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閑話休題
閑話休題2 縄文文明の終焉、弥生はあったのか
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弥生時代は無かったという学説があるそうな。さて、弥生があったのかという話です。
縄文後期から稲作が始まったというのは間違いない。土器や土偶、石器加工技術の工夫とかを見ても、日ノ本で技術・技能が発達したのは間違いないのです。
滋賀県、琵琶湖から流れ出る瀬田川湖岸に、いくつかの貝塚が発掘されています。粟津湖底遺跡で見つかた貝塚が、9600年~9200年前の遺跡であることが確認されています。
琵琶湖の水位変化は、縄文期では数メートルは変化したと考えられます。
自然に生まれるこの推移変化を利用して、葦原を春先に焼き祓い、肥料としつつ、水位の上昇とコイやフナの産卵場所として提供し、天然の養殖場として確保する。数メートルに成長した葦を水が引いた秋に刈り取って乾かして、屋根を葺く建材として活用する。
青森県三内丸山遺跡のように、居住地域の周辺にクリを植樹して育てることを実施し、植生を変化させる形で栽培採取生活を行ったことも確認されています。
琵琶湖湖岸地域では、天然の環境変化を活用した、養殖による漁獲量の確保によって、定住生活を可能としました。滋賀県相谷熊原遺跡は、愛知川が流れる高台にある、13000年前からの遺跡である。愛知川の氾濫を考えて、標高200m~300mに建てられています。
縄文時代は、自然を利用した養殖法による採取生活、木造建築の発展、支えられる人口増大による、居住地域の拡大、さらなる生活域の拡大が推進された。縄文期の規約は、男女の契り、他の一家一門が持つ、風俗習慣を許容することを基本であったと推定できます。
異なる風俗習慣を、山域と海岸のように、地域を分けることで許容し、大災害が起きれば、協力して事に当たる。文書で記録されたわけではありませんが、縄文規約とも言うべき、日ノ本全域から太平洋に拡がる規約が、徐々に確立された時代であったと推定できます。
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弥生の遺跡は、金属器の遺跡であるとされます。銅鐸、銅鏡、銅矛といった銅製品が出土することで、弥生の遺跡とされています。滋賀県野洲市歴史民俗博物館には、134センチの銅鐸が出土しています。(本物は、東京国立博物館に収蔵、野洲市には出土時の複製品が置かれています)
銅製品は、鋳造によって造られていた。日本の銅鐸は、スズだけでなく、鉛を混ぜて造られています。
金属器の加工は、知識・技術も高度なモノとなり、鋳造場所は、かなり限られた地域であったと推定されます。滋賀県ではかなり多くの銅鐸が出土しており、鋳造の技術・技能や知識を持った技術者集団が、住んでいた地域であったことが解ります。
弥生期は、前4世紀から後3世紀と700年ほど短い期間で在りました。経済と言う意味では、金属器の浸透と、一族一家というグループの活動から、様々な人を集団で活動させるための規約を確立した時代でありました。
集団による労務作業の結果として、大規模な灌漑事業が実施され、古墳が形成され、古墳時代へと継続するようになっていきます。
日ノ本の歴史では、時代がここで切れるというほど、デジタルな変化はほとんど生じません。日ノ本の歴史は、緩やかに時代が変化するため、縄文>弥生>古墳の流れは、連続的に変化していったという方が間違いありません。
つまり、銅鐸の製造という最先端技術が開発されている傍で、葦原を焼いて、養殖を行うように、コイやフナを育てる里人の生活が行われている。浅瀬では、水稲耕作が行われ、徐々に規模を拡大していっている。
弥生は、規約の確立による、戦が始まった時代でもあります。労務関係では、命令する側とされる側という規約が必要となります。弥生に金属器と共に大陸から伝わったのは、この労務管理に係る規約となります。
労務管理の基本は、命令権です。業務を命令するための権利、業務を遂行するために必要となる規則が、新たな規約として登場します。命令する側とされる側の考え方が生まれます。
「海幸彦、山幸彦」の話で、海民が、娘婿の山幸彦を贔屓にして、海幸彦を負けさせて、隼人として山幸彦に従わせる話があります。綺麗に描かれていますが、兄に対してかなり残酷な対応をおこなったことになります。
命令する側される側は、明確に区別をしなければならず、規約は、厳格に定める必要があります。敗北することで、命令される側となり、勝利することで命令する側となる。これが戦の始まりであり、一家一門の同族であっても関係なく、勝敗はそのまま労務管理の関係となります。
弥生期に起きた、一番大きな変化は、労務管理の規約が適用されるようになり、勝者が敗者へ命令する、支配関係の樹立の始まりでもありました。様々な部族を束ねるための、規約が確立されていった時期が、弥生時代ということになります。
縄文後期から稲作が始まったというのは間違いない。土器や土偶、石器加工技術の工夫とかを見ても、日ノ本で技術・技能が発達したのは間違いないのです。
滋賀県、琵琶湖から流れ出る瀬田川湖岸に、いくつかの貝塚が発掘されています。粟津湖底遺跡で見つかた貝塚が、9600年~9200年前の遺跡であることが確認されています。
琵琶湖の水位変化は、縄文期では数メートルは変化したと考えられます。
自然に生まれるこの推移変化を利用して、葦原を春先に焼き祓い、肥料としつつ、水位の上昇とコイやフナの産卵場所として提供し、天然の養殖場として確保する。数メートルに成長した葦を水が引いた秋に刈り取って乾かして、屋根を葺く建材として活用する。
青森県三内丸山遺跡のように、居住地域の周辺にクリを植樹して育てることを実施し、植生を変化させる形で栽培採取生活を行ったことも確認されています。
琵琶湖湖岸地域では、天然の環境変化を活用した、養殖による漁獲量の確保によって、定住生活を可能としました。滋賀県相谷熊原遺跡は、愛知川が流れる高台にある、13000年前からの遺跡である。愛知川の氾濫を考えて、標高200m~300mに建てられています。
縄文時代は、自然を利用した養殖法による採取生活、木造建築の発展、支えられる人口増大による、居住地域の拡大、さらなる生活域の拡大が推進された。縄文期の規約は、男女の契り、他の一家一門が持つ、風俗習慣を許容することを基本であったと推定できます。
異なる風俗習慣を、山域と海岸のように、地域を分けることで許容し、大災害が起きれば、協力して事に当たる。文書で記録されたわけではありませんが、縄文規約とも言うべき、日ノ本全域から太平洋に拡がる規約が、徐々に確立された時代であったと推定できます。
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弥生の遺跡は、金属器の遺跡であるとされます。銅鐸、銅鏡、銅矛といった銅製品が出土することで、弥生の遺跡とされています。滋賀県野洲市歴史民俗博物館には、134センチの銅鐸が出土しています。(本物は、東京国立博物館に収蔵、野洲市には出土時の複製品が置かれています)
銅製品は、鋳造によって造られていた。日本の銅鐸は、スズだけでなく、鉛を混ぜて造られています。
金属器の加工は、知識・技術も高度なモノとなり、鋳造場所は、かなり限られた地域であったと推定されます。滋賀県ではかなり多くの銅鐸が出土しており、鋳造の技術・技能や知識を持った技術者集団が、住んでいた地域であったことが解ります。
弥生期は、前4世紀から後3世紀と700年ほど短い期間で在りました。経済と言う意味では、金属器の浸透と、一族一家というグループの活動から、様々な人を集団で活動させるための規約を確立した時代でありました。
集団による労務作業の結果として、大規模な灌漑事業が実施され、古墳が形成され、古墳時代へと継続するようになっていきます。
日ノ本の歴史では、時代がここで切れるというほど、デジタルな変化はほとんど生じません。日ノ本の歴史は、緩やかに時代が変化するため、縄文>弥生>古墳の流れは、連続的に変化していったという方が間違いありません。
つまり、銅鐸の製造という最先端技術が開発されている傍で、葦原を焼いて、養殖を行うように、コイやフナを育てる里人の生活が行われている。浅瀬では、水稲耕作が行われ、徐々に規模を拡大していっている。
弥生は、規約の確立による、戦が始まった時代でもあります。労務関係では、命令する側とされる側という規約が必要となります。弥生に金属器と共に大陸から伝わったのは、この労務管理に係る規約となります。
労務管理の基本は、命令権です。業務を命令するための権利、業務を遂行するために必要となる規則が、新たな規約として登場します。命令する側とされる側の考え方が生まれます。
「海幸彦、山幸彦」の話で、海民が、娘婿の山幸彦を贔屓にして、海幸彦を負けさせて、隼人として山幸彦に従わせる話があります。綺麗に描かれていますが、兄に対してかなり残酷な対応をおこなったことになります。
命令する側される側は、明確に区別をしなければならず、規約は、厳格に定める必要があります。敗北することで、命令される側となり、勝利することで命令する側となる。これが戦の始まりであり、一家一門の同族であっても関係なく、勝敗はそのまま労務管理の関係となります。
弥生期に起きた、一番大きな変化は、労務管理の規約が適用されるようになり、勝者が敗者へ命令する、支配関係の樹立の始まりでもありました。様々な部族を束ねるための、規約が確立されていった時期が、弥生時代ということになります。
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