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<37・強者>

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 三又の矛は情け容赦なくサミュエルの体を貫いていた。アバラを砕く感触、肉を裂く感触。ああ、これよこれ、とジェシカは悦に浸る。
 圧倒的な力を持つ者が、その圧倒的な力で全てを蹂躙する快感。それは、強者にだけ与えられた特権であるべきなのだ。何故、強いものが弱いものに足並みを揃えなければいけないのだろう。自分には、弱き者達の命を容赦なく刈り取るだけの力があり、権利が与えられているはずなのに。
 人を殺すたびに、強く実感する。
 これができることこそ、この行いに罪悪感など抱かないことこそ、自分が魔女たる所以であり資格であるのだと。

「がはっ!」

 胸と腹を容赦なく貫かれた少年は、口と傷口から血を噴出しながら壁際まで吹き飛んだ。そのまま壁に叩きつけられ、動かなくなる。うつぶせてびくびくと痙攣するサミュエルの体の下から、じわじわと赤い色が流れ出した。鉄錆の匂いに思わず酔いしれる。矛の先にべったりとついた血を舐めあげながら、ジェシカは微笑んだ。

「まずは、一人」

 唖然とする少年少女達に、宣言する。

「つまらないわ。私がちょっとだけ本気を出したらすぐこれなんだもの。やめてよ、こんなにあっさり終わったらつまらない。……ソノベ・ユーリ。あんたはもう少し、楽しませてくれるんでしょうね?」
「あ、ああ……」

 誰がどうも見ても致命傷なのは明らかだった。なんせサミュエルの体の下からは、血の海だけではなく零れ落ちた内臓の一部もちらりと覗いている。トライデントを引き抜く際、一緒にハラワタも一部引きずり出してしまったらしい。そうでなくても、位置的に心臓も一緒に貫いたのはほぼ間違いないのだ、なんせ三又の矛、三か所同時に刺したわけなのだから。心臓を貫かれ、腸を引きずり出され、こほど出血をして生き残れる人間などいるはずがない。
 たとえ光が回復魔法をかけたところで、もう間に合うまい。

「さ、サミュエル……!」

 園部優理は、ヒーロー願望があるだけの普通の少年であるはずだった。当然、人を殺したことなどあるはずがないし、自分が知る限りで人が死んだ場面を見たこともなかったことだろう。現実の世界では勿論のこと、この世界に来てからもそれは同じ。彼が人的被害を可能な限り出さないように動いていたのもあるし、同時に彼が町々の一番酷いタイミングでその場にいなかったという“幸運”もある。
 そう、彼は知るべきなのだ。最強の仲間を引き寄せるというスキルと幸運によって、どれほど都合よく己の物語が展開していたのかを。それこそ、光に拉致された時、サミュエルとポーラが殺されていてもおかしくなかったし、町の人が巻き込まれて死ぬ可能性だって十分あった。自分自身だって、拷問に耐え切れず死ぬことは十分にあり得たはず。今彼が此処にいるのは、多くの幸運の積み重ねによるものなのである。
 だからこそ。その“都合の良さ”が崩れたら、あまりにも脆い。
 案の定、優理はその場にへたりこんで、呆然とサミュエルの遺体(まだ虫の息くらいはあるかもしれないが、同じことだろう)を見ているばかり。戦闘中とは思えないほど、情けない姿を晒している。

「一番最初に見るのが、一番最初に仲間になった子の死だなんて……可哀想にね」

 ああ、その絶望した顔がたまらない。
 弱い者の、屈服した姿がジェシカは大好きだった。自分が奪う側であり、自分こそが支配者であると実感させてくれるがゆえに。

「あんたがヒーローになりたいなんて願わなければ、大人しくこの世界でひっそりと生きることを選んでいれば、私を倒そうなんて馬鹿なことを考えなければ……こんなことにはならなかったのにね」
「俺の、せい……?」
「他に誰がいるってのよ。此処まで辿りつけただけで、幸運以外の何物でもなかったのに……最後の最後で、その幸運に見放されちゃったのね。本当に、可哀相」
「あ、ああ……っ」
「ゆ、ユーリ!」

 呆然と座り込み、頭を抱える優理に耐え兼ね、ポーラが叫ぶ。

「落ち着け、立ち上がるんだ!お前が、お前がそんなんでどうするんだよ。そのままお前がその女に屈服したら、文字通りサミュエルは犬死だろうが!目を覚ませ、お前が悪いんじゃない、だからっ!」
「もう、きゃんきゃん吠えないでくれる?“Blizzard-double!”」
「!」

 軽く、氷属性の魔法を飛ばしてやった。飛んできた中級魔法をポーラはどうにか躱すものの、本人も動きが鈍い。偉そうなことを言っておきながら、彼女も相当動揺しているのは明らかだった。それもそうだろう、サミュエルは彼女にとって、喧嘩友達のような存在だったはずだ。

「さ、サミュ、エル……」

 そしてもう一人の、岸本空一に関して言えば牽制する必要もないだろう。完全に尻もちをついて、戦意を消失している。元より優理よりもメンタルが弱い一般人であるようだから仕方ないと言えば仕方ないのだろうが。

「あんたがここまで来られたのは、その引寄せのスキルと幸運があったから、それだけ。だってあんた自身は、簡単な作戦を立てるのが精々で、大した戦闘能力もないただの一般人なんだもの」

 そっと優理に近づき、その顔を覗きこむ。本当に恐怖と絶望に晒されると、人は涙さえ出ないことがあると聞いたが本当らしい。彼の瞳はどろりと濁り、既にジェシカを見ているようで見ていない。
 背筋がぞくぞくと泡立ち、下半身が熱くなる。圧倒的な力で弱者を甚振る快感は、セックスの何倍も気持ちがいい。ましてやそれが、自分好みの可愛らしい男の子なら尚更に。

「ほんの少し、圧倒的な力を持つ者が本気を出しただけで、あっさりとメッキは剥がれ落ちるわ。……それを、自分の実力だと思い込んでこんなところまで来ちゃうから、あんたは愚かだというのよ」

 まあ、本人も薄々気づいていたのかもしれないが、とジェシカは思う。
 誰だってできることなら、他人に頼らず一人で戦える力が欲しいに決まっている。それがない己を恥ずかしく思わないはずがない。だっていくら最強の仲間を得たところで、その仲間が己を裏切らない保障などどこにもないのだから。
 人が結局信じられるのは己だけ。
 どれほど強い仲間を得ても、後ろから刺されるかもしれないならば信用なんてできるはずがない。

「本当にヒーローになりたいなんて、馬鹿げた理想を貫くつもりなら。……あんたはやっぱり、強くならなくちゃいけなかったのよ。それも、心の強さ、なんて目に見えないものじゃない。物理的な、身体的な強さ。だってそうでしょう?」

 ちらり、と見つめる先には、壁の前に座り込んでぐったりしている光の姿が。どうにかダメージから回復したようだが、精神的なものが大きいのか吹き飛ばされた時からその場をほとんど動いていないようだ。るりは、なんて存在もしない女を盲信してしまったがゆえに崩壊した、実に哀れな駒である。

「そこにいるキジモト・ヒカルがいい例だわ。両親がその子を虐待しようとしたのが大きくなってからのことだったら、この子は恐怖なんて抱かずに自力で抵抗できたでしょう。小さな頃、まだ弱弱しくて大人の女にも腕力で抵抗できない頃から支配されたから、考え方が捻じ曲がって支配から脱却することができなかったのよ。……あんただってわかっているはず。自分にも圧倒的な力があれば、仲間なんかに頼らず、遠回りもせずに私のところに辿りつけたはずだって。結局、最後にものを言うのは頭脳でも心でもなく、絶対的な力以外にはないのよ」

 ねえ、と。ジェシカは優理に優しく語りかける。

「ねえ、ユーリ。さっきも言ったけど、私はあんたみたいな子は嫌いじゃないの。殺した後も、人形に入れて丁寧に可愛がってあげたいと思うくらいに。……あんたさえ私の言う通りにするっていうなら……まだ生きている残りの三人は、なんなら見逃してあげるって選択もなくはないわよ?」
「なっ」
「そ、そんな……!」

 ポーラ、空一がそれぞれ絶句したように声を上げる。まだそんな風に驚くだけの余力があったとは驚きだ。

「あら、あんた達だって嫌でしょ?そこのサミュエルくんみたいに、血まみれのズタズタになって死ぬのは」

 が、ジェシカが一言そう言ってやれば、それだけで空一は小さく悲鳴を上げて押し黙る。結局そんなものなのだ、仲間の絆なんて、心の強さだのなんだのなんて。力がない者は蹂躙されるだけ、支配されるだけ、従いたくもないルールを押しつけられるだけ。
 だから自分は、もっともっと力が欲しい。ラストエデンに追われない力が、好きなだけ力を振りかざせるための力が。それの何がいけない?何が間違っているというのか?

「素敵なお洋服を着せてあげるわ。毎日おはようとおやすみのキスをしてあげる。最高に美しくて最高に強い、この魔女・ジェシカの生活の一部になれるのは素敵でしょう?時々ほんのちょっと、私の気まぐれな“あそび”に付き合ってくれればそれでいいわ。大丈夫、最初は泣き叫ぶほど痛くても……すぐ快感になる。圧倒的な、本物の支配者に、身も心も支配されるのは……たまらなくキモチイイことなんだもの。悪くはないでしょう?人形になればそんなバカげた肉の器に囚われることもなく、永遠に魔女の私と一緒に生きられるんだから」
「永遠……」
「そう、永遠よ。永遠に私達は一緒に……」
「それは、凄く寂しいな」
「え」

 突然。しおれていた優理の空気が、ぴんと張りつめたような気がした。ゆっくりと顔を上げた優理の瞳には確かな恐怖がある、絶望がある、悲哀がある。それでもまだ、奥底の光が絶えていない。
 何かを、諦めていない。

「お前は、自分だけが圧倒的な力を手に入れられれば他はどうなってもいいって言う。それは結局、誰のことも信じていないから……信じる勇気がないからだろ。例え俺が人形とやらになってお前と永遠を生きても変わらないよ。お前は俺を支配して安堵するだろうけど、それもすぐ不安に変わる。なんらかの理由で魔法が解けないか、何かのミスで俺が逃げていなくならないか、そしてどこかで反逆されて全てが覆されないか。……永遠に一緒にいても、永遠に孤独になるだけ。そんな悲しい関係は、ないと思う」

 あのさ、と彼は続ける。

「俺には歪んではいても、お前の中の鮫島るりはは……確かに、雉本君を愛しているように見えたよ。それは、愛したかったから愛したんじゃないの。愛されたから愛を返したんじゃないの。……本当はそこに、それこそが、お前が一番欲しかったものなんじゃないの」
「なんですって?」
「俺も、そっちの方がいい。異世界転生して、都合よく美男美女に愛されまくるハーレムなスキルも、好きなように世界を蹂躙して身勝手なスローライフができるようなチートスキルも、俺はなくていい。強い仲間を引き寄せられるけど、そこから先は自分の力で頑張って友達を作らなくちゃいけない……それくらいのスキルが、俺には一番あってる。だってスキルのせいで無条件に愛されるとか、仲間になられるなんて補正があったら……俺はきっと、自分を好きだと言ってくれる人の気持ちも信じられなくなっちゃうから」

 向こうで、何かに反応したように光が顔を上げるのが見えた。忌々しい。思わずジェシカは、目の前の少年の胸元を蹴り上げる。彼はあっけなく吹っ飛び、床を転がった。げほげほと咳きこんでいる少年を、ジェシカは冷たい眼で見下ろす。

「愛なんか、この世界に不要よ。愛があるから、見えなくていいものが見える。縛られなくてもいいものに縛られる。そんなものより、力の方が圧倒的に必要。……意外だわ、仲間が死んでもそんな戯言を言う元気があるなんて。それともまだ、奇跡なんてやつを信じていたりするの?」

 がっ、と転がった少年の頭をヒールで踏みつける。小さく呻き声を上げる彼は、誰がどう見ても圧倒的な弱者にしか見えないのに――何故今自分は、こんなにもイライラしているのだろう。
 何がそんなに、胸の奥をざわつかせるのか。

「奇跡なんて、都合よく起きやしないのよ。アニメやマンガの主人公なら、その補正だけでご都合展開に持っていって奇跡を引き起こすこともあるんでしょうけどね。残念ながら、これは現実。そして、あんたはヒーローになりたいなんて言ってるだけの口先野郎。壮大なファンタジーのライトノベルやゲーム、熱血ヒーローの少年漫画……そんなものの主人公じゃない。なれるはずもない」
「は、はは……それは、同感。俺、主人公なんて、ガラじゃないし。地味だし、モブ顔、だし……」
「あら、自分でわかってるんじゃない」
「わかってるってば、ジェシカ。……でもって、奇跡って祈ったり願うだけで起きるもんじゃないってのも、すごく同意する。奇跡は、人の力で起こすもの、なんだから」

 次の瞬間。想像以上に強い力で、優理がジェシカの足を掴んだ。そして。



「だからこそ。……俺達の勝ちなんだよ、転生の魔女・ジェシカ!」



 刹那。
 まばゆい光が、ジェシカの眼前に迫ったのである。
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