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<8・坂田>

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「遅ぇんだよ!」

 坂田洋太郎さかたようたろうは、思いきり建物の壁を蹴り飛ばした。その拍子に、トタン屋根の上からぱらぱらと砂が落ちてくる。ボロい建物が軋むのを見て、ひいい!と工場裏に呼び出された気の弱そうな工場長は悲鳴を上げた。禿げ上がったつるつるの頭の初老の男である。そこそこ体は大きいのに、なんと臆病なことか。まあ、初日に脅しもかねてはっきり“力”を見せつけてやったのは坂田である。恐怖が未だ拭い去れないのも、仕方ないことと言えばそうなのだろうが。

「まだサウス・レッド王国内だけでもこれだけしかマーキングが終わってねえってどういうことだ?もっとバリバリ機材稼働させろや。こんなんじゃ、いつまでも魔石採掘終わらねーぞ!」
「そ、そんなこと言われても!」

 工場長は情けない声を出した。

「元々、私らが持ってた魔石探知機は、あくまで薬を作るために適切な量を検出するための機械です……!精度は高いですが、採掘用の機械じゃない。探知範囲は狭いし、一度に探知できる量も多いわけじゃない……!それを採掘用に使ったって、効率がいいわけないじゃないですか!大体、採掘にこれだけ人員が回されてるのに、新しい魔石探知機の開発まで進めろっていうのが無茶すぎます……!」

 まったく、何回このやり取りを繰り返せばいいんだろう。はあ、と深く息を一つ吐いて――片手を上げた。

「“操作猛獣コントロール・ビースト”」

 この町の巨大工場は、山に隣接する形で存在している。ようするに、工場のすぐ裏手が森なのだ。その中から、ぐるるる、と複数の唸り声がし始める。あばばば、とみっともない声を上げて男が尻もちをついた。顔は青ざめ、冷や汗を流し、今にも失禁しそうな有様である。
 涎を垂らしながら現れたのは、真っ黒な黒いオオカミたち――オル・ウルフの群れ。真っ赤な目でぎろりと工場長を睨みつけ、その鋭い牙を見せつけている。噛みつかれたら痛いどころでないのは明白だ。

「ひゃああああ、こ、殺さないでくれ、た、たのむ、たのむう……!」

 彼はじたばたと手足を動かして、泣き叫びながら命乞いをした。なんとも愉快な光景だ、と坂田は舌なめずりをしたくなる。圧倒的強者の立場。自分が望めばいくらでも弱者が平伏し、己の言うままに動くということのなんと快感であることか。こいつも、町の住民も。自分が望めばいくらでも蹂躙することができるのである。そして、この世界は現代日本ではない。人をいくら殺しても逮捕されて人生を棒に振る心配はないのだ。どうせ異世界の人間なんぞ人間ではないようなもの、罪悪感を感じる必要もない。こんな最高の夢を見せてくれた魔女には、なんと感謝すればいいものか。

「こいつの牙は、初日によーく知ってるよな?お前の護衛がみんな喰い殺されたんだもんな?」

 この町の設備は、自分達の目的のためには必要不可欠だった。だからサウス・レッド王国内でもかなり早い段階で強引に乗っ取りを決めたのである――それも坂田と、友人の安生弘美あんじょうひろみの二人がかりで、だ。自分達はどちらも喧嘩の腕には自信があったものの、体格はあくまで中学生にしては少し大きい程度だし、腕力も頑張って高校生並みといったところである。この町の村長や工場長がお抱えにしていた傭兵たちと真正面から戦って二人だけで勝てる見込みはゼロに近かった。
 そう、魔女に与えられた、このスキルがなかったのなら。
 坂田のスキルは、近くに住んでいるモンスター達を思い通りに洗脳・操作する力である。この近隣の森で一番使い勝手が良かったのが、今操作しているオル・ウルフたちだった。すばしっこくて連携を取るのがうまく、かつ顎で噛みちぎる力は随一と言われる。狼たちに回り込まれ、村の守りを任されていたはずの傭兵たちは次から次へと噛み殺されていったのだった。今はもうすっかり片づけられているが、その当日は町のメインストリートが真っ赤に染まるほどの惨事となったのである。
 頼りにしていた傭兵たちが成す術もなく食い殺され、そんなモンスターを自由自在に操る坂田の姿を見てしまっては、大人達が戦意を喪失するのも無理からぬことだっただろう。いくつか魔女に提案された中で、この能力を選んで良かったなと心から思っている。相方である安生と合わせて、バランスのいい力にしたのも正解だった。自分の力は、とにかく一般人たちに恐怖を与えるに最適なもの。それでいて、戦闘以外での使い道は現在思いつかないのも事実なので、安生が補佐的な能力を取ってくれたのは非常に僥倖だったと言える。
 自分達の目的は一つ。
 魔女の目的達成を手伝い、そして――自分達のボスである、るりはを喜ばせることだ。
 彼女こそ、自分達の王者。その信念に報いることこそ、自分達“従者”の役目であるのだから。そう、中学生ながらにして坂田と安生は、そして恐らくは雉本光もそれを理解しているのである。世の中には絶対的な強者が存在し、己が仕えるべき主がいるということを。その主を見つけて尽くすことこそ、人生の喜びであるということを。

「あんま時間ねーんだよ、こっちもよ」

 ウルフたちをすぐ傍までけしかけながら、坂田は言う。

「だから、もうちょっと頑張ってくんねーかなーって思ってるわけ?おわかり?」
「は、はいいい……っ」
「俺達の目的のためには、そりゃもう大量の魔石が必要なわけ。それがないと始まらないわけ。そのためにはどんどん魔石採掘する設備と人員が必要なわけ。魔石が埋まっているエリアのマーキングさえこんな遅々として進まないんじゃお話にならないってわけ、OK?」
「そ、そのとおりでございます……っ」
「だからさあ」

 きっと彼の脳裏には、初日の惨事がありありとリフレインされていることだろう。
 屈強な傭兵達の腕が生きたまま噛みちぎられ、内臓がずるずると引きずり出された様を。両足を食いちぎられた男が激痛に泣きわめきながらぶんぶんと狼に振り回され、町を引きずり回されている様を。そして、食い散らかされて、ほとんど骨と筋しか残らなかった数々の遺体と、もはやどれが誰のものかもわからないほど散らばった血肉の数々を。
 もし逆らったら、次は自分がそういう目に遭うのだ。
 彼等はよく理解しているはずなのである。坂田と安生が、ラクに人を死なせてやるほど優しくないことなど。機嫌を損ねたら最後、待っているのは地獄のような苦しみの果てに待つ死であることなど。

「人が減るのは困るけど、それで残る奴らのやる気が出るなら話は別だしな」

 にいいい、と唇の端を吊り上げて宣言してやる。

「労働力にならねー奴から順番に喰わせてやろうか?そうだなあ、お前の孫と、身重の娘と、病気の奥さんなんてどうだ?誰も彼も工場で働けねーし、いなくなっても俺は困らない」

 工場長の顔色が、青を通り越して真っ白になっていく。

「一度妊婦ってやつをぶっ殺してみたかったんだよな。とくにあの、膨れ上がった腹を切り裂いたらどうなるのか見ものだと思ってよ。風船みたいに弾けるのかな?真っ赤な血とか羊水とかが溢れてびっしゃびしゃになるのかな?なんなら子宮ごと胎児を引きずり出してやってよ、母親がまだ生きてる前で切り取って、ぐちゃぐちゃに踏み潰してやってよ。その残骸を見せつけて、口に押し込んでやるなんてのも最高じゃねえかなあって」
「やめて、やめてくれ!や、やめてください、たのむうううう!」

 ついに彼は泣きだして、その場で土下座した。ああ、本当にたまらない。股間がいきり立ちそうになるほどだ。強い者こそが正義、強い事こそが世界のすべて。まさに、るりはの言う通り。こちら側はなんて甘美な世界であることか!

「今月末まで待ってやる。それまでに、指定エリアのマーキングは全て終わらせて、採掘達成率は今の二倍まで増やせ」

 ぐりぐりと男の禿げ頭を踏みつけながら、坂田は告げた。

「でなければ……わかってんな?その時点で、お前とお前の娘はオル・ウルフの餌決定だ。丁寧にミンチにして殺してやるから、覚悟しとけや」
「申し訳ありません、申し訳ありません、がんばりますから、がんばりますからぁ……!」

 大柄な老人は、泣きながらそれだけを繰り返した。自分に対してはこのザマだが、元々工場で働く部下に対しては相当厳しい上司だったことでも有名である。これで、労働者達のことはますますきつくせっつくことだろうし、それこそ進んで折檻も行うようになるかもしれない。自分達の二度手間も省けるというものだ。なんせ、こっちはタイムリミットがあるのである。
 そう。魔女の目的を、一刻も早く達成させて――自分たちの願いを叶えて貰わなければいけないのだ。
 魔女は異世界を渡る犯罪者として、世界の監視者から追われる身である。そのために、監視者を倒せるだけの力を身に着けるべくこの世界にやってきたのだ。魔石の大量採掘は、そのための布石である。大量の魔石と魔力がなければ、成し遂げられないこと、手に入らない力があるためだ。

――こっちがあんまり焦ってるのを、知られないようにしねーとな。足元見られたらうぜーし。

「……サカタ」
「んあ?」

 がさがさがさ、と繁みが動く音がした。重い足音と共に現れたのは、長身で屈強な一人の女性である。健康的に日焼けした体は筋骨隆々であると同時に、女性らしさもけして損なわれてはいない。長い緑髪のポニーテールを揺らし、紫色の気の強そうな瞳でじっとこちらを睨むように見つめている。
 そう、それだけならプロレスラーにでもいそうな、腹筋バキバキの割れてる美人で通ることだろう。その頭に、特徴的な二本の角が生えていなければ。

「隣の町に送った仲間から、情報が来た。……どうやら連中はまだ、うちから薬を売って貰うのを諦めてないらしい。また使者を送ってきそうな気配だ」
「ちっ、しつけーな」

 あいつらまだ懲りてないのか、と坂田は呆れてしまう。

「そもそもポーラ、てめえがこの間隣町のやつをちゃんと殺さないからこんなことになるんだろうが。半殺し程度で済ませやがって。見せしめに一人二人惨殺すれば、連中だってもっと慎重になっただろうによ!」

 彼女の名前は、ポーラ・アルバーノ。今は少数部族と化した、オーガの一族の娘である。まあ、彼女は人間の父親とオーガの母親のハーフであるため、他のオーガの者達よりも人間に近い見た目ではあるのだが。
 その見た目と体格、人間離れした膂力もあって、彼女らはこの町の住人たちに恐れられ、町の外れでひっそりと暮らすことを余儀なくされていた。そこに目をつけたのが坂田と安生だったわけである。
 彼女らは、殺しまくった傭兵の代わりをさせている。自分達に従うならばお前達の命は助けてやるし、同時にこの町で普通の人間と同じように暮らすことを許してやる――という条件で。

「……必要以上に血を流すのは、好きじゃない。アタシ達は、元々平和的な部族なんだ」

 苦い顔で言うポーラ。まったく甘いことを言う女だ、と思う。人間に散々迫害されてきて、その恨みと理不尽に思う気持ちが少なからずあるからこそ自分達に従っているのだろうに。

「お前らの御託なんぞ知ったことか」

 ふん、と坂田は鼻を鳴らす。

「次の連中は、ちゃんと殺せよ。証人として一人は生かして返してもいいけどな。……どうせ、いずれ隣の町もまるごと手に入れるし、逆らう奴は皆殺しなんだ。遅いか早いかだけの違いなんだから、気にする必要もねえ、そうだろうがよ?」
「……っ」

 ポーラの精悍な面差しが歪む。気の強い女を、こうして力技で動かすのは嫌いじゃない。ああ、なんならもう少しアメを増やしてやるのも手だろうか。最終的には自分に依存させてベタ惚れにさせるのも面白いだろう。――そういう調教もまた面白くて、あえて人間は操作できない力を選んだのだから。

――まあ、退屈凌ぎができるなら、それもそれで歓迎だけどよ。

 ああ、だから異世界ライフは楽しくてたまらない。
 理不尽が理不尽のまままかり通る、現実の世界よりよっぽど。
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