日没の鴉 〜主従執愛破滅譚〜

天野翠里

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若き王と冥導師

第二話 誰が為の影

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 雀夜はその日のうちに、孔晃に国内の巡回と告げて国境の領地、璃槻へと入った。
 報告通り、国境の領地は妖の数が多い。
 王都に住む妖も存在しているが、煌玄国は中央に向かうにつれ、妖の比率が下がっていく構造になっていた。
 故に雀夜の黒い羽根も、ここでは浮かず、物珍しくもない。

 雀夜は街のはずれ、岩場をくり抜いたような洞穴の中へ足を運んでいた。
 濡れた岩肌が艶めいて光り、長い年月をかけて形成された石筍や、つららのような石が天井から無数に垂れ下がる。
 そこは、宰相から手渡された竹簡に記されていた妖、蛇螭じゃちの棲家だった。
 入り口の朽ち果てた小さな鳥居が、ここの主がかつて崇められた神であったことを知らせている。
 
「わざわざ王都からこんな辺鄙なところまで、苦労をかけたな」

 低い声が岩肌に反響する。蛇螭の腰から下は一本の蛇の尾となり、体に鱗を光らせていた。
 酒の入った杯を片手に、縦長の瞳孔が雀夜を捉えた。

「盗まず、殺さず、食わぬ。うむ、俺からも皆に伝えよう」
「ええ、あなたの言葉なら、聞く妖は多いでしょう」

 妖は野放図のようでいて、その実、縦社会だ。
 名のある妖であればあるほどその権力は及び、とりわけ神は別格であった。
 たとえ人々に忘れ去られたとしても、妖の中では多大な影響力を持ち続ける。
 だからこそその言葉には重みがあった。
 
「代わりに」
 
 蛇螭がするりと雀夜へ近付いて尾を伸ばす。
 二股に分かれた舌をちらりと一瞬出した。
 雀夜はその思惑に気付いて、ふ、と息を吐く。

「対価は貰わねば、なあ、王の駒」
「お好きですね……こんなものでよろしいので?」
「妖に地位も領地もいらん。蛇は鳥を喰う。そうだろう」
 
 雀夜の体に蛇の尾が絡みつく。足元から腹まで絡んだその尾に、雀夜は手のひらを添えて撫で上げた。

「鳥も、毒蛇を喰らう者がおりますよ」

 雀夜が蛇螭の顎先まで指を這わせ口元に弧を描く。
 そして、そのまま倒れ込むように、蛇の鱗の上へ体重を預けた。
 体温を持たない肌に、雀夜の熱が一方的に移る。
 沈み込めば押し返す弾力が、雀夜の腰を締め上げ、岩の壁に息の混じった声が反響した。

 火種は燃える前に消し、使えるものは全て使う。
 それが雀夜のやり方だった。

 蛇螭の鱗と人のような肌の境目に触れながら、雀夜は気怠い体を起こす。
 
「蛇螭様、では、周知よろしくお願いいたします」
「おう、俺がよしなにしてやろう。お前がまた来るならな」
「……ええ、勿論。良しなに、いたしましょう」

 蛇螭は満足そうに雀夜の髪を指に掛け、滑り落とす。
 雀夜は鱗に触れた指を、衣に戻してから、ゆっくりと息を吐いた。

(……下衆め)

 雀夜は決して声にも顔にも出さない。
 この程度で平和が手に入るのであれば、あまりに安いのだから。
 書面に残らない契約がまたひとつ、この日確かに交わされた。

 ***

 雀夜が居ない昼下がりは、孔晃にとって退屈に他ならなかった。
 視界に羽が見えない。長い髪が香らない。孔晃が雀夜の不在を実感する度、頭痛がするほど腹が立つ。
 朝儀、政務、軍議。雀夜は常に半歩後ろに立ち、命じられれば従い、問われれば答える。それが当たり前だからこそ、今日のような不在の日は反動で苛ついた。

 孔晃も冷静な頭ではわかっている。始祖帝より仕える冥導師は国の宝だ。王とはいえ、独占できる存在ではない。
 しかし、だからこそ王である自分の掌中にあるべきだ。という思いもまた渦を巻いていた。
 ――そうでなければ、おかしい。
 
 雀夜が王宮に戻ったのは、茜色の空が群青色に変わる隙間、ちょうど昼と夜が混ざり合った境目の時間だった。

「陛下、冥導師雀夜、只今戻りました」
「ああ、ご苦労」

 雀夜が孔晃の前で頭を下げる。執務室の机の距離分、遠い。
 孔晃は臣下の手前、引き寄せたい衝動を抑えて平静を装った。
 
「何か変わりはあったか」
「いいえ、何も。国境の妖も人も、平穏無事に暮らしておりました。これも陛下の治世の賜物」
「そうか。ならば良し」

 雀夜が孔晃の横を通って後ろへ回る。定位置だ。
 机の上の書簡を覗き込むのに身を屈めた時、ふわりと雀夜の髪が肩から滑り降りる。

「雀夜」
「はい」
「香を変えたか?」

 雀夜がほんの一瞬固まった。気のせいと言ってしまえばそれまでの間。

「……いいえ? 何故でしょう」
「いや、少し嗅ぎ慣れない匂いがしたと思ってな」
「……璃槻の街の香りが移ったのではないでしょうか」
「そうか」
「ええ」

 雀夜の唇の端がほんの少し持ち上がる。
 この男はいつもどこか一歩線を引くような表情をする。
 雀夜が心の底から笑っていた記憶を、孔晃はひとつも見つけられなかった。
 手を伸ばしてもすり抜けていくような感覚。

「似合わん」
「……失礼致しました。水でも浴びて参ります」
「今はいい。そこにいろ」
「御意」

 命じれば応じる。それだけが孔晃の安心材料だった。
 今ここで死ねと言ったら、きっと死ぬ。

「雀夜」
「はい、陛下」

 名を呼べば返事が返ってくる。

「今夜」
「拝命致しました」

 雀夜は呼べば来る。抱けば鳴く。
 既に手中に収めているはずなのに、孔晃の胸中はざわついたままだ。手に入れている実感が無い。霞を掴んでいるような気がしていた。

 夜、孔晃の寝所へ来る雀夜は、冥導師としての黒衣を脱いだ軽装で現れた。刺繍も佩玉はいぎょくもない、透けそうなほど薄い単衣。

「……それで来たのか」
「ええ、お手間を掛けぬよう」

 孔晃が雀夜の手を引いて寝台へ引き込む。簡素な腰帯を解くと、襟の合わせが開いて肩から落ちる。

「っあ、陛下……っ」
「他の者に見せるな」
「……申し訳ございません……っ」
 
 雀夜の首から胸元へ孔晃の唇が這う。指先で羽の付け根を撫でる度、堪えきれない声が滲んだ。

「あ……っ、あ……んくっ……ふ……」
「抑えるな。声を出せ」
「外……っ、聞こえ、ます……っ」
 
 孔晃は雀夜の顎を取り、意思と関係なしに顔を上げさせた。
 濡れた瞳がこちらを見る。

「今日どこへ行っていた」
「巡回を、璃槻まで」
「誰と」
「独りで」

 雀夜の喉が小さく上下する。
 孔晃はそれを見逃さなかった。

「私には陛下だけ、でございます」
「言葉は信用ならん。行動で示せ」

 その言葉と同時に、孔晃の指先が雀夜の顎を掬った。首の角度まで支配される。雀夜はそのまま視線を孔晃に合わせると、顔を傾けたまま寄せ、孔晃の唇に触れる。
 重ねては離れ、また吸い寄せる。啜る音が静かな部屋に落ち、孔晃は満足げに目を細めた。
 
 孔晃の指が雀夜の口内へ侵入し舌先を押す。
 雀夜はその意図を呑み、一度指を口で包んでからわざと音を立てて離す。
 一度身を起こして微かに息を呑み、孔晃の足元へと、影のように沈んでいった。

「失礼、致します」
 
 前を解き、衣をよける。欲の形をした核に触れ、先端にそっと口付けた。

「歯を立てるな。見ろ。俺を」
 
 言われるまでもなく、雀夜は上目で主を仰いだ。その瞳の翡翠色が揺れ、孔晃の腹の奥に熱を落とす。
 孔晃の掌が雀夜の後頭部に触れ、指の隙間に髪を差し込むように押さえた。

「ん……っ、陛下……」

 愛おしそうに、下から上へ撫でるように舌を這わせる。両の手で包み、熱を口内へ受け入れる様は、奉仕というよりも祈りに近いような様相。
 孔晃は動かない。ただ、雀夜がどう応えるかを、確かめるように見下ろしていた。
 
「……手、使うな」
「ん、は……」

 雀夜が咥えたまま小さく返事をすると、両手を外してそのまま喉の奥まで押し込むように迎え入れていく。
 唇で締め、頬の内側で脈を感じながら、丁寧に上下して昂りを煽った。

「ん、雀夜、いい」
「ふ、ぅ……ん、ん……」

 後頭部に伸びた手が髪を掴み、雀夜の首がわずかに震える。それでも拒まない。拒む理由がない。
 王の望むまま、忠誠を行動で示す。それがどんな形であっても。
 口を塞がれたまま、雀夜の羽がふるりと震え、呼吸の薄さと涙で瞳が潤んだ。
 それを孔晃は、歓喜と独占の入り混じった目で見下ろしていた。

「泣くな」
「……っ、ん……」

 雀夜は喋れないまま、熱に濡れた呼吸だけで返事をする。
 孔晃の喉が満足げに震えた。
 その指が雀夜の髪を梳き、顔に触れ、位置を決める。

「……一滴も溢すな、飲み込め」

 その言葉で、雀夜は喉の奥まで深く押し込む。口いっぱいの欲を余すことなく受け入れようと、軽く息と共に吸い込んだ。
 孔晃の腿に力が入ると、含んだ熱が舌の奥で震えて弾けた。

「ん゙、ん、んん……っ」
 
 雀夜は二度喉を上下させ、全て腹の底へ落とすと、唾液を吸い上げて舌で後始末をする。
 雀夜の頭上で、孔晃の息が熱く乱れていた。

「陛下、仰せのままに」

 雀夜が口を開き、見せつけるように舌を出す。
 言われた通りに一滴も残さず、全て飲み込んだ忠誠心の証明。
 そこでようやく、孔晃はこの日の雀夜を手中に納めたような気がした。
 たとえ明日には飛んで行くとしても、今この瞬間だけは自分のものだと安心できた。
 
 孔晃が雀夜の背を押し倒す。羽が寝台に押しつけられ、微かに軋む音を立てた。

「……どこにも行くな」
「ええ陛下、私はずっと、この国あなたのそばに」
 
 翼が一度羽ばたくように布団を打つと、黒い柔らかな羽が舞う。
 逃げ道もなく、孔晃の望む速度で扱われる器として、雀夜は内側へ落ちて行く。
 冷静で優秀な補佐官の面影は既に溶け、口の端から光る唾液を零しながら空を見ていた。

「あ……っ、は、ぁ、陛下……ぁ……っ」
 
 視点の定まらない、快楽で恍惚とした顔に、孔晃は満足そうに口付けると、奥の奥まで探るように深く抉った。

 今は確かに、この腕の中にいる。
 そう思った瞬間、孔晃は手に力を込めた。

 この男が欲しい。囲い、捕え、籠に入れて、ただ生かすだけのものにしたい。
 手にしたはずの蕩けた瞳と声は、孔晃の体をすり抜けていくようだった。
 
 雀夜は、孔晃の名前を呼ばない。
 
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