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<後編>
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しばらく泣いていた太郎君は、やがて大きな道路を歩き始めました。
幅が広くて、大きな道路がずーっとずーっと続いています。トラックが走っていった方向に、ずっとこの道を辿ればゆう君の家族が待つ新しいおうちに辿り付けるはずです。
車がビュンビュン走る道路を、てくてくてくてく歩いていきます。
やがて、えーんえーん、と泣いている声が聞こえてくることに気がつきました。
そこはガソリンスタンドです。多くの車は、ガソリンがなければ走ることができません。このガソリンスタンドは、その大事なガソリンを補給することができる場所です。
『誰?誰かいるのですか?』
太郎君は呼びかけながら、ガソリンスタンドの様子がおかしいことに気づきました。緑色の縞模様だった看板が、あちこち禿げてしまっています。車が一台も停まってません。
何より、建物の中を覗いても誰もいないのです。
待合室も、カウンターも、人が誰もいないのです。
『あ!』
太郎君は歩き回って気づきました。ガソリンを補給するノズルのあるところに、小さな子供が蹲っています。
綺麗なピンク、お花の着物を着た女の子です。太郎君と同じ、おかっぱ頭をしています。太郎君は、女の子も自分と同じ、座敷童子であることに気づきました。
『お嬢さん、お嬢さん。どうして泣いているのですか?どうしてこのガソリンスタンドには、誰もいないのですか?』
すると女の子は、泣き続けて桃色になってしまったほっぺを見せて、太郎君に教えてくれました。
『わたし、このガソリンスタンドにずーっといたの。ここで働いているのは大人の人ばかりだから、私の姿はみんな見えなかったけれど……時々、お客さんの子供の中にはわたしが見える人がいて、一緒に遊んでもらってたの』
女の子は、このガソリンスタンドに何十年もいたのだそうです。
ここが、座敷童子の女の子の大切なおうちだったのでした。しかし。
『ガソリンスタンドを運営していた会社が潰れちゃって。このお店もなくなっちゃうことになったの。お店の人も、みんないなくなっちゃった。お客さん、誰も来なくなっちゃった。私はずっとここにいたいのに、ここでいろんな人を待っているのに、誰も来てくれないの。それが悲しくて、泣いてるの』
『待ってるって、どれくらい?』
『五年くらい』
『五年!?』
太郎君はひっくりかえりました。確かに、ガソリンスタンドの建物はとても古いです。掃除もされていないので汚いし、あちこちサビだらけになっています。それでもまさか、座敷童子の女の子が五年も待っているとは思いませんでした。
そんなに待っても誰も来ないなら、もう待っていても意味がないんじゃないのかな。太郎君はそう思いましたが、何も言うことはできませんでした。
いつか、また大切な人が迎えに来てくれる。そんな人と一緒に暮らすことができる。そう信じて、あてもない旅をしているのは太郎君も同じだからです。太郎君と同じように、女の子もその“いつか”をずっと信じて待っていると知ったからです。
『……いつか、迎えに来てもらえるといいですね』
太郎君はそう言って、ガソリンスタンドを後にしました。
心のこもっていない言葉しか言えない自分が、とても情けなくて、悲しい気持ちになったのです。
***
やがて大きな橋がかかるところに来ました。上から広い川が見えます。お船が通っていくのがわかります。
太郎君は、自分はなんてちっぽけなんだろう、と思いました。本当に、ゆう君の家に辿り着くことはできるのでしょうか。
すぐ隣を、自転車がピューピュー走る道路を、てくてくてくてく歩いていきます。
橋を降りるところで、太郎君は呼び止められました。
『よお。お前、座敷童子だろう?そんなところで何してるんだ?』
それは、真っ黒な猫でした。
猫や犬にような動物は、太郎君達妖怪を見ることができるものもいます。しかし、話までできる動物は、そこまで多くありません。
『僕は家族を捜して、旅をしているのです。ゆう君が乗った車が僕を置いていってしまったので、一生懸命追いかけてるんです』
『おう、そうかそうか。車を追いかけてるのか。そいつは難儀なこったな』
真っ黒な猫は偉そうで、なんだか馬鹿にされているような気がしました。ゆう君はむっとしてしまいます。
『そういう猫さんは、こんなところで何をしているのですか?お散歩ですか?僕と違って猫さんは自動車や自転車に轢かれてしまうので、危ないですよ』
『ご心配ありがとうよ。でも俺様は平気なんだ。ずーっとこの広い町を旅して歩いているからな。こういう道には、慣れっこなんだ。今は新しい家を捜して旅をしているところなんだよ』
『新しい家?猫さんのおうちも、なくなってしまったのですか?』
『まあな。いつもエサをくれていたバアさんが亡くなっちまったからな。新しい、エサをくれる人間がいるところに行くのさ』
亡くなる、というのは。死ぬ、ということです。
この猫も、大切な人を亡くしてしまったのだ、と太郎君は理解しました。
『それは悲しいことでしたね。でも、どうして旅をするのですか?その家で待っていれば、おばあさんの子供や家族が来てくれるかもしれないのに』
太郎君が言うと、猫さんは声を上げて笑いました。
『いやいや、待っていても誰も戻ってこねえさ。あの家もボロだったからな、壊されるってことが決まってるって話よ。家財道具やいろんなものもどんどん運び出されてた。きっと、子供の家にもらわれるか、売られるかするんだろうさ』
『どうして?子供が、その家に住みに来ればいいのに』
『そうはいかねぇのよ。子供達にだって新しい家がある。バアさんの家に移ったら、その家を捨てなきゃならなくなるだろう?それに、古くなった家は壊れちまうことがある。そういう家に住み続けるのは危険だ』
『僕にはわかりません。どうして、古くなったものは捨てられてしまうのですか。みんな、まだまだ家族と一緒にいたいはずなのに』
『お前さん座敷童子だろう?ながーいこと生きてるのにわかってねぇなあ』
黒猫は、シッポをぴーんと立てて言いました。
『モノが古くなるっていうのは、死ぬ時期が近づいてるってことだ。古いモノが死ぬ時、それにまだまだ生きているヤツを巻き込んじゃあいけない。それは、モノにも、人間にもいずれ来る瞬間なんだ。だから、古いモノは捨てられるんじゃない。自分で身を引いて、新しいモノにバトンタッチをするのさ。そうやって命を繋いでいくのは、人間も道具もきっと同じことよ』
バトンタッチ。それは、ゆう君のお父さんが言っていたのと同じ言葉でした。
新しい命に、バトンタッチをする。
だから、古くて、危なくなってしまったものは自分でさよならを選ばないといけないのでしょうか。
太郎君のおうちも、女の子のガソリンスタンドも、そうやってバトンタッチをしていったのでしょうか。
『……僕には、まだわかりません』
太郎君は、黒猫にお礼を言って歩き始めました。
自分がしていることは、本当に正しいことなのでしょうか。だんだん太郎君には、それがわからなくなっていきました。
***
橋からどんどん遠ざかり、お店が並んでいる通りを太郎君は歩いていきます。
携帯電話を販売しているお店があります。
おばあさんがやっているお肉屋さんがあります。
威勢のいい声でおじさんが客引きをやっているスーパーがあります。
海の向こうの遠い国からやってきた、コーヒーのお店があります。
いろんなお店がある通りを歩いて、歩いて、やがてマンションが見えてきました。四角くて、ノッポな白い建物があります。
『あれだ!きっとあれが、ゆう君が新しく住むマンションなんだ!』
人がたくさん歩いている道を、とんとんとんとん走っていきます。
しかし。
『えええ!?』
マンションのところまで来て、太郎君は途方に暮れてしまいました。
マンションの建物がたくさんあったのです。白いマンション、灰色のマンション、紫色のマンション、オレンジ色のマンション――一体どれが、ゆう君の家族のマンションなのでしょうか。
そしてひとつのマンションには、たくさん部屋があります。
ゆう君のマンションを見つけても、どの部屋に入ったかがわからなければ、おうちにお邪魔することができません。
そもそも、本当にこの場所で正しいのでしょうか。もっと遠くの、別のマンションに行ってしまった可能性は、ないのでしょうか。
『どうしよう……ゆう君のおうちがわからない……』
ついに、太郎君は泣き出してしまいました。
『ぼうや、そこのぼうや、どうして泣いているんだい?』
そんな太郎君に、声をかけてきた人がいます。太郎君が驚いて顔を上げると、ゴミ捨て場の破れたゴミ袋の中から、ちょこんと顔を出しているものがありました。
それは、白いコップの付喪神です。ピンクのうさぎさんのマークがついた、陶器の可愛らしい小さなコップです。でも、よく見ると、大きな罅が入ってしまっています。きっと、そうやってこのコップさんも捨てられてしまったのでしょう。
『コップさん、コップさん。僕は、僕が住んでいた家の、家族を捜しているのです。古くなったおうちを捨てて、みんなが新しいマンションに住むというので追いかけてきたのです。僕は、トラックに乗り遅れてしまったから。でも、僕はみんなのおうちがわからなくなってしまって……どうしたらいいのでしょうか。コップさんも、本当はいつまでも同じ家族に、大事に使われたかったのではないのですか?』
モノを大切にしなさい、とお母さんはよく言っていました。
それなのに、古くなったモノが捨てられてしまうというのは、おかしなことではないのでしょうか。
古いおうちは、まだまだ住めるように思えました。
ガソリンスタンドも同じです。きっと黒猫さんのおうちも人が住めないおうちではなかったはずです。
そして、目の前のコップさんも、少し罅が入ってしまっただけでまだ使えるように思えます。
『そうだねえ。あたしも、ずっとあの家族と一緒に暮らしていたかったねえ』
コップの付喪神は、しみじみと言います。
『でもねえ。割れたコップは使ってはいけないんだよ。罅が引っかかったら怪我をしてしまうかもしれない。怪我をしてしまってからではもう遅いんだ。だから、そうなる前に、新しいコップに取り替えた方がいいんだよ。あたしを無理に使って、大切な家族が傷ついたら、その方があたしは悲しいからね……』
『でも……』
『いいかい、座敷童子のぼうや。モノは大切にしなければならない。でも、誰だって寿命がある。寿命を超えて無理に使おうとすれば事故が起きるんだ。それに、あたしみたいに子供向けのコップは、大人が使うにはちょっと小さすぎたんだよ。それなのに、あたしの大切な家族は、この小さなコップを大きくなっても大切に使ってくれた……罅が入るまで、ずっとね。あたしは、それで充分嬉しいんだよ。それだけで、満足なんだ。捨てられたなんて思っちゃいないさ。お役目が終わって、新しいコップにバトンタッチをしただけなんだよ』
だからね、とコップさんは言います。
『あんたの家が、バトンタッチしたように。あんたも、新しい家に行って、あたらしい家族に幸せを届けてもいいんじゃないのかい?あんたがトラックに乗り遅れたのも、意味があることだったのかもしれないよ。あんたも、新しい家族に幸せをバトンタッチしてもいいんじゃないのかい?』
幸せのバトンタッチ。
確かに、座敷童子の太郎君は、もうゆう君には見えません。ゆう君は大きくなり、今では高校生の立派なお兄さんです。もうすぐ大人になることでしょう。
もしかしたら、太郎君も、新しい子供のいる家に行くべき時が来ていたのでしょうか。
座敷童子の太郎君は古くなったりしません。寿命、というのがあるのかどうかもわかりません。でも、人間と同じように時間は流れていきます。時代は代わり、子供は大人になり、自分のチカラで幸せを掴んでいくようになります。
座敷童子が子供にしか見えないのは。もしかしたら、それが太郎君にとっての“バトンタッチの時”だったということなのでしょうか。
「あれ?小さな男の子がいるー!」
とことこと、幼稚園くらいの女の子が駆け寄ってきます。太郎君は驚きました。髪をちょこんと二つ結びにしたその女の子には、どうやら太郎君が見えるようです。
お母さんがすぐに寄ってきて、“ゆこちゃんどうしたの?”と尋ねます。
「何もいないわよ。見間違いじゃない?」
「えーいるよママー!男の子いるよー!」
「いないわよ。気のせい、気のせい」
小さな女の子は、お母さんに手を引かれてエレベーターの前まで行きます。太郎君は決心しました。――ゆう君に、きちんとお別れを言えないのは悲しいけれど。でもきっと、自分は新しい家族に、幸せを届けるお役目が待っているはずなのです。
自分には、それができるはずなのです。
『コップさん、ありがとうございます』
太郎君は思います。
ゆう君、今までありがとう。さようなら。
ゆう君からもらったたくさんの幸せを、僕は新しい家族に届けに行きます――と。
太郎君は女の子の後を追いかけて、一緒にエレベーターに乗りました。
『いつか死んでしまうからこそ、みんな限られた時間を精一杯輝いて生きることができるんだよ。そして、新しい命が生まれてきて、それを引き継いでいくんだ』
ゆう君のお父さんの言葉を、何度も何度も思い返しながら。
幅が広くて、大きな道路がずーっとずーっと続いています。トラックが走っていった方向に、ずっとこの道を辿ればゆう君の家族が待つ新しいおうちに辿り付けるはずです。
車がビュンビュン走る道路を、てくてくてくてく歩いていきます。
やがて、えーんえーん、と泣いている声が聞こえてくることに気がつきました。
そこはガソリンスタンドです。多くの車は、ガソリンがなければ走ることができません。このガソリンスタンドは、その大事なガソリンを補給することができる場所です。
『誰?誰かいるのですか?』
太郎君は呼びかけながら、ガソリンスタンドの様子がおかしいことに気づきました。緑色の縞模様だった看板が、あちこち禿げてしまっています。車が一台も停まってません。
何より、建物の中を覗いても誰もいないのです。
待合室も、カウンターも、人が誰もいないのです。
『あ!』
太郎君は歩き回って気づきました。ガソリンを補給するノズルのあるところに、小さな子供が蹲っています。
綺麗なピンク、お花の着物を着た女の子です。太郎君と同じ、おかっぱ頭をしています。太郎君は、女の子も自分と同じ、座敷童子であることに気づきました。
『お嬢さん、お嬢さん。どうして泣いているのですか?どうしてこのガソリンスタンドには、誰もいないのですか?』
すると女の子は、泣き続けて桃色になってしまったほっぺを見せて、太郎君に教えてくれました。
『わたし、このガソリンスタンドにずーっといたの。ここで働いているのは大人の人ばかりだから、私の姿はみんな見えなかったけれど……時々、お客さんの子供の中にはわたしが見える人がいて、一緒に遊んでもらってたの』
女の子は、このガソリンスタンドに何十年もいたのだそうです。
ここが、座敷童子の女の子の大切なおうちだったのでした。しかし。
『ガソリンスタンドを運営していた会社が潰れちゃって。このお店もなくなっちゃうことになったの。お店の人も、みんないなくなっちゃった。お客さん、誰も来なくなっちゃった。私はずっとここにいたいのに、ここでいろんな人を待っているのに、誰も来てくれないの。それが悲しくて、泣いてるの』
『待ってるって、どれくらい?』
『五年くらい』
『五年!?』
太郎君はひっくりかえりました。確かに、ガソリンスタンドの建物はとても古いです。掃除もされていないので汚いし、あちこちサビだらけになっています。それでもまさか、座敷童子の女の子が五年も待っているとは思いませんでした。
そんなに待っても誰も来ないなら、もう待っていても意味がないんじゃないのかな。太郎君はそう思いましたが、何も言うことはできませんでした。
いつか、また大切な人が迎えに来てくれる。そんな人と一緒に暮らすことができる。そう信じて、あてもない旅をしているのは太郎君も同じだからです。太郎君と同じように、女の子もその“いつか”をずっと信じて待っていると知ったからです。
『……いつか、迎えに来てもらえるといいですね』
太郎君はそう言って、ガソリンスタンドを後にしました。
心のこもっていない言葉しか言えない自分が、とても情けなくて、悲しい気持ちになったのです。
***
やがて大きな橋がかかるところに来ました。上から広い川が見えます。お船が通っていくのがわかります。
太郎君は、自分はなんてちっぽけなんだろう、と思いました。本当に、ゆう君の家に辿り着くことはできるのでしょうか。
すぐ隣を、自転車がピューピュー走る道路を、てくてくてくてく歩いていきます。
橋を降りるところで、太郎君は呼び止められました。
『よお。お前、座敷童子だろう?そんなところで何してるんだ?』
それは、真っ黒な猫でした。
猫や犬にような動物は、太郎君達妖怪を見ることができるものもいます。しかし、話までできる動物は、そこまで多くありません。
『僕は家族を捜して、旅をしているのです。ゆう君が乗った車が僕を置いていってしまったので、一生懸命追いかけてるんです』
『おう、そうかそうか。車を追いかけてるのか。そいつは難儀なこったな』
真っ黒な猫は偉そうで、なんだか馬鹿にされているような気がしました。ゆう君はむっとしてしまいます。
『そういう猫さんは、こんなところで何をしているのですか?お散歩ですか?僕と違って猫さんは自動車や自転車に轢かれてしまうので、危ないですよ』
『ご心配ありがとうよ。でも俺様は平気なんだ。ずーっとこの広い町を旅して歩いているからな。こういう道には、慣れっこなんだ。今は新しい家を捜して旅をしているところなんだよ』
『新しい家?猫さんのおうちも、なくなってしまったのですか?』
『まあな。いつもエサをくれていたバアさんが亡くなっちまったからな。新しい、エサをくれる人間がいるところに行くのさ』
亡くなる、というのは。死ぬ、ということです。
この猫も、大切な人を亡くしてしまったのだ、と太郎君は理解しました。
『それは悲しいことでしたね。でも、どうして旅をするのですか?その家で待っていれば、おばあさんの子供や家族が来てくれるかもしれないのに』
太郎君が言うと、猫さんは声を上げて笑いました。
『いやいや、待っていても誰も戻ってこねえさ。あの家もボロだったからな、壊されるってことが決まってるって話よ。家財道具やいろんなものもどんどん運び出されてた。きっと、子供の家にもらわれるか、売られるかするんだろうさ』
『どうして?子供が、その家に住みに来ればいいのに』
『そうはいかねぇのよ。子供達にだって新しい家がある。バアさんの家に移ったら、その家を捨てなきゃならなくなるだろう?それに、古くなった家は壊れちまうことがある。そういう家に住み続けるのは危険だ』
『僕にはわかりません。どうして、古くなったものは捨てられてしまうのですか。みんな、まだまだ家族と一緒にいたいはずなのに』
『お前さん座敷童子だろう?ながーいこと生きてるのにわかってねぇなあ』
黒猫は、シッポをぴーんと立てて言いました。
『モノが古くなるっていうのは、死ぬ時期が近づいてるってことだ。古いモノが死ぬ時、それにまだまだ生きているヤツを巻き込んじゃあいけない。それは、モノにも、人間にもいずれ来る瞬間なんだ。だから、古いモノは捨てられるんじゃない。自分で身を引いて、新しいモノにバトンタッチをするのさ。そうやって命を繋いでいくのは、人間も道具もきっと同じことよ』
バトンタッチ。それは、ゆう君のお父さんが言っていたのと同じ言葉でした。
新しい命に、バトンタッチをする。
だから、古くて、危なくなってしまったものは自分でさよならを選ばないといけないのでしょうか。
太郎君のおうちも、女の子のガソリンスタンドも、そうやってバトンタッチをしていったのでしょうか。
『……僕には、まだわかりません』
太郎君は、黒猫にお礼を言って歩き始めました。
自分がしていることは、本当に正しいことなのでしょうか。だんだん太郎君には、それがわからなくなっていきました。
***
橋からどんどん遠ざかり、お店が並んでいる通りを太郎君は歩いていきます。
携帯電話を販売しているお店があります。
おばあさんがやっているお肉屋さんがあります。
威勢のいい声でおじさんが客引きをやっているスーパーがあります。
海の向こうの遠い国からやってきた、コーヒーのお店があります。
いろんなお店がある通りを歩いて、歩いて、やがてマンションが見えてきました。四角くて、ノッポな白い建物があります。
『あれだ!きっとあれが、ゆう君が新しく住むマンションなんだ!』
人がたくさん歩いている道を、とんとんとんとん走っていきます。
しかし。
『えええ!?』
マンションのところまで来て、太郎君は途方に暮れてしまいました。
マンションの建物がたくさんあったのです。白いマンション、灰色のマンション、紫色のマンション、オレンジ色のマンション――一体どれが、ゆう君の家族のマンションなのでしょうか。
そしてひとつのマンションには、たくさん部屋があります。
ゆう君のマンションを見つけても、どの部屋に入ったかがわからなければ、おうちにお邪魔することができません。
そもそも、本当にこの場所で正しいのでしょうか。もっと遠くの、別のマンションに行ってしまった可能性は、ないのでしょうか。
『どうしよう……ゆう君のおうちがわからない……』
ついに、太郎君は泣き出してしまいました。
『ぼうや、そこのぼうや、どうして泣いているんだい?』
そんな太郎君に、声をかけてきた人がいます。太郎君が驚いて顔を上げると、ゴミ捨て場の破れたゴミ袋の中から、ちょこんと顔を出しているものがありました。
それは、白いコップの付喪神です。ピンクのうさぎさんのマークがついた、陶器の可愛らしい小さなコップです。でも、よく見ると、大きな罅が入ってしまっています。きっと、そうやってこのコップさんも捨てられてしまったのでしょう。
『コップさん、コップさん。僕は、僕が住んでいた家の、家族を捜しているのです。古くなったおうちを捨てて、みんなが新しいマンションに住むというので追いかけてきたのです。僕は、トラックに乗り遅れてしまったから。でも、僕はみんなのおうちがわからなくなってしまって……どうしたらいいのでしょうか。コップさんも、本当はいつまでも同じ家族に、大事に使われたかったのではないのですか?』
モノを大切にしなさい、とお母さんはよく言っていました。
それなのに、古くなったモノが捨てられてしまうというのは、おかしなことではないのでしょうか。
古いおうちは、まだまだ住めるように思えました。
ガソリンスタンドも同じです。きっと黒猫さんのおうちも人が住めないおうちではなかったはずです。
そして、目の前のコップさんも、少し罅が入ってしまっただけでまだ使えるように思えます。
『そうだねえ。あたしも、ずっとあの家族と一緒に暮らしていたかったねえ』
コップの付喪神は、しみじみと言います。
『でもねえ。割れたコップは使ってはいけないんだよ。罅が引っかかったら怪我をしてしまうかもしれない。怪我をしてしまってからではもう遅いんだ。だから、そうなる前に、新しいコップに取り替えた方がいいんだよ。あたしを無理に使って、大切な家族が傷ついたら、その方があたしは悲しいからね……』
『でも……』
『いいかい、座敷童子のぼうや。モノは大切にしなければならない。でも、誰だって寿命がある。寿命を超えて無理に使おうとすれば事故が起きるんだ。それに、あたしみたいに子供向けのコップは、大人が使うにはちょっと小さすぎたんだよ。それなのに、あたしの大切な家族は、この小さなコップを大きくなっても大切に使ってくれた……罅が入るまで、ずっとね。あたしは、それで充分嬉しいんだよ。それだけで、満足なんだ。捨てられたなんて思っちゃいないさ。お役目が終わって、新しいコップにバトンタッチをしただけなんだよ』
だからね、とコップさんは言います。
『あんたの家が、バトンタッチしたように。あんたも、新しい家に行って、あたらしい家族に幸せを届けてもいいんじゃないのかい?あんたがトラックに乗り遅れたのも、意味があることだったのかもしれないよ。あんたも、新しい家族に幸せをバトンタッチしてもいいんじゃないのかい?』
幸せのバトンタッチ。
確かに、座敷童子の太郎君は、もうゆう君には見えません。ゆう君は大きくなり、今では高校生の立派なお兄さんです。もうすぐ大人になることでしょう。
もしかしたら、太郎君も、新しい子供のいる家に行くべき時が来ていたのでしょうか。
座敷童子の太郎君は古くなったりしません。寿命、というのがあるのかどうかもわかりません。でも、人間と同じように時間は流れていきます。時代は代わり、子供は大人になり、自分のチカラで幸せを掴んでいくようになります。
座敷童子が子供にしか見えないのは。もしかしたら、それが太郎君にとっての“バトンタッチの時”だったということなのでしょうか。
「あれ?小さな男の子がいるー!」
とことこと、幼稚園くらいの女の子が駆け寄ってきます。太郎君は驚きました。髪をちょこんと二つ結びにしたその女の子には、どうやら太郎君が見えるようです。
お母さんがすぐに寄ってきて、“ゆこちゃんどうしたの?”と尋ねます。
「何もいないわよ。見間違いじゃない?」
「えーいるよママー!男の子いるよー!」
「いないわよ。気のせい、気のせい」
小さな女の子は、お母さんに手を引かれてエレベーターの前まで行きます。太郎君は決心しました。――ゆう君に、きちんとお別れを言えないのは悲しいけれど。でもきっと、自分は新しい家族に、幸せを届けるお役目が待っているはずなのです。
自分には、それができるはずなのです。
『コップさん、ありがとうございます』
太郎君は思います。
ゆう君、今までありがとう。さようなら。
ゆう君からもらったたくさんの幸せを、僕は新しい家族に届けに行きます――と。
太郎君は女の子の後を追いかけて、一緒にエレベーターに乗りました。
『いつか死んでしまうからこそ、みんな限られた時間を精一杯輝いて生きることができるんだよ。そして、新しい命が生まれてきて、それを引き継いでいくんだ』
ゆう君のお父さんの言葉を、何度も何度も思い返しながら。
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