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<28・恋心>

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 相手のことが好きになればなるほど、不安になってしまう。好きになればなるほど、欲しいものが増えてしまう。――そんな感情はきっと、珍しくもなんともないものだ。相手のことを愛すれば愛するほど、苦しみがついて回る。きっとそれが、本物の恋愛であればこそなのだろう。

「妙に俺に対して執着があるな、とは思ったんだよね」

 ヘキの町のホテルで、今度こそゆっくり休ませてもらいながら優理は言った。ポーラが“どうしてあの光の心を折ることができたのか”と、疑問をぶつけてきたがゆえに。

「シュカの町の件を知っていて俺のことが邪魔だって思うなら、拉致するんじゃなくてさっさと殺せばよかったはず。というか、俺を即座に殺してたら、ポーラとサミュエルを殺すのも間に合ってたかもだし」
「まあ、そうだけど」
「一応、俺に力を貸せ貸せーって名目で拷問はしてきてたけどさ。どっちかというと、自分の考えが正しいと確認するために、俺を屈服させたがってるみたいな印象だったんだよね。……自分の考えが絶対的に正しいって本当に強い意志で信じられるなら、他人の承認なんか必要ないんだよ。誰がなんと言おうと、自分のやりたいことを貫けばいいんだから。誰かに保証を貰いたい、そうじゃなきゃ不安だって思うのは……揺れてるからこそ。雉本君は、自分のやっていること、鮫島さんの“道具”として従い続けることにどっかで疑問があるんだろうなって直感した。本当に鮫島さんの言うこと全肯定なら俺なんかさっさと殺せばいいんだもん。そんな凄いスキル持ってるわけでもないし、戦闘そのもので俺が役に立つわけでもないんだから」
「……拷問されながらそこまで考えられたお前は本当にすげえよ」

 ポーラはそう褒めてくれたが、実際優理もけして余裕があったわけではない。というか、正直ギリギリのギリギリで、発狂寸前だったのは事実だ。むしろ他のことを考えることで、どうにか己を保っていたと言えばいいだろうか。まさか光が、自分の目玉を抉るわ、腸を抉り出すわとそこまで平気でやってくるとは思ってもみなかったのだから。
 同時に、悲しくてたまらなかったのである。
 自分は鮫島るりはのことは知らない。わかっているのは、あの不良グループを彼女こそが支配していたという事実。それから、実際に彼女が子猫を道路に投げ捨てるような真似を平気で提案して嘲笑っていたことと、魔女に従うように他三人に命令した事実のみだ。だからけして、印象は良くない。良くないからこそ、そんな人間に果たしてここまでの忠誠を向ける価値が本当にあるのだろうかと疑問に思ってしまったのである。
 知らなければいけない、と思った。
 魔女だとか、元の世界に帰るとか、それとはまったく別に。坂田に、安生に、そして光に平然と人を殺させて己を傷つけさせるような真似を強いる女の本当の顔はなんなのか。彼女にも、彼女なりにやむをえない理由があるのかどうかを。知らなければ、本当の意味での判断など下せないのだから。

「雉本君がやったことは許されることじゃない。猫を投げたこともそうだし、この町の人達を傷つけたこともそう。ちゃんと罰は受けるべきだて、そう思うよ」

 でもさ、と優理は続ける。

「罰を受けることと、救われることは。一緒にできても、いいと思うんだ」

 あれだけ恵まれた喧嘩センスがあって、綺麗な顔をしていて、頭も悪くないのに。彼は自分のことを、誰かに使われる道具としてしか価値がないと本気で信じていた。そして、恋人でありながら、るりはに対しても主としての感情以上を抱いてはいけない、自分は彼女にとって利用価値のある道具であり、奴隷であり、道具であり、家具であり、性欲処理の人形が精々であるべきだと。
 そんな恋人関係なんて、あまりにも歪んでいるし、辛い。
 本人は、それでもなお自分はるりはに救われたと主張していたが、本気でそう信じているならあんな迷いのある顔などしないし、彼女の行動の是否を敵に無理やり問うような真似などしないことだろう。
 彼はずっとただ、愛する人に普通に愛されたかっただけ。
 そして、その愛する人が間違っていないと信じたかっただけなのだろう。
 あの後、光を一発ぶん殴らせてもらったあとで(とりあえず、自分は一発くらいぶっ飛ばす権利があると思ったからだ)彼の話を詳しく訊いた。というか、半ば無理やり話させた。何故己を道具だと思うようになったのか、そしてるりはを信望するようになったその経緯を。結論としては光のあまりにも酷すぎる境遇に同情すると同時に、ますます鮫島るりはという少女に対して謎が増えてしまったわけだが。
 小学生の時点で、彼女はまさに“魔女”だった。坂田と安生からちらっと聴いた話からしてもそう。まさか、人二人を事故に見せかけて殺害するなんてことができてしまうとは。彼女の家は一体なんなのか。まさか、まだ子供でしかないはずの少女が個人で闇に繋がっているとは思いにくいが。

「恋をするって、難しいんだね」

 思わず、ぽつりと呟いた。

「淡ーい初恋くらいしかしたことがないから、よくわからないや。でも、好きになればなるほど、不安なことって増えちゃうんだろうな。ポーラはそういう経験、あったりする?」
「なっ」

 ベッドぐったりと横たわって尋ねれば。隣に座っていた少女は、露骨に焦ったような顔をした。

「な、な、なんでアタシに訊くんだそんなこと!?」

 何でそんなに慌てるんだろう。何か地雷でも踏んだだろうか。もしくは。

「あ、ひょっとして、オーガの人達って女の人の方が圧倒的に多いみたいだし、そんなに恋愛とかする空気じゃないのかな?一夫多妻が普通だったり、恋愛結婚が少なかったりする?」
「あ、いや、それは……そういうことではなくて。その」
「?」
「……いや、その。アタシも、あんまり詳しくないから参考になる意見は言えないんだけど……」

 ごにょごにょ、と普段の彼女らしからぬ小さな声でぼやきながらポーラは続ける。

「……ちょっとだけ、わかる気もするっつーか。女の方がさ、はっきり言葉にして欲しいって思うことも多いと思ってたけど、キジモト・ヒカルの話を聞くにあいつもそうだったのかなっつーか。……ほら、口にしなくてもわかってるだろうから言わない、じゃなくてさ。はっきり口で“好きだ”って言って貰わないと不安だっていうのは、恋愛だとあるあるなんじゃないかなって。自分だけ、一方的に好きだと思ってたらどうしようってのがあるっていうか。本当は、空しい片思いだったら嫌だなっていうか。……あいつも最初は、それでもいいって割り切ってたのに、段々自分の中の“好き”が強くなりすぎちゃって、それだけで満足できなくなっちゃったんだろうなってのは、なんとなく思ってるっつーか……ってごめん、なんか脈絡なくて」

 脈絡ないとは言うが、彼女の言葉は極めて的確なものだろう。あってると思うよ、と優理は頷いた。
 光がこれからどうするのか、まだ明確な回答を得てはいない。魔封じの枷は嵌めたので、多分その枷がついてる間は彼にも何もできないはずだ。このままヘキの町で大人しくしているのか、それとも優理と一緒にるりはに会いに行くことを選ぶのか。あの時は勢いに任せて“一緒にるりはに会いに行こう”なんて言ってしまったが、どちらを選ぶのかは彼の自由である。
 まあ、光を連れて行く場合は、他の仲間たちの了承を得る必要も出てはくるわけだが。

「ポーラ、そういうのわかるんだ」

 思わず、流れるように口にしてしまった。

「なんか可愛いじゃん」
「へっ」

 瞬間。ポーラの顔がゆでだこのようになって――そのままぼすん、とベッドに座った姿勢のままひっくり返った。

「ちょ、ポーラ?ポーラ――!?」

 我ながら恥ずかしいことを言ってしまったとすぐ気づいたが、この反応はさすがに予想外である。完全に頭から湯気を出しているではないか。
 このあと、彼女を助け起こそうとしてベッドの上でもちゃもちゃしているうちにサミュエルが呼びに来てしまい、ものすごい誤解を受ける羽目になったのは、ここだけの話である。



 ***



 やっぱり優理はすごいな。光の話を全て聴いた上で、空一は思った。上の階では何を揉めているのか、さっきから優理とポーラとサミュエルの怒声やら罵声やら暴れる音やらがめいっぱい聞こえてきているが、まあ元気でいいということにしよう。なんともノリのいいパーティである。きっと光がどんな選択をしたところで彼等は優理と一緒に行く道を選ぶのだろうな、とも。

――あのポーラさんが動けなくなるほどの、雉本光のスキル。……ショック死してもおかしくないくらいの痛みを与えられたのに、園部君は耐えきったのか。本当に、ヒーローそのものだ。

 三か月。
 サトヤが何故、空一を優理より早くこの世界に送り込んだのかはわからない。結果としては情報も入手できたし、多少戦闘訓練もできたから良い方向に働いたのは間違いないが。何にせよ、一人で見知らぬ異世界に放り出された当初は、淋しいわ怖いわ恐ろしいわで半ばパニック状態だったのも間違いないのである。運よくヘキの町のレジスタンスたちが助けてくれて匿ってくれなかったら、今頃どうなっていたのやら、だ。
 それでも頑張れたのは、きっと優理が会いに来てくれると信じていたからこそ。
 どこかで“ちょっと話しただけの自分なんか忘れていたらどうしよう”という不安もあったが、それは完全に杞憂だったようだ。助けに行った時、地下牢で繋がれていた空一を見た優理の第一声はこれだったのだから。

『岸本、君?……良かった、無事だったんだぁ……。ありがとう、助けに来てくれて』

 自分のことじゃなくて、本当に真っ先に人のことを心配してしまうような少年。
 きっと優理は気づいていないだろう。彼の行動が、どれほど空一を救ったかなど。
 何故なら彼は、空一と同じように小柄で、苛められっこでありながら、空一には絶対できないことを成し遂げてみせた人物だったのだから。誰かが傷ついているならば絶対に見て見ぬふりをしない、困っている人がいたら何が何でも助ける――まさに、ヒーロー。本当は、空一がずっとなりたくて、でも出来ないと決めつけて諦めていた存在。
 自分の世界に、ヒーローはいないと思っていた。誰も助けてはくれない、と。
 いつからだろう。誰かに助けてもらうことを期待して、それさえも諦めて――自分で誰かを助ける勇気を持てなくなっていたのは。
 だからこそ。



『欲しいものがあるなら、正しい努力をしなよ。それをしようともしないのに、奪うだけ奪って満足しようとする連中になんか、絶対屈してやるもんかっての!岸本君!』



 あの日。
 るりは達のカツアゲされていたのを助けて貰った日、世界が変わったように思ったのだ。
 ああ、きっと。雉本光も同じだったのではないか。だから、そんな眩しすぎる優理を否定したくて躍起になって、でも結局その強さに勝てなくて負けを認めたのではないか。
 本当の強さは、暴力なんかでは図れない。人の心臓の、もっともっと深いところに宿るものだと。

――きっと、勝てる。

 優理がいる。その優理が引寄せた最強の仲間である、ポーラとサミュエルがいる。
 ならばきっと、魔女にも勝てるはずだ。

――見てろよ。僕だって……ヒーローになってみせるんだ。この世界で、今度こそ。
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