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<12・足掻く少女>
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一瞬息が止まった、とはまさにこのことである。
「な、何で?何で!?」
思わずがちゃがちゃと何度もノブを回し、ドアを引っ張ってを繰り返す。
何故、ちゃんと椅子を積んで固定していたのに、突然ドアが閉まったのだろう。今日は天気も悪くない。風もほとんどなかった。風で突然閉まるとも思えないし、何より重石にしていた椅子が吹っ飛ぶほどの力である。
さらに言えば、鍵がかかってないからこそ自分達は中に入ったわけで。
こちら側に引っ張って開けるわけだから、何かが引っかかってドアが開かないなんてこともないはずで(椅子が建物の外に飛んだとしても、それが邪魔になるなんてことはあり得ないのである。ドアを向こう側に押して開けるわけではないのだから)。
「嘘、嘘嘘嘘嘘!」
人間、予期せぬ出来事が起きた時本質が見えるというもの。あかるは軽くパニックになっていた。自分の腕力が、一般的な小学生レベルでない自覚があるから余計にである。はっきり言って、大人の男を投げ飛ばせる力でドアを引っ張っているのに、何故開かないなんてことになるのだろう。何かがおかしい。まるで、目に見えない力が働いて、ドアを壁にぴったり固定してしまっているようだった。
「どうしよう、開かない、開かないよ!」
「緑さん、落ち着いて」
「で、でも」
「パニックになってても、解決しないです。ドアが閉まった時に、歪んじゃっただけかもしれないでしょ?」
「う……」
椅子から飛び降りた夢叶に背中をさすられて、ようやくあかるも少しだけ冷静さを取り戻した。これがもし、一人で閉じ込められたのだったら本当に大騒ぎするだけして終わっていたかもしれない。
仲間がいる。その事実が、ちょっとだけあかるの心を支えてくれた。確かに、怪奇現象と決めつけるのは早いかもしれない。老朽化して壊れそうになっている小屋の中で、暴れるのも危険かもしれなかった。それこそ、小屋そのものが公開してしまったらお話にならないのだから。歪んでドアが開かなくなる、ということも十分にあり得るのかもしれなかった。ならば。
「窓もあるし、他のところか出られないか確認してからにしてもいいと思うんだけど……」
「そ、そうだな!うん、その通り!」
なるほど、まだ閉じ込められたと決めつけるのも早いかもしれない。夢叶に言葉に頷いて、あかるはドアから手を離した。途端ぎしり、と木が軋むような嫌な音が響く。ノブが抜けてしまってたら笑い話にもならなかったところである。
窓は割れているところもあるし、最悪硝子を砕けばいい――まあ後で叱られるだろうが、それは誰かに助けて貰っても同じことなのだから。埃に時折クシャミをしながら、あかるは夢叶と共に窓を一つずつ確認してみることにしたのだった。どこかに、子供二人くらい抜けられる出口があるはずだと信じて。
***
猛がいないと、サッカーは正直退屈だ。なんせ最近の自分達は“あの凄すぎるストライカーを、いかにして攻略するか”のゲームになりつつあったのだから。転校してくる前の学校では“そこそこ上手い方”だった刹那も、猛を前に一人で突破するのは不可能に近かった。世の中にはいるのものだ、サッカーの神様に愛された天才というものが。
――ま、あいつがいないならいないなりに、楽しみ方はあるんだけど、さ!
自分はフィジカルがないことを、刹那はよく理解していた。小さな頃は体の大きな上級生に無謀にぶつかっていき、そのたびにふっとばされて泣かされていたものである。指導してくれるクラブの先生には呆れられたものだ、そもそもサッカーはぶつかって相手を倒すゲームではないし、圧倒的不利な土俵で勝負するだけ無茶だろうと。人は誰でも得手不得手がある。どんなことでも万遍なくできる人なんてそういないのだから、みんな自分が得意なことを見つけてそれで勝負していくべきなのだ、と。
勿論、得意なことがあったとて、それでどんな相手にも勝てるほど世間は甘いものではない。
絵が得意な人が美大に行けば、そこで自分よりもっと上手い人が大量にいることに気づいて挫折することもあるだろう。
音楽も、スポーツも、勉強も、あらゆることで同じことが言える。サッカーだってそう。ひょっとしたらあの猛だって、同じ小学生に負けることがあるのかもしれなかった。ただ自分達がまだ、そういった存在を知らないというだけで。
――でも、得意なことをどんどん尖らせて、自分だけの武器にしていけば……いつか必ず、それが役立つ時も来るんだ!
好きこそものの上手なれ、それは刹那の座右の銘の一つである。
幼い頃、体でぶつかる勝負ばかりしていたのは、それが好きだったからではない。デカい連中に小さな体格を馬鹿にされて、意地を張っていただけだ。だが、そもそも人より大幅に劣ることで無茶をしたって、精々並の勝負ができるかどうかといったところなのである。苦手を克服することも勿論ある程度必要だが、本当の武器を得たいならきちんと得意なことも磨いていかなければいけない。そしてそれは往々にして、刹那にとって“好きなこと”と同義でもあるのである。
そう、刹那が一番得意なのは、パス。
味方の動きを把握して、的確なパスを出し、仲間を生かすこと。自分の思い通りにみんなを動かせたときの快感といったらたまらないものがある。まさに、自分は指揮官向きなのだということを刹那は理解していたのだ。
――そこ、だっ!
クラスメートの桃瀬匠が、敵チームの少年の向こうを鋭く抜けてゴール前まで走っている。刹那は思いきりボールを蹴った。こちらに迫っていた敵チームの少年二人の頭上を思いきり越えて、匠の元まで一直線。彼は胸でトラップして受け止めると、そのままシュート態勢に入った。
「貰った!」
匠は猛ほどパワーもないし技術力が高いわけではないが、それでも一応サッカー経験者である。アウトフロントキック。ボールはぐいん、とキーパーの少年の目の前で曲がって、そのままゴールに突き刺さった。
「ああああ!ちょ、お前、桃瀬!そんなん出来るのかよふざけんなあ!」
「やっりー!」
キーパーの少年が、地団太を踏んで悔しがっている。得意げな匠に、刹那は思いきり駆け寄って首をロックしてやった。
「おめでとう桃瀬ー!ご褒美のヘッドロック―!」
「おいこら青海!何でそれがご褒美になるんだいででででででで」
「おう、しまるしまるー」
刹那と匠のそんなやり取りを、他の少年たちも笑いながら見ていた。
自分はいいクラスメートに恵まれたものだ、と刹那は思う。己の見た目が、いかにも“女の子”であることは自分でもよく理解しているのだ。オカマかよ!といじめられたことは過去何回だってあるのである。自分は別に女の子になりたいわけでもないし、男の子が好きなわけでもない。ただ、自分に一番似合う姿でいたくて、可愛いものが好きだというだけ。けれど、そんな己の考えが子供たちに簡単に受け入れられるものではないこと、理解しがたいものだることもなんとなくわかっているのである。
人は、自分の常識こそ絶対と信じたくなるものだ。
それ以外の真逆の真実は、時に目に見えていても見えていなかったことにしたがるもの。あるいは、“向こうが異端なのだ”と決めつけて叩くこともけして珍しくはない。そんな中、この外見に囚われず仲間として受け入れてくれた彼等の存在が、刹那にとってどれほど救いだったのかは言うまでもないことなのだ。勿論、学校には髪の毛が長いだけの“普通の服装”で通うように気を使ってきたし、普段着と違ってそこまで差別される理由もないのかもしれないが。
――やっぱ、アレだな。サッカーに誘って貰えたのが大きいよな。
初日に声をかけてくれた、猛と匠には感謝してもしきれない。彼等とサッカーに明け暮れる毎日は、たった一週間でもう刹那にとっては十分すぎるほど宝物になっていたのだった。
恩返し、なんて言ったら変化もしれないけれど。いつか自分も、大切な友達に何かできることが見つけられればいいと思う。今思いつくのは精々、彼等とくだらない話をしつつ、彼等の誕生日を忘れないようにすることくらいしかないが。
「桃瀬桃瀬、あんたもサッカークラブ入った方がいいんじゃないの?」
匠をヘッドロックから解放して告げる刹那。
「桃瀬は四年でこの学校に転校してきたって言うじゃん?その時なんでサッカークラブに入らなかったんだよ」
「クソつまんねえ理由だけど聴きたい?」
「聴きたい」
「親が会費払ってくんなかった」
「おう、なんとも残酷な理由でござった」
ひでえよなー、と匠はしくしくと泣き真似をしながら言う。
「確かに、俺は学校の勉強ができねえ!テストが返ってくるたび、いかにして存在を抹消するか常に考えている!……だからって、通信教育やらせる必要ないじゃねーか!その金あるならサッカークラブに使ってくれよって話!おかげで土日の殆どは家で勉強に費やす羽目になってんだよこんちくしょー」
「おうふ」
そりゃなんともお気の毒な。刹那は苦笑いするしかない。残念ながら、勉強に関してはあまり有意義なアドバイスができないことを、刹那は自分でも理解しているのである。理由は単純明快、学校の授業を聴いてちゃんとメモを取っていれば、大抵の内容は理解できるからだ。時々親が買ってきた参考書で勉強することもあるが、正直その程度のものである。多分、飲み込みが早いというやつなのだろう。受験勉強をする気もない人間としては、学校で教わる以上のことができる必要もないのである。
まあ要するに、勉強で苦労した経験がほとんどない。
そういう人間は、誰かに教えるには本来向いていないのだ。この年でなんとなくそれを察知している刹那であった。
「……あ、やっべ」
辺りはすっかり暗くなり始めている。一時間ほどまでは何度か警備員が“さっさと帰れ”と注意してきたが、無視してゲームを続けてしまった結果こんな時間になってしまった。スマホを見てぎょっとする。まさかのまさかで、もう七時になろうという時間ではないか。空は橙色と藍色の、見事なグラデーションを形成している。友達と遊んで帰ると言ってはあったが、連絡もなしにこの時間はちょっと雷が落ちるかもしれない。
「長く遊びすぎた。これ晩御飯抜きかもー」
「やべーじゃん」
「あ、ほんとだ、やらかした!」
「親も呆れてんじゃないの、この間も六時半くらいにはなってたし」
「駄目じゃんー」
「そういえばさー」
わいわいと喋りながら、ふと仲間の一人が言った。
「女ゴリラと茶木さん、あっち行ったまま戻ってきたっけ?」
「!」
その言葉に、刹那ははっとして顔を上げた。思わず、彼女達が姿を消した体育小屋の方へと視線を投げる。彼女達が正門から帰ろうとするならば、行きと同じ道を戻ってくるしかないはずだった。しかし、刹那が覚えている限りでは、コート近くを通ったのは行きの一度だけである。帰りの姿を、確かに見かけていないような。
「裏門から帰ったんじゃねえの?」
桃瀬の言葉に、いや、と刹那は首を振った。
「茶木さんはわかんないけど、あかるちゃんは正門からじゃないとかなり遠回りになるはず。家は駅の方だったはずだし」
「詳しいな」
「ちょっと聞いただけだってば」
本当は、途中まで後ろをくっついていったことがある――なんていうのはここだけの話。言ったらからかわれるに決まっているのだ。
――まさか、まだ体育倉庫にいたりする?あのおばけ屋敷みたいなところに。
何だか、とてつもなく嫌な予感がする。刹那はしばし考えて――あのさ、と友人達に声をかけたのだった。
「な、何で?何で!?」
思わずがちゃがちゃと何度もノブを回し、ドアを引っ張ってを繰り返す。
何故、ちゃんと椅子を積んで固定していたのに、突然ドアが閉まったのだろう。今日は天気も悪くない。風もほとんどなかった。風で突然閉まるとも思えないし、何より重石にしていた椅子が吹っ飛ぶほどの力である。
さらに言えば、鍵がかかってないからこそ自分達は中に入ったわけで。
こちら側に引っ張って開けるわけだから、何かが引っかかってドアが開かないなんてこともないはずで(椅子が建物の外に飛んだとしても、それが邪魔になるなんてことはあり得ないのである。ドアを向こう側に押して開けるわけではないのだから)。
「嘘、嘘嘘嘘嘘!」
人間、予期せぬ出来事が起きた時本質が見えるというもの。あかるは軽くパニックになっていた。自分の腕力が、一般的な小学生レベルでない自覚があるから余計にである。はっきり言って、大人の男を投げ飛ばせる力でドアを引っ張っているのに、何故開かないなんてことになるのだろう。何かがおかしい。まるで、目に見えない力が働いて、ドアを壁にぴったり固定してしまっているようだった。
「どうしよう、開かない、開かないよ!」
「緑さん、落ち着いて」
「で、でも」
「パニックになってても、解決しないです。ドアが閉まった時に、歪んじゃっただけかもしれないでしょ?」
「う……」
椅子から飛び降りた夢叶に背中をさすられて、ようやくあかるも少しだけ冷静さを取り戻した。これがもし、一人で閉じ込められたのだったら本当に大騒ぎするだけして終わっていたかもしれない。
仲間がいる。その事実が、ちょっとだけあかるの心を支えてくれた。確かに、怪奇現象と決めつけるのは早いかもしれない。老朽化して壊れそうになっている小屋の中で、暴れるのも危険かもしれなかった。それこそ、小屋そのものが公開してしまったらお話にならないのだから。歪んでドアが開かなくなる、ということも十分にあり得るのかもしれなかった。ならば。
「窓もあるし、他のところか出られないか確認してからにしてもいいと思うんだけど……」
「そ、そうだな!うん、その通り!」
なるほど、まだ閉じ込められたと決めつけるのも早いかもしれない。夢叶に言葉に頷いて、あかるはドアから手を離した。途端ぎしり、と木が軋むような嫌な音が響く。ノブが抜けてしまってたら笑い話にもならなかったところである。
窓は割れているところもあるし、最悪硝子を砕けばいい――まあ後で叱られるだろうが、それは誰かに助けて貰っても同じことなのだから。埃に時折クシャミをしながら、あかるは夢叶と共に窓を一つずつ確認してみることにしたのだった。どこかに、子供二人くらい抜けられる出口があるはずだと信じて。
***
猛がいないと、サッカーは正直退屈だ。なんせ最近の自分達は“あの凄すぎるストライカーを、いかにして攻略するか”のゲームになりつつあったのだから。転校してくる前の学校では“そこそこ上手い方”だった刹那も、猛を前に一人で突破するのは不可能に近かった。世の中にはいるのものだ、サッカーの神様に愛された天才というものが。
――ま、あいつがいないならいないなりに、楽しみ方はあるんだけど、さ!
自分はフィジカルがないことを、刹那はよく理解していた。小さな頃は体の大きな上級生に無謀にぶつかっていき、そのたびにふっとばされて泣かされていたものである。指導してくれるクラブの先生には呆れられたものだ、そもそもサッカーはぶつかって相手を倒すゲームではないし、圧倒的不利な土俵で勝負するだけ無茶だろうと。人は誰でも得手不得手がある。どんなことでも万遍なくできる人なんてそういないのだから、みんな自分が得意なことを見つけてそれで勝負していくべきなのだ、と。
勿論、得意なことがあったとて、それでどんな相手にも勝てるほど世間は甘いものではない。
絵が得意な人が美大に行けば、そこで自分よりもっと上手い人が大量にいることに気づいて挫折することもあるだろう。
音楽も、スポーツも、勉強も、あらゆることで同じことが言える。サッカーだってそう。ひょっとしたらあの猛だって、同じ小学生に負けることがあるのかもしれなかった。ただ自分達がまだ、そういった存在を知らないというだけで。
――でも、得意なことをどんどん尖らせて、自分だけの武器にしていけば……いつか必ず、それが役立つ時も来るんだ!
好きこそものの上手なれ、それは刹那の座右の銘の一つである。
幼い頃、体でぶつかる勝負ばかりしていたのは、それが好きだったからではない。デカい連中に小さな体格を馬鹿にされて、意地を張っていただけだ。だが、そもそも人より大幅に劣ることで無茶をしたって、精々並の勝負ができるかどうかといったところなのである。苦手を克服することも勿論ある程度必要だが、本当の武器を得たいならきちんと得意なことも磨いていかなければいけない。そしてそれは往々にして、刹那にとって“好きなこと”と同義でもあるのである。
そう、刹那が一番得意なのは、パス。
味方の動きを把握して、的確なパスを出し、仲間を生かすこと。自分の思い通りにみんなを動かせたときの快感といったらたまらないものがある。まさに、自分は指揮官向きなのだということを刹那は理解していたのだ。
――そこ、だっ!
クラスメートの桃瀬匠が、敵チームの少年の向こうを鋭く抜けてゴール前まで走っている。刹那は思いきりボールを蹴った。こちらに迫っていた敵チームの少年二人の頭上を思いきり越えて、匠の元まで一直線。彼は胸でトラップして受け止めると、そのままシュート態勢に入った。
「貰った!」
匠は猛ほどパワーもないし技術力が高いわけではないが、それでも一応サッカー経験者である。アウトフロントキック。ボールはぐいん、とキーパーの少年の目の前で曲がって、そのままゴールに突き刺さった。
「ああああ!ちょ、お前、桃瀬!そんなん出来るのかよふざけんなあ!」
「やっりー!」
キーパーの少年が、地団太を踏んで悔しがっている。得意げな匠に、刹那は思いきり駆け寄って首をロックしてやった。
「おめでとう桃瀬ー!ご褒美のヘッドロック―!」
「おいこら青海!何でそれがご褒美になるんだいででででででで」
「おう、しまるしまるー」
刹那と匠のそんなやり取りを、他の少年たちも笑いながら見ていた。
自分はいいクラスメートに恵まれたものだ、と刹那は思う。己の見た目が、いかにも“女の子”であることは自分でもよく理解しているのだ。オカマかよ!といじめられたことは過去何回だってあるのである。自分は別に女の子になりたいわけでもないし、男の子が好きなわけでもない。ただ、自分に一番似合う姿でいたくて、可愛いものが好きだというだけ。けれど、そんな己の考えが子供たちに簡単に受け入れられるものではないこと、理解しがたいものだることもなんとなくわかっているのである。
人は、自分の常識こそ絶対と信じたくなるものだ。
それ以外の真逆の真実は、時に目に見えていても見えていなかったことにしたがるもの。あるいは、“向こうが異端なのだ”と決めつけて叩くこともけして珍しくはない。そんな中、この外見に囚われず仲間として受け入れてくれた彼等の存在が、刹那にとってどれほど救いだったのかは言うまでもないことなのだ。勿論、学校には髪の毛が長いだけの“普通の服装”で通うように気を使ってきたし、普段着と違ってそこまで差別される理由もないのかもしれないが。
――やっぱ、アレだな。サッカーに誘って貰えたのが大きいよな。
初日に声をかけてくれた、猛と匠には感謝してもしきれない。彼等とサッカーに明け暮れる毎日は、たった一週間でもう刹那にとっては十分すぎるほど宝物になっていたのだった。
恩返し、なんて言ったら変化もしれないけれど。いつか自分も、大切な友達に何かできることが見つけられればいいと思う。今思いつくのは精々、彼等とくだらない話をしつつ、彼等の誕生日を忘れないようにすることくらいしかないが。
「桃瀬桃瀬、あんたもサッカークラブ入った方がいいんじゃないの?」
匠をヘッドロックから解放して告げる刹那。
「桃瀬は四年でこの学校に転校してきたって言うじゃん?その時なんでサッカークラブに入らなかったんだよ」
「クソつまんねえ理由だけど聴きたい?」
「聴きたい」
「親が会費払ってくんなかった」
「おう、なんとも残酷な理由でござった」
ひでえよなー、と匠はしくしくと泣き真似をしながら言う。
「確かに、俺は学校の勉強ができねえ!テストが返ってくるたび、いかにして存在を抹消するか常に考えている!……だからって、通信教育やらせる必要ないじゃねーか!その金あるならサッカークラブに使ってくれよって話!おかげで土日の殆どは家で勉強に費やす羽目になってんだよこんちくしょー」
「おうふ」
そりゃなんともお気の毒な。刹那は苦笑いするしかない。残念ながら、勉強に関してはあまり有意義なアドバイスができないことを、刹那は自分でも理解しているのである。理由は単純明快、学校の授業を聴いてちゃんとメモを取っていれば、大抵の内容は理解できるからだ。時々親が買ってきた参考書で勉強することもあるが、正直その程度のものである。多分、飲み込みが早いというやつなのだろう。受験勉強をする気もない人間としては、学校で教わる以上のことができる必要もないのである。
まあ要するに、勉強で苦労した経験がほとんどない。
そういう人間は、誰かに教えるには本来向いていないのだ。この年でなんとなくそれを察知している刹那であった。
「……あ、やっべ」
辺りはすっかり暗くなり始めている。一時間ほどまでは何度か警備員が“さっさと帰れ”と注意してきたが、無視してゲームを続けてしまった結果こんな時間になってしまった。スマホを見てぎょっとする。まさかのまさかで、もう七時になろうという時間ではないか。空は橙色と藍色の、見事なグラデーションを形成している。友達と遊んで帰ると言ってはあったが、連絡もなしにこの時間はちょっと雷が落ちるかもしれない。
「長く遊びすぎた。これ晩御飯抜きかもー」
「やべーじゃん」
「あ、ほんとだ、やらかした!」
「親も呆れてんじゃないの、この間も六時半くらいにはなってたし」
「駄目じゃんー」
「そういえばさー」
わいわいと喋りながら、ふと仲間の一人が言った。
「女ゴリラと茶木さん、あっち行ったまま戻ってきたっけ?」
「!」
その言葉に、刹那ははっとして顔を上げた。思わず、彼女達が姿を消した体育小屋の方へと視線を投げる。彼女達が正門から帰ろうとするならば、行きと同じ道を戻ってくるしかないはずだった。しかし、刹那が覚えている限りでは、コート近くを通ったのは行きの一度だけである。帰りの姿を、確かに見かけていないような。
「裏門から帰ったんじゃねえの?」
桃瀬の言葉に、いや、と刹那は首を振った。
「茶木さんはわかんないけど、あかるちゃんは正門からじゃないとかなり遠回りになるはず。家は駅の方だったはずだし」
「詳しいな」
「ちょっと聞いただけだってば」
本当は、途中まで後ろをくっついていったことがある――なんていうのはここだけの話。言ったらからかわれるに決まっているのだ。
――まさか、まだ体育倉庫にいたりする?あのおばけ屋敷みたいなところに。
何だか、とてつもなく嫌な予感がする。刹那はしばし考えて――あのさ、と友人達に声をかけたのだった。
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