悪役令嬢に転生したと思ったら、乙女ゲームをモチーフにしたフリーホラーゲームの世界でした。

夏角しおん

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5.悪役令嬢と事務員

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「わあ、奇麗…!」
背後の呑気な声は男爵令嬢のものだ。二階層目は確かに、見てくれだけは綺麗な場所だった。
魔術研究所を彷彿とさせるこの階層は、朽ちてはいるがどこか清涼感がある。それは或いは、通路の両脇に流れる清流がそう見せているのかもしれない。
但し、その水は飲めない。掌で汲んで飲もうとする男爵令嬢を止めた宰相令息が、試しに自分のタイを流れに漬ける。忽ちに煙が上がるのに騒めき、引き上げたタイがボロボロに腐食しているのを見て全員が押し黙った。
はい正解。それは強アルカリの溶液だから、もし水路に堕ちればあなた達も即座に骨格標本になるだろう。せいぜい気を付けた方が良い。
三歩先から顛末を見届け、再度歩き出す私にまた怒鳴り声が叩き付けられた。
「マリアがショックを受けているのが判らないのか、もう少しゆっくり歩け!」
騎士団長令息…ああもう、面倒だから脳筋でいい。脳筋がさも嘆かわしいと言わんばかりに私を避難しているが、多分それはショックではなく単純に靴が痛いだけだと推察する。
運命の相手だ真の忠誠だと声高に主張する割に、こいつらは相手の要望を汲む力が全く育っていない。甘やかされて育ってきた良い所のボンボンなど、所詮その程度だ。
私たちは卒業パーティー中に飛ばされた。男連中は兎も角、私も男爵令嬢もドレス姿だ。三年前まで平民だった男爵令嬢は特に、コルセットとハイヒール姿で一階層目を潜り抜けてきたのだから、体の負荷など推して知るべきだろう。
私とて、鍛えられてはいるが即座に靴を脱いでいなければここまで機敏に動けなかったのだから。
ちなみに靴を脱いでいるが、私は裸足ではない。王妃陛下からの無茶な命令により、私はいついかなる時も自分の身は自分で守れるように訓練を受けていた。
そのためにドレスコードから逸脱しない範囲での工夫は常に凝らしている。ドレスの裾から見えない靴下は底が厚く造られており、今のように靴を脱いでも足裏を傷つけることなく歩くことができる。事務員の記憶と照合して例えるなら、地下足袋のようなものだ。
更にドレスは裾の両脇にあるリボンを解いて脇腹の装飾を潜らせることで裾を上げている。所謂「股立ちを取る」形で、内側のパニエを外せば剣道の袴さながらに動ける仕様だった。
いついかなる時でも、自分の身は自分で。そしてそれ以上に、王太子の安全は身を挺しても守るように。王妃陛下の要求に応える為に、ロザリンドは血を吐くような訓練に耐え続けていた。その結果がこの格好だ。
王太子を愛しているからでは勿論無く、そうする以外に自分の生きる意味を与えられなかったから。
物心つく前に王太子の婚約者とされ、親元から引き離されて王宮で育てられたロザリンドは、両親から捨てられたも同然だと言い聞かされて育った。
逃げ帰るべき場所はもう存在せず、この場所で自分たちに認められる事でしか生きて行けないのだと幼児に教え込む。カルト教団や誘拐犯が良く使う洗脳の手口だが、ゲームのロザリンドはその暗示に盲従し、自分の命に代えても王太子を守ろうと必死だった。
だが事務員の持つゲームや人生の記憶を引き出せば、それが虚言であることは明らかだ。公爵夫妻はロザリンドが生還する頃には我が子の冤罪を晴らす準備をしていたし、提示された証拠に反逆も辞さないと激怒していた。
王妃陛下も王太子殿下もロザリンドを人として見ておらず、未来の王に酷使されるだけのドレスを着た奴隷としか認識していなかった。だが王宮に居るロザリンドが人質も同然であったため、公爵家も虐待に薄々気づいていながら手をこまねいて居いたのではないか。
それが判った今、王太子を守ろうとは微塵も思えない。それどころか失った尊厳と声を取り戻すためにも、あれは生かしておいてはならない存在だとすら考えている。
事務員としての私は、何処にでもある家庭に生まれて当たり前の愛情を受けて平凡に育った。もしロザリンドがその凡庸な生き様を目の当たりにしたならば、涙を流して羨んだに違いない。
それくらい、ロザリンドの生きてきた時間は過酷で、理不尽に搾取されるだけの人生だった。ロザリンドの記憶と事務員の記憶。両方を持つ私だからこそ断言できる。
傍らを流れる水路にちらと目をやり、この階層で手に入れるものと熟すべきイベントを脳内で再確認する。そして背後の連中に見せつけるように、鍵のかかった扉をこれ見よがしにガチャガチャと引いて見せた。
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