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第34話 名簿にない会合
しおりを挟む名簿にないものほど、よく回る。
役職も肩書も、公式の印もない。 なのに決定だけが流れてくる。
誰が言い出したか分からないのに、いつの間にか「そういう流れ」になる。
――それが一番、厄介だ。
朝の執務室。
窓の外は明るいのに、机の上の紙は重い。
ルーナが静かに一枚のメモを置いた。
紙の端が少しだけ湿っている。握りしめた手汗の跡。
「……女王陛下。外から、噂です」
「噂、ね」
私は紙を取らずに、先にルーナの顔を見た。
彼女の目は逃げていない。逃げていないから、嫌な匂いがする。
「どんな噂?」
「“別邸で集まっている”と。議会でも王城でもなく、個人の屋敷で……」
「誰が?」
「名は出ません。……出せない形で集まっているみたいです」
名が出ない。
出ないように作られている。
私は息を吐いた。
胸の奥に、乾いた砂が落ちる感覚。
「どこ?」
ルーナが小さく言う。
「北の丘の、ローデン伯の別邸だと。……使用人が、夜だけ増えていると」
ローデン伯。
表立って騒ぐタイプじゃない。
騒がない分、静かに効かせるタイプ。
扉がノックされる。
「女王陛下。王室補佐官アレクシス殿が参りました」
「通して」
扉が開いて、アレクシスが入ってくる。
以前のような整った笑顔は薄い。代わりに、硬い疲労が目の下に残っている。
それでも姿勢は崩さない。崩せば、彼の居場所が消えるから。
「陛下」
「来るの、早いね」
「……早く来ないと、置いていかれますから」
自嘲に聞こえそうで、でも今の彼の言葉は妙に正直だった。
私は机の端のメモを指で弾いた。
「別邸の会合、知ってる?」
アレクシスの目が一瞬だけ揺れた。
知っている揺れだ。
「……噂になり始めました。正式な招集ではないので、手続きで止められません」
「止めたい?」
「止めたい、というより」
彼は少し言葉を探し、続けた。
「“止めた”という事実が残ると、彼らの口実になります。『女王は議論を封じた』と」
私は頷いた。
その通りだ。
反対派が欲しいのは、殴られた痕だ。
殴られた痕があれば、被害者になれる。
被害者になれば、同情が集まる。
同情は、制度より強い時がある。
ルーナが小声で言った。
「……では、どうするのですか」
私はペンを取り、白紙の上に線を一本引いた。
「同じ時間帯に、公式の会合をぶつける」
ルーナが目を見開いた。
「ぶつける……?」
「そう。合法で。堂々と」
アレクシスが、少しだけ口角を動かした。
笑いじゃない。理解の顔。
「出席しない者が、浮き彫りになりますね」
「うん」
私はペン先で、線の横に項目を書き足す。
「“民生と港湾の暫定監査報告”の公開会合」
ルーナが息を呑む。
「……それ、貴族の方々が嫌うやつです」
「嫌うから、ちょうどいい」
嫌うことに出ないなら、出ない理由が残る。
理由が残れば、次の手続きが組める。
アレクシスが言う。
「議会の場にしますか。傍聴も入れるなら、記録が厚くなる」
「入れる」
「……陛下、それをやると」
彼は言いかけて、止めた。
止めたのは、忠告が“怖がらせる言葉”になると分かっているからだ。
私は続きを促さなかった。
言わせなくても分かる。
出席しない者は、こちら側に立たない者だ。
立たない者は、次に何をするか分からない。
窓の外で、鳥が鳴く。
平和な音。
でも私は、平和の中に歯車の軋みを聞いていた。
*
夕方。
会合の告知は、正式な文面で、王家印を押して回した。
題目は堅く、目的は明確に。
誰も「政治的攻勢」と言えない形に整える。
ルーナが走り回り、記録官が印章を確認し、侍従ロランが出入りの順番を仕切る。
王城の中は忙しいのに、変な静けさがある。
皆が“次の空気”を待っている。
夜、城壁の上。
風が冷たい。
冷たいほど、頭が冴える。
足音が近づき、影が隣に立つ。
「集まり、始まった」
カイ・ノクティス。
言葉が短いのに、情報は濃い。
「ローデン伯の別邸?」
「そう。馬車、三台。紋章は隠してる。隠し方が上手い。慣れてる」
「誰がいる?」
「名はまだ。だが、人数は十を超える。商会側も混じってる」
私は城壁の下の灯りを見た。
王都は今日も生きている。
その生きている灯りを、あの別邸の静けさが吸い取ろうとしている。
「盗み聞きできる?」
私が聞くと、カイは肩をすくめた。
「できる。でも今はしない」
「どうして」
「聞いた瞬間、俺の線が切られる。切られたら次がない」
私は頷いた。
影の仕事は、一回の勝ちより、次を残すこと。
「……代わりに、これ」
カイが紙片を渡してくる。
簡単なメモ。時間と、出入りの癖。 そして、最後の行。
『会合の言葉: “制度を弄びすぎ” “民意は離れる” “女王は長くない”』
私は紙片を握りしめた。
弄びすぎ。
民意は離れる。
長くない。
誰かが“未来の予測”を武器にしている。
事実では殴れないから、予測で殴る。
その殴り方は、痛い。
「カイ」
「ん」
「私、摘発しない」
カイは少しだけ目を細める。
「知ってる。姫さん――いや、女王は、そういうやり方じゃない」
「そういう言い方、やめて」
「どっちだよ」
「どっちでもない」
私は息を吐いた。
風が頬を冷やす。
「壊したくない。壊すと、また別の器で同じものが生まれる」
「だから」
「だから、可視化する」
カイが短く言った。
「明日、公式会合ぶつけるってやつ?」
「うん。出ないなら、出ないでいい。出ないという事実が残る」
カイは、少し間を置いて言う。
「……ミレイアの件」
胸が少しだけ硬くなる。
「偽の通達、まだ回ってる。港の連中が“王女の妹の名”で動かしてる」
「止める」
「止め方、間違えるな。名を大きくすると、追跡が楽になる」
「分かってる」
分かっている。
守りたいからこそ、目立たせない。
守るのは、抱きしめることじゃない。
見えないところで逃がすこと。
城壁の下で鐘が鳴る。
明日の会合まで、もう半日もない。
*
翌日、議会の会堂。
半円形の席が並び、石造りの壁が冷たい。 照明は明るいのに、人の顔には影が残る。
ここはいつもそうだ。
光が届くのは紙だけで、人間には届かない。
私は演壇に立った。
ルーナが隣で書類束を抱えている。 ロランが入口付近で出欠の確認をしている。
アレクシスは前列の端、補佐官席に座る。
目の前の空席が、いつもより多い。
議長が杖を鳴らした。
「静粛に。港湾と民生の暫定監査報告、並びに契約更新の説明を開始する」
私は一度、深呼吸した。
ざわめきが、微妙な種類のものに変わっている。
怒りではない。
興味でもない。
“測っている”ざわめきだ。
私は言葉を選ぶ。
「今日は、誰かを吊るすための場ではありません」
数名がわずかに肩を動かす。
期待が外れた反応。
「今、必要なのは、止まらない仕組みを止めることです。港の契約、流通の監査、配給の連結。穴が繋がっていたので、繋がりを切りました」
ルーナが資料を配り始める。
紙の擦れる音。
それは、武器の音に似ている。
議場の後ろに、傍聴席。
孤児院の院長、施薬院の管理者、配給所の担当者。
彼らは派手じゃない。
派手じゃないから、嘘をつかない。
私は続けた。
「契約は更新されました。監査の目も増えました。記録様式も、現場の声を残す形に改めました」
そこで私は、わざと一拍置いた。
「――ですが」
空気が少しだけ硬くなる。
「制度が変わると、損をする者が出ます。損をする者は、声を上げるとは限らない。声を上げず、ただ止める者が出ます」
議場のどこかで、紙をめくる手が止まった。
「止めるとは、決裁を遅らせること。出席しないこと。形式だけ整えて、前へ進ませないことです」
私は視線をゆっくり動かす。
空席の列を、あえて見せる。
名前は言わない。
名指しすれば、彼らは被害者の顔をする。
私は顔を与えない。
与えるのは、事実だけ。
議長が咳払いをした。
議場の空気が、さらに冷える。
アレクシスが、手元の出欠表を私に回した。
小さな紙。小さな字。
でも、その紙は重い。
私は紙を見ずに、言った。
「本日の出席状況は記録官が記録します。欠席は欠席として残ります。理由は後日、正式に提出してください」
ざわめきが起きる。
穏やかに言ったのに、刃が刺さった音。
欠席者は、今日の間に決めたはずだ。 別邸の会合で。
――名簿にない会合で。
私はそこで、もう一つだけ言葉を置いた。
「今日のこの場に出ないなら、制度に文句を言う資格はありません。制度は、参加した者の手でしか作れない」
議場の空気が揺れた。
怒りも混じる。
でもそれは、叫べない怒りだ。
叫んだ瞬間、彼らは「制度を拒む側」になる。
今はまだ、なりたくない。
だから黙る。
黙るなら、記録に残るだけだ。
会合は淡々と進み、資料の読み合わせが続いた。
嵐は起きない。
拍手もない。
ただ、欠席という空白が積み上がる。
終わり際、アレクシスが私の隣に来て、小声で言った。
「……出ない者が、はっきりしましたね」
「うん。出ないってことは、出られないってことでもある」
「脅されている、と?」
「金か、恐怖か、習慣か。……どれでも同じ。動かない理由が、線になる」
アレクシスが息を吐く。
「私は、こういう戦い方を知らなかった」
「私も、前は知らなかった」
私は彼を見た。
「でも、これしか残らない時がある。騒いだら、壊れるから」
アレクシスは少し黙ってから、言った。
「……あなたは、誰も見せしめにしない」
「見せしめは、次の見せしめを呼ぶだけ」
私の言葉は淡々としていた。
淡々としているのに、胸の奥が少しだけ痛い。
見せしめにしないのは、優しさじゃない。
必要だからだ。
この国は、壊れやすい。
議場を出る廊下。
ルーナがそっと近づいてきて、囁いた。
「セレス様……欠席者の中に、港湾組合と繋がりの深い家が多いです」
「そう」
「……やっぱり、別邸の会合と」
「繋がってる」
私は立ち止まり、窓の外を見た。 空は青い。
青いのに、胸の奥に鉛が沈む。
「ルーナ、名簿を用意して」
「はい」
「名簿にない会合があるなら、名簿にあるものを厚くする」
ルーナが頷く。
彼女はもう、“厚くする”意味を分かっている。
記録。
出欠。
契約。
責任の所在。
人を斬るより、紙を増やす方が時間がかかる。
でも時間をかけた方が、戻らない。
廊下の端で、ロランが一礼した。
「女王陛下。欠席理由の提出期限を、いつにいたしましょうか」
「三日後まで」
「かしこまりました」
ロランは迷わない。
迷わないということは、彼も“この国が変わる速度”に慣れてきたということだ。
私は歩き出した。
足音が石に響く。
名簿にない会合は、今日で終わらない。
むしろ、これから増える。
だから私は、摘発しない。
代わりに、光を当てる。
出席しない者の影が、今日、少しだけ長く伸びた。
伸びた影は、いずれ誰かの足を取る。
――その前に、線を引く。
私は机に戻り、白紙を開いた。
名簿にないもののために、名簿にあるものを増やす。
それが今の私の戦い方だ。
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