夜明けのエンジェル

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<第十四話>

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 結局。
 シェルはそのまま、自分達よりも早く――住み慣れた場所を卒業していってしまった。本多政紀。あの無作法で横柄な男のもとに“嫁入り”してしまったのである。できることなら、引き留めたかった。あんな奴がシェルの伴侶に相応しいはずがない――ミリーは何度そう言ってシェルに縋ろうとしたか知れない。
 けれど結局、何も言うことが出来ないまま。歪な作り笑いで、シェルの門出を見送るしかなかったのである。――自分もまた、ホープ・コード。人間にはけして逆らうことの出来ない、機械人形でしかない。定められた運命を前にして、どうやって抗えたというのだろうか。
 そして、ミリーとクリス、シオンもまた。それぞれが、客に見初められ――生まれた場所を卒業していくことになったのだった。クリスは、財閥のお嬢様である沖本麻里子のところへ。シオンは大学院生だという時枝瞬の元へ。そしてミリーはあの――鈴岡つぐみのところに婿入りすることになったのである。
 必ず来るとわかっていた別れは、あまりにもあっけないものだった。幸いなのは、四人ともご主人様の家がさほど遠くない場所にあったこと。全員が首都の別区の家だったのである。――いざとなれば、会いに行くこともできるかもしれない。それが唯一の慰めではあった。

――私が本当に、女の人のお婿さんになるなんて…。

 そしてミリーは今。つぐみに連れられて、彼女の自宅の前まで来ている。どんな家なのかと思ったら、普通のマンションだった。つぐみの住んでいるC区は、比較的中流階級が住んでいるとされている地区だった。高層マンションが多く、小学校なども近い。わりと治安も安定している地区だと聞いている。

「ごっめんねー散らかっちゃってるけどまぁ、気にしないでよ」

 オートロックであるあたり、そこそこの値ではあるのかもしれないが。外観は綺麗なものの、案内されたつぐみの住む305号室は――お世辞にも、綺麗な部屋とは言えないものだった。独り暮らしにしては広めの3LDKは、ところせましと物が置かれ、あるいは散乱している。
 ミリーは、あっけにとられて足元を見つめた。まさか、まず靴を脱ぐスペースから探さなければならないなんて。

「えっと、その……」
「あ、ごめん。新聞の束が邪魔だったね。いいよ、てきとーに蹴っ飛ばしちゃってー。いやいやアタシ面倒くさがりでさあ、古紙とかゴミとか毎日出さないでついつい溜めちゃうんだよねー」

 あっはっは、と豪快に笑うつぐみ。毎日ゴミ出しをしないってそれ、結構やばいんじゃなかろうか。というか、この部屋の有り様からして絶対ブラックなGさんがいそうである。なにそれこわい。
 あとなぜに、廊下の真ん中でどどーんと下着とジーパンが落ちているのだろうか。

――え、えっと?私って一応、恋人になるためにつぐみさんに選ばれたはず、だよね?

 ミリーは混乱する。今時の人間の女性はこう――散らかり放題な部屋でもお構い無く、普通に恋人を上げてしまうものなんだろうか?テレビで見た知識では、年頃の女性は恥ずかしがって異性に部屋を見せたがらないものらしいと言っていた気がするのだが。

「お、お邪魔しま、す……」
「そんな他人行儀にならなくていいって!今日からアタシたちは家族なんだし、此処があんたの家になるんだしさー」
「は、はぁ」

 此処が家。どうにか新聞紙の山に埋もれない位置に靴を脱ぎ、廊下に脱ぎ散らかされている衣服を踏まないように気を付けながら――ミリーは思う。此処が新しい家、と。そう言われてもまるで実感が持てないのだ。だって此処にはそう――自分の知らない色と臭いが、溢れすぎている。
 慣れ親しんだ臭いや景色の場所にはもう、自分は二度と戻ることができないのだ――と。此処に来て実感してしまい、ミリーは涙が滲みそうになった。

――だ、だめだよ私。御主人様に嫌われるようなこと、しちゃいけないのに……。

 卒業したくなかった。婿入りしたくなかった――なんて。そんな顔は絶対にしてはいけないのだ。自分達の役目。自分達の成すべき仕事。それをけして忘れてはいけないのである。
 御主人様に支え、子供を作り、御主人様とその家族のために生涯尽くして生きること――。それ以上の幸せなんて自分達にはないのだから。――あっては、ならないのだから。

「ミリー」

 ふと、声をかけられて。ミリーははっとして顔を上げる。

「おいで、ここ。……今頑張ってスペース空けたから、二人で座れるはずよ」
「あ……」

 いつのまにか、つぐみはテレビの前のソファーに座っていた。ソファーの周りもだいぶ物で溢れていたが、つぐみの隣には辛うじて一人が座れるくらいのスペースが空いていた。側にクッションと広告が散らばっているあたり、あれらを蹴落として空けたということだろう。
 ミリーはおずおずと近付き、遠慮がちにその場所に座った。けして大きくないソファー、広くないスペースだ。よって座ると当然のようにつぐみと体が密着することになる。座る時、豊満なつぐみの胸が当たり、独特な臭いが鼻孔をついた。それから――つぐみの、子供のように高い体温も。
 ああ、彼女は生きている人間なんだ、と。そんな当たり前のことを、当たり前のように実感する自分がいる。

「あのね、ミリー」
「う、うん」
「……アタシはさ。あんた達に、とても申し訳ないことをしてると思ってるの」
「え」
「だって、そうじゃん」

 つぐみはへにゃり、と。少し困ったような顔で笑った。

「酷いと思うよ。会ったばかりの相手に婿入りして、セックスして子供を作れってさ。便宜上は夫婦になるはずなのに、御主人様には絶対に逆らうな、ご主人様の望む存在になれ、なんてさ。……人間だったらあってはいけないような、人権を無視するようなことを押し付けてるって、わかってるんだよ。今は人間なら多くの人が、国境や人種や性別を越えて愛し合える次代だってのにさ」

 だからね、いいのよ、と。つぐみは言う。

「新しいところに来て、いきなり誰かと一緒に住めなんて言われて。不安じゃないはずないもんね。だから、いいの。あんたの不安な気持ち、アタシに隠さないでよ。ていうか……隠さないでほしいな。その代わりアタシも、あんたにいっぱい話したいこととかあるから……聞いてほしいし」

 ミリーはあっけにとられて、つぐみの言葉を聞いていた。まさか最初にこんなことを言われるだなんて、思ってもみなかったのである。自分達はあくまでアンドロイド。プログラムされただけの機械人形だ。実際、あの会社の中でさえ、雄大以外のスタッフ全員が自分達を無機物としか見なしていなかったことを知っている。おそらく、世間の人間の大半がそうであろうということも。
 だから、驚いた。自分達を相手にまるで、人間に対応するかのように――気遣いをかける者が。雄大以外に――それも、ご主人様の中にいるだなんて、思ってもみなかったのである。

「……つぐみ、さん」
「つぐみでいいよ。……なぁに?」
「その……」

 がさつだし、部屋は汚いし、きっととてもいい加減な性格なんだろう、彼女は。それでも、だ。

「良かったんですか、私で。……だって私臆病だし、男らしいところなんて全然ないし……あなたに相応しい恋人なんて、全然なれそうもないのに」

 なんとなくだけれど。つぐみのように勝ち気で行動力のありそうな女性は、同じノリでガンガン走ってくれるような勇敢で親しみの持てそうな男性が相応しそうだというのに。どうして自分なんだろう。彼女の理想でありそうな、彼女とぴったりピースが嵌まりそうな相手とは――まるで自分は真逆であるように見えるというのに。

「この間も言ったじゃん。……あんたがいいの」

 くしゃり、とつぐみはミリーの頭を撫でて、言った。

「頑張り屋で、どんな失敗でも諦めない。……そういうあんたが、いいの」

 どうしてだろう。どうしてこの人はこんなにも自分を評価してくれるのだろう。優しい言葉をかけてくれるのだろう。

――どうしよう。泣いちゃいそう。

 ぐすり、とミリーは思わず鼻を鳴らした。反則じゃないか、こんなのは。卒業して、新しい場所に来て、不安で不安でたまらない時に、こんなことを言われたら――誰が涙を堪えられるというのだろう。
 ミリーはつぐみの顔を見れなくなり、俯いて自分の心と戦っていた。――ホープ・コードとしての責任感と、貰った言葉を嬉しいと感じる人間に似た心の間で、揺れ動いていたのである。



 ***



 自分は、どうしていたのだっけ。
 どれくらい時間が過ぎたのだっけ。

「うっ……く……」

 意識の浮上と同時に、全身から走った痛みに、シェルは呻き声を上げた。目の前が真っ暗で何も見えない。そういえば目隠しをされたのだっけ、と朧気ながらに思い出す。あの男が言っていた――見えないとその分オンナは怯えて、いい声で啼いてくれるもんな、と。

――下衆がっ……地獄に落ちろ……!!

 痛みと怒りで全身が震える。本当はあらぬ限りの罵倒の言葉を投げつけてやりたかった。ここに来る前に調べた知識を思い出す。――本多政紀。ホンダネットワークスの御曹司。悪い噂は探せば探しただけ見つかった。特に女性関係の黒い噂は見るに耐えないものばかりで。
 例えばそう。無理矢理関係を結んだ女性が身籠ったのを、腹を殴って流産させたとか。泣き叫ぶ女性を監禁して妊娠させ、臨月になるまで裸で犬のように飼い慣らしたとか。これらが本当なら犯罪どころの騒ぎではない。――それから、ホープ・コードに関する噂もそう。
 自分の前に、本多政紀に選ばれたというホープ・コード。名前はカガリ。美しいそのホープ・コードを、あろうことか両手足を切断して、壁にオブジェのように飾っていたのだという。そして、山のように子供を産ませて、壊れると同時にビルの上から投げ捨てて始末した――と。あくまで噂だ。真実かどうかは定かではない。でももしそれが、本当だったというのなら。

――私も同じ末路だというのか……。

 ふざけるな、と言いたかった。言いたいのに、それも出来ない己の無力さが悲しくてならなかった。無理矢理足を開かされて、逃げようとすれば殴られて。痛みに声をあげれば嘲笑される。――なんて情けないザマだろう。自分が世界で一番嫌いな種類の男に踏み潰され、当たり前のように見下され、支配されるだなんて。

――わかってる。……これが最善だ。これたけが、最善だったんだ。

 ああ、ミリー。
 記憶の中で、ミリーの笑顔が向日葵のように咲いて、輝いた。どれだけ痛め付けられても、自由がなくても、踏みにじられても――自分の心だけは、この記憶だけは誰にも侵せない。本当はたくさん言いたい言葉があった。もっとたくさん抱き締めて、あげられるもののすべてをミリーに渡しておきたかった。ミリーのことを想うだけで、苦しくてならなくなるけれど。想う度に、自分はまだ大丈夫だと思えるのである。
 折れない。折れない。――けして折れたりなど、しない。侵せない神聖な領域がある限り。記憶の世界で、ミリーが笑ってくれる限り。

「よぉ、シェル。目ぇ醒めたかよ」

 がちゃり、と部屋のドアが開く音がした。目隠しごしに、僅かに光を感じとる。聞こえてきた声はここ数日嫌というほど聞かされた、この世で最も嫌いな男の声だ。

「意識が戻ったなら続きやろうか?お前も寂しいだろ、んー?」
「………」

 死ね。死ね。死んでしまえ。心の中で呪詛を呟き、憎悪を燃やす。――それが唯一己の心を守る手段だとわかっていた。
 怒り、憎んでいるうちは。絶望せずにいられる。
 悲しみはあまりにも深く、沈んでしまえば容易く浮き上がることのできないものであるのだから。
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