妹に全て奪われて死んだ私、二度目の人生では王位も恋も譲りません

タマ マコト

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第41話 灰のあとに残る署名

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 火事の匂いは、遠くても届く。

 ローヴェン州の倉庫が焼けたのは、王城から三日遅れの報告で知った。  距離があるから遅れたわけじゃない。  距離があるから、言葉が迷子になったのだ。

 ――「倉庫と藁と壁の一部が焼損。負傷者なし。被害軽微」

 報告書はそう書いてあった。 
 軽微。 
 紙の上では、いつでも軽微になる。

 でも、灰は軽くない。 
 灰の下には、生活がある。 
 藁の匂いの向こうに、明日の配給がある。 
 壁の一部の向こうに、寝床がある。

 朝の執務室。 
 窓を開けても空気が重い。 
 王都の音は平和なのに、机の上の紙束がざらついて見えた。

 ルーナが、目の下に影を抱えたまま入ってくる。 
 抱えているのは書類だけじゃない。眠れなかった夜も一緒だ。

「セレス様……ローヴェン州から、追加の報告です」

「置いて。……座っていいよ、ルーナ」

「……はい」

 ルーナは一瞬迷ってから椅子に腰を落とした。 
 座ることに許可が要る場所は、人を壊しやすい。 
 私はそれを、王冠より先に学んだ。

 私は紙を一枚ずつめくる。 
 焼けた倉庫の位置図。 
 焼損した壁の範囲。 
 保管していた物資の一覧。 
 そして、最後に添えられた一行。

 ――「配給所の引換札、次回分に影響の恐れ」

 胸の奥が冷える。 
 火事が焼いたのは藁だけじゃない。
 信頼も一緒に焦げる。

「……“恐れ”じゃないね。影響は出る」

 私が言うと、ルーナが小さく頷いた。

「はい。現場から、苦情が増えています。『王城に声を送れば届く』と分かった分、声も早いです」

 声が届くようになった。 
 それは良いことのはずなのに、今は刃にもなる。

 扉がノックされる。

「女王陛下。王室補佐官アレクシス殿下が、面会を」

 殿下、と呼ばれるたびに少しだけ違和感がある。 
 役目が変わっても、呼び方はすぐには変わらない。 
 言葉は遅い。制度より遅い。

「通して」

 アレクシスが入ってくる。 
 相変わらず整った顔だ。 
 でも今は、整っているだけじゃ足りない場所にいる顔をしている。

「陛下」

「座って。今日は礼儀で時間を削りたくない」

 アレクシスが一瞬だけ目を丸くして、それから頷いて椅子に座った。 
 彼の膝の上で手が固い。緊張が抜けていない。

「ローヴェン州の件、議会にも伝わり始めています」

「当然。火は噂より早い」

 私は机の上の図面を指で叩く。

「被害は小さい。でも、影響は大きい。……これを“軽微”で終わらせたら、次が燃える」

 アレクシスが低い声で言った。

「反対派は、これを待っていました。『改革のせいで現場が混乱した』と、言える材料が欲しかった」

「言わせない」

 即答した。 
 言わせないために、黙らせるわけじゃない。 
 先に、こちらが責任の形を作る。

 ルーナが、控えめに手を上げるみたいな仕草をした。

「セレス様……現場の声が、もう一つ。配給所の係が倒れています。過労で。……改革疲れが、目に見える形になって」

 机の端が冷たい。 
 冷たいものは、現実だ。

 私は息を吸って、吐いた。 
 正しいことは、必ずしも人を楽にしない。 
 制度が正しくても、速度を間違えたら、人が壊れる。

「……まず、謝る」

 ルーナが顔を上げた。

「謝る、ですか」

「うん。私の責任は、いつも“手続きの外側”に落ちる。だから私が拾う」

 アレクシスが眉をひそめる。

「陛下。謝罪は、弱みとして使われる恐れが――」

「弱みを渡すんじゃない」

 私は言葉を整える。

「“責任の署名”を残す」

 沈黙が落ちた。 
 この部屋の沈黙は、壊す沈黙じゃない。 
 次へ進むための沈黙だ。

「ロラン」

 私は扉の外に声を投げた。

「はい、女王陛下」

 王付き侍従ロランが入ってきた。  背筋がまっすぐで、目が速い。優秀な目だ。

「ローヴェン州へ、王城名で臨時の支援便を出す。今日中に手配できる?」

「可能です。輸送は港湾管理から迂回を――」

「迂回は許可する。だが記録は残す。理由も書く。誰が判断したかも書く」

「……承知しました」

 ロランは迷わない。迷わない人間は、怖い。 
 でもロランは、怖さを隠す方向に迷わない。そこは救いだ。

「次」

 私はルーナを見る。

「配給所と施薬院の現場。係の休養を、制度として入れる。休んだら罰、という空気を終わらせる」

 ルーナの目が揺れた。

「休養を……制度に」

「うん。休まないと壊れる。壊れたら、制度が止まる。止まったら、民が死ぬ。……順番は変えない」

 アレクシスが、ゆっくり口を開いた。

「官僚たちも限界です。王城側の処理速度が追いついていない。地方からの声が増えた分、机が燃えています」

「燃やさない」

 私はペンを取る。 
 紙に火をつけないために、紙で水路を作る。

「三つ決める」

 私は指を折る。

「ひとつ。要望と苦情の“窓口”を一本化しない。分散する。現場に近いところで止める」

「分散……」とルーナが復唱する。

「ふたつ。緊急度で仕分けする。全部を同じ速度で扱うのは、優しさじゃない。無責任」

 アレクシスが頷いた。

「優先順位を制度化する、ということですね」

「そう。みんなが罪悪感で潰れないように、先に順番を決める」

「みっつ」

 私は最後の指を折る。

「今回の火事の“失敗記録”を残す。原因も、対応も、遅れも。綺麗にしない。削らない」

 ルーナが、小さく息を呑んだ。

「失敗を……残すんですか」

「残す。残した失敗だけが、次の火を防ぐ」

 扉がまたノックされた。

「女王陛下。監査官代理マルセル卿、及びアーデン書記官が到着しました」

「通して」

 マルセル卿は相変わらず背筋が伸びすぎている。 
 アーデンは、前より少しだけ目が現場の色になった。完全じゃない。でも、前進だ。

「女王陛下」

「座って」

 私は二人に紙束を示した。

「ローヴェン州の火事。これを“軽微”で閉じるつもりはない。閉じたら、次が燃える」

 マルセル卿が口を開く。

「原因は、乾燥した藁の保管方法に問題が――」

「原因はそれだけじゃない」

 私は遮る。 
 怒鳴らない。怒鳴ると誰かを悪人にして終わる。 
 私は構造を終わらせたい。

「倉庫の壁が一部焼けたのは、修繕予算が先送りされていたから。先送りした理由は? 誰が決裁を遅らせた? それを“何もしない”で通した仕組みは?」

 マルセル卿の喉が動く。 
 答えがある顔だ。

「……地方倉庫の修繕は、従来、港湾組合の推薦業者を通す決まりで……」

 アレクシスが静かに言う。

「推薦業者が遅らせれば、修繕が遅れる。遅れの責任は現場に落ちる。……いつもの形です」

 私は頷いた。

「いつもの形を、今ここで壊す」

 アーデンが小さく言った。

「……そのために、失敗記録を」

「そう」

 私はアーデンを見る。

「君に書かせる。綺麗にまとめないで。現場の声も、王城の遅さも、議会の反応も全部入れる」

 アーデンの指がわずかに震えた。

「女王陛下……それは、陛下ご自身の責任も――」

「入れて」

 私は即答した。

「私の責任が書面に残らない国は、また誰かを燃やす」

 マルセル卿が戸惑ったように視線を揺らす。

「陛下、それは……政治的に……」

「政治は、責任を隠すためにあるんじゃない」

 言い切ると、室内の空気が少しだけ変わった。 
 重いものが、落ちるべき場所に落ちた感じがした。

「次に、制度」

 私は紙を一枚、机の中央に置いた。 
 新しい通達案だ。

「ローヴェン州の臨時支援。これは“慈悲”ではなく、制度上の当然として扱う。火災時の支援条項を作る。次から迷わないように」

 ルーナが顔を上げる。

「迷わないように……」

「迷うと、人が死ぬ。迷う時間は、火が食う」

 アレクシスが続ける。

「議会には、先に提示しましょう。火事を材料にされる前に、火事を制度に変える」

「うん」

 私は頷いた。

「“改革のせい”にしたい人がいるなら、“改革の中に吸収する”。吸収すれば、武器じゃなくなる」

 その時、窓枠に小さな石が当たった。 
 カツン。

 反射で肩が固くなる。 
 この音は、夜の音だ。

 私は立ち上がり、窓を少しだけ開けた。 
 紙片が滑り込む。

『ローヴェン州。火元は偶然に見える。だが、修繕遅延の線に、港湾組合の残党が絡む。怖がらせて止めたいだけだ。あと、現場の係に脅し。名前は出すな。守れ』

 胸の奥が冷たくなる。 
 偶然に見える火が、一番厄介だ。 
 誰も責任を取らないから、何度でも起きる。

 私は紙片を握りしめ、窓を閉めた。

 ルーナが私の表情を見て、何も聞かずに背筋を伸ばす。 
 聞かない勇気も、必要な仕事だ。

「ロラン」

「はい」

「ローヴェン州の配給所係の名簿を。倒れた者、脅された者。名前は外に出さない。監査の別枠で保護対象に入れる」

「承知しました」

 アレクシスが少しだけ顔をしかめた。

「陛下。保護対象が増えるほど、王城の手が足りなくなる」

「だから、速度を変える」

 私は机に戻り、通達案の余白に赤線を引いた。

「改革は止めない。けれど、走り方を変える。全員を同じ速度で走らせない」

 ルーナが、小さく笑った。 
 疲れた笑いだ。でも、笑える。

「……セレス様、やっと“休む”って言いましたね」

「言った。遅いね」

「遅いです」

 ルーナの声に少しだけ棘があって、私はそれが嬉しかった。 
 棘は、生きている証拠だ。

 午後、臨時の小会議室。 
 議会への説明の準備が始まる。

 アレクシスが資料を整える。 
 マルセル卿が監査の観点で文言を直す。 
 アーデンが失敗記録の枠組みを起こす。 
 ルーナが現場からの声の抜粋を添える。

 紙が動く音が、今は怖くない。 
 この音は、誰かを殺すためじゃない。 
 誰かを生かすための音だ。

 夕方。 
 私は最後の署名欄の前でペンを止めた。

 ――「責任者:女王セレスティア」

 この一行は、重い。 
 重いけれど、逃げない。

 アレクシスが静かに言った。

「陛下。これを出せば、反対派は“女王が失敗を認めた”と騒ぎます」

「騒がせていい」

 私はペン先を紙に落とした。

「失敗は隠すものじゃない。後始末の手順を作るもの」

 署名が入る。 
 インクが乾く。 
 責任は乾かない。

 夜。 
 執務室に戻る廊下は静かだった。 
 王城は燃えていない。 
 だからこそ、燃えた場所の灰を引き受けられる。

 ルーナが小さく言う。

「セレス様……今日、少しだけ息ができました」

「良かった」

「でも、また明日、息が詰まるかもしれません」

「詰まるよ」

 私は淡々と答える。

「詰まる日が来る前提で、息の抜き方を制度にする。……それが、王の仕事」

 窓の外は暗い。 
 闇は怖い。怖いままでいい。 
 でも今夜の闇には、灰の匂いが混じっている。

 私は机に座り、失敗記録の一枚目を開いた。 
 一行目の見出しは、アーデンが書いたものだ。

 ――「発生:ローヴェン州倉庫。被害:軽微ではない」

 軽微ではない。 
 その一言だけで、少しだけ救われる人がいる。

 私がその紙の余白に、短く書き足す。

 ――「王が引き受けた」

 火事は終わっていない。 
 灰はまだ舞っている。 
 改革疲れも消えない。

 それでも。 
 後始末まで引き受ける者がいる限り、国は焼け落ちない。

 私は目を閉じずに、ペンを動かした。
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