妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

文字の大きさ
1 / 44

第1話 甘い毒の祝宴

しおりを挟む


 甘い。
 花の蜜みたいに甘くて、なのに――鼻の奥に、焼けた金属みたいな匂いが刺さって離れない。

 王城の大広間は、今日だけは夢みたいにきらびやかだった。天井画には金箔が星屑みたいに散らされて、燭台の炎がそれを拾って、まるで夜空が室内に落ちてきたみたいに揺れている。笑い声が石壁に跳ね返って、ひとつの音が百に増える。グラスが触れ合う澄んだ音が、祝福の鈴みたいに鳴り続ける。

 ――祝福?
 笑わせないで。

 私は第一王女、セレスティア・ルミナス・アルヴァリア。
 国の未来だと持ち上げられて、国の都合だと押し潰される、そういう立場の人間。

 壇上の前に立ち、私は“王女としての微笑み”を貼りつけたまま、司式官の朗読を聞いていた。

「……よって本日をもって、王太子アレクシス・ヴァレンロード殿下と、第二王女ミレイア・アルヴァリア殿下の婚約を、ここに正式に――」

 言葉が耳に入ってくるたび、体の内側からじわじわ冷えていく。
 冷たいのに、背中だけ汗が出る。王族の礼装は重い。肩章が、鎖が、宝石が、私の身体を「逃げるな」と抱きしめてくるみたいだった。

 隣で、父王レオニスが小さく咳払いをする。
 乾いた咳。喉の奥に砂が詰まったみたいな音。

 その声が聞こえた瞬間、私は反射的に微笑みを深くした。
 父の顔を見なくても分かる。今この場で、父は“国王”の仮面を被っている。父ではなく、国の装置として、娘の人生を処理しに来ている。

「セレスティア」

 父が私の名を呼ぶ。
 声の温度は低い。優しさはない。でも怒りもない。
 ただ、“波風を立てるな”という命令だけが含まれていた。

 私は頷いて、口角を上げる。鏡の前で何千回も練習した角度。誰も不快にならない、誰も心配しない、そして誰も私の心に触れない笑顔。

「……承知しております、陛下」

 現代の言葉で言えば――
 はい、了解。黙って飲み込みます。
 それがここでの正解。

 壇上の少し後ろ。宰相グラディオ・フェルゼンが、慈悲深い神官みたいな顔をして立っていた。白髪混じりの髪、穏やかな目。声を出さなくても分かる。彼は今、勝っている。

 その視線が私に絡みつく。
 “国のためだ”
 “君は賢い子だ”
 “分かってくれるよね”
 そんな台詞が、唇を動かさずに刺してくる。

 ――国のため。
 その言葉は便利だ。どんな残酷も包める。人を殺すことさえ、きれいな布で覆える。

 その“国のため”の中心に、王太子アレクシスがいるはずだった。

 私はゆっくり、隣を見る。
 王太子アレクシス・ヴァレンロード。柔らかな栗色の髪、整いすぎた横顔。人に嫌われるのが怖い、と顔に書いてあるみたいな目。

 彼は私を見なかった。
 いや、正確には、見られなかった。視線が一瞬だけ私の頬に触れて、そのまま床へ滑り落ちる。まるでそこに釘でも落ちているみたいに。

 私は小さく息を吸う。
 肺の奥まで空気を入れて、叫びたい言葉を飲み込む準備をする。

「……殿下」

 私は小声で呼びかけた。
 音楽の中に溶ける程度の声で。

 アレクシスは、ほんの少しだけ肩を揺らした。
 それが返事の代わり。彼は相変わらず、私を見ない。

 ――この人は、私の婚約者だった。
 というより、“私の婚約者であるべき人”だった。
 それだけ。
 愛とか、信頼とか、そういうものを育てる時間すら、私たちはまともに持てなかった。

 なぜなら、周囲が常に言っていたから。
 「婚約は国の柱」
 「感情より安定」
 「王女は笑っていればいい」
 笑えって。私の心が砕けても、笑えって。

「お姉さま」

 ふわり、と香りが近づく。
 同じ香水を使っているはずなのに、妹の香りはいつも甘すぎる。砂糖菓子みたいに、触れたら指がべたつく。

 第二王女、ミレイア・アルヴァリア。
 今夜の主役。
 私からすべてを奪う女。

 ミレイアは私の手を取った。
 指が細くて柔らかい。握る力は弱いのに、なぜだろう。手を取られると、逃げられない感じがする。鎖じゃないのに、鎖みたいに。

「大丈夫……? お姉さま、顔色が……」

 その声は、泣きそうに震えている。
 可哀想な私、健気な私、心配してる私。
 周囲が欲しがる“理想の姫”の音。

 私は答えを用意していた。
 いつも通り。そう、いつも通り。

「平気よ、ミレイア。……お祝いの日だもの」

 すると彼女は、ふっと笑った。泣き顔のまま笑う器用な笑み。
 その目の奥だけが、氷みたいに澄んでいる。

「よかった……。ねえ、お姉さま。これ、飲んで。少し落ち着くよ」

 ミレイアが差し出したのは、温かいワインだった。
 湯気が上がって、スパイスの香りが立つ。甘い。柔らかい。癒やしの匂い。

 私はグラスを見つめる。
 薄い黄金色。火の光が揺れて、液体の中で踊っている。

 その瞬間、胸の奥がざわついた。
 理由は分からない。
 ただ、危険を知らせる小さな針が心臓の近くに落ちる感覚。

「……ありがとう」

 私は受け取った。
 王女は拒めない。拒めば“波風”になる。
 波風を嫌う人たちが、今夜は特に多い。

 グラスの縁を唇に当てる。
 温度が優しい。
 なのに、匂いの奥に――微かに、鉄。
 血の匂いに似た金属臭。

 私は一口、飲んだ。

 甘い。
 甘さが舌を包んで、喉を落ちて、胸に広がる。
 次の瞬間、胸の奥に“冷たい針”が落ちる。

 ――あ。

 その“あ”は声にならなかった。
 音にならないまま、私の内側で砕けた。

 指先が痺れる。
 さっきまで礼装の重さが不快だったのに、急にその重さがありがたい。倒れないように、私を留めてくれる杭みたいに。

 視界が、ほんの少し滲む。
 天井の金箔が流れて、星が溶ける。
 笑い声が遠くなる。音楽が、布越しに聞こえるみたいに薄くなる。

「お姉さま?」

 ミレイアの声。近い。
 でも、手が冷たい。

 私は彼女を見た。
 ミレイアは泣いていた。涙が頬を伝って、宝石みたいに光る。
 その涙が本物かどうか、私にはもう判断できない。

 ただ、彼女の唇が少しだけ動いていた。

「……ありがとう。全部、譲ってくれて」

 耳元で囁かれたその言葉が、毒より冷たかった。

 私は笑おうとした。
 “王女としての微笑み”で、最後まで誤魔化そうとした。
 でも口角が上がらない。顔の筋肉が言うことを聞かない。

 足が、崩れる。
 床の冷たさが礼装越しに伝わって、背骨が氷柱みたいに固まっていく。

「セレスティア!」

 父王の声が聞こえた。
 ……遅い。
 今さら名前を呼ばれても、私は戻れない。

 私はアレクシスを探した。
 彼の足が一歩、動いた気がした。
 でも、止まる。
 周囲の貴族の視線が、彼の足首に絡みついて引き留める。
 彼はそれに逆らえない。

 彼の目が私を見た。
 初めて、まっすぐに。
 その目には、恐怖が浮かんでいる。
 心配じゃない。罪悪感でもない。
 “自分が巻き込まれる恐怖”。

 ――ああ。
 私はそこで、全部理解した。

 誰も助けない。
 助けられないんじゃない。助けないのだ。
 この場の全員が、“国のため”という呪文で手足を縛って、私を見捨てる。

 音楽は止まらない。
 笑い声も止まらない。
 それどころか、誰かが 熟考したみたいに囁く。

「……具合が?」
「王女殿下はお疲れが……」
「こういう場は、体に障りますからね」

 私は喉の奥が焼けるのを感じた。
 熱いのに冷たい。矛盾した痛み。
 息を吸うと肺が痛い。吐くと喉が裂ける。

 視界の端で、宰相グラディオが微笑んでいるのが見えた。
 まるで慈悲深い老人みたいに、手を胸に当てて。
 “祈っている”ふりをして。

 私は笑いたかった。
 ここまで完璧なら、いっそ拍手してやりたい。

 ――国のため。
 ――安定のため。
 ――未来のため。

 その「未来」から、私はもう消される。

 ミレイアが私の手を握ったまま、顔を寄せる。
 甘い香りが近い。吐き気がするほど甘い。

「お姉さま、眠って……。すぐ楽になるから」

 その言い方が、優しいのに、ぞっとした。
 子どもを寝かしつけるみたいに。
 命を消すことを、家事のひとつみたいに扱う声。

 私は言いたかった。
 「ねえ、あなたは、いつからこうなったの?」
 「私の何が、そんなに憎かったの?」
 「私は姉として、足りなかった?」
 言葉は溺れて、泡になって消える。

 目の前の光が、どんどん遠のく。
 金箔の星が落ちる。
 音楽が水底に沈む。

 最後に見えたのは、アレクシスが唇を噛んでいる顔。
 そして父王が、拳を握りしめて動けないままの姿。
 宰相が目を細めて、世界がうまく回るのを確認する顔。

 ――ああ。
 これが、私の物語の終わりだ。

 そんなふうに理解したまま、
 私は暗闇へ沈んだ。

 甘い毒の香りだけが、鼻腔に残って。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】侍女が王女に転生?!英雄と結婚して破滅の国を救います!

カナタカエデ
ファンタジー
八十歳で生涯を終えた、元王宮侍女カリナ。 その最期の瞬間――枕元に、かつて仕えた王女アメリアが現れた。 「お願い…私の人生をやり直して。国を、私を、救って――」 次に目を開くと、カリナは十八歳の“王女アメリア”として転生していた。 彼女は知っている。 このままでは王国は滅び、愛する主君が破滅する未来を。 未来を変えるため、アメリアは 冷徹と噂される英雄ヴァルクとの政略結婚を選ぶ。 これは、かつて守れなかった主人のための転生。 そのはずなのに――彼への想いは、気づけば変わり始めていた。 王女と英雄が紡ぐ、破滅回避ラブファンタジー開幕。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 挿絵はA I画像を使用 10/20 第一章完結 12/20 第二章完結 2/16 第三章完結 他サイト掲載 (小説家になろう、Caita)

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

【完結】妃が毒を盛っている。

井上 佳
ファンタジー
2年前から病床に臥しているハイディルベルクの王には、息子が2人いる。 王妃フリーデの息子で第一王子のジークムント。 側妃ガブリエレの息子で第二王子のハルトヴィヒ。 いま王が崩御するようなことがあれば、第一王子が玉座につくことになるのは間違いないだろう。 貴族が集まって出る一番の話題は、王の後継者を推測することだった―― 見舞いに来たエルメンヒルデ・シュティルナー侯爵令嬢。 「エルメンヒルデか……。」 「はい。お側に寄っても?」 「ああ、おいで。」 彼女の行動が、出会いが、全てを解決に導く――。 この優しい王の、原因不明の病気とはいったい……? ※オリジナルファンタジー第1作目カムバックイェイ!! ※妖精王チートですので細かいことは気にしない。 ※隣国の王子はテンプレですよね。 ※イチオシは護衛たちとの気安いやり取り ※最後のほうにざまぁがあるようなないような ※敬語尊敬語滅茶苦茶御免!(なさい) ※他サイトでは佳(ケイ)+苗字で掲載中 ※完結保証……保障と保証がわからない! 2022.11.26 18:30 完結しました。 お付き合いいただきありがとうございました!

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である

megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。

失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~

紅月シン
ファンタジー
 聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。  いや嘘だ。  本当は不満でいっぱいだった。  食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。  だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。  しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。  そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。  二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。  だが彼女は知らなかった。  三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。  知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。 ※完結しました。 ※小説家になろう様にも投稿しています

悪役令嬢に仕立て上げたいなら、ご注意を。

潮海璃月
ファンタジー
幼くして辺境伯の地位を継いだレナータは、女性であるがゆえに舐められがちであった。そんな折、社交場で伯爵令嬢にいわれのない罪を着せられてしまう。そんな彼女に隣国皇子カールハインツが手を差し伸べた──かと思いきや、ほとんど初対面で婚姻を申し込み、暇さえあれば口説き、しかもやたらレナータのことを知っている。怪しいほど親切なカールハインツと共に、レナータは事態の収拾方法を模索し、やがて伯爵一家への復讐を決意する。

悪役令嬢と呼ばれた私に裁きを望むならご自由に。ただし、その甘露の罠に沈むのはあなたですわ。

タマ マコト
ファンタジー
王都で“悪役令嬢”と噂されるリシェル・ノワゼルは、聖女と王太子による公開断罪を宣告される。 しかし彼女は弁明も反抗もせず、ただ優雅に微笑むだけだった。 甘い言葉と沈黙の裏で、人の嘘と欲を見抜く彼女の在り方は、やがて断罪する側の秘密と矛盾を次々と浮かび上がらせていく。 裁くつもりで集った者たちは気づかぬまま、リシェルが張った“甘露の罠”へと足を踏み入れていくのだった。

処理中です...