の少し後ろ。宰相グラディオ・フェルゼンが、慈悲深い神官みたいな顔をして立っていた。白髪混じりの髪、穏やかな目。声を出さなくても分かる。彼は今、勝っている。

 その視線が私に絡みつく。
 “国のためだ”
 “君は賢い子だ”
 “分かってくれるよね”
 そんな台詞が、唇を動かさずに刺してくる。

 ――国のため。
 その言葉は便利だ。どんな残酷も包める。人を殺すことさえ、きれいな布で覆える。

 その“国のため”の中心に、王太子アレクシスがいるはずだった。

 私はゆっくり、隣を見る。
 王太子アレクシス・ヴァレンロード。柔らかな栗色の髪、整いすぎた横顔。人に嫌われるのが怖い、と顔に書いてあるみたいな目。

 彼は私を見なかった。
 いや、正確には、見られなかった。視線が一瞬だけ私の頬に触れて、そのまま床へ滑り落ちる。まるでそこに釘でも落ちているみたいに。

 私は小さく息を吸う。
 肺の奥まで空気を入れて、叫びたい言葉を飲み込む準備をする。

「……殿下」

 私は小声で呼びかけた。
 音楽の中に溶ける程度の声で。

 アレクシスは、ほんの少しだけ肩を揺らした。
 それが返事の代わり。彼は相変わらず、私を見ない。

 ――この人は、私の婚約者だった。
 というより、“私の婚約者であるべき人”だった。
 それだけ。
 愛とか、信頼とか、そういうものを育てる時間すら、私たちはまともに持てなかった。

 なぜなら、周囲が常に言っていたから。
 「婚約は国の柱」
 「感情より安定」
 「王女は笑っていればいい」
 笑えって。私の心が砕けても、笑えって。

「お姉さま」

 ふわり、と香りが近づく。
 同じ香水を使っているはずなのに、妹の香りはいつも甘すぎる。砂糖菓子みたいに、触れたら指がべたつく。

 第二王女、ミレイア・アルヴァリア。
 今夜の主役。
 私からすべてを奪う女。

 ミレイアは私の手を取った。
 指が細くて柔らかい。握る力は弱いのに、なぜだろう。手を取られると、逃げられない感じがする。鎖じゃないのに、鎖みたいに。

「大丈夫……? お姉さま、顔色が……」

 その声は、泣きそうに震えている。
 可哀想な私、健気な私、心配してる私。
 周囲が欲しがる“理想の姫”の音。

 私は答えを用意していた。
 いつも通り。そう、いつも通り。

「平気よ、ミレイア。……お祝いの日だもの」

 すると彼女は、ふっと笑った。泣き顔のまま笑う器用な笑み。
 その目の奥だけが、氷みたいに澄んでいる。

「よかった……。ねえ、お姉さま。これ、飲んで。少し落ち着くよ」

 ミレイアが差し出したのは、温かいワインだった。
 湯気が上がって、スパイスの香りが立つ。甘い。柔らかい。癒やしの匂い。

 私はグラスを見つめる。
 薄い黄金色。火の光が揺れて、液体の中で踊っている。

 その瞬間、胸の奥がざわついた。
 理由は分からない。
 ただ、危険を知らせる小さな針が心臓の近くに落ちる感覚。

「……ありがとう」

 私は受け取った。
 王女は拒めない。拒めば“波風”になる。
 波風を嫌う人たちが、今夜は特に多い。

 グラスの縁を唇に当てる。
 温度が優しい。
 なのに、匂いの奥に――微かに、鉄。
 血の匂いに似た金属臭。

 私は一口、飲んだ。

 甘い。
 甘さが舌を包んで、喉を落ちて、胸に広がる。
 次の瞬間、胸の奥に“冷たい針”が落ちる。

 ――あ。

 その“あ”は声にならなかった。
 音にならないまま、私の内側で砕けた。

 指先が痺れる。
 さっきまで礼装の重さが不快だったのに、急にその重さがありがたい。倒れないように、私を留めてくれる杭みたいに。

 視界が、ほんの少し滲む。
 天井の金箔が流れて、星が溶ける。
 笑い声が遠くなる。音楽が、布越しに聞こえるみたいに薄くなる。

「お姉さま?」

 ミレイアの声。近い。
 でも、手が冷たい。

 私は彼女を見た。
 ミレイアは泣いていた。涙が頬を伝って、宝石みたいに光る。
 その涙が本物かどうか、私にはもう判断できない。

 ただ、彼女の唇が少しだけ動いていた。

「……ありがとう。全部、譲ってくれて」

 耳元で囁かれたその言葉が、毒より冷たかった。

 私は笑おうとした。
 “王女としての微笑み”で、最後まで誤魔化そうとした。
 でも口角が上がらない。顔の筋肉が言うことを聞かない。

 足が、崩れる。
 床の冷たさが礼装越しに伝わって、背骨が氷柱みたいに固まっていく。

「セレスティア!」

 父王の声が聞こえた。
 ……遅い。
 今さら名前を呼ばれても、私は戻れない。

 私はアレクシスを探した。
 彼の足が一歩、動いた気がした。
 でも、止まる。
 周囲の貴族の視線が、彼の足首に絡みついて引き留める。
 彼はそれに逆らえない。

 彼の目が私を見た。
 初めて、まっすぐに。
 その目には、恐怖が浮かんでいる。
 心配じゃない。罪悪感でもない。
 “自分が巻き込まれる恐怖”。

 ――ああ。
 私はそこで、全部理解した。

 誰も助けない。
 助けられないんじゃない。助けないのだ。
 この場の全員が、“国のため”という呪文で手足を縛って、私を見捨てる。

 音楽は止まらない。
 笑い声も止まらない。
 それどころか、誰かが 熟考したみたいに囁く。

「……具合が?」
「王女殿下はお疲れが……」
「こういう場は、体に障りますからね」

 私は喉の奥が焼けるのを感じた。
 熱いのに冷たい。矛盾した痛み。
 息を吸うと肺が痛い。吐くと喉が裂ける。

 視界の端で、宰相グラディオが微笑んでいるのが見えた。
 まるで慈悲深い老人みたいに、手を胸に当てて。
 “祈っている”ふりをして。

 私は笑いたかった。
 ここまで完璧なら、いっそ拍手してやりたい。

 ――国のため。
 ――安定のため。
 ――未来のため。

 その「未来」から、私はもう消される。

 ミレイアが私の手を握ったまま、顔を寄せる。
 甘い香りが近い。吐き気がするほど甘い。

「お姉さま、眠って……。すぐ楽になるから」

 その言い方が、優しいのに、ぞっとした。
 子どもを寝かしつけるみたいに。
 命を消すことを、家事のひとつみたいに扱う声。

 私は言いたかった。
 「ねえ、あなたは、いつからこうなったの?」
 「私の何が、そんなに憎かったの?」
 「私は姉として、足りなかった?」
 言葉は溺れて、泡になって消える。

 目の前の光が、どんどん遠のく。
 金箔の星が落ちる。
 音楽が水底に沈む。

 最後に見えたのは、アレクシスが唇を噛んでいる顔。
 そして父王が、拳を握りしめて動けないままの姿。
 宰相が目を細めて、世界がうまく回るのを確認する顔。

 ――ああ。
 これが、私の物語の終わりだ。

 そんなふうに理解したまま、
 私は暗闇へ沈んだ。

 甘い毒の香りだけが、鼻腔に残って。
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