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ゆらゆら
しおりを挟む高速で掻き回されるエンジンが切られると、白い泡の軌跡がゆっくりと消えていく。
たぷん、とぷん
波が船べりに打ち付ける音がする。透明度の高い海は明るくて、どこまでも見渡せる。
「結輝、着いたぞ」
「了解。一本目行ってくる」
船長が船の碇を下ろすと、酸素ボンベを背負って背中から海に飛び込む。
飛び込むことによって泡だった視界が晴れてくると、青い清浄な世界が目の前に広がる。水の色は明るく澄んで、それでいて場所による違いを感じられる。
青に緑に見えるそれは、優しくて温かく自分を包んでいた。
明るく輝いている水面から射す光の筋が揺らめいて、神殿にいるかのような神秘的な光景になる。
目の前をよぎる魚は、人を恐れずにすぐ近くを泳ぎ去る。
目で追って、ゆっくりと後を追う。
鮮やかな魚を、焼き付けるようにシャッターを切っていく。
狙った場所に、狙ったように被写体が来ると、嬉しくなって吐き出す泡が大きくなる。笑いの形に広がった泡は、銀色に輝きながらゆらゆら海面を目指して登っていく。
久しぶりの海に夢中になってシャッターを切っていたけれど、エアーの残量が僅かになり、渋々と海面まで浮上する。
「首尾はどうだ?」
船縁から船へよじ登ると、にっこり笑った船長が聞いてくる。
背負っていたボンベを船底に投げ出すと、ガシャリと重い音をたてた。水から出ると、途端に体が重く感じられる。水中で軽々と背負っていたボンベは、水から出ると途端に重荷でしかなくなってしまう。
上も下もなく動くことのできる水の中は、とても自由で呼吸さえ出来るならずっと潜り続けていたい。
温かな水に棲む鮮やかな魚を追いかけて過ごせるなら、何物をも投げ捨ててしまえるだろう。
「上々。かなりいいよ。二本目はポイントを変えてテーブル珊瑚まで行ってよ」
「ほんとに行くのかぁ、結輝」
「なんで。いつも行ってたのに」
「あんま勧められんなぁ」
困った顔を隠すように、がしがしっと首にかけていたタオルでぬぐう。
「なんかあった、とか」
以前、新聞社が傷つけられた珊瑚だと掲載した写真が、カメラマン自身が傷つけていたヤラセ写真だったことがある。
大手新聞社がスクープだとして扱った写真も、地元の人を騙すことは出来ない。だって、毎日毎日見ているのだから。異変に気付かない訳がない。
何百年の歳月をかけて形作られる珊瑚を傷つけるだなんて許せない行為だった。
「見ればわかる。だから連れていきたくないんだ」
タオルから目を覗かせているけれど、眉は八の字に寄っているし、隠された口はへの字に結ばれているはずだ。
嫌な予感しかしない。喉がからからになっていて、声を絞り出すのがやっとだ。
「嫌なことだとしても、やっぱり自分の目で見て納得したい」
「そうか。なら行こう。ただ結輝ががっかりするのを見たくなかったんだ」
ゆらゆらと波に揺れていたボートにエンジンがかかり、息を吹き返した。地元の勘で、迷いなく次の撮影場所まで運ばれる。
ポイントを定めて錨を下ろすと船長が目で促す。
待ちきれないような、見たくないようなもどかしさに押されて海に飛び込む。
飛び込んだことによって耳が詰まる。音のくぐもるのがどこか遠くの事のようで、自分の体なのに自由にならない違和感がまとわりつく。泡が晴れるわずかな間に耳抜きをして、じっと待つ。
晴れていく泡はゆらゆらと立ち上っていき、視界から珊瑚をあらわにしていく。
ぱっと見た感じでは、そう変わっていないようだった。
ただ側に寄れば、淡々として陽炎のように揺れている命をそこに感じることができなかった。
ざらりとして無機質な穴が空いているだけの物でしかなかった。
衝撃が大きすぎて、体がうまく動かない。耳抜きしたくせに、上と下が解らなくなって上るつもりで、潜水していっているみたいだ。
ため息でさえ銀色のゆらゆらした泡になって消えていく。
珊瑚を確認すると、ボンベに空気を残して水をあがる。
ボートへと乗り越むとぱたぱたと雫が散った。
足元に落ちる雫を見て、もし泣いていても、ぽたぽた垂れる水と涙の区別なんてつかないないだろうなんて考えていた。
「どうだった」
足元に船長の影が落ちる。見上げると眉間にしわを寄せていた。
「…びっくりしました」
命のかけらのない海は寒々としていて墓場のようだった。今まで泳いでいた魚達はどこに行ってしまったのかと思う程、そこに生き物の気配がなかった。
「泣くかと思ったよ」
自分のほうが困ってる顔をしながら船長が首を傾けた。
「さすがにそれはないでしょう」
確かにショックだった。衝撃で涙も出ない程だ。胸がつまるような重苦しさがある。
「どうして、とは聞かないのか?」
タオルを渡してくれながら船長が聞いてくる。
「聞いたら答えてくれるんですか」
「答えられることなら、だけどな」
ぐいぐいとタオルで顔を拭う。
「どうせ温暖化とか言うんでしょう?」
「そうだ。気温が10年前と比べて5度上がっているんだ。どうして水温が上がらないなんて言える?」
「だからって…たかが5度なのに」
そこで船長はバケツに入っている魚をつかんだ。
あっと息を呑む。
「結輝がダイビングをするようになって始めに言ったはずだ。
魚の体温は水温と変わらない。ここで言うなら20度前後だ。そして俺は体温が高くて37度ある。その差は17度もあるんだ。俺がこの体温のまま魚を触ったなら、魚は火傷をしてしまう。はっきりと目に見える程焼けただれてしまう訳でなくても、魚は弱ってしまう。
温かい手のまま魚に触れるなというのは、寿司職人や料理人だって知ってる」
そして船長は魚をバケツに戻したが、ゆらりと揺れて元気がないように見えた。
「体温37度の俺が、52度の風呂に入ることはできない。せいぜい42度だ。自分の体温より5度高くなるだけで生命は危険にさらされるんだ」
簡単に温暖化と言ってしまった自分が恥ずかしくなる。
もちろん水温の上昇には、海流の変化も関係していると言われている。
「だから珊瑚が死んでしまったんだ」
自然環境が相手では、人間の知恵など到底敵うはずもない。ましてや自然環境の変化は人間が引き起こしているのだ。
「簡単に養殖して増やせばいいって問題じゃない。珊瑚が生きれる環境かどうかが問題なんだ」
船長の言葉は胸にこたえた。一個人でどうにか出来るレベルじゃないのが辛い。
今回はもう撮影するだけの気力を使い果たしたので、沖縄を後にすることにした
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