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とまどい
しおりを挟む翌日から写真集の撮影は、順調にスケジュールを消化していった。
玲奈ちゃんも雰囲気になじみ、礼治さんも最高の仕事をしている。
玲奈ちゃんは、撮影の合間にも礼治さんの様子が気になるらしく、そばに寄ってカメラを眺めていることがある。
カメラに興味があるのか、昼休憩には礼治さんの予備のカメラを渡されいた。そのカメラで玲奈ちゃんから見たスタッフを写真に収めていた。
撮影したのはスタイリストさんや、編集の本田さん、礼治さん。俺自身にまでカメラを向けてくるので慌てて顔をそらした。
「ああっーーもったいない、イケメンに撮れるはずたったのに」
液晶を覗きこむ玲奈ちゃんにならって、デジタル表示された画面を覗くと不自然に顔をそらせた自分がいた。
「俺は撮る側なんだから、撮影はいいの」
「そんなことないですよぅ結輝は撮られる側もやってみたらいいのにって、礼治さん言ってましたよ?」
「お世辞はいいからね。玲奈ちゃん」
「お世辞じゃないですよ。ホントのことっ」
そう言ってにっこり笑うので、恥ずかしいような、くすぐったいような気持ちが胸で踊る。
一瞬の後、シャッター音がして会心の笑みを浮かべた玲奈ちゃんが画面を覗きこんだ。
「できました!題は『ときめき』なんてどぅでしょう」
液晶に留められた自分の、恥じらうような照れ笑いを浮かべた顔に息が止まりそうになる。
体温が上昇して、熱が上のほうに集まってくる。
「これはダメだから」
カメラに伸ばした腕をくぐり抜けて、玲奈ちゃんは礼治さんに駆け寄ろうとする。
慌てて肩をつかんで引き寄せると、呆気なく腕の中に捕まえることができた。
「結輝さん、いい表情してます」
玲奈ちゃんは腕の中で、満足したようにカメラの液晶を抱えて見上げてきた。
今度は違う意味で鼓動が早くなるのを感じながら、カメラの消去ボタンに手を伸ばす。
「ああっダメです」
「これは残しておけないから」
必死にガードする玲奈ちゃんの手を外そうとしていたら、すぐそばから礼治さんの声がした。
「そんな結輝、初めて見たわ」
腕を組んで、視線はカメラの液晶を捉えている。そのどこか冷やかに見える態度に、背筋が冷える。
固まった俺の腕を抜けて、玲奈ちゃんが礼治さんに液晶画面を差し出す。
「どぅでしょう師匠、けっこうイイと思います」
「いいね。俺には撮れないわ、これは」
ふいに礼治さんが顔をほころばせた。
その顔が、いつもの笑い顔とは違って見える。二人で寄り添うように画面を覗いている姿はなんだか微笑ましくて、お返しにカメラで撮り返してやりたくなった。
「じゃあ撮影再開といきますか」
礼治さんは玲奈ちゃんの頭に手をのせてくしゃくしゃとなでた。
その瞬間、玲奈ちゃんはぱあっといい笑顔をつくった。その顔を見て、やっぱりいい表情をする子だなと思った。
二日目も無事に終わろうかという時刻になって、一人の人物がこちらを見ているのに気づいた。
遠目にもすらりとした均整のとれた体を上質なスーツにつつんでいる。清潔感のある黒髪に、目鼻立ちも整った男性だった。
どんなにスーツが似合っても、回りに海しかないこんな場所でのスーツ姿は目立つ。
いぶかしむものの、害のあることではないので、こちらもごく普通に撮影をこなしていく。
「いいよ玲奈ちゃん。今日はあがりにしよう」
礼治さんの声で場の緊張がゆるむ。何事もなく終るのがいい。
「お疲れさまでしたぁ」
上着を着た玲奈ちゃんが挨拶したのを見て、礼治さんが俺に向かって、手を払う仕草をする。
しっしっと犬でも追いやるのかと振り返ったら、犬なんていなかった。
もう一度礼治さんを見たら、顔をしかめて玲奈ちゃんを見遣った。口をぱくぱくさせて、どうやら『ついていけ』ということらしい。
昨日、玲奈ちゃんがナンパされていたことで、彼女の身の安全を守ることも視野に入れなくてはいけなくなったようだ。
砂を踏んで追いかけると、少し行ったあたりで人に捕まっていた。
玲奈ちゃんが身じろぎして見えた人影は、背の高い男性でスーツを着ていた。あれは、さっきから撮影を見ていた奴だ。
走って二人の元まで辿りつくと、玲奈ちゃんを庇うように背中にまわす。
「彼女に何か用ですか」
勢い口調がきつくなる。それなのに相手は余裕の笑みを見せて、腕を組んだ。
「それが初対面の相手に対するあなたの対応ですか」
「相手にもよります。あなたが彼女の撮影を見ていたのを知っています。彼女に用があるなら、俺を通してからにしてください」
後ろから玲奈ちゃんが俺のシャツの裾を引いた。
「結輝さん」
「…何も言わなくていいから」
安心させてあげようと名前がこぼれ落ちそうになるのをこらえる。見ず知らずの相手に無用心に名前を知らせることはない。
「これはこれは。素晴らしいナイトですね。そうでしょう玲奈」
「……はい。橘マネージャー……」
固まってしまった俺をよそに、スーツの男性は余裕の笑みで名前を名乗る。
「玲奈のマネージャーをしております橘隼人です。お見知り置きください」
「…マネージャー」
あまりのことに呆気に取られて口が開いてしまう。
この容姿の整った男が、玲奈ちゃんのマネージャーだとは思わなかった。この橘という男は感情を読み取れないので、不信感は拭えない。
「ずいぶんゆっくりなご登場ですね」
「それは仕方ありません。まだ玲奈は売り出し中で、専属のマネージャーではありませんから。自分は玲奈以外にも三人のスケジュールを管理しています」
にこりと微笑む姿は、マネージャーだとは思えない程の存在感と色香がある。
「橘さんは元モデルで、業界にも詳しーの…だからあたしみたいな、駆け出しのひょっこを面倒見てくれるの」
聞いたことはある。マネージャーと呼ばれる人の中には、元芸能人で売れなくなって転向した人がいるということは。この橘という人物がそれに当て嵌まるかというと、必ずしもそうとは限らないという気がした。
十分すぎるほどの色香があり、俳優だとしたら一番脂の乗った時期だといえる。
「玲奈は才能があります。誰もを引き付ける魅力は、グラビアよりバラエティー向きかもしれません。まず認知してもらうことが大切なので、雑誌や写真集も積極的に仕事を取っています」
「バラエティーだと、バカだってわかっちゃうよ…」
うつむいた玲奈ちゃんに、優しい視線を送りながら、橘さんは玲奈ちゃんの背中を押す。
「すみませんが、ここから仕事の打ち合わせになるので、少しご遠慮願えますか」
ビジネスライクに言われると、頷くしかない。頭の隅に礼治さんの顔が浮かんだものの、ぎゅっと押しやる。
「お手間かけさせてすみませんでした。どうぞごゆっくり」
心を残して遠ざかりながら、なんて礼治さんに言おうか悩んでいた。そのまま、ありのままを言えばいいだけなのに……
さくさくと砂を蹴立てる足を見ながら進むと、ふいに視線を感じた。こちらに体を向けて礼治さんは俺と、それからきっと玲奈ちゃん達を視界に入れていた。
髪を風になびかせて、まるで獣の王のように。
「礼治さん……」
唇を覆う手にはタバコが挟まれていて、風に煽られた煙りが礼治さんに纏わり付き、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。
「すまなかった」
ぽつりと礼治さんが言葉をこぼした。
「余計な心配だったね」
「そんな…だって心配したっていいじゃないですか。解らないじゃないですか、そんなこと」
この人は、なんて情けなくってどうしようもなくてバカみたいなのに…
人間くさくて可愛いいんだろう
「あの人が問題ないなら宿まで戻ろう」
「心配じゃないんですか」
先に歩き出していた礼治さんが、顔だけ振り返って煙りを吐き出した。
「相手はマネージャーだよ。大丈夫だ」
あんなに心配していたのが嘘のように、あっさりと手放している。
「俺らはプロフェッショナルにならないといけない訳。彼女は大事な商品だからね、メンタルも大事なんだよ。カメラの前に立てなくなったら困る」
煙りを吐き出して歩いていく礼治さんの背中は何も変わりなどなくて、どんな顔をしているのか見えないのが辛かった。
あんなに玲奈ちゃんのことを心配していたのに、モデルを商品だなんていつもなら言わない。
言わないからこそ、それは自分に言い聞かせているように聞こえる。
「また東京に帰れば日常に紛れてしまうよ」
風に乗って礼治さんのつぶやきが流れてきた。
どんなに憧れていたといっても彼女は若いし、これから売り出しをかける新人だ。
スキャンダルは避けたいはずだった。
胸にもやもやを残したまま宿泊施設までの道を辿った。
宿に戻ると食事の用意が出来ていて、すぐに食べるように促される。
「せっかくだから温かいうちにもらおうか」
にこりと笑った礼治さんと共に部屋には戻らず、そのままカメラを担いだままテーブルにつき食べはじめた。
伊部さんやスタイリストの青木さんも合流して、にぎやかに食事をしていると、しばらくすると玲奈ちゃんとマネージャーも席に加わってきた。
食事は和やかに進み、晩酌をしている伊部さんに付き合う形で礼治さんと俺が話していると、食事を終えたマネージャーが加わってきた。
「玲奈の撮影データを見せてもらえますか」
にこやかに笑っているようで、眼光は鋭い。元モデルだけあって、整いすぎている顔から感情が読み取れない。
一瞬、目が見開かれ、すぐさま営業用の笑顔を作った礼治さんがカメラを差し出す。笑っているのに、ものすごく不穏な気配がする。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
にこやかなやり取り。でも背筋が凍りそうなほど怖い。
「礼治さんはねぇ~女の子の扱いが上手いですから、自分も安心して任せてますよ」
ほろ酔いの伊部さんは、この場の嫌な緊張感がわからないらしい。
「確かにお上手な方だと伺っています。事務所側としては、まったく使えない物もありますが」
すっと液晶画面を礼治さんに向けて差し出す。画面を見た礼治さんの眉間にしわが寄る。
「使えるかの判断は出版社に一任してありまからねぇ。そこからそちらの事務所には確認が入るでしょう」
「もちろん、そういった流れは把握しています。ただ使えないものを撮られてもこちらも困るということです。玲奈のイメージ戦略というものもありますのでね」
二人のやり取りに自分だけドキドキと緊張感が増していく。
「まぁ~玲奈ちゃんのことはお任せください。伊部、一世一代の名作を仕上げてご覧にいれます」
くすりと苦笑を浮かべた橘さんは席を立つ。
「ぜひ、そうお願いしたいものです。こちらとしても事務所ゴリ押しは避けたいものですから」
橘マネージャーが去っていくのを見送ると、この場から緊張が抜ける。
少しばかり乱暴な手つきで泡盛をついだ伊部さんが、「いけ好かない」とつぶやいた。
無神経なように振る舞っていても、伊部さんも場の雰囲気に気づいていたらしい。
「まあねぇ…確かに使えないのもあることはわかってるんだけどね…」
礼治さんが手にしたカメラの液晶が明るくなり、玲奈ちゃんの顔が映し出される。
「こんなイっちゃった顔、俺だって使えるなんて思ってない」
カメラの液晶に浮かぶのは、うっとりと頬を染めた玲奈ちゃんで、僅かに開いた唇まで女の色香を漂わせている。
「ある程度、仕方ないっスね。玲奈ちゃんは礼治さんにベタ惚れだから」
くいっとグラスを煽った伊部さんが答える。
「伊部ちゃん、おぢさんを買い被りすぎ。でもまあ…あのマネージャーには注意が必要だね」
頷きあって確認すると、カメラをケースに納める。なんだか座が白けてしまったので、皆部屋に帰ることになった。
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