妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第4話 孤児院と影の男

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 王城の門を出た瞬間、空気が変わった。

 城内の空気は、香木と磨かれた石と“誰かの機嫌”でできている。
 でも外は違う。春の匂いは同じでも、そこに混じるのは汗と土と、焼けた油の匂いだ。市場の声、荷車の軋み、子どもの笑い、犬の吠え。生きてる音が、真正面からぶつかってくる。

「姫殿下、こちらへ。足元にお気をつけください」

 ルーナが先に降り、私の手を取る。馬車の段差は小さなものなのに、今日はやけに高く感じた。
 視察――たったそれだけの言葉の裏に、いくつもの罠が潜んでいることを、私は一度死んで学んだ。

 護衛は増やした。父王の命令で、衛兵が二人、さらに宰相側がつけた“案内役”が一人。名前は覚えている。グラディオの子飼いの文官、セドリック。笑顔が丁寧で、目がいつも計算している男。

「姫殿下。本日はお越しいただき光栄です。孤児院の院長も大変喜んで――」

「喜ぶのは、私が帰ってからでいいわ」

 私は淡々と言った。
 セドリックの笑顔が、ほんの一瞬固まる。
 でもすぐに、貼り直した。

「……おっしゃる通りでございます」

 前世の私なら、こんな返しはしなかった。
 愛想よく頷いて、貴族らしく穏便に流した。
 でもその穏便が、私を殺した。だから、今世は違う。

 孤児院は王都の外れ、石畳が途切れかける場所にある。
 建物は古い。壁はひび割れ、窓枠の塗料は剥がれ、雨樋は歪んでいる。春なのに、庭の土は湿っていて、どこかカビっぽい匂いがした。

 門の前に、人が並んでいた。
 院長、修道女たち、そして子どもたち。

 子どもたちは、私を見る目が揃っていなかった。
 期待と警戒。好奇心と諦め。
 “王女が来た”という出来事に、素直に喜べない目。

 私はそれを見て、胸の奥がちくりと痛む。
 前世の私はここに“礼儀として一度だけ”来た。
 その時の私は、微笑んで、寄付をして、祈って、すぐ帰った。
 子どもたちの名前を一つも覚えずに。

 ――そして私は死んだ。
 その死に、彼らは関係ない。
 でも、関係ないふりをしてきた自分が、今ここにいる。

 院長が頭を下げる。
 白髪の女性で、背筋が曲がっている。目尻に疲れが刻まれている。

「姫殿下……このような場所へお越しいただき、心より感謝いたします」

「こちらこそ。突然で驚かせたわね」

 私は膝を少し折って目線を下げた。
 王女の礼ではなく、人の礼に近い形で。

 修道女たちが息を呑むのが分かった。
 セドリックも、一瞬だけ目を見開いた。
 王女が膝を折るなんて、彼らの脚本にない。

「……中へどうぞ。子どもたちも、姫殿下にご挨拶を」

 院長の声が震えている。緊張と、少しの希望。

 私は子どもたちの列に目を向けた。
 小さな手、擦り切れた服、靴。
 靴――そこがまず、目に入ってしまった。

 穴が空いている。
 縫い直している子もいる。紐が切れて結び目で誤魔化している子もいる。
 前世の私は、それを見ても“気のせい”にした。見ないふりをした。

 私はしゃがんだ。
 地面の冷たさが膝に伝わる。
 王女がしゃがむ。ここでもまた、ざわめきが走る。

「あなた、名前は?」

 最前列の少年が、固まった。
 目が大きい。頬が少しこけている。手の甲が荒れている。

「……ロ、ロイです」

「ロイ。靴、痛くない?」

 ロイは自分の靴を見て、慌てて足を引っ込めようとした。
 恥ずかしいのだ。穴が空いていることが。

「だ、大丈夫です!」

「大丈夫じゃない顔してる」

 私は軽く言って、彼の靴の穴を指で示した。
 布の端が擦り切れて、縫い糸が飛び出している。

「近いうちに、ここが擦れて血が出る。血が出たら歩き方が変わって、膝と腰が痛くなる。そういうの、嫌でしょ」

 ロイの目が丸くなる。
 周囲の修道女たちも、院長も、口を開けたまま固まっている。

 王女が、そんな具体的な話をすると思っていない。
 私は自分で言っていて、少し笑いそうになった。
 私はいつから、こういう言葉を知っていた?
 ――前世で、死にながら考えたからだ。自分の足で歩けないまま、終わったから。

「……次。あなたは?」

 私は列をずらして、女の子に目を向けた。
 髪が薄茶で、目が猫みたいに細い。

「ミ、ミナ……です」

「ミナ。お腹すく?」

 ミナは一瞬だけ唇を噛んだ。
 そして、正直に頷いた。

「……すく」

 その一言が、胸に刺さる。
 王城では、空腹は“気分の問題”みたいに扱われる。
 でもここでは、空腹は生活そのものだ。

 私は院長に視線を向けた。

「食糧庫を見せてください」

「え……」

「見せて。寄付の話はそれから」

 セドリックが一歩前へ出る。

「姫殿下、こういった視察は――形式的にお言葉を頂戴し、寄付を――」

「形式が子どもを生かすなら、形式だけでいい。でも、生かしてないよね?」

 私は彼を見ずに言った。
 背後で、護衛の衛兵が咳払いをした。
 セドリックの沈黙が、空気を濁らせる。

 院長が慌てて頷いた。

「……はい、すぐに」

 食糧庫は、建物の裏の暗い部屋だった。
 樽と袋が並んでいる。豆、麦、乾燥肉。
 でも、量が少ない。春なのに底が見えている袋が多い。

 私は棚を見上げ、次に床の隅を見た。
 鼠避けの薬草が薄い。
 虫が湧いた跡がある。

「院長。今の在庫で、何人分、何日持ちますか?」

 院長は一瞬言葉に詰まり、それから小さく答えた。

「……質素にすれば、二週間ほど……」

「“質素にすれば”って、今でも質素以上じゃないでしょう」

 院長の目が揺れる。
 嘘をついているわけじゃない。
 ただ、正直に言えば救いが来るとは限らないと知っているだけだ。

 私は棚の端に指を当て、埃を払った。
 指先が白くなる。

「子どもは何人?」

「……六十二名です」

「修道女は?」

「八名です」

「合わせて七十。二週間で、麦袋がこれだけ……」

 私は頭の中で計算した。
 数字は嫌いじゃない。数字は裏切らない。
 そして数字が示すのは、残酷な事実だった。

「……足りないね」

 院長が俯く。
 その肩が、小さく震えた。
 ここに来て、何度も何度も頭を下げて、足りないを足りないと言えずに、少しずつ削ってきたのだろう。

 私は息を吐いた。
 そして、セドリックへ視線を向けた。

「宰相府が出している補助金の帳簿を、今日中に提出してください」

 セドリックの顔色が、ほんの少し変わった。
 驚きではない。警戒。
 でも笑顔は崩さない。

「姫殿下、それは宰相府の管轄で――」

「私の管轄よ。第一王女として、国の未来を見る。未来の子どもが飢えるなら、それは政治の失敗。宰相府の都合ではない」

 言った瞬間、空気が凍る。
 修道女たちが息を止めた。

 私は続けた。

「今日は寄付金を置いていく。ただし、後日寄付金だけじゃなく“物”も寄付する。靴と、糸と、薬草と、麦と豆。ルーナ、メモして」

「は、はい!」

 ルーナが震える手で帳面を開く。
 その震えは怖さじゃない。
 “王女が本気で動いている”ことへの、信じられなさだ。

 子どもたちがざわめいた。
 ロイが私を見て、恐る恐る言う。

「……姫さま、ほんとに……?」

「ほんと。約束は守る。だから、あなたたちも約束して」

「約束……?」

「嘘をつかないこと。困ったら言うこと。恥ずかしいから隠す、はやめる。分かった?」

 ロイは一瞬だけ迷って、それから頷いた。
 ミナも、小さく頷いた。
 その頷きが、私の胸を少しだけ温めた。

 視察は昼過ぎまで続いた。
 私は子どもたちの名前を一人ずつ聞いて、覚えた。
 全部完璧には覚えられない。
 でも、覚えようとする姿勢が、彼らの目を変える。

 最後に、院長が深く頭を下げた。

「……姫殿下。ありがとうございます。……本当に、ありがとうございます」

「礼は、物が届いてからでいい。私はまだ何もしてない」

 その言葉に、院長が泣き笑いした。
 “まだ何もしてない”は、王城では謙遜の定型句だ。
 でも今の私は、本気でそう思っていた。
 これからが本番だ。

 帰り道、馬車は王都の路地へ入った。
 石畳が狭くなり、人の匂いが濃くなる。
 私は窓から外を見た。
 子どもたちが手を振っている。
 私は手を振り返した。

 ――前世の私には、これができなかった。
 私は王女の役割に縛られて、近づくのが怖かった。
 近づけば、汚れると思っていた。
 でも汚れない王冠なんて、ただの飾りだ。

「姫殿下、本日は……大変、意義深い視察でございました」

 セドリックが言う。
 意義深い。便利な言葉。
 その裏で、彼は宰相へ報告するだろう。「姫殿下が危険な動きを始めました」と。

 私は軽く頷いて、窓を閉めた。
 ガラスに映る自分の顔が、少しだけ強く見える。

 馬車が角を曲がった瞬間、外の光が陰った。

 影が落ちた。
 路地の奥、建物の影から、ひとつの黒が剥がれ出る。

 護衛が反射で手を剣に伸ばす。

「誰だ!」

 その声が響いた瞬間、黒い外套の男が歩みを止めた。
 逃げない。隠れない。
 ただ、こちらを見た。

 目が夜みたいに静かだった。
 闇を怖がらない目。
 そして、その闇の中に、ほんの少しだけ光がある。刃が磨かれたときの光。

 ――カイ・ノクティス。

 前世で、私は彼を遠ざけた。
 危険すぎると思った。
 王女が手を伸ばしてはいけない影だと思った。
 でも、毒の夜の直前、彼は一度だけ私の前に現れた。
 そして言った。

「あなたは、選ばれる側じゃない。選ぶ側だ」

 その言葉を抱いたまま、私は死んだ。

 だから今、この男を見た瞬間、背筋が冷える。
 予想していた未来と違う位置に、彼がいる。
 それが怖い。
 でも同時に、救いにも似ている。

 カイは護衛の剣先にも動じず、短く言った。

「……今回は、死ぬ気?」

 その言葉が、路地に落ちる。
 軽いのに重い。冗談みたいなのに、刃みたいに痛い。

 私は息を呑んだ。
 “今世も”じゃない。
 “今回は”。
 まるで、私が前にも死にかけたのを知っているみたいに。

 でも彼は転生を知らない。
 知るはずがない。

 ――それでも、言う。
 彼は“匂い”で嗅ぎ取る男だから。

 私は馬車から降りた。
 ルーナが慌てて止めようとする。

「姫殿下! 危険です!」

「大丈夫。……この人は、私を殺しに来たんじゃない」

 自分でも驚くほど、確信があった。
 殺すなら、もっと簡単にできる。影の男は、そういう種類の人間だ。

 護衛がカイの前に立ちはだかる。
 カイは肩をすくめた。

「邪魔」

「名を名乗れ!」

「名乗るほど立派じゃない」

 現代っぽい軽さ。
 でもその軽さが、逆に怖い。
 命の重さを知っている人間の、軽さ。

 私は護衛に手を上げた。

「下がって。私が話す」

「姫殿下……!」

「命令よ」

 護衛が渋々一歩下がる。
 その瞬間、カイの視線が私を捉えた。
 逃げ場のない視線。
 でも不思議と、嫌じゃない。
 嫌なのは、王城の“空気”だ。
 この男の視線は、空気じゃない。現実だ。

「……何の用?」

 私は問いかけた。
 王女としてではなく、私として。

 カイは少しだけ顎を上げた。

「動線が同じだ」

「……は?」

「孤児院。帰り道。護衛の数。宰相の影のつけ方。全部」

 彼の言葉は短い。
 でも短いほど、情報量が多い。
 刃みたいに、必要なところだけ切ってくる。

「あなた、何を――」

「薬草の流通も増えてる」

 私は心臓が跳ねた。
 喉がひりつく。
 毒の名残が、ここで疼く。

「……何を言ってるの」

 声が少しだけ震えた。
 それを隠そうとして、私は顎を引いた。

 カイは淡々と言う。

「祝宴が近い。安全な顔をした場が用意される。そこで、あなたは“飲む”。そういう流れ」

 私は、思わず笑いそうになった。
 怖すぎて、笑いに逃げそうになる。

「予言者なの?」

「ただの臭い嗅ぎ」

「最悪の趣味ね」

「生き残るための趣味だ」

 カイの目は、変わらず静かだった。
 でもその静けさの奥に、焦りがある。
 彼は今、間に合わない未来を怖がっている。
 前世の直前、彼は異変に気づいた。
 でも――間に合わなかった。
 その悔しさが、この言葉を吐かせる。

「……今回は、死ぬ気?」

 二度目。
 同じ言葉を、もう一度。

 私は一瞬、言葉を失った。
 王女としての答えなら用意できる。
 「無礼です」
 「下がりなさい」
 でもそれは嘘になる。

 私はゆっくり息を吸って、言った。

「死ぬ気はない」

 その言葉を言い切った瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなる。
 誓いを口に出すと、誓いは自分の背中を押す。

 カイが、ほんのわずかに目を細めた。
 怒っているようにも、笑っているようにも見えない表情。

「なら、覚えとけ」

「何を?」

「飲むな」

 私は喉がひりついて、唾を飲み込んだ。
 その動作さえ、怖い。

「……誰が、そんなことを」

「宰相の周りの薬草商が動いてる。祝宴用の“香り”も変わる。甘くして、喉に引っかからないようにする。遅効性だ」

 断片が、私の頭の中の記憶と重なる。
 甘いワイン。金属臭。喉の焼け。
 それを、彼は“嗅いだ”だけで追っている。

 私はカイを見つめた。
 前世で遠ざけた男。
 でも今、彼は私を遠ざけない。
 影のまま、正面に立ってくる。

「……あなた、なんでそこまで言うの」

 私の声が、少しだけ柔らかくなる。
 王女の声じゃない。
 ただの疑問。
 ただの本音。

 カイは一瞬だけ黙った。
 そして、答えた。

「間に合わなかったことがある」

 その言葉は、たった一行なのに、重かった。
 過去の重さ。悔しさの重さ。
 誰かを救えなかった重さ。

 私は胸の奥が痛んだ。
 それが私のことだと、言えないのに、分かってしまう。

「……私は、死なない」

 私はもう一度言った。
 今度は、自分に言い聞かせるように。

 カイは頷きもしない。
 ただ、外套の内側から小さな紙片を取り出して、私に差し出した。

「これ」

「何?」

「薬草商の名。動線。祝宴の担当。あと……あんたが信じていい奴と、信じちゃダメな奴」

 私は紙片を受け取った。
 指先に、紙の乾いた感触。
 それが妙に現実的で、胸が熱くなる。

 ルーナが不安げに私を見ている。
 護衛は苛立っている。
 セドリックは、笑顔の裏で全部を記憶している。

 カイはそれらを気にせず、最後に言った。

「次に会うとき、あんたが生きてたら……続きを話す」

「上から目線すぎ」

「上からじゃない。影からだ」

 その言い方が、少しだけ可笑しくて。
 私はほんの少し、笑ってしまった。
 自分でも驚くくらい自然な笑い。

 カイはその笑いを見て、ほんの一瞬だけ口角を上げた。
 夜の中で、刃が一瞬だけ光るみたいに。

 そして彼は、路地の影へ溶けるように消えた。
 追いかけようと思えば追えたのかもしれない。
 でも、追わない。
 影は、追うものじゃない。必要なときに、隣にいるものだ。

 私は紙片を握りしめ、馬車へ戻った。
 ルーナが小声で聞く。

「姫殿下……あの方は……」

「味方かどうかは、まだ分からない」

 私は正直に言った。
 でも、胸の奥ではもう一つの答えが揺れている。

 ――少なくとも、私を“都合”で見ていない。

「でもね、ルーナ」

「はい」

「私が死なないための、鍵になる気がする」

 馬車が動き出す。
 窓の外、王都の人々の顔が流れていく。
 彼らの視線が、さっきより少しだけ柔らかい。
 噂の形が変わり始めているのを、肌で感じる。

 私は紙片を開き、名前を確認した。
 そこに並ぶ文字は、冷たい。
 でもその冷たさが、私を生かす。

 春の風が、馬車の隙間から入り込む。
 その風は、王城の空気よりずっと正直で、少しだけ痛い。

 私は目を閉じた。
 そして、心の中で繰り返す。

 ――飲まない。
 ――譲らない。
 ――死なない。

 その誓いは、今度こそ私を未来まで連れていく。
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