6 / 25
ゆらゆら
しおりを挟む高速で掻き回されるエンジンが切られると、白い泡の軌跡がゆっくりと消えていく。
たぷん、とぷん
波が船べりに打ち付ける音がする。透明度の高い海は明るくて、どこまでも見渡せる。
「結輝、着いたぞ」
「了解。一本目行ってくる」
船長が船の碇を下ろすと、酸素ボンベを背負って背中から海に飛び込む。
飛び込むことによって泡だった視界が晴れてくると、青い清浄な世界が目の前に広がる。水の色は明るく澄んで、それでいて場所による違いを感じられる。
青に緑に見えるそれは、優しくて温かく自分を包んでいた。
明るく輝いている水面から射す光の筋が揺らめいて、神殿にいるかのような神秘的な光景になる。
目の前をよぎる魚は、人を恐れずにすぐ近くを泳ぎ去る。
目で追って、ゆっくりと後を追う。
鮮やかな魚を、焼き付けるようにシャッターを切っていく。
狙った場所に、狙ったように被写体が来ると、嬉しくなって吐き出す泡が大きくなる。笑いの形に広がった泡は、銀色に輝きながらゆらゆら海面を目指して登っていく。
久しぶりの海に夢中になってシャッターを切っていたけれど、エアーの残量が僅かになり、渋々と海面まで浮上する。
「首尾はどうだ?」
船縁から船へよじ登ると、にっこり笑った船長が聞いてくる。
背負っていたボンベを船底に投げ出すと、ガシャリと重い音をたてた。水から出ると、途端に体が重く感じられる。水中で軽々と背負っていたボンベは、水から出ると途端に重荷でしかなくなってしまう。
上も下もなく動くことのできる水の中は、とても自由で呼吸さえ出来るならずっと潜り続けていたい。
温かな水に棲む鮮やかな魚を追いかけて過ごせるなら、何物をも投げ捨ててしまえるだろう。
「上々。かなりいいよ。二本目はポイントを変えてテーブル珊瑚まで行ってよ」
「ほんとに行くのかぁ、結輝」
「なんで。いつも行ってたのに」
「あんま勧められんなぁ」
困った顔を隠すように、がしがしっと首にかけていたタオルでぬぐう。
「なんかあった、とか」
以前、新聞社が傷つけられた珊瑚だと掲載した写真が、カメラマン自身が傷つけていたヤラセ写真だったことがある。
大手新聞社がスクープだとして扱った写真も、地元の人を騙すことは出来ない。だって、毎日毎日見ているのだから。異変に気付かない訳がない。
何百年の歳月をかけて形作られる珊瑚を傷つけるだなんて許せない行為だった。
「見ればわかる。だから連れていきたくないんだ」
タオルから目を覗かせているけれど、眉は八の字に寄っているし、隠された口はへの字に結ばれているはずだ。
嫌な予感しかしない。喉がからからになっていて、声を絞り出すのがやっとだ。
「嫌なことだとしても、やっぱり自分の目で見て納得したい」
「そうか。なら行こう。ただ結輝ががっかりするのを見たくなかったんだ」
ゆらゆらと波に揺れていたボートにエンジンがかかり、息を吹き返した。地元の勘で、迷いなく次の撮影場所まで運ばれる。
ポイントを定めて錨を下ろすと船長が目で促す。
待ちきれないような、見たくないようなもどかしさに押されて海に飛び込む。
飛び込んだことによって耳が詰まる。音のくぐもるのがどこか遠くの事のようで、自分の体なのに自由にならない違和感がまとわりつく。泡が晴れるわずかな間に耳抜きをして、じっと待つ。
晴れていく泡はゆらゆらと立ち上っていき、視界から珊瑚をあらわにしていく。
ぱっと見た感じでは、そう変わっていないようだった。
ただ側に寄れば、淡々として陽炎のように揺れている命をそこに感じることができなかった。
ざらりとして無機質な穴が空いているだけの物でしかなかった。
衝撃が大きすぎて、体がうまく動かない。耳抜きしたくせに、上と下が解らなくなって上るつもりで、潜水していっているみたいだ。
ため息でさえ銀色のゆらゆらした泡になって消えていく。
珊瑚を確認すると、ボンベに空気を残して水をあがる。
ボートへと乗り越むとぱたぱたと雫が散った。
足元に落ちる雫を見て、もし泣いていても、ぽたぽた垂れる水と涙の区別なんてつかないないだろうなんて考えていた。
「どうだった」
足元に船長の影が落ちる。見上げると眉間にしわを寄せていた。
「…びっくりしました」
命のかけらのない海は寒々としていて墓場のようだった。今まで泳いでいた魚達はどこに行ってしまったのかと思う程、そこに生き物の気配がなかった。
「泣くかと思ったよ」
自分のほうが困ってる顔をしながら船長が首を傾けた。
「さすがにそれはないでしょう」
確かにショックだった。衝撃で涙も出ない程だ。胸がつまるような重苦しさがある。
「どうして、とは聞かないのか?」
タオルを渡してくれながら船長が聞いてくる。
「聞いたら答えてくれるんですか」
「答えられることなら、だけどな」
ぐいぐいとタオルで顔を拭う。
「どうせ温暖化とか言うんでしょう?」
「そうだ。気温が10年前と比べて5度上がっているんだ。どうして水温が上がらないなんて言える?」
「だからって…たかが5度なのに」
そこで船長はバケツに入っている魚をつかんだ。
あっと息を呑む。
「結輝がダイビングをするようになって始めに言ったはずだ。
魚の体温は水温と変わらない。ここで言うなら20度前後だ。そして俺は体温が高くて37度ある。その差は17度もあるんだ。俺がこの体温のまま魚を触ったなら、魚は火傷をしてしまう。はっきりと目に見える程焼けただれてしまう訳でなくても、魚は弱ってしまう。
温かい手のまま魚に触れるなというのは、寿司職人や料理人だって知ってる」
そして船長は魚をバケツに戻したが、ゆらりと揺れて元気がないように見えた。
「体温37度の俺が、52度の風呂に入ることはできない。せいぜい42度だ。自分の体温より5度高くなるだけで生命は危険にさらされるんだ」
簡単に温暖化と言ってしまった自分が恥ずかしくなる。
もちろん水温の上昇には、海流の変化も関係していると言われている。
「だから珊瑚が死んでしまったんだ」
自然環境が相手では、人間の知恵など到底敵うはずもない。ましてや自然環境の変化は人間が引き起こしているのだ。
「簡単に養殖して増やせばいいって問題じゃない。珊瑚が生きれる環境かどうかが問題なんだ」
船長の言葉は胸にこたえた。一個人でどうにか出来るレベルじゃないのが辛い。
今回はもう撮影するだけの気力を使い果たしたので、沖縄を後にすることにした
0
あなたにおすすめの小説
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結
まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。
コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる