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みずぎわ
しおりを挟む週開けに礼治さんに会うと、開口一番「海にいくよ」と言った。
「マジっすか」
とんとんと煙草の縁を叩きながら、礼治さんは笑っている。
「グラビアの仕事だから、3、4日向こうに行くことになるよ。予定あけといてね。行きの予約は一緒にしとく。帰りは好きにするといいよ」
ぐっと握り拳に力が入る。
「言われなくてもそうします。で、海って何処ですか」
美味そうに煙草を吸って、唇の端があがる。
「喜べ沖縄だ。好きだろ、結輝は」
「大好きですよ。すげぇ嬉しい」
頭のなかで旅行の荷物のパッキングが始まる。
服を適当に。日常使いのヘアケアや身の回りの小物を突っ込んでから、あれこれ機材の選択をする。
「そんなに喜ばれるんなら…受けて良かったね」
にかっと礼治さんが笑う。
「礼治さん最高~」
おかげでその日の仕事は、いつも以上にいい雰囲気のうちに終わった。
出発当日は快晴になった。撮影するモデルは仕事があるため、夕方合流になる。
先に乗りこんだオレ達は、翌日の撮影に備えて下見…はちらっと済ませ飲みにくりだした。
「ソーキそば…あとチャンプルー、島豆腐も食いたい」
あれこれ注文して、なごやかに酒宴が始まる。人数は礼治さん、俺、編集部の伊部さん、現地コーディネーターの四人になった。
泡盛のグラスを傾けた礼治さんも機嫌がいい。
「沖縄の光はいいよね」
「あ、わかります。明るいんですよね。視覚的でなく、感覚的に」
光を気にする礼治さんらしく、沖縄の光はお気に召したようだ。
グラビアという屋外で水着☆室内でも水着☆みたいな条件での撮影ではありがたい。
わいわい杯を重ねていると、伊部さんの携帯が着信をつげる。「失礼しますね」と断ってから電話をつなぐ。
席を立たずに話しはじめた伊部さんのために、聞き耳をたてないように、そしてあなたの電話には興味ありませんというポーズをつくる。
俺の場合、それは小鉢のミミガーを味わうことで実現されていた。
「えっ、なに、何処にいるかなんて、なんで知りたがるんですか」
言葉に狼狽が混じり、視線が礼治さんを捕らえる。
すぐさま携帯の下部を押さえ、礼治さんにお伺いをかける。
「モデルとスタイリストさんが合流したいって。いいでしょうか」
ぴくりと礼治さんの眉が揺れた。
「こんなオジサンと飲んで楽しいかねえ。まあ依頼主を無下に断れないでしょう。御足労ですが来ていただいて」
明らかにほっとした伊部さんが、通話を再開する。簡単に場所と名前を告げ、会話を終了した。
「すみません、本当。明日から撮影する子は礼治さんのファンで、わざわざ礼治さんを指名してきたくらいですから悪い子じゃないんです。
ただいまどきの若い子ですから失礼もあるかもしれません」
ピタッとテーブルに両手をついて、伊部さんが礼治さんを伺う。
「そんなに気にしなくていいよ、伊部ちゃん。どうせ明日からは一緒に行動するから慣れといて構わない」
伊部さんの携帯が着信を告げると、席を立って二人を迎えにいってしまった。
コーラを舐めている現地コーディネーターは、明日の撮影場所やお昼の打ち合わせを終えてからは静かに存在を主張していた。
もちろん何が食べたいと言えば、美味しいお店を紹介してくれたり、時間があれば連れていく約束をしてくれる。
日に焼けた肌は、あどけない顔を引き締めていた。
ぼんやり顔を眺めていたら、ニカッと笑われた。
「こっちのケがあるの」
手を顎にあてしなを作ってみせる。間違っても男に気があって見つめていた訳じゃない。
「違っ…なんか手持ち無沙汰で」
礼治さんは黙って泡盛を飲んでいて、話しかけづらい雰囲気を醸し出している。
いつも和やかに場を盛り上げる礼治さんが静かだと、俺も合わせて大人しくするしかない。
しばらくして店の引き戸が勢いよく開かれた。
開けたのは栗色のロングヘアーをゆるく巻いた目鼻立ちのはっきりしたカワイイ子だった。ロングワンピースを着ていてもスタイルの良さは際立っていた。
あ、グラビアのモデルかと思うまもなく礼治さん目掛けて突進してきた。
「明日からお世話になります柏崎玲奈です」
ペこりと勢いよく頭を下げると、長い髪がぱさりと垂れて床につきそうになった。
「山崎礼治です。顔あげて。そんなに畏まれたら俺も合わせなくちゃでしょ。楽にしてくれない?」
場をとりなすように礼治さんが話しかける。
「あたし礼治さんのファンなんです。今日も会えるのをすっごく楽しみにしてて、それで急いできて。やっぱり慌ててちゃおかしいんだけど…えーと…うれしくてにやけちゃいます」
前髪を直しながら照れ笑いを浮かべる。明るくて素直な子だと感心してしまう。
「ゴメンね、礼治さん。玲奈ちゃん場所がわかったら突進していって、俺ら置いてきぼりよ」
はあふうと息を切らせて、遅れた伊部さんとスタイリストさんがやって来た。
「もータクシーの運転手さん置いて走ってくんだもの。支払いしてきたよ」
「あ、ごめんなさぃお金払います」
慌ててバックを開けると、ポーチやスプレー、ヘアゴムなどが、ばらっと散らかった。
「やぁっ ごめんなさぃ」
そばにいた礼治さんと伊部さんも拾うのを手伝った。
「すみません、玲奈はほんっとあわてんぼうで」
一緒に来たスタイリストさんも、屈んで遠くにとんでいないか視線をさ迷わせた。
「いいんじゃないですかねぇ。元気があるのはいいですよ。年をとってくると余計です」
拾いあげたヘアゴムを玲奈ちゃんに渡しながら礼治さんが答える。
受け取った玲奈ちゃんは、唇を大きな三日月みたいにして「ありがとぅ」と言ってにっこり笑った。
翌日の撮影では快晴で光と風に恵まれていた。
暑さを和ませる風は撮影の妨げになるものだけれど、礼治さんは構わない。
自然にあるものを否定しない。
玲奈ちゃんは髪をゆるくハーフアップにして、胸をぎりぎり見せることのできるシャツを白い水着の上に羽織っている。
はっきりと出た胸と細いウエストはグラビアならではの容姿だ。
「今日はよろしくぉ願いしまぁす」
「はい。よろしくね」
またペこりと頭を下げるので、まとめた髪が砂に付きそうになる。
未成年の玲奈ちゃんが加わったことで、昨日の酒宴ははやばやとお開きになり、各自部屋に戻って休んだので、宿酔いにも日差しにも負けることもなく撮影がはじまる。
俺もレフ板を持って参加している。
「そのまま、好きにポーズをとってみて」
礼治さんの呼びかけに玲奈ちゃんが動くものの、グラビアらしくない。
胸を強調するような仕種も、上目遣いもない。
もちろんそれだけで写真集一冊できる訳ではないので、いろんな表情があっていいものの違和感がある。
「……ごめんね。少し晴れ待ちしようか」
礼治さんはわずかに空が陰ったのを見て、玲奈ちゃんから目を逸らすように、煙草に手をやる。
まだ撮影を始めたばかりなのに、礼治さんのテンションがあがらない。
とんとんとせわしく叩いて取り出した煙草に火をつけると、吸い込んだ煙りを鯨のように吐き出した。
ちりちりと音をたて大量に吸い込むので、吐き出した煙りの渦に巻かれてしまう。
「礼治さんらしくないですね」
すでに二本目を口にくわえて、手で風を遮り煙草に火をつけた礼治さんが俺を見る。
「俺らしい、ってなに結輝」
「いつも冷静で大人じゃないですか。モデルの扱いだって上手くて気分を上げるのなんて簡単にしてましたよ」
「じゃあ今の俺は、なに?」
礼治さんの目は煙草の煙で細められ鋭くなる。
「……礼治さんです」
「俺は俺だよ。らしくなくてもね」
くるりと踵を返して「5分休憩ー」と言いながら歩いて行ってしまった。
拒絶している背中を追いかけようか迷っていたら、栗色の髪を揺らして玲奈ちゃんが後を追った。
Reiji Side
気持ちを切り替えたくて、海岸線を歩き出す。まだ煙草をくわえたまま海を見つめる。
透明度の高い海は白い砂が透けて見えるほど明るく澄んで、光をはね返していた。
本当は玲奈ちゃんに詰め寄って問い質したい。どうしてそんなポージングをするのか、俺のことをどこまで知ってそんなことをするのか。
背後でさくさくと砂を踏み締める音がした。結輝ではないその音に動揺する。大人げなく撮影を中止している自分に嫌気がさすものの、振り返って手招きした。
「礼治さん……」
「どうしてあんなポージングをしたの」
玲奈ちゃんのしたポージングは、鏡でピアスを確認して振り返る仕草だ。遠くをながめて少し目を細めたり……普通のグラビア撮影のイメージではない。
「礼治さんに撮ってもらえるなら、してみたかったんです……」
「どうして」
風で流れる煙が彼女にぶつからないように体をずらすと、ぴくりと体が動いた。
「あたしが好きな写真だからです」
「Echo?」
「はい。18ページ」
自分のファンだと言った時点で、いつの作品だろうかと考えていた。
最近の物ならいい。でも返ってきた答えが最悪すぎる。『Echo』は付き合っていた彼女と結婚する前から短かった結婚時代に撮ったものだ。
「よくそんな古い写真集知ってるね」
「10年前です。あたしは8歳でした。」
「その頃から?」
こっくりと頷く。
「両親が行く写真展について行って、写真集を買ってもらいました。
その時からずっと考えてました。どうしたら礼治さんに会えるのか」
ずっと考えていたのか言葉にはよどみがない。胸の前で手を握り見つめてくる瞳は真剣そのものだった。
「ただ会うだけじゃ、ダメなんです。そんなんじゃすぐ忘れられちゃう…」
ふいっと視線を逸らせて唇を噛み締める。
「モデルになろうかと牛乳を飲んだのに、身長はあんまり伸びなくって胸ばっかり成長しちゃって…だから礼治さんがグラビアの撮影OKしてくれて、すっごく嬉しかったんです」
まっすぐな目をしていた。ちっぽけな自分が恥ずかしくなる程の。
「だから…あの…あたしに到らないことってたくさんあって…不快にさせてしまったのならすみませんでした」
どこまでも正直な子だ。
「いいんだよ。もう理由もわかったから。もう戻ろう」
先立って歩きだすと、少し遅れてついてきた。撮影のための青空がもどり、気持ちも少し軽くなっていた。
「自然にしてて」
撮影を再開するにあたって玲奈ちゃんには、そう言った。
「俺はね、誰かの真似なんかじゃない玲奈ちゃんを撮りたいんだからね」
「はい」
にこっと笑うと出来る、大きな三日月を写真に収める。
「…今のは不意打ちです」
照れて前髪を直す仕草がおかしくて、またシャッターを切る。
「ああっ…ダメですよぅ」
「大丈夫、かわいい」
かあっと赤くなるのがわかった。肌が白いので、赤くなったのがよくわかる。
「本当…?」
目が潤んで艶っぽい表情になる。
「かわいいよ」
言いながらもシャッターを切る。使えるかはわからないけれど、貴重な一枚には違いなかった。
「礼治さん、あんまりイジメないでくださいね。玲奈ちゃんまだうぶだから」
見かねたのかスタイリストさんから声がかかる。
「ひどいね。イジメてないでしょ褒めてるのに酷い言われようだ」
「モデル恥ずかしがらせてどうするんです?口説いてるんじゃないんだから」
「ははっまったくね」
笑いが出て場が明るくなったので、ちらりと結輝を見たら明らかにほっとした顔をしていた。
あたってしまったことは仕方ない。後でフォローを入れないと。明らかに空気の変わった撮影現場で撮影をこなしていく。
玲奈ちゃんは被写体としては完璧なプロポーションをしているけれど、どこか緩く支えたいというような保護欲を掻き立てる。
最新のファッションをまとってランウェイをウォーキングする玲奈ちゃんを想像できないくらい、今の玲奈ちゃんは生き生きとしていた。
この子は、こっちのほうが向いている。
服を着こなすすべに長けるより、飾らない素のままでいたほうが、より彼女の魅力を引き出せていた。
夕暮れの深い藍と燃えるようなオレンジ色の織り成す空を切り取って、今日の撮影は終了になる。
風に髪をなびかせた黒いシルエットの玲奈ちゃんが写っている。
写真を撮られることに慣れたのか、レンズごしに見つめても自然にいられるようななった。
くるくると表情をを変えて、見ていて飽きない。撮影されているのに、こちらを観察していて、ふいにこちらが狙っていたようなポーズや表情をつくる。
そのポーズや表情は玲奈ちゃんが、考えて作り出しているもので、既製のものとは違い彼女らしさが備わっていた。
なによりも、玲奈ちゃんらしさを写しだしたくてレンズを覗くのに、つかみ掛かけたイメージを呆気ないくらいに壊して、顔や指先などの体のすべてを変化させてしまう。
不思議な子だった。見ていて飽きない。
「はい、お疲れさまねー」
声をあげると器材の撤収をはじめる。スタイリストが玲奈ちゃんに羽織るものを渡している。
陽が陰ると風は冷たいものに変わり、まとう生地の少ない玲奈ちゃんは体を冷やしてしまう。
「お疲れさまでしたぁ」
パーカーを着込んだ玲奈ちゃんがお辞儀をして通りすぎる。
さっきまで肌のほとんどをさらしていたのに、パーカーから見える肌にどきりとする。
ありえないでしょ
どきどきしたところで、おじさんなんだから。『エロい』で終わり。そんなもん。
自分がもっと若いなら違うのかもしれないけれど、グラビア撮影するほどの子なら男なんてより取り見取りだ。
カメラをケースに納め担ぐと、少し離れた場所に人がかたまっていた。
目を凝らすと、女の子が一人で三人の男に囲まれていた。
「だからね、飲みに行こうよ」
「大丈夫だって。俺らと居るって言っとけばいいっしょー」
「あのっ基本団体行動というか、自分勝手なのはダメなんですっ」
声が届いて誰だかわかる。思わず眉をしかめてしまう。このわずかな間にも、ナンパされていたなんて、どういうこと。
玲奈ちゃんの体に触ろうとした男の肩を後ろから掴んで引く。
思いのほか力が入っていてぐらりと体が傾ぐ。
「…何だよ、テメエは」
「悪いけど、その子連れなんだよね。その汚い手を引っ込めてくれない?」
穏便さを装った傲慢さ。ああ、煙草吸いたいのになぁなんて頭の片隅にあって、一対三だと不利じゃないかなんて出て来なかった。
こちらを確認した連中は、くたびれたオッサン一人なんて力で捩じ伏せられると見て取ったようで、薄ら笑いを浮かべた。
「無理しないの、お、じ、さ、ん。若者の恋愛に口出ししないでくれる」
「そーそー自由恋愛っしょ」
「無理だよ。あんたらじゃ彼女の足元にも及ばない」
それだけは確信があった。間違っても玲奈ちゃんはナンパされて付き合うような子じゃない。
「聞いてみたら」
玲奈ちゃんに目を向けると、ふるふると頭を振ってはっきり言いきった。
「あたし、行きません。ごめんなさい」
また髪が地面につくようなおじきをした。
「ね。だから無理なんだよ。ナンパなんかしなくても彼女は出来るから」
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