小悪魔男子に恋してる!

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<11・祈る少女>

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「な、なんて、いう、か」

 さっきまでの勢いはどこへやら。あかるの声は、尻窄みに小さくなっていく。

「その。……思ったより雰囲気ある、かも?」
「そう、です、ね?」

 隣にいる夢叶の動きも、なんともぎこちないものだ。ぎぎぎぎ、とまるで壊れたロボットのような動きであかるの方を見る。一応笑おうとしているらしいが、唇の端が左右非対称に持ち上がって歪んだ、なんとも愉快な表情になっているではないか。美少女も形無しである。――多分あかるも今、似たような顔になっているのだろうけれど。
 旧体育倉庫の有様は、現倉庫の隣に並んでいるだけあって一目瞭然だった。茶色の木造小屋はあちこち壁板にカビが生えているし、硝子も一部が割れて穴があいている。おまけに除草もしていないのか、周囲にはもっさりと背の高い雑草が生え、なんともみすぼらしい様相を呈していた。その体育倉庫を、さらに赤いカラーコーンと弱そうなロープだけでお粗末に囲ってあるわけである。一応“立ち入り禁止”の張り紙はあるが――これはもう、好奇心旺盛な小学生にはむしろ“入ってください”と言わんばかりの状況になっているのではなかろうか。
 あの悪ガキどもなら、肝試しと称して何度か侵入を試みてそうである。あかるとしては、全く理解できたものではないが。

――い、意図的に視界に入れないようにしてたからアレだけど!こうして近づいてみるとこう、結構な、アレ……。

 本当に、何でこんないかにもなホラースポットが、校庭の隅で放置されているのだろうか。まさか本当に不幸な事故が相次いで壊せなかった、なんていうオチがあるとでも?

――そ、そんな場所に、入って大丈夫なのかなあ。

 おまじないをしてみようか、と夢叶に声をかけたのは自分だ。正確には、夢叶がおまじないをするのに自分も付き合うよ!くらいの名目だが。しかし、ちょっと想像を超えるお化け屋敷っぷりに、あかるは既に腰が引けている状態である。そろそろと中に近づいてみる。割れた窓ガラスに近づけば、未だに破片が地面に落ちたままになっていた。割れたのがほんのつい最近であるのか、それとも片づけられずにずっと放置されているのか。
 割れたガラスの隙間から中を覗いてみる。まだ日も落ちていない時間帯だというのに、中は薄暗くてよく見えなかった。電気が通っていないのだろう、という事実に今更ながら思い至る。窓際に大きな跳び箱のようなものが置いてある?のが辛うじて見えるくらいだ。

――と、とりあえず、入口に回ってみよう。鍵が開いてなかったらどうにもならないし、うん!

 カラーコーンを蹴とばさないように気を付けつつロープを越えて、建物の入口へと向かう。おまじない、は中に入らないと実行できないのだ。
 鍵がかかっているはずだ、と刹那は言っていた。自分もそう思っている――というか、そうであってほしいと願い始めているのだけれど。

「へ」

 ぎしい、と鈍い音とともに、あっさりノブは回ってしまった。奥に押し込んでみると、そのままドアは簡単に開いていく。軋んだ音と共に、中に光が射しこんだ。明らかに土と埃に塗れた汚い床に、複数の足跡が残っているのがありありとわかる。

「や、やっぱり、ここに入ったことがある人は他にもいるんだね。しかも最近」

 あかるは震える声を絞り出しながら、一縷の望みをかけて夢叶を振り返った。

「どうする?……汚いし、や、やめてもいいよ?」

 それはほとんど、“やめると言って頼むから”が透けている言葉になっていた。ここで夢叶が“怖いからやめます”と言ってくれたら、自分も引き返す理由ができようというものだ。そう、これは所謂戦略的撤退というものである。断じてオバケが怖いから逃げ出したとか、そういうことにはならないはずなのだから!
 しかし。

「……やります」

 残念ながら――そして意外にも、夢叶ははっきりした声で告げたのである。

「だって私、変わるって決めたんだもの。……すぐに終わらせて、外に出ればいいだけなんだし」
「そ、そっか。そうだよね」

 そこは空気読んで欲しかった!とは思うがそう言われてしまってはあかるとしても後には引けない。嫌だ嫌だと思いつつも、思いきりドアを押し開いた。その瞬間、風圧でぶわあああ!と埃が舞いあがるのが分かって、思わずクシャミが出てしまう。やはり、掃除は一切されていないらしい。入るのは面白半分で侵入した一部バカどものみ、ということなのだろう。まあ、おまじない目的とはいえやっぱり侵入している自分達に、どうこう言う資格はないのかもしれないが。
 ドアは手を離すと簡単に閉じてしまうようだった。夢叶を促して先に入ってもらうと、あかるもその後ろに続いてするりと中へ体をすべり込ませる。中も暗いし、正直ドアは開いたままにしておきたかった。閉じ込められそう、という心理的な恐怖もあるからである。
 よって押し開けたドアの前に、そのへんに置いてあった木製の椅子を二つ積み上げて固定することにした。これなら、ドアが勝手に閉まってしまう心配もないだろう。

「はっくしょん!くしゅっ、くっしゅん!」

 可愛らしいくしゃみの声が断続的に響いた。埃にやられたらしい夢叶である。あかるも鼻がむずむずしてきて、再度クシャミを連発させてしまった。これは、長居するのは禁物そうだ。

「うん、さっさと終わらせよう。えっと……」

 ドアを全開にしたままにしたことで、多少は中の様子が見回せるようになった。窓際には、大きな跳び箱が二つ積み上がっている。それ以外にも、木製の椅子がいくつか詰まれて放置されており、あとは金属製の棚の上には何が入っているかわからない段ボール、がいくつか。一番下には、茶色く変色したサッカーボールやバスケットボールだったと思しきものが、いくつかカゴに放り込まれたままになっていた。その一部は空気が抜けてしまっているのか、おへそ部分がべっこりとへこんでいるものもある。
 空気が抜けたボールは、なんだか可哀相な気がしてしまって好きじゃない。その中に、体育の授業で使う色のボールも入っていることに気づいて、あかるは眉をひそめた。それぞれドッジボールなどで使うものなのだが、低学年は赤、高学年は緑を使うと決まっているのだ。高学年用のボールの方が、二回りほど大きなサイズになっている。この体育倉庫が疲れていたのは学校ができてから数年程度だったらしいが、その頃にはもうあの色のボールを使うのが通例となっていたということなのだろう。
 老朽化で危ないなら尚更、ちゃんと中の備品は回収していけばいいのに、と思う。取り残された道具たちがあまりにも不憫である。

「緑さん?」

 思わず黙り込んだあかるに気づいて、夢叶が声をかけてくる。つい、物想いに耽ってしまっていた。あかるは慌てて“なんでもないよ”と返す。気の毒な気持ちはあるが、今はさっさとおまじないを終わらせてしまうのが先決だ。こんな埃っぽいところに長くいたら、健康優良児の自分でさえ病気になりそうである。

「え、えっと。まず、何か踏み台になるものを探す必要があるんだよね。……うん、あの椅子でいいかな」

 物がそこそこ残っていて空間を圧迫している、割には広さがあるようだ。畳一枚が確か一畳というサイズであると聞く。自宅の和室の畳を思い出しながら。この小屋の広さはどれくらいだろうとあかるは考えた。あの部屋が確か“八畳だ”と言っていた気がするから、それよりも広いのは間違いなさそうである。十畳、あるいはもう少し広さがあるだろうか。実際、となりの新しい体育倉庫より、こちらの小屋の方が一回り以上は大きい気がしている。天上を良く見ると、二階へ上がるハシゴのようなものも見えた。元々人が住んでいたというのだから、それ相応の広さがあるのはむしろ当然と言えば当然で、逆に狭すぎるほどであるような気がしないでもない。
 というか、本当に人が住んでいた小屋ならば、風呂やトイレ、キッチンらしきものの名残がないのはおかしいだろう。――やはり、自分が聴いた噂はただの出鱈目なのだろうか。

――まあ、そんな無理心中だの悲劇の恋物語だの、そんなものはそうそう起きることじゃないよね。

 あかるは積み上がっていた椅子の一つを下ろすと、ずりずりと部屋の中心に持ってきた。

「この上に立って、お祈りのポーズをして……呪文を唱えるといいんだって。それで、片思いの相手と両想いになれるってことらしいよー」
「呪文?」
「うん。大丈夫、メモってあるから」

 おまじないに使う呪文に関しては、麻乃たちからばっちりと聴いてメモを取ってある。手帳に挟んでおいたメモをそのまま渡すと、夢叶はそれをまじまじと見つめた。

「……ごめん、字、汚い?読めなかったりする?」

 心配になって尋ねると、夢叶は“大丈夫”と首を振る。

「えっと、この椅子を踏み台にして上に乗って、この呪文を言えばいいんですよね。あ、お祈りポーズしてたらメモが見えないから、覚えなくちゃいけないのか」
「覚えられなかったら言って、私が傍で復唱するから」
「ううん、これくらいなら平気」

 夢叶はあかるにメモを返すと、意を決したように椅子の上に足をかけて乗った。果たして耐久性は大丈夫だろうか、と少しだけ心配になる。なんせ、この場に何年放置されていたかもわからない備品だ。木製だし、劣化していてもおかしくはないだろう。
 幸い、椅子は少し軋む音を立てただけで、特に崩壊する気配はなかった。夢叶の体重が軽いせいかもしれない。悲しいかな、身長も体格も、ずっと彼女の方があかるより細くて女の子らしいものだと知っている。正確に数字を聴いたことがあるわけではないが、どう考えても向こうの方が軽いのは確定だろう。自分が乗ったら危ないかも、なんて考えて苦い気持ちになるあかるである。自分がおまじないを試すかどうかについては、まだ決心がついていないのが本当のところだったが。

「“ゆみこさん”」

 胸の前で、しっかり両手を握りしめた夢叶が、朗朗と言葉を紡ぎ始めた。

「“ゆみこさん、ゆみこさん。まよえるたみは、ここにいます。こいをさがすおとめは、ここにいます。どうかたすけてください。わたしのなまえはちゃきゆめかといいいます。おもいびとのなまえははいざきたけるといいます。どうか、どうか、ねがいをききとどけてください……”」

 不思議だった。鈴が鳴るような夢叶の声に、なんら変化はないはずである。それなのに、彼女が唱え始めた途端空気が変わったような気がしたのだ。舌足らずにも聞こえる声が、まるで空間を侵食していくかのように薄闇へと木霊していく。

「“ゆみこさん、ゆみこさん。まよえるたみは、ここにいます。こいをさがすおとめは、ここにいます。どうかたすけてください。わたしのなまえはちゃきゆめかといいいます。おもいびとのなまえははいざきたけるといいます。どうか、どうか、ねがいをききとどけてください……”」

 呪文は、三回唱えることで効果を成す。あと一回。
 ふと、頭上からカタカタカタ、と奇妙な物音が聞こえたような気がして、あかるははっと顔を上げた。小さな二階建ての小屋、その二階部分に何があるかなど全くわからない。ネズミや、考えたくもない虫などが湧いている可能性はいくらでもあった。きっとそのテのいずれかだろう。幽霊などと思うより、よほど現実的である。
 そう。

「“ゆみこさん、ゆみこさん。まよえるたみは、ここにいます。こいをさがすおとめは、ここにいます。どうかたすけてください。わたしのなまえはちゃきゆめかといいいます。おもいびとのなまえははいざきたけるといいます。どうか、どうか、ねがいをききとどけてください……”」

 気のせいであるはずなのだ。
 誰かにじいっと、見られているような気がする、なんてのは。

「よ、よし!完了!」

 夢叶が呪文を唱え終わったのを見て、ぽんっとあかるは彼女の腰を叩いた。

「これで両想いになれる、はず!きっと茶木さんも勇気出せるようになるし、私も……」

 そこまであかるが口にした、まさにその瞬間である。



 ガタガタガタ、バタン!



 何かが倒れるような音。
 引きずられるような音。
 そして、あかるの目の前で突然閉まった、ドア。

「は!?」

 愕然とするしかなかった。だってそうだろう。

「う、嘘だろ!?」

 慌ててドアに縋りつき、あかるは叫ぶことになるのである。何故、椅子で止めてあったドアが、風もないのに勝手に閉まるのか。そして。

「あ、あ、開かない!?」

 鍵などかかっていない、かけられるはずもないドアが開かないのだ。いくら、ノブをガチャガチャと回して引っ張ってもびくともしないのである。
 これは、ひょっとしなくてもひょっとして。

――わ、私達……閉じ込められた!?
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