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<第八話>
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「あ、シェル!何処に行ってたんですか?」
シオンの声に、ミリーははっとして振り向いた。シェルがすたすたとこちらに歩いて来る。どうやら、雄大の“用事”とやらが終わったらしい。普段と変わらぬ仏頂面に見えるが――なんだろう、違和感を感じるな、とミリーは首を捻った。
もしかしてシェルも、明日の対面日に緊張しているのだろうか。それとも、雄大に何かを言われたのか?
「シェル、どうしたの?高橋さんと何の話?明日のこと?」
「ミリー」
尋ねる声を遮るように、シェルは言った。
「行くぞ」
え、と思う間もなく、シェルに腕を引かれる。行くって何処へ?とクエスチョンマークを飛ばすミリーに気づいているのかいないのか。とはいえ、こうしてシェルが唐突に自分をどこかに引っ張っていくことなどさして珍しい事でもない。なんせ、このアンドロイドと来たら圧倒的に言葉が足らないのだ。大抵、何か本人なりに重要な意図があるはずだというのに――口にするという発想が、まず思いつかない。
頭はいいはずなのにな、とミリーはいつも不思議に思うのだ。シェルという人物はいつも、どこか自分たちとはズレた次元に生きているように思うのである。普通の人間やアンドロイドが思うこととはナナメ上の発想をしたり、誰も考えないような着眼点を持っていたり、はたまた飛躍したり。それが彼ないし彼女の長所であり短所でもある(天然ボケじゃないのか、と言われることも)。けれどそんなシェルの突飛さが、ミリーはけして嫌いではなかった。
不言実行、そんな言葉がシェルにはよく似合う。何も考えてないようでいて、本当は誰より多くのことを考えている。一生懸命努力している。願っている。何かをしようと足掻いている。そして本当は誰より――自分や仲間のことを、想ってくれている。
特にこうやってシェルが突発的な行動をする時などは大抵、ミリーの為なのだ。
「えっと、その……こっち、屋上だよ?何かあるの?」
自分たちは、このビルから出ることは許されていない。しかし、屋上に上ることは許可されている。このビルのある町はいわばこの国の首都と呼ばれるところであり、三十階から見下ろす景色は実に壮大なものだ。特に夜は、ビルの明かりが無数に輝いていて、まるで上にも下にも星屑があるかのようである。
殆ど沈みかけている夕空は、夜の藍色とオレンジで鮮やかなグラデーションを形成していた。向こうには黒く遠い山並みが見え、この国の象徴するタワーが点滅している姿も見える。さらに、今日は天気が良かったこともあって、細く綺麗な三日月も輝いていた。まるで、良く出来た絵葉書のような光景だ。
「わあ、今日の空は綺麗だね……これを見せたかったの?クリスとシオンも連れてくる?」
「いい」
「え?」
「お前と二人がいい」
今なんて言ったのか。ミリーは思わずポカンとして、シェルの方を見てしまう。夜空の下であっても、どんな暗い場所でも、シェルのキラキラした銀髪はよく映えるなと思った。もちろん、太陽の下が一番似合っているとは思うけれど。
綺麗だな、と思うと同時に。そんな言葉では言い尽くせない感情は胸に湧き起ってくる。二人がいい、ってそれはどういう意味なんだろう。一番の友達だとは信じているけれど。でも、そんな言い方をしたら本当に勘違いしてしまいそうじゃないか。
シェルは綺麗で。自分をいつも見つめてくれる、お月様みたいな存在で。
だからどんな場所でも、自分も。シェルを見つけたいだなんて、そんな。どこかのアニメかドラマで見たような詩的な台詞が頭に浮かんでは、消えていった。――だってあれ、あれは。確か恋人同士の台詞だったじゃないか。
自分とシェルではけして、そんな関係になどなれないというのに。
「もうすぐだ、待ってろ」
すい、とシェルが地平線の方を指差した。
「高橋の奴の話が長すぎたんでな。間に合わなかったら、殴ってやったところだ」
「間に合わないって何さ。というかシェルってばもう、すぐそうやって手が出るんだから。高橋さんにはもっと優しくしてあげても……」
いいじゃない、と口にしようとして。そこで言葉が止まった。ぼん、と。何かが弾けるような音が響いたからである。続いて断続的に音が響く。破裂するような、撃つような、腹の底から響くような、それ。
疑問に思うまでもなかった。シェルがずっとその方向を指差していて、自分もその先を見つめていたのだから。
「あ……」
弾けるような光。その火の粉が咲いたように見え、華やかで美しいことから。時のその光を、人は命の灯に例えることさえある。
「花火……?」
この国の、古くからの風物詩。夏の訪れを告げる大輪が、空に次々咲き誇っていく。そうだ、夏だったのだっけ、と今更ながら思い出した。ビルから出ない自分たちには、あまり実感のないことではあるけれど。
「この都市の祭りだそうだ。毎年やっている。対面日の前に見られて良かった」
「私に、見せたかったの……?」
「……」
シェルは答えない。いつも肝心なところで黙ってしまうのだから、と思う。
――ううん、違う。見せたかったんじゃ、ない。
ああ、もしかして答えないのではなくて。答えられないのかもしれない。
この人はいつも、誰より自分の感情に不器用で、鈍いところがあるのだから。言葉にできない想いに戸惑っている最中なのかもしれない。だって。
――私と、二人で見たかったんだ。二人きりで、見たかったんだ。
だって今、多分。
ミリーも同じ気持ちでいるのだから。
「……卒業して、もしご主人様が許してくれたら。今度は、花火だけじゃなくて……お祭りも一緒に、行けるかもしれないよね?」
もうすぐ、自分たちは離れ離れになってしまうかもしれない。ご主人様次第ではもう――二度と、会うこともできなくなってしまうかもしれないのだ。
そんな現実から目を背けたくて。少しでも、未来は明るいのだと信じたくて、ミリーはそう言った。――でも。
「……そんな日が来ても。今日見た花火より、綺麗なものを見ることなんて無いだろう。……その時は、私もお前も……誰かのモノになっているのだから」
ミリーは気づいた。シェルの肩が小さく震えていたことを。いつも毅然としていて、まっすぐに前を見て、堂々としていて、誇り高くて――そんなシェルが一度も見せたことのない姿を今、自分に見せてくれているということを。
「シェル、あのね、私っ……」
「ミリー」
夜空に一際大きく、色鮮やかな華が開いた瞬間。
「誰も見ていない。だから、忘れていい。何も言わなくていい。ただ」
ぐい、と強く身体を引き寄せられて。唇を温かい感触が塞いでいた。え、と思った時にはもう、それは離れていて。すぐ目の前に、彫刻のように美しい、シェルの顔があった。
泣き出しそうな、顔があったのだ。
「この一瞬だけ、許してくれ。馬鹿な私を」
ねえ、今のはどういうことなの。
どういう意味なの。ミリーは混乱する。だってこれ、これは。ついこの間ドラマで見たばかりの行為ではないか。
好きあった二人が、恋人同士ですることではないのだろうか。
――卑怯だよ、シェル。明日バイバイになっちゃうかもしれないのに。何も言わなくていいなんて、そんなのひどいよ。
ああ、でも。何かを告げることを許されたとしても。自分は一体この人に何を言えただろうか。どんな言葉がふさわしいと思えただろうか。
でもきっと。今の口づけが嫌だと思えなかったのだから、答えなど出ているのだろう。嫌であるどころか、今すぐ抱き着いて泣いてしまいたいと思ったということはつまり、そういうことなのだろう。
愛しいなんて、そう思うことは許されない。自分たちは人間ではない。ホープ・コードという名の、人間に作られた機械人形なのだ。
ホープ・コード同士で恋をする。それは自分たちにとって最大のタブーだと知っている。だからこそ、シェルもこの恋をどうにか無かったことにしようとしているのだから。
「……じゃあ、私のことも許してよ、シェル」
抱きしめてしまったら、歯止めがきかなくなる気がした。きっともう、離したくなくて、このままシェルを連れてどこかへ逃げ出したくなってしまうのがわかっていたから。
震える手を握り締めて、ただそれだけを絞り出した。
「私にも、許して。今を、ずっとずっと……未来の先までずっと、忘れないこと。……許してよ」
打ちあがる花火。祭りの喧騒は、聞こえない。他のアンドロイド達ももしかして屋上に上がってきているのかもしれないが、今の自分たちにとってこの場所はそう――いうなれば“自分たちだけの世界”だった。鮮やかで、華やかで、美しくて、それでいて苦しい世界に、たった二人だけが存在している。
明日全てが終わるとしても。許されざる恋だとしても。今この刹那だけは、誰にも穢すことなどできない。例えそれが、神と呼ばれる存在だったとしても。
「……綺麗だな」
「うん」
「本当に、綺麗だ」
ささやかな願いさえ届かない場所で、それでも自分たちは愚かに希うのである。
愛しい君よ、どうか幸せであれ、と。
やっぱりか、と思うと同時に。シオンは己の心が、ずぶずぶと暗闇に沈むような感覚を覚えていた。クリスと二人、気を利かせつつも影でシェルとミリーの姿を見ていたからである。隣でクリスも、言葉をなくして佇んでいる。
「……馬鹿だなあ、あいつら」
「そうですね。どうしようもなく、馬鹿な人たちです。……まあ恋愛なんてもの、馬鹿にでもならなければできないんでしょうけど」
普段は空気なんてもの読む気もないくせに、クリスがほとんど無口なままそこに立っているのは。シェルとミリーの関係が、行為が、何を意味するかわかっているからなのだろう。
ホープ・コード同士での恋愛はけして許されてはいない。関係を持ったことがバレたら即廃棄処分だ。ホープ・コードは少子化対策及び労働力のために生まれたアンドロイド。当然、ホープ同志で番になれば人間より遥に出産率は高い。同時に――奇形が生まれる確率と、人間の遺伝子を食うほどの優秀な存在が生まれてしまう確率も。
ゆえに、最大の禁忌。シェルがした行為はいわば、バレたら最後の命がけの行為と言っても過言ではないのである。
防犯カメラの死角を把握していたからこそでもあるのだろうが。
「……そんな気はしてたんですけどね。シェルがミリーに向ける感情がどんな種類なのかまではわかっていませんでしたが」
どれにしたって、残酷なだけだと知っている。自分たちは必ず離れ離れになるし、必ず人間と番にならなければならない存在なのだから。
たとえ、シェルとミリーが相思相愛であったとしても。お互いがお互いに向ける感情の色がまったく同じものだったとしても――彼らはけして結ばれることはない。廃棄処分でもされない限り別の人間と婚姻を強制され、子供を作らされる運命にある。場合によっては卒業と同時に今生の別れになるなんてこともあり得るのだ。それなりに、高い確率で。
「シェルのことだ。馬鹿げてるなんて、本人が一番よくわかってたんだろうけどさ」
ぽつり、とクリスが呟く。
「それでも……耐え切れない瞬間があったんだろうな。どれほど残酷でも、思い出が綺麗になればなるだけ苦しむとわかってても……欲しい一瞬があったってことなんだろ」
「まるで知ったようなことを言いますね」
「下種な勘繰りしてくれるなよ。言っておくけど私は別に片思いの相手がいるとかじゃないかんな。ただ、想像つくってだけだ。友達としてなら……好きなやつも離れたくない相手もたくさんいるし。その“友情”ってやつが、“愛情”に切り替わる可能性があるってのもわからんことじゃない。そもそも、私らみたいに性別もなけりゃ心も曖昧なやつらに、その線引きをきっちりつけろって方が無理な話だろーよ」
珍しいどころではなく、珍しい。まるでとても頭の良い人間か何かのようなことを言うクリスの顔を、思わずシオンはまじまじと見てしまう。
そんなシオンに気づいてか、クリスが眉間に皺を寄せて言った。
「思ってること、全部顔に出てんぞコラ。そんなに私が真剣に物事考えるのが珍しいのかよ?」
「はい、とても」
「そこ、少しは迷う素振りくらい見せて!?即答かよ!」
冴えたツッコミの声が響いた。シオンはくすくすと笑ってみせる。――笑うフリをした。目前にある悲劇に、どうすればいいか迷って、空回りそうになっている友人を知っていたから。
自分に出来る事など何もない。精々、今見た光景を知らないフリで通すことしかできないけれど。
それでも、誰かの幸せを願ってしまうのは、傲慢というものなのだろうか。
シオンの声に、ミリーははっとして振り向いた。シェルがすたすたとこちらに歩いて来る。どうやら、雄大の“用事”とやらが終わったらしい。普段と変わらぬ仏頂面に見えるが――なんだろう、違和感を感じるな、とミリーは首を捻った。
もしかしてシェルも、明日の対面日に緊張しているのだろうか。それとも、雄大に何かを言われたのか?
「シェル、どうしたの?高橋さんと何の話?明日のこと?」
「ミリー」
尋ねる声を遮るように、シェルは言った。
「行くぞ」
え、と思う間もなく、シェルに腕を引かれる。行くって何処へ?とクエスチョンマークを飛ばすミリーに気づいているのかいないのか。とはいえ、こうしてシェルが唐突に自分をどこかに引っ張っていくことなどさして珍しい事でもない。なんせ、このアンドロイドと来たら圧倒的に言葉が足らないのだ。大抵、何か本人なりに重要な意図があるはずだというのに――口にするという発想が、まず思いつかない。
頭はいいはずなのにな、とミリーはいつも不思議に思うのだ。シェルという人物はいつも、どこか自分たちとはズレた次元に生きているように思うのである。普通の人間やアンドロイドが思うこととはナナメ上の発想をしたり、誰も考えないような着眼点を持っていたり、はたまた飛躍したり。それが彼ないし彼女の長所であり短所でもある(天然ボケじゃないのか、と言われることも)。けれどそんなシェルの突飛さが、ミリーはけして嫌いではなかった。
不言実行、そんな言葉がシェルにはよく似合う。何も考えてないようでいて、本当は誰より多くのことを考えている。一生懸命努力している。願っている。何かをしようと足掻いている。そして本当は誰より――自分や仲間のことを、想ってくれている。
特にこうやってシェルが突発的な行動をする時などは大抵、ミリーの為なのだ。
「えっと、その……こっち、屋上だよ?何かあるの?」
自分たちは、このビルから出ることは許されていない。しかし、屋上に上ることは許可されている。このビルのある町はいわばこの国の首都と呼ばれるところであり、三十階から見下ろす景色は実に壮大なものだ。特に夜は、ビルの明かりが無数に輝いていて、まるで上にも下にも星屑があるかのようである。
殆ど沈みかけている夕空は、夜の藍色とオレンジで鮮やかなグラデーションを形成していた。向こうには黒く遠い山並みが見え、この国の象徴するタワーが点滅している姿も見える。さらに、今日は天気が良かったこともあって、細く綺麗な三日月も輝いていた。まるで、良く出来た絵葉書のような光景だ。
「わあ、今日の空は綺麗だね……これを見せたかったの?クリスとシオンも連れてくる?」
「いい」
「え?」
「お前と二人がいい」
今なんて言ったのか。ミリーは思わずポカンとして、シェルの方を見てしまう。夜空の下であっても、どんな暗い場所でも、シェルのキラキラした銀髪はよく映えるなと思った。もちろん、太陽の下が一番似合っているとは思うけれど。
綺麗だな、と思うと同時に。そんな言葉では言い尽くせない感情は胸に湧き起ってくる。二人がいい、ってそれはどういう意味なんだろう。一番の友達だとは信じているけれど。でも、そんな言い方をしたら本当に勘違いしてしまいそうじゃないか。
シェルは綺麗で。自分をいつも見つめてくれる、お月様みたいな存在で。
だからどんな場所でも、自分も。シェルを見つけたいだなんて、そんな。どこかのアニメかドラマで見たような詩的な台詞が頭に浮かんでは、消えていった。――だってあれ、あれは。確か恋人同士の台詞だったじゃないか。
自分とシェルではけして、そんな関係になどなれないというのに。
「もうすぐだ、待ってろ」
すい、とシェルが地平線の方を指差した。
「高橋の奴の話が長すぎたんでな。間に合わなかったら、殴ってやったところだ」
「間に合わないって何さ。というかシェルってばもう、すぐそうやって手が出るんだから。高橋さんにはもっと優しくしてあげても……」
いいじゃない、と口にしようとして。そこで言葉が止まった。ぼん、と。何かが弾けるような音が響いたからである。続いて断続的に音が響く。破裂するような、撃つような、腹の底から響くような、それ。
疑問に思うまでもなかった。シェルがずっとその方向を指差していて、自分もその先を見つめていたのだから。
「あ……」
弾けるような光。その火の粉が咲いたように見え、華やかで美しいことから。時のその光を、人は命の灯に例えることさえある。
「花火……?」
この国の、古くからの風物詩。夏の訪れを告げる大輪が、空に次々咲き誇っていく。そうだ、夏だったのだっけ、と今更ながら思い出した。ビルから出ない自分たちには、あまり実感のないことではあるけれど。
「この都市の祭りだそうだ。毎年やっている。対面日の前に見られて良かった」
「私に、見せたかったの……?」
「……」
シェルは答えない。いつも肝心なところで黙ってしまうのだから、と思う。
――ううん、違う。見せたかったんじゃ、ない。
ああ、もしかして答えないのではなくて。答えられないのかもしれない。
この人はいつも、誰より自分の感情に不器用で、鈍いところがあるのだから。言葉にできない想いに戸惑っている最中なのかもしれない。だって。
――私と、二人で見たかったんだ。二人きりで、見たかったんだ。
だって今、多分。
ミリーも同じ気持ちでいるのだから。
「……卒業して、もしご主人様が許してくれたら。今度は、花火だけじゃなくて……お祭りも一緒に、行けるかもしれないよね?」
もうすぐ、自分たちは離れ離れになってしまうかもしれない。ご主人様次第ではもう――二度と、会うこともできなくなってしまうかもしれないのだ。
そんな現実から目を背けたくて。少しでも、未来は明るいのだと信じたくて、ミリーはそう言った。――でも。
「……そんな日が来ても。今日見た花火より、綺麗なものを見ることなんて無いだろう。……その時は、私もお前も……誰かのモノになっているのだから」
ミリーは気づいた。シェルの肩が小さく震えていたことを。いつも毅然としていて、まっすぐに前を見て、堂々としていて、誇り高くて――そんなシェルが一度も見せたことのない姿を今、自分に見せてくれているということを。
「シェル、あのね、私っ……」
「ミリー」
夜空に一際大きく、色鮮やかな華が開いた瞬間。
「誰も見ていない。だから、忘れていい。何も言わなくていい。ただ」
ぐい、と強く身体を引き寄せられて。唇を温かい感触が塞いでいた。え、と思った時にはもう、それは離れていて。すぐ目の前に、彫刻のように美しい、シェルの顔があった。
泣き出しそうな、顔があったのだ。
「この一瞬だけ、許してくれ。馬鹿な私を」
ねえ、今のはどういうことなの。
どういう意味なの。ミリーは混乱する。だってこれ、これは。ついこの間ドラマで見たばかりの行為ではないか。
好きあった二人が、恋人同士ですることではないのだろうか。
――卑怯だよ、シェル。明日バイバイになっちゃうかもしれないのに。何も言わなくていいなんて、そんなのひどいよ。
ああ、でも。何かを告げることを許されたとしても。自分は一体この人に何を言えただろうか。どんな言葉がふさわしいと思えただろうか。
でもきっと。今の口づけが嫌だと思えなかったのだから、答えなど出ているのだろう。嫌であるどころか、今すぐ抱き着いて泣いてしまいたいと思ったということはつまり、そういうことなのだろう。
愛しいなんて、そう思うことは許されない。自分たちは人間ではない。ホープ・コードという名の、人間に作られた機械人形なのだ。
ホープ・コード同士で恋をする。それは自分たちにとって最大のタブーだと知っている。だからこそ、シェルもこの恋をどうにか無かったことにしようとしているのだから。
「……じゃあ、私のことも許してよ、シェル」
抱きしめてしまったら、歯止めがきかなくなる気がした。きっともう、離したくなくて、このままシェルを連れてどこかへ逃げ出したくなってしまうのがわかっていたから。
震える手を握り締めて、ただそれだけを絞り出した。
「私にも、許して。今を、ずっとずっと……未来の先までずっと、忘れないこと。……許してよ」
打ちあがる花火。祭りの喧騒は、聞こえない。他のアンドロイド達ももしかして屋上に上がってきているのかもしれないが、今の自分たちにとってこの場所はそう――いうなれば“自分たちだけの世界”だった。鮮やかで、華やかで、美しくて、それでいて苦しい世界に、たった二人だけが存在している。
明日全てが終わるとしても。許されざる恋だとしても。今この刹那だけは、誰にも穢すことなどできない。例えそれが、神と呼ばれる存在だったとしても。
「……綺麗だな」
「うん」
「本当に、綺麗だ」
ささやかな願いさえ届かない場所で、それでも自分たちは愚かに希うのである。
愛しい君よ、どうか幸せであれ、と。
やっぱりか、と思うと同時に。シオンは己の心が、ずぶずぶと暗闇に沈むような感覚を覚えていた。クリスと二人、気を利かせつつも影でシェルとミリーの姿を見ていたからである。隣でクリスも、言葉をなくして佇んでいる。
「……馬鹿だなあ、あいつら」
「そうですね。どうしようもなく、馬鹿な人たちです。……まあ恋愛なんてもの、馬鹿にでもならなければできないんでしょうけど」
普段は空気なんてもの読む気もないくせに、クリスがほとんど無口なままそこに立っているのは。シェルとミリーの関係が、行為が、何を意味するかわかっているからなのだろう。
ホープ・コード同士での恋愛はけして許されてはいない。関係を持ったことがバレたら即廃棄処分だ。ホープ・コードは少子化対策及び労働力のために生まれたアンドロイド。当然、ホープ同志で番になれば人間より遥に出産率は高い。同時に――奇形が生まれる確率と、人間の遺伝子を食うほどの優秀な存在が生まれてしまう確率も。
ゆえに、最大の禁忌。シェルがした行為はいわば、バレたら最後の命がけの行為と言っても過言ではないのである。
防犯カメラの死角を把握していたからこそでもあるのだろうが。
「……そんな気はしてたんですけどね。シェルがミリーに向ける感情がどんな種類なのかまではわかっていませんでしたが」
どれにしたって、残酷なだけだと知っている。自分たちは必ず離れ離れになるし、必ず人間と番にならなければならない存在なのだから。
たとえ、シェルとミリーが相思相愛であったとしても。お互いがお互いに向ける感情の色がまったく同じものだったとしても――彼らはけして結ばれることはない。廃棄処分でもされない限り別の人間と婚姻を強制され、子供を作らされる運命にある。場合によっては卒業と同時に今生の別れになるなんてこともあり得るのだ。それなりに、高い確率で。
「シェルのことだ。馬鹿げてるなんて、本人が一番よくわかってたんだろうけどさ」
ぽつり、とクリスが呟く。
「それでも……耐え切れない瞬間があったんだろうな。どれほど残酷でも、思い出が綺麗になればなるだけ苦しむとわかってても……欲しい一瞬があったってことなんだろ」
「まるで知ったようなことを言いますね」
「下種な勘繰りしてくれるなよ。言っておくけど私は別に片思いの相手がいるとかじゃないかんな。ただ、想像つくってだけだ。友達としてなら……好きなやつも離れたくない相手もたくさんいるし。その“友情”ってやつが、“愛情”に切り替わる可能性があるってのもわからんことじゃない。そもそも、私らみたいに性別もなけりゃ心も曖昧なやつらに、その線引きをきっちりつけろって方が無理な話だろーよ」
珍しいどころではなく、珍しい。まるでとても頭の良い人間か何かのようなことを言うクリスの顔を、思わずシオンはまじまじと見てしまう。
そんなシオンに気づいてか、クリスが眉間に皺を寄せて言った。
「思ってること、全部顔に出てんぞコラ。そんなに私が真剣に物事考えるのが珍しいのかよ?」
「はい、とても」
「そこ、少しは迷う素振りくらい見せて!?即答かよ!」
冴えたツッコミの声が響いた。シオンはくすくすと笑ってみせる。――笑うフリをした。目前にある悲劇に、どうすればいいか迷って、空回りそうになっている友人を知っていたから。
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