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第18話 王を支える骨組み
しおりを挟む議会の空気は、鉄の匂いがした。
剣の鉄じゃない。
鎧の鉄でもない。
制度という名の枠を打ち込むための、冷たい鉄の匂い。
王位継承の議会――それは、華やかな夜会よりずっと残酷だ。
笑顔がいらない。香水もいらない。
必要なのは、数と声と、何を守り何を削るかという暴力的な選択だけ。
半円形の議場。
石造りの壁に、各家の紋章が並ぶ。
重い天井から垂れる灯りは明るいのに、どこか陰気だ。
光が届くのは机の上の紙だけ。
人間の顔には、影が残る。
私は中央の演壇へ向かいながら、足元の冷たさを感じていた。
これが王城の中心だ。
ここで、国の未来が紙一枚で決められる。
背後にルーナの気配。
彼女は書類を抱え、唇を結んでいる。
緊張で震えているのに、目を逸らさない。
“目を逸らさない”という小さな勇気は、いつも人を強くする。
対面の席には、父王レオニス。
沈黙の鎧をまだ着ている。
けれど昨日より、その鎧の隙間が見える。
ひび割れた鎧は、重いだけだと本人も気づき始めている。
そしてもう一人。
王太子アレクシスが、貴族たちの視線の中で座っていた。
整った顔。柔らかな微笑み。
でも目が落ち着かない。
ここで問われるのは“覚悟”だと、彼も分かっているから。
宰相グラディオは、席の端にいる。
いつもの微笑み。
でも笑みの下で、爪を立てるような焦りが見える。
今、彼の世界は崩れかけている。
だからこそ、議会を利用して私を縛りたい。
私は演壇に立ち、議場全体を見渡した。
ざわめき。
期待。
拒絶。
男たちの自尊心が、空気を濁らせる。
議長が杖を鳴らす。
「静粛に。王位継承に関する議題、第一王女セレスティア殿下の意見陳述を開始する」
私は一度、深く呼吸した。
息を吸う。
母の香木の匂いを思い出す。
遺品保管庫の湿り気。
禁制リストの黒い文字。
“制度で支えを断て”という、母の刃。
私はゆっくり口を開いた。
「本日は、王太子殿下の人格や資質を裁くために来たのではありません」
ざわめきが起きる。
多くはそれを期待していた。
アレクシスを吊るし、私を立てる。
簡単な構図。
血の匂いのする構図。
でも私は、血を求めない。
求めれば、宰相の望む混乱になる。
「問うべきは一つです。――王を支える制度が、今の国に足りているか」
その言葉で、議場が少し静かになる。
“制度”という言葉は、貴族にとって都合が悪い。
なぜなら制度は、特権を削る刃だから。
私はルーナに目配せし、書類束を議員たちへ配らせた。
紙が渡る音が、波のように広がる。
「私が提示するのは、女王単独統治の枠組みです」
一瞬で空気が重くなる。
重くなるのは、女王が怖いからではない。
女王が“夫の影”を必要としないからだ。
男たちの影が薄くなる。
彼らはそれを本能的に嫌う。
ある老貴族が、鼻で笑った。
「女王単独など……夢物語だ。王配がいなければ国は――」
私はすぐに返した。
怒鳴らない。
でも刃は鈍らせない。
「王配は“家族”として必要です。ですが“権力の受け皿”としては不要です」
ざわめきが弾ける。
貴族の顔が赤くなる。
王配の権限を狙う家は多い。
それは、宰相府と手を組むための近道だから。
「この制度では、女王の夫に軍への命令権を与えません。外交決裁権も与えません。宰相任免権も、女王単独に帰属させます」
議場の空気がざわつく。
ざわつきは怒りではなく、恐怖に近い。
“握れそうだったものが握れなくなる”恐怖。
私は続ける。
「次に、宰相権限の制限」
グラディオの微笑みが、ほんの僅かに硬くなった。
ここが痛いのだろう。
「宰相府に集中している監査・薬草流通管理・帳簿管理の一部を、独立機構へ移管します。監査機構は王家からも宰相府からも独立し、議会が指名した監査官によって運用される」
議場のあちこちで、紙がめくられる音がした。
文字を追う指が止まり、目が上がる。
彼らは理解する。
これは“脅し”ではない。
現実的な設計だ。
別の貴族が声を張った。
「殿下! それは貴族の自治を侵害するものでは!」
私は頷いた。
「侵害します」
議場がざわめく。
予想外の正直さ。
だが私は続けた。
「侵害しなければ、侵害され続けるからです。貴族の自治という名の穴は、利権の温床になる。利権は、民の胃袋を削ります」
“民の胃袋”
その言葉に、議場の一角が静まった。
現実の言葉は、格好いい理屈より刺さる。
私は視線を少しだけ落とし、議場の奥――傍聴席へ向けた。
そこには選ばれた市民代表が座っている。
孤児院の院長。
配給所の管理者。
施薬院の看護師。
彼らの手は荒れている。
荒れているから、真実だ。
私は彼らに向けて言う。
「私は孤児院で、子どもの靴の穴を見ました。配給所で、袋が足りずに泣く母親を見ました。施薬院で、薬が届かずに震える老人を見ました」
ざわめきが変わる。
嘲りのざわめきから、沈黙に近いざわめきへ。
「それらは“政治の美談”ではありません。制度の欠陥です。欠陥は、修正できます」
私は演壇の縁に手を置いた。
冷たい石が、掌に冷たさを返す。
その冷たさが私を落ち着かせる。
「この半年、私は現場で手続きを変え、火種を回収し、配給の仕組みを整えました。噂ではなく、記録として残っています」
ルーナが一歩前に出て、帳簿の写しを掲げる。
配給の回数。
支援の物資。
苦情の減少。
現場の報告書。
数字は冷たい。
でも冷たい数字は、嘘を許さない。
ある若い貴族が、苛立ち混じりに言った。
「殿下は、民に媚びているだけでは?」
私はその若い貴族を見た。
目を逸らさない。
媚びだと笑うのは簡単だ。
現実を動かすのは難しい。
「媚びではありません。責務です」
私は淡々と言った。
「王家が民に背を向けるなら、王家は空になります。空になった王家には、宰相府の影が入る。影が入れば、国は静かに腐る」
グラディオの目が、わずかに細くなる。
否定したいのに、否定できない。
自分が“影”だと悟られたくないのに、私の言葉は骨に届いている。
父王レオニスが、低く言った。
「……セレスティア。お前は、王太子を否定しないのか」
その問いには、救いを求める音があった。
父はまだ、誰かに決めてほしい。
でも、もう決める時だ。
私は父を見て、静かに答えた。
「否定しません」
ざわめき。
アレクシスが顔を上げる。
驚きと、ほんのわずかな希望。
「ただし、王は制度の上に立つだけではいけません。制度に縛られる覚悟を持たなければならない。……殿下は、それを受け入れますか」
私は王太子を見た。
問いは優しくない。
でも公正だ。
アレクシスの喉が動く。
彼はここで、穏便に逃げたくなるだろう。
でも逃げたら終わる。
この議場で逃げたら、彼は王になる資格を自分で捨てる。
「……受け入れる」
アレクシスが言った。
声は震えていた。
震えは弱さでもある。
でも震えながら言えたのは、初めての勇気だ。
貴族たちがざわつく。
“王太子が女王制度を受け入れる”という事実は、彼らの計算を狂わせる。
私は頷いた。
「ならば議会は、王の人格ではなく、国の骨組みを決めるべきです」
そして最後に、私は一枚の紙を取り出した。
母の筆跡の写し。
アウレリアの草案の一部。
その上に、今の現実に合わせた修正案が赤字で書かれている。
「これは王妃アウレリアが遺した草案です」
議場が静まる。
母の名は、まだ痛みを持つ。
痛みを持つ名は、軽々しく扱えない。
「彼女は未来を恐れていました。女王が生まれる国には、男が寄りかかる。寄りかかりは、いつか支配になる。だから制度で支えを断て、と」
私は紙を持つ指に力を込めた。
母の文字が、今、私の手の中で生きている。
「私はこの草案を、今の国に合わせて更新しました。更新した理由は一つです。――母が守ろうとしたものを、今度は私が守るため」
傍聴席の院長が、そっと頷いた。
施薬院の看護師が、拳を握った。
民意はもう、動いている。
静かに、でも確実に。
議長が杖を鳴らす。
「議題は重大だ。各家、意見を述べよ」
ざわめきが戻る。
反発もある。
怒りもある。
でもその怒りは、空虚な怒りだった。
なぜなら私は、実績を積んだ。
言葉の背後に、現実がある。
現実は、飾れない。
グラディオは微笑みを貼りつけたまま、静かに言った。
「殿下は、国を変えたいのですね」
その声には、試すような毒が混じっていた。
私は彼を見て、淡々と返した。
「変えます。腐ったままの国に、王冠を置いても意味がないので」
議場の空気が、また一段傾いた。
男たちの影が薄くなる制度は、彼らの特権を削る。
だからこそ抵抗する。
でも抵抗の声より、静かな現実の重みが勝ち始めている。
私は演壇を降りる時、心の中で母に言った。
――あなたの刃は、もう紙じゃない。
――人の手の中で、骨組みになっていく。
王を支える骨組み。
それを作る音が、議場の鉄の匂いの中で、確かに鳴っていた。
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