日没の鴉 〜主従執愛破滅譚〜

天野翠里

文字の大きさ
4 / 5
ほどけていく春

四話 鴉の結婚

しおりを挟む
 朝の訓練場は、まだ人が少なかった。石畳に残る夜露が薄く光り、土を踏みしめるたびに鈍く沈む。
 剣架に掛けられた木剣が、微かな風に触れて小さく鳴った。
 雀夜は外套を脱ぎ、袖を捲る。羽は畳まず、背にそのまま下ろしていた。

「雀夜殿、お願いいたします」
「いつでも、どうぞ」

 木剣を手にした近衛将軍、張景藍ちょうけいらんが雀夜に向かう。
 景藍の家柄は代々武人の家系で、幼い頃から剣に親しみ、自然と兵士になった男だ。
 その立ち姿には無駄がなく、実戦が刻んだ癖が出る。
 雀夜も王の前で見せるそれとは違う、余計な儀礼を削いだ構えで対峙した。

「では、参ります」
 
 木剣がぶつかる音が、朝の訓練場に乾いて響いた。一合、二合。間合いを測るような攻防。
 景藍が踏み込む。雀夜はそれを受け、半歩下がった。

「重心が安定していらっしゃる。実戦の剣です。人間の戦であれば、この上ない」

 褒め言葉だった。だがその直後、雀夜は剣を寝かせるようにして、軽く逸らす。
 近づけない。景藍は眉を寄せる。間合いを詰めたはずなのに、刃が届かない。
 景藍は再び踏み込む。今度は速度を上げる。
 雀夜はそれを見て、わずかに首を傾げた。
 木剣が交差する。
 雀夜はそのまま力を流し、景藍の剣筋を外した。

「ただ、妖を相手にする場合は、常に想定外を考慮すべきです」

 言いながら、雀夜は一歩、さらに距離を取る。
 景藍は追うが、やはり木剣の先は雀夜にかすりもしない。

「例えば、私のような有翼の妖の場合は――」

 その瞬間、雀夜の背で羽が微かに揺れた。

「大抵、飛んだ方が早いのです」

 景藍の首元に木の冷たさが触れる。目で追う事もままならぬまま、雀夜は景藍の背後へ回っていた。

「……参りました」
「お疲れ様です」

 二人は木剣を下ろし一礼する。
 砂埃が風に乗って舞っていた。

「情けない。将軍でありながら、あなたに一度も勝てないとは」
「今日は少々私がずるいですが」
「いえ、妖との戦を想定せねばならんのはごもっとも。実戦であれば死んでおりました」
「では妖と一対一で打ち合う事があればご参考に」

 雀夜が景藍に汗を拭うための布を手渡す。
 景藍は受け取ると軽く礼をし、首元を抑えた。

「……しかし、鍛錬しても出る戦が無いというのは、少々複雑ではあります」

 そう言いながら、景藍は己の掌を見下ろす。毎日剣を握り、血と汗で硬くなった手。
 鍛錬の日々は、刃を磨き続けるようでいて、行き場のない衝動だけを研いでいた。
 数呼吸遅れてから、景藍は今口に出したものが忠言ではなく疑義に近いことに気付く。
 
「……失言でした。孔晃陛下の治世を批判する意図はなかったのですが」
「分かっていますよ。ご心配なく」

 雀夜が目を細めると、景藍は少しほっとした様子だった。
 
「戦は、起こる前に静めるのが一番良いのです」
「全く、その通りです」
「景藍殿の気持ちも、わかりますがね」
「……雀夜殿が?」
「ええ。たまには暴れねば、鈍るでしょう?」

 景藍は少しまばたきして、それから思わず吹き出した。
 冥導師に暴れられてはかなわないと、二人で笑い合う。
 孔晃は、回廊からそれを見下ろしていた。
 
「雀夜、景藍。それを終えたら朝儀だ。来い」
「御意」
「すぐに参ります」

 孔晃が声を掛けると、二人は木剣を掛けて外套を手にした。
 雀夜が髪を整えながら孔晃の側へつくと、宰相達はすかさず胡麻を擦り始める。
 
「いやはや、冥導師殿がいてくださるおかげで、御代は安泰でございますな」
「実に心強い。雀夜殿ほどの方が陛下の側にある国は、他にありますまい。孔晃様は幸運でいらっしゃる」

 幸運。
 その言葉は、孔晃の口の端を僅かにひくつかせた。
 宰相の言葉はただの賛辞。孔晃を責める意図など微塵も無い。
 そう頭では理解していても、胸の奥が、わずかに引き攣った。

「ああ。冥導師はこの国の宝である」

 穏やかな声。しかし、どこか張り詰めていた。
 雀夜は、視線を逸らし、ただ静かに目礼した。
 控えめな動作がまた優秀さを裏付けるようだった。

 故に、それは必然だったのかもしれない。

 朝儀の終盤、定例の奏上が一通り終わった頃だった。
 列の端に控えていた一人の官が、控えめに一歩前へ出る。

「陛下。外務方より、一件、奏上がございます」

 孔晃が玉座から視線を向ける。

「申せ」

 官は深く一礼し、慎重に言葉を選んだ。

「璃槻領を経由し、妖の国、涅須土ネストより正式な打診が届いております」
「ああ、西のか」
「左様でございます」

 雀夜が孔晃の後ろから声を掛ける。

「鳥の妖を中心とした国でございますね」
「……お前の出の国か?」
「いえ、私は冥で生まれておりますので、種としては少し異なります。元を辿れば近しい所はあるでしょうが」
「なるほど」

 孔晃が官に目線を向ける。

「して、何と?」

 官は息を吸い、ほんの一拍置いてから口を開いた。
 
「冥導師、雀夜様との婚姻による同盟強化について」

 その瞬間、広間の空気がわずかに揺れた。
 小さなざわめきと共に、皆が一斉に雀夜を見る。
 雀夜の呼吸も、ほんの一拍だけ止まった。

「お相手は涅須土ネストの姫君、フェルネ様でございます。先日、冥導師様が璃槻にご滞在の際に、お忍びでいらしていたそうで……お姿を見て是非に、と」

 ああ、と雀夜は内心で頷いた。
 蛇螭の棲家を訪れた、あの折だろうと。

 「条件は極めて穏健。交易路の安定、国境の不干渉、及び」

 外交官は、そこで一度言葉を切った。

「姫君が我が煌玄国に入り、冥導師殿の身柄と立場は、現状のまま尊重する、との事です」

 よく出来た条件だった。あまりにも。
 孔晃は何も言わない。王として、即座に否定する理由が見当たらなかった。

「本件、外交筋としては国益に適うものと判断しております。ただし婚姻となりますので……」

 外交官は、視線をわずかに横へ流す。

「冥導師様ご本人の意思が、何よりも重要かと」

 自然に、皆の視線が雀夜へ集まった。
 雀夜の羽が、音もなく一枚だけ抜け落ちる。

「姫君は、婚姻に先立ち、冥導師様に直接お会いし、その御人となりを拝したいとの御意向を示されております」

 雀夜は孔晃の半歩後ろに立ったまま、表情ひとつ変えない。
 雀夜の背で羽が小さく震え、それ以上は動かなかった。
 
「……承知いたしました。日程をお伝えして下さい」

 その声は穏やかで、あまりにも淡々としていた。
 孔晃の指が、玉座の肘掛けに食い込んだ。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

敵国の将軍×見捨てられた王子

モカ
BL
敵国の将軍×見捨てられた王子

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

解れきった穴は男根で更に甘くいたぶられる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

処理中です...