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「ミレーヌ、いるんだろう?」

 私はぎくりとして息をひそめた。

「先ほどの聖女との言い争いのことで、みながあなたを探して……ミレーヌ?」

 ランスロットは私が隠れている書架のあいだにひょっこり顔を出した。さらさらの黒髪が片目を隠す。
 彼は学園に入ってからますます精悍に、美しく成長した。このところあまり会えていなかったせいか、改めて彼の凛々しさに見とれてしまう。
 最近の彼は、王太子として、学園の生徒会長として、聖女がこの世界に慣れるための手助けをしている。この冬は彼女につきっきりだった。

「君、泣いていたのか?」
「まさか」

 いまは聖女アリサの姿はない。私は訓練されたいつもどおりの微笑みを浮かべて彼に向き直った。

「ごきげんよう、ランス様。図書室に何用でございましょう」
「君を探しに」

 真摯なまなざしに、私は一瞬、返す言葉を失ってしまった。

(私のために……?)

 だとしたら、うれしい。けれどそんな動揺が顔に出ないところがミレーヌ・イグロードである。可愛げがないと思わなくもないけど、王太子妃候補として誰に対しても付け入る隙を与えないためにはこれでいいのだと納得している。
 ランスロット王子は書架に半身を預けつつ、私を責めるように目を細めた。

「ミレーヌ、なぜあの場から逃げた?」
「逃げてなど……。そもそも誰とも言い争っていませんのに。けれどそれを皆に説明したくともあの興奮状態だったでしょう? なだめるのは骨が折れそうでしたから、戦略的撤退をしたまでです」
「では、さきほどの騒ぎについては? 自分に非はないと言うのだな」
「少なくとも私は、聖女を傷つけようと言葉をかけたつもりはありません」

 事実だ。
 聖女や級友たち、それに彼も、そうは思ってはいないのかもしれないけど……。

「……なんて。ふふ、まさかランス様にこんなところまで探していただくなんて恐縮ですわ。面倒くさい女だとお思いでしょう?」

 素直に「探してくれて嬉しい」と言えばいいのに、思ったのと違う言葉がすらすらと口から出る。
 彼は私の嫌みにも慣れっこだと言いたげに肩をすくめた。

「いいや。だが、誤解は早急にとくべきではないかと危惧している」
「誤解?」
「今回の件は、あなたは悪くないのだろう?」

 私は目をまたたいた。彼は怒っているように見えたのに。

「私の言葉を、信じてくださるのですか……?」
「信じるも何も。俺は事実確認をしにきたのだから」

 もしかして彼を怒らせた原因は、私が彼女たちの誤解をとくことなく、すべて受け入れたせいなのだろうか。

「まったく難しいな、女性の集団というのは。平等に接しているつもりでも、贔屓を疑われ嫉妬を抱かれるし……」

 彼が人に不満をこぼすのはすごく珍しいことだ。昔から物分かりと聞き分けの良い男の子だったけれど、学園で過ごすうちに彼はますます大人びてしまった。
 そういえば昔は、こうして二人で大人たちから隠れて、難しい授業の泣き言を言いあったこともあった。あれは私がミレーヌになってすぐのことだった。懐かしい。
 ふふ、と口元を押さえて私は笑った。

「……正論で導けるものでもないのです、ランス様。さきほどの彼女たちは、私に忖度して騒いでいたのですから。私やあなた様に叱責されたらますます混乱して暴走してしまうでしょう」
「そういうものか」
「ええ、繊細な対応が必要です。ですが、国民の半分は女性なのですから、彼女たちを御せられずして私に王太子妃など務まりましょうか」
「言うじゃないか」

 ランスロットは腕を組んだままにやりと笑って、気を良くしたようだった。彼にはそういうところがある。私が強気だったり、負けん気を発揮するようなところを喜ぶらしいのだ。

「だが本当に、誤解をとかなくていいのか。君のこともそうだし……アリサの立場もあるだろう?」

 ずきん、と胸が疼く。
 やっぱり、聖女か。彼は私を心配したのではなく、彼女のことを気にしていたんだ……。
 ぎゅっと握った拳を彼に見えないよう背後に隠して、私は微笑んだ。

「そうですね。私が動くことでかえって火に油を注ぐことになってはいけませんから、静かにしておこうと思います」
「君がそう言うなら、尊重しよう。心からの納得はしていないが、君の顔を立てる」
「恐れ入ります」

 たとえ皆に誤解されても、私は彼にさえ私の人となりをわかってもらえれば、それでよかった。だって私はたぶん、舞台装置の一人。サブキャラクターの人格などは、物語をおもしろおかしくするためのスパイスでしかない。

 無言の図書館で二人はそのままぼんやりと何を見るでもなく立っていた。真冬の冷たい空気が足元からじわじわと這い上がってきて身を震えさせる。
 私たちに甘い雰囲気があれば、どれほど寒くても素敵な時間をすごすことができただろう。
 けれど私たちはどこまでも清い関係だ。婚約者として公に認められていても、彼から私への恋愛感情がないのはあきらか。だれもいないふたりっきりの空間で、なぐさめるために抱きしめるどころか、手に触れることすらしてくれないんだから。

(ランス様だって男の人だから、肉欲はあるわよね? ……だから、元気でかわいくて積極的な聖女に、心奪われちゃうんでしょう?)

 だんだんと胸が黒い感情で染まっていく。

 ――あんなに一緒にいたのに、どうして私じゃないの。世界に、運命に、そう決められているから? それとも私が悪いの? こんなにこんなにがんばったのに?

 いやだ。私ははっきりと思った。彼を、ほかのひとに渡したくない。
 どくん、と心臓が嫌な音をたてる。

 ――それなら、聖女から彼を奪っちゃえばいいんじゃない?

「ミレーヌ? 俺はそろそろ戻るが、君は?」
「あ…………」

 私ははっとして表情を取り繕った。

「ええと、私は、もうすこしここに」
「そうか」と彼はさっぱりした表情で図書室をあとにした。私は胸を押さえて必死に呼吸を整える。

(奪う……? 私が、彼を、聖女から……?)

 どくん、どくん。熱い血が体中をかけ巡る。

(つまり、身体で彼をものにするってこと……? いえ、そんなはしたないこと)

 してはいけない、と考える自分より、素晴らしいアイディアじゃないと歓喜する自分のほうが大きい。
 激しい動悸を抑えるように、ぐっとブラウスの胸元を握った。

(このまま何もしなかったら、きっと彼は聖女を選ぶ……だったら、失って後悔するより……彼に爪痕を残したい……!)

 そう決断した途端、ぞくぞくとよろこびが湧き上がった。

(どうせなら一生、彼らの心に残りたい……だって私がそうだもの。私はこの先ずっと苦しむのに……彼らだけ幸せになるんて、そんなの……!)

 何をしてやろう。一番、彼らの心に残ること……ミレーヌ・イグロードが、王太子ランスロットの心を奪うためにできること。

(……この身体を使って……それで……)

 ミレーヌには、美貌がある。もちろん身体だって女として魅力的なはずだ。もしかしたら一夜でも、彼を手に入れられるかも。手に入れるだけじゃない。悪役にふさわしい、とびきり悪いことをするのだ。

(そうね、たとえば……新しい恋人の前で私に純潔を奪われたら、ランス様とあの子はどんなに絶望なさるかしら……? ふたりを泣かせてしまうかも。あら………それって……ふふ、すごくイイ……)

 うっとりと両頬を押さえる。
 やはり私の本性は、こっちなのだ。

 この突発的なひらめきが頭を離れず、結局私は日が沈むまで、無人の図書室で計画を練ることにしたのだった。
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