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たゆたう
しおりを挟む沖縄から帰って来た週末に、もうひとつのバイト先である大使館跡に向かう。
甘ったるい名前のそれを口にするより、仕事場として向かうには大使館跡というのが自分にはしっくりときていた。
まだ早い時間だったが、打ち合わせには何人かが席について当日のプランを確認していた。
自分も沖縄の魚を撮ったファイルと、お土産のちんすこうを手に席につく。
「これ皆さんで召し上がってください」
言葉と共に箱を差し出すと、柔らかな笑顔をした品川さんが箱を受け取ってお礼を言ってくれる。
「ご馳走さま。沖縄で写真集の撮影だったなんて素敵よね。天気も良かったでしょう」
「幸いにも雨には降られませんでしたね」
風景撮影ではないから、最悪女の子の水着が撮れるなら、天気なんてどうでも良かった。ただその場合、ほんのわずかな布しか身に着けてないモデルにしたら寒くて大変だっただろう。
ビキニからこぼれそうな程成長していた玲奈ちゃんの胸を思い出して、慌てて打ち消した。
「これは沖縄で撮ってきた魚の写真です」
ファイルを押しやると、品川さんは手に取ってじっくりと見てくれた。
「本当、綺麗。世界中のダイバーが潜りに行くのがよくわかるわ。この写真は相模くんの気持ちが良く出てる」
それは磯巾着と魚が共存している写真だった。磯巾着に隠れるようにしている魚が、のんびりと寛いでいるように見えるようで、自分でも気に入っているものだった。
「やっぱり撮った人がいいと思うことが、写真越しに伝わってくるのね。なんとも言えない魚の表情がかわいいわ」
「これは自分でも気に入っているので、そう言ってもらえると嬉しいです」
ほのぼのと品川さんと和んでいると、ミオが写真を覗きこんできた。
「フアッション撮影のアシスタントだから、そっち方面ばかりかと思ってたけど違うのね」
すっと写真の表面を撫でたミオの繊細な動きに、真剣にケーキに向き合う指先を思い出して息を飲む。
白い指先と鮮やかな魚、それを際立たせるマホガニーの木目が、くっきりと鮮やかなコントラストで目に焼き付く。
こんな日常でも時折、はっとするような光景に目を奪われる。それは自分がカメラを構えて一瞬を待ち構えているからなのかはわからない。
ファインダーを通して切り取られる、その一瞬を決めるのは今まで培ってきた自分の感性でしかない。
それが揺らされることがあるのは、そこに篭る思いや感情なんだ。
降って湧いたようなその思いに、心の扉がわずかに開くのを感じた。開かれたそこからは、新しい風のように爽やかな温かなものが溢れてくる。
ちらりと品川さんの隣に座る沙那さんを見る。窓から射す光で白いシャツがまぶしいくらいに輝いて、光に縁取られた髪がつやつやとした光沢を見せている。
伏し目がちにカップを手に取り、唇をつけていた。飲み物のカップの中味は紅茶だ。どうやらコーヒーは苦手らしく飲んでいるのを見たことがない。
そんなふうに沙那さんを見るこの行為を何と言うのだろう。
盗み見る、観察する、覗く。
そのどれもがよい言葉にとれなくて気持ちが凹む。
でも、このままでいいと思えなくなっている自分がいた。焦っているとも言える。胸の奥をちりちりと焼く焦燥が、重い口をなんとか開かせる。
「沙那さんも見てください」
ミオの前で開かれていたファイルを取ると沙那さんに渡した。
「見てもいいの?」
少しだけ首を傾げる。今まで、こんなにはっきりと沙那さんからの視線を感じたこはなかった。
片付けられずに引かれたままの椅子みたいに、ただ一緒の部屋にある家具や壁の一部くらいでしかなかったんだろう。
彼女の瞳に写り、気を引くことのできる小物やインテリアですらなかった。
それくらい接点がなかった。一緒に働くスタッフだとしても、働く場所や時間帯もズレてしまうため、まともな会話でさえ初めてだった。
白くて長い指。少し荒れているのは、植物や水を扱うからだろう。長い指が丁寧にページをめくり、時折じっと見入ることがある。
その視線が写真を通して自分の心まで見透かしてしまうようで、今更ながらドキドキと鼓動が早くなる。
早く見終わって欲しい、でも感想を聞くのも照れ臭い。沙那さんなら、なんて言ってくれるんだろうか。
「綺麗ね…もっと他の写真も見たくなる」
沙那さんの瞳に見つめられるだけで、ドキドキと鼓動が早くなる。でも嫌じゃない緊張感。
「良かったら、他のも見てください。……ランチでもしながら」
「そうね。それもいいわね」
にっこり笑うのを見て、なんで今まで話しかけなかったのかと、胸を撫で下ろした。
沙那さんだって普通の人なんだから、もっと早く話しかけて笑顔を見ればよかった。
「携帯はある?」
「あ、はい」
「じゃあ登録しておいてね」
慌てて携帯を出すと、沙那さんは数字をすらすらと読みあげた。
こんなに簡単に携帯番号を知ることが出来るとは思っていなかったので、嬉しいのと緊張がごちゃまぜになる。
あんまりにやけすぎないように、気持ちを落ち着けて番号を読みあげる。
「そう。連絡ちょうだいね」
ひらひらと手を振って沙那さんは席を立った。
ちょうどお客様が見えたので、沙那さんは後について部屋を出ていく。
「後で、必ず」
急に、この小さな携帯が、とても大切な物なものに見えてきて、大事に両手で包み込む。
「鼻の下が、伸びてるわよ」
目の前まで来て顔を覗きこんだミオにそう言われる。
「なんだよ、いいだろ別に」
ファイルで顔の半分を隠していても、ミオの興味津々な目は隠しきれていない。
「いいじゃない。減るもんじゃなし。いい感じよね、沙那さんと。連絡するんでしょう?」
興味本意に聞かれても、素直に答える義理はない。
「ミオの餌食になるつもりはない」
ふうん、と言ったミオはトントンとファイルを叩いて考えていたが、
「じゃあ、プチフールのあまりは品川さんにあげることにする」
そう言って背中を向けた。
なんでここでプチフールが出るかな。
忙しくしている品川さんやスタッフは、あちこち動き回っているけれど、ミオは厨房にいるから愚痴を言ったり味見としてお菓子をつまんだりしていた。
「プチフールとかで釣るのズルくない」
「じゃあムースもソルベもガトーショコラもドラジェもダメよ」
「それヤメて。貴重な食料だから」
一人暮らしの生活で、普段食べられない甘いものは貴重だ。ミオの機嫌しだいでそれもお預けになってしまう。
「なにが聞きたいの」
ため息とともにつぶやいた。
「やっぱりいい」
ぴたりと立ち止まったミオが言う。さっきまで人の恋愛事情に首を突っ込んできたくせに、突然な変わりようだ。
「なに、やっぱり野次馬はやめることにした?人の恋路を邪魔する奴はって言うもんな」
追いかけて顔を覗き込むと、ミオは唇を尖らせてふて腐れていた。
「やっぱ結輝ごときにノロケられてもムカつく」
「ごときで悪かったなぁ。俺はミオとはいい仲間でいたいと思ってるんだから。ミオんとこ行けなくなったら辛いだろ」
「べつに、いい、だからつまみ食いに来なくても。プチフール多めに作らなくて済むんだから」
いーっと顔をしかめてミオは行ってしまう。
「試作の味見してやっただろ。また試作に付き合ってやるから機嫌なおせよ」
それでもミオは振り返ることなく歩いて行ってしまった。
追いかけなかったのは、自分の仕事も入っているからか、それとも追いかけて行ってまで言うほどの言葉が自分にはないからかわからなかった。
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