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それは美しくない出会いであったり 3
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「わぁ、ひどいね」
そう言ってしゃがみ込んだのは、夜空の月よりもずっとまぶしい、人間の男。
男は少女の汚れた頬を長いローブの裾でこすって、「これは惜しいなぁ」とつぶやいた。
――なにが。なにが惜しいのか。まさか、こんな私の命がか。
男は口を開くこともできない瀕死の少女を連れ帰り、医者もさじを投げる怪我のすべてを、魔法というもので治してしまった。
そしてあたたかなベッドに寝かしつけ、消化のいいものをたくさん与え食べさせて、やがて少女が会話できるほど元気になったころに言ったのだ。
「『ローズ』、ってどう?」
「……?」
「新しい名前が必要だと思ってさ」
「……は……?」
手厚い治療を受けても、少女の右腕は不自由なままだった。
男はおかまいなしに、名付けた少女の右手をとって優しくさすった。
「君を見つけたとき、この身に雷が落ちたみたいだったよ。僕のなかにはまだ、誰かを大切にしたいと思う心が残っていたんだって。ああ、僕も人の子だったんだなぁってさ」
「……はぁ?」
「年食ったのかなぁ。君のような年頃の女の子がキツいめに合ってるのを見ると涙が出そうになるって言うか。僕らはなんのために世界を救ったのかなぁって。君みたいな子には、笑っちゃうほどのハッピーエンドが待ち受けていてほしいわけ。これってどういう心境なんだと思う? やっぱり加齢かなぁ、まだ三十路も迎えていないはずなんだけど」
「……、……あんたの目のどこに、なみだ?」
ローズはげんなりして言った。
この男、顔はいいけど、止めないといつまでもしゃべり続けるタイプだ、面倒くさい。
やっと口を開いたローズににっこり笑いかけて、男はうれしそうに言った。
「おや、見えないかな? 女の子たちが言うには、僕の瞳には月の精霊の流したしずくが光っているらしいんだけど」
「なに、それ。頭おかしいんじゃない?」
「ふふ、そうかも! 君はかしこく正直者だね。最初に思った通りに」
そう言う男はたしかに、ものすごくまぶしい生き物だった。
男性とは思えないほどきれいな肌も、うっとりするほど長いまつ毛も、月の精霊が住んでいるとかいう夜空色の瞳も、それらを隠す月光のごとき儚い色の髪も、ほっそりと高い鼻梁も、薄くてしっとりした唇も、今まで出会ったどの人間よりも美しいバランスでまとまっている。
こんなきれいな男を、ローズは生まれてこのかた見たことがなかった。
ちらちらと横顔を盗み見るだけでも胸がいっぱいになってしまうというのに、真正面からにらみ合うのはあまりに不利だ。
しかもこの男ときたら顔かたちが整っているだけではなく、いつでも機嫌よさげににこにこと話しかけてくる。
「ねえローズ、僕と一緒に来てくれない?」
「どこに」
「一人旅って寂しくてさぁ」
「旅ぃ?」
「君といっしょだったらきっと楽しいと思って」
「無理。嫌。無理」
「大丈夫だいじょーぶ、僕強いから、ちゃんと守ってあげられるしね」
「いや、あんた、なにいってんの?」
ローズがどれほど悪態をついても、苛立ったり声を荒げたりしない。
しかも彼はこの話について、ローズがうんと言うまで説得を続けるつもりらしかった。
おそろしくやわらかなベッドの上で毎晩のように「君がほしい」だの「一緒に来てほしい」だのと甘ったるく口説かれるのは、正直死にたくなるほど恥ずかしかった。彼が立ち去ってからのローズは眠れず、ベッドの上で長いこともんどりうってすごした。
――こんな得体の知れない男に惹かれるだなんて。
ローズは軽薄な自分にため息をつきたくなった。
(でもどうして、私なんだ……?)
何も持っていないローズは、お世話になった治療費すら支払うこともできない。
今着ている質のいい服も、不自由になりつつある片脚をかばうしっかりした靴も、なにもかも彼が与えてくれたものだ。
(だからせめて体で返せ、ってこと?)
けれどこんな体で何ができる? せいぜい、話し相手がいいところ。
彼がローズに「女」の部分を求めていないことははじめからわかっている。片腕はあいかわらず不自由なままだし、旅の供にするにはなにもかもが足りていない。
「あたし、ただの足手まといじゃん」
「でも僕は、君がいいなぁと思ってるんだよね」
「あたしはヤだよ」
「そうかな?」
「そうだよっ」
優しい説得は、三ヶ月にも及んだ。
その間にローズは彼に文字を教わり、行儀作法を教わり、まるで貴族のご令嬢かのような扱いを受けて過ごした。この屋敷の人間たちはみな、ローズを彼の大切な客人として接してくれた。おいしいご飯、あたたかな寝床。清潔な衣服を着て、穏やかな会話を楽しむ。
ローズはここで、人間があたりまえに持っている、尊厳、みたいなものを思い出した。
長々と世話になるのは不本意だったし、他人に借りをつくるのだって性に合わない。
そういう理由でついに、ローズのほうが折れてやったのだ。
「もういい、貴方に救われた命だもの……好きにすればいい」
「ああ、よかった! きっと君は僕好みの女性になると思うんだよねえ」
「な、な……!?」
ボッと顔を赤くしたローズに微笑みかけて、彼はようやく自分の名前を名乗った。
そう言ってしゃがみ込んだのは、夜空の月よりもずっとまぶしい、人間の男。
男は少女の汚れた頬を長いローブの裾でこすって、「これは惜しいなぁ」とつぶやいた。
――なにが。なにが惜しいのか。まさか、こんな私の命がか。
男は口を開くこともできない瀕死の少女を連れ帰り、医者もさじを投げる怪我のすべてを、魔法というもので治してしまった。
そしてあたたかなベッドに寝かしつけ、消化のいいものをたくさん与え食べさせて、やがて少女が会話できるほど元気になったころに言ったのだ。
「『ローズ』、ってどう?」
「……?」
「新しい名前が必要だと思ってさ」
「……は……?」
手厚い治療を受けても、少女の右腕は不自由なままだった。
男はおかまいなしに、名付けた少女の右手をとって優しくさすった。
「君を見つけたとき、この身に雷が落ちたみたいだったよ。僕のなかにはまだ、誰かを大切にしたいと思う心が残っていたんだって。ああ、僕も人の子だったんだなぁってさ」
「……はぁ?」
「年食ったのかなぁ。君のような年頃の女の子がキツいめに合ってるのを見ると涙が出そうになるって言うか。僕らはなんのために世界を救ったのかなぁって。君みたいな子には、笑っちゃうほどのハッピーエンドが待ち受けていてほしいわけ。これってどういう心境なんだと思う? やっぱり加齢かなぁ、まだ三十路も迎えていないはずなんだけど」
「……、……あんたの目のどこに、なみだ?」
ローズはげんなりして言った。
この男、顔はいいけど、止めないといつまでもしゃべり続けるタイプだ、面倒くさい。
やっと口を開いたローズににっこり笑いかけて、男はうれしそうに言った。
「おや、見えないかな? 女の子たちが言うには、僕の瞳には月の精霊の流したしずくが光っているらしいんだけど」
「なに、それ。頭おかしいんじゃない?」
「ふふ、そうかも! 君はかしこく正直者だね。最初に思った通りに」
そう言う男はたしかに、ものすごくまぶしい生き物だった。
男性とは思えないほどきれいな肌も、うっとりするほど長いまつ毛も、月の精霊が住んでいるとかいう夜空色の瞳も、それらを隠す月光のごとき儚い色の髪も、ほっそりと高い鼻梁も、薄くてしっとりした唇も、今まで出会ったどの人間よりも美しいバランスでまとまっている。
こんなきれいな男を、ローズは生まれてこのかた見たことがなかった。
ちらちらと横顔を盗み見るだけでも胸がいっぱいになってしまうというのに、真正面からにらみ合うのはあまりに不利だ。
しかもこの男ときたら顔かたちが整っているだけではなく、いつでも機嫌よさげににこにこと話しかけてくる。
「ねえローズ、僕と一緒に来てくれない?」
「どこに」
「一人旅って寂しくてさぁ」
「旅ぃ?」
「君といっしょだったらきっと楽しいと思って」
「無理。嫌。無理」
「大丈夫だいじょーぶ、僕強いから、ちゃんと守ってあげられるしね」
「いや、あんた、なにいってんの?」
ローズがどれほど悪態をついても、苛立ったり声を荒げたりしない。
しかも彼はこの話について、ローズがうんと言うまで説得を続けるつもりらしかった。
おそろしくやわらかなベッドの上で毎晩のように「君がほしい」だの「一緒に来てほしい」だのと甘ったるく口説かれるのは、正直死にたくなるほど恥ずかしかった。彼が立ち去ってからのローズは眠れず、ベッドの上で長いこともんどりうってすごした。
――こんな得体の知れない男に惹かれるだなんて。
ローズは軽薄な自分にため息をつきたくなった。
(でもどうして、私なんだ……?)
何も持っていないローズは、お世話になった治療費すら支払うこともできない。
今着ている質のいい服も、不自由になりつつある片脚をかばうしっかりした靴も、なにもかも彼が与えてくれたものだ。
(だからせめて体で返せ、ってこと?)
けれどこんな体で何ができる? せいぜい、話し相手がいいところ。
彼がローズに「女」の部分を求めていないことははじめからわかっている。片腕はあいかわらず不自由なままだし、旅の供にするにはなにもかもが足りていない。
「あたし、ただの足手まといじゃん」
「でも僕は、君がいいなぁと思ってるんだよね」
「あたしはヤだよ」
「そうかな?」
「そうだよっ」
優しい説得は、三ヶ月にも及んだ。
その間にローズは彼に文字を教わり、行儀作法を教わり、まるで貴族のご令嬢かのような扱いを受けて過ごした。この屋敷の人間たちはみな、ローズを彼の大切な客人として接してくれた。おいしいご飯、あたたかな寝床。清潔な衣服を着て、穏やかな会話を楽しむ。
ローズはここで、人間があたりまえに持っている、尊厳、みたいなものを思い出した。
長々と世話になるのは不本意だったし、他人に借りをつくるのだって性に合わない。
そういう理由でついに、ローズのほうが折れてやったのだ。
「もういい、貴方に救われた命だもの……好きにすればいい」
「ああ、よかった! きっと君は僕好みの女性になると思うんだよねえ」
「な、な……!?」
ボッと顔を赤くしたローズに微笑みかけて、彼はようやく自分の名前を名乗った。
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