最後までして、鳴瀬さん! -甘党編集と金曜22時の恋愛レッスン-

紺原つむぎ

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◾︎本編その後

手を振るあなた1

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 1月の最終日曜日、鳴瀬は大阪へと旅立った。

 ちょうど琴香の作業も立て込んでいるときで、見送りはいいと言われたけれど、この一時間の代わりに睡眠を二時間にしてもいいと思ったので東京駅までついていった。

「ん、じゃあついたら電話します」

 ギリギリまで改札口で話していてくれたけど、いよいよ時間だ。

「はい、いってらっしゃい」

 神妙に頷く琴香に、鳴瀬は苦笑した。

「2週間後には帰ってきますよ、大丈夫」
「そう、ですね」

 後ろ姿を見送る。
 鳴瀬は一度だけ振り返って、手を振ってくれた。

(──行っちゃった)

 今の今でも、まだなんだか実感がない。でもじきに痛感するのだろう。会いたくても簡単には会えない距離にいるってことを。

(大丈夫、大丈夫)

 たった2週間だ。しかも前哨戦というか、準備期間。この間に琴香もこの生活に慣れないといけないし、幸い仕事はたくさんあるし。

(メールだって電話だってできるし)

 それに、もしかしたら週末だけ帰ってくるかもしれないじゃないか。
 いろんな未来を想像して一人、帰路につく。
 地下鉄から出た瞬間、裸の街路樹を揺らすように吹き荒れた風の冷たさに身をすくめた。


「ただーいまー……」

 さっきまで彼のいた名残のある部屋で、一人ため息。飲みかけのマグカップを2つシンクに片づけて洗ったら、もうその気配すら無くなってしまった気がする。

(大丈夫、大丈夫)

 コーヒーを淹れ直してパソコンの電源をつけた。
 今までだってずっとこうしてきた。だから大丈夫。


 長い一日がすぎ、二日が過ぎ。

 初日は長々と話した電話も翌日には3時間になり2時間になり、1週間が経ったときにはメールの回数も減った。
 どうやら週末は仕事仲間との付き合いがあるらしい。鳴瀬のことだからきっと歓迎されているのだろう。

(大丈夫、大丈夫)

 ようやく1週間。なんだ、あと1週間なんてあっという間じゃないか。指折り数えて次の週末を待つ。
 けれど思わぬところでつまづいた。

『ごめん、出張延びるんだ』

 電話でそう言われたのは、金曜日の22時。翌日には帰ってくる予定だった日の夜だ。

『月曜朝イチに大事な商談があって……同席するよう言われて……大口のお客さんの都合もあって、もう2週間……かな』
「そう、なんですね」

 楽しみにしていた分だけ衝撃も大きい。黙ってしまった琴香を気遣って、鳴瀬がテレビ電話に変えようかと言った。

「ううん、いい……」
『そう?』
(いま、顔見られたく、ない)

 おたがい、翌日の仕事を理由に電話を切った。
 暗い画面に映る不細工な顔といったら。ため息とともにソファに沈む。

(プラス、あと2週間。大丈夫、大丈夫)

 毎日メールしてるし、電話もできる。……たまに、飲み会などにも参加しているらしく繋がらない日もあるけど、きっとそれが普通の社会人ってやつで。

 ──ごめんね、全然大丈夫です。ちょっと寂しくなっちゃっただけ。

 宛先のない下書きが、いくつもフォルダにたまっていく。



 ***





「──というスケジュールで進めさせていただきますね」
  
 2月も下旬にさしかかろうかという頃。
 金曜15時、琴香は担当編集とカフェでの打ち合わせに臨んでいた。

 エチプチの担当、池野文香が、書類を揃えながら明るい笑顔を向けてくる。
  
「私からは以上になりますが、白石先生のほうからなにかご質問ご提案ございますか?」
「いえ、特には」
「余裕をもった日取りになっていますので、リスケ必要でしたらいつでも連絡くださいね」
「ありがとうございます、よろしくお願い致します」
「はい、お願いします。ところで先生?」
  
 池野は書類をわきに追いやって、ほんの少し身を乗り出した。
  
「先生、お顔色がよろしくないですが……最近ちゃんと眠れてますか?」
「そ、そうですか? 大丈夫ですよ。そんなにひどい顔してますか?」
「あの、先生、差し出がましい話ですが……その、鳴瀬先輩お元気ですか。転勤、なんですってね」
  
 え、と琴香は口をつぐんだ。
 なんでこの人はいま、鳴瀬さんのことを?
 そんな琴香の不信感をぬぐうように池野はあわてて手を振った。
  
「私、鳴瀬さんの1つ下で、入社時にお世話になりまして。あと、鳴瀬さんから厳重に言いつかっているんですよ、白石先生のことよろしくって。実は私、まっさきにお二人のお付き合いに気づいちゃいまして」
  
 彼女が言うには、そもそもバレるようなことをしたのは鳴瀬のほうだったらしい。
 去年の琴香のスランプ時に、白石先生の進捗はどうだとわざわざ聞いてきたことがあったのだと。その後、年明けに鳴瀬の異動の噂を聞きつけ、琴香とはどうなったのかと尋ねたら、「白石先生をよろしく」と念を押されたのだそうだ。
  
「そうだったんですか……鳴瀬さん、会社のことはあまりしゃべらないから……その、ご迷惑をおかけしております」

「いえいえまったくそんなことは! そもそも鳴瀬さんは別部署ですしね、大丈夫ですよ。私は今後も先生の担当をする上で、黙っているのもどうかと思ったので言っちゃいましたが、ほかの人たちも特には! みんなお二人を見守る姿勢でして! ……で、先生はきっと……その、お寂しくしてらっしゃるんじゃないかなって、思いまして……」

 くるくるとよく表情の変わる人だ。やわらかくカールした長いまつ毛も、品のあるレッド系の口紅も大人っぽくて素敵。その唇をきゅっと引き結んで、池野はテーブルの上で手を組んだ。

「あの、実は、私も遠恋中なんです。もう一年になるんですけど、向こうが新潟で、私は東京で……いろいろあったのでちょっとはアドバイスというか、応援できるかなって……ほんと差し出がましくてごめんなさい! でも私、なんでも相談のりますから! 先生ももっと頼ってくださいね」
  
 明るい声音に促されるように、琴香は視線をあげた。目が合った池野はにっこりと笑う。

 ──いい人なんだろうなと思う。一年に満たない付き合いで、こうやって面と向かって話したのは2回目だ。いつもは電話口でこの明るい声を聴いていた。
 以前に会ったときよりもずっと話しやすくて、会うと元気が出るタイプの女性だと感じる。人見知りしてしまう琴香の性格を知ってか、打ち合わせの途中でも彼女からぐいぐい押してくることはなかった。
 けど、今日はせっかく会えたのだからと、池野は息巻いているようだ。
  
「そうだ。先生甘いものがお好きだって鳴瀬さんから聞いてます。もしよければこのあと一緒にチョコレート食べに行きませんか? 少し遅れちゃいましたけど、私からのバレンタインプレゼントです。仕事の話じゃなくって、雑談しながらお茶しましょうよ!」
  
 たしか、歳も近いのだった。おっとりしているように見えて、はきはきとしゃべる。服装はグレーのスーツで派手すぎないところも威圧感がなくていい。学生のころなら、きっといい友達になれただろうなという、同類のにおいがする人。──そして彼の後輩。
  
(遠距離恋愛中、か……)
  
 ちょっとだけ心が動いた。たしかにここ数日ぐるぐると一人で考えて、話し相手に飢えていたのは事実だ。
  
「池野さん」
「はい、先生!」
「もしよければ……愚痴、聞いていただけませんか」
  
 池野は一気にアイスティーを飲み干した。伝票をひっつかんで、勢いよく立ち上がる。
  
「よしっ、行きましょう!」
  
 つられて笑ってしまう。──うん、きっといい人だ。
  

  
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