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親子三人仲良く過ごした日常の一角。家族揃って語り合った食卓には今、三人の男が座っている。
「……粗食ですけど。良かったらどうぞ」
そう言って相手の前に自分と同じようにスープとパンを並べるリーフ。その隣には訝しげなレックスが座る。
「ありがとうございます。いただきます」
二人と向き合う形で席につき、礼を言うのは真っ白い美貌の男。ニウェウスと名乗った彼はその美貌に似つかわしい美しい所作で出された食事に手をつける。
三人共に黙々と食事を進め、頃合いを見たレックスが口を開いた。
「……で。お前は俺の何なんだ。俺に何があったんだ」
「私は貴方の従者です。貴方はこの魔界を統べる王――のご子息。次期魔王となるべきお方です」
ニウェウスは語る。ことのあらまし。レックスに何があったのかを。
「殿下は魔王様のご子息だけありとても強い力をお持ちです。記憶はなくともそれくらいはわかりますよね」
魔力がほとんどないリーフにもわかる。それ程に彼の身に潜む力は凄まじく桁違いだった。本人も頷いている。
「魔王様の跡を継ぐのは殿下以外にありえない。誰もがそうわかるというのに、己の力量がわからない者がいたようです」
「……後継者争い?」
「ええ。そうです。まぁ争いになってないんですが」
尋ねたリーフへ肯定を返すニウェウスの顔は苦々しい。
魔王となる者の子は強い力を受け継ぎそのまま新たな王へ選ばれることが多いというだけで、魔王の座は世襲ではなく完全な実力主義になる。
兄や弟という間柄など関係なく、ただ強い者が全ての頂点に君臨するのだ――が、レックスの兄は弟の力量を認めず自分こそが次なる王だと吹聴しているらしい。
レックスはレックスで兄を捨て置いていた。敵とすら思っていなかった驕りを突かれ、行方不明になっていたのだという。
ニウェウスの吐き出した深いため息が経緯の面倒さを物語る。
「愚痴を言っても仕方ありませんね。殿下、帰りましょう」
「いやだ」
ニウェウスの顔に再び驚愕が浮かぶ。断られるとは微塵も考えていなかった。何故と問う彼に、レックスは白けた顔で答える。
「王なんてやりたい奴がやればいい。俺はリーフとこの森で暮らす」
「殿下」
白く美しい相貌が険しく歪む。鋭く細められた目がリーフを睨むと小さな悲鳴が溢れた。
「俺はリーフに助けられなければ獣の餌にでもなって死んでいた。リーフの下僕になっただけの男だ。魔王なんて知らないな」
「……獣の餌? 貴方が? 笑えない冗談だ。何があったというのです」
険の取れたニウェウスの問いにリーフが答える。血塗れで倒れていたレックスを拾ったこと。その手首にはめられていた魔封じの腕輪。
言葉にすると記憶のない彼と過ごした日々が思い返されていく。高位の魔族だとは予想していたが次期魔王だなんて考えもしなかった。
「命の恩人であるリーフとは主従の契約をした。俺はリーフから離れるつもりはない」
リーフは契約書のことは伏せて経緯を語ったのだがレックスに補足されてしまう。当然ながら契約書について尋ねてくるニウェウスに大人しく白状し、懐にしまいこんでいた魂の契約書を見せる。
短く簡潔な文面に添えられた署名と血判。しっかりと結ばれた契約書を掲げられればニウェウスも黙るしかない。
膨大な力を秘めた契約書は名前で縛られたレックスの魔力を利用し守られている。主であるリーフ以外は切れ込み一つ入れることは出来ない。
諦めたとばかりに大袈裟なため息をついたニウェウスはリーフへ頭を下げた。
「どうか殿下と共に城へお越し下さい。我々には殿下が必要なのです」
「えっ……あっ、僕……は。いい。レックス、城に帰っていいよ。僕のことは気にしなくていいから」
森から離れるつもりのないリーフの返答に、レックスは逞しい腕で細い体を抱き寄せる。驚いて声を上げる頭に頬が寄せられた。
「リーフと一緒なら帰る」
ニウェウスから懇願の目で見つめられ、拒否することの出来ないリーフは静かに頷くしかなかった。
リーフは森を出たことがない――というと語弊がある。森の外にある村になら数えきれない程行ったが、それだけだった。
生まれ育った森とその近くの村。それだけで世界が完結していたリーフは生まれて初めて魔獣に乗った。魔王の配下たる兵士達は知性と魔力を備えた獣であっても恐れることなく輓獣として従えている。
リーフを見て鼻で笑う魔獣達だが、その背後に控えるレックスを見るや頭を垂れて恭順の意を示す。半端な知性は強者への服従を促す。
「リーフ、俺の前に乗れ」
抱え上げられたリーフは馬によく似た魔獣に乗せられ、その後ろには言葉通りレックスが跨がった。胸板へ凭れるリーフをしっかりと受け止めてくれる。
「……何だか手慣れてるね。何か思い出した?」
「いや全く。体が自然と動いたな」
「殿下は遠乗りや狩りがお好きでしたから。記憶がなくとも体が覚えているのでしょう」
同じく魔獣に跨がったニウェウスが近付いてくる。その姿は絵物語の主人公のように凛とし、思わず目が奪われる。
呆けたように見惚れるリーフの頬を長い指がつつく。
「兵が先導し、私は随伴致します」
「ああ、頼む」
ニウェウスが合図を出すと魔獣に騎乗した兵が動き出す。前方と後方に別れた彼らに守られながらレックスも走り始めた。
平原を進み行く背後で故郷の森が、通い慣れた村が小さくなっていく。一刻もしないうちに完全に見えなくなってしまうと望郷の寂しさや初めて目にする景色に不安が募るが、同じくらい胸おどる興奮もある。
一生出ることはないと思っていたリーフの世界から踏み出し、魔界の中心地である都へ行くのだ。厄介事に巻き込まれている予感はあれど、楽しみでもあった。
ひ弱とはいえ若いリーフに代わり映えしない暮らしは退屈だった。安寧の喜びを知るにはまだ幼すぎたのだと思い知るのはこれからなのだから。
魔界の端にあるセロの森から中心地たる王都までの道程自体は平坦なものだった。
地平まで続くような広い平原を進み、時折森のような林のような、木々の群生地を抜ける。
二回挟まれた夜営は常にレックスに抱え守られて過ごし、迎えた三日目の昼。地平の向こうに城が見えてくる。
距離を縮める程に全貌が明らかになっていく。王の治める都は壮大な城の下に家々が建ち並んでいる。
村とは全く違う光景に大口を開けて固まるリーフだが、すぐに気を取り直し背後のレックスへ声を掛けた。
「どう? 何か思い出したりした?」
「…………わからない。懐かしい気もするし、そうでもない気もする」
「そっか」
レックスが記憶を取り戻すに越したことはないが、リーフとしては戻らなくとも支障はない。だが付かず離れず距離を保ち随伴するニウェウスは明らかに落胆した様子だった。
首だけで振り返り、盗み見たレックスの表情に焦りや落胆はなく、ただじっと遠くに見える都の姿を見つめていた。
騎乗を前提に躾られた獣の足は速く、統率されている。日の傾かないうちに都へ着いた一行は門番兵に迎えられ、都の大通りを進む。
住人達は慣れているのか道を開け、各々の営みを続けている。中にはレックスの存在に気付き声を掛けてくる者もいた。
「殿下は民にも気さくに話し掛けていたのです。手でも振ってやって下さい。怪しまれます」
潜めたニウェウスの声に従い、レックスが手を振って応える。民もそれに返し、笑顔を浮かべていた。
微笑ましいだろう光景にリーフは黙り込んでいた。
街並みに目を向けるとリーフにはよくわからない店や店のように見えただけのお洒落な家。装飾から食品まで幅広い品揃えの露店達。村とは全く違う暮らしが広がっている。
「お金。持ってくれば良かった」
母に譲ってもらった素材で作った魔道具を売り貯めた、リーフが自由に使える金は家に置いてきてしまった。出発前に村で手にした金は殆ど食費に消え、せっかく魔界の流通拠点である都へ来たというのにリーフには何も買うことが出来ない。
「ニウェウス。俺が魔王の息子だというのならリーフへの小遣いくらいやれるよな?」
「勿論。殿下の恩人ですからご用意致します」
ただその前に向かうべき場所があると言われ、獣の歩みは止まらず城を目指す。図々しいねだりをするつもりはなかったが、珍しい品が手に入る機会はそうそうないのでリーフは甘えることにした。
しばらくこき使われるだろうが、帰ったら母に頭を下げて金を返してもらえばいい。そんなことを考えていた。
遠くから眺める城も壮大だったが近くで見ると迫力が違った。石造りの城壁は年代を感じさせる。それを守る兵士達の視線は鋭く、レックスの連れた貧相な少年を一様に睨む。
思わず息を呑み、怯えを隠せないリーフを逞しい腕が抱く。大丈夫だと伝えるように。
「お前達。この方は殿下の恩人です。無礼があってはなりませんよ」
「はっ」
「失礼致しました」
ニウェウスの言葉でリーフへの猜疑は消え、視線は外された。恭しい敬礼を示されながら城門を過ぎる。中庭まで来ると獣から降ろされ、兵士達が連れていく。
「一休みしたいでしょうが、もう少しお待ちを。
殿下に会わせたい者がおりますので」
ニウェウスに導かれるまま城へと入る。城内に入ってすぐに大きく立派で頑丈そうな扉があり、その先には玉座の間へと続く階段があるとニウェウスに教えられる。
「レックスに会わせたいのって、魔王陛下?」
「いえ。殿下に会っていただきたいのは魔女です。記憶喪失について、魔術的な手法で治せないか確認したいのです」
城内を右手に進み、長い回廊の先にある部屋の扉を叩く。美しい声に「どうぞ」と返され、ニウェウスが扉を開けた。
中へ入ると極彩色の液体がなみなみとはられた大釜や壁を埋め尽くす棚に詰め込まれた本。机には広げっぱなしの本や実験器具が置かれ、椅子に腰掛けていた人物が手を止めて振り返る。
「……まぁ。ニウェウス、殿下も。お久しぶりですわね」
喜色を滲ませるたおやかな笑顔を浮かべるのは薄桃色の長髪と金の瞳。豊満な体を黒いドレスで包んだ、とても綺麗な女性だった。
見知らぬ知人らしき彼女へ言葉を返せないでいるレックスに代わり、ニウェウスが挨拶をするとレックスの記憶が失われたことを話す。
「ベアトリクス。殿下の異変がわかるか」
「ええ。ええ。わかります。普段なら乱れ一つない美しい魔力が……ズレがあります。それが殿下を邪魔している」
女性は椅子から立ち上がるとレックスに向かって歩み寄る。金の瞳はただ一心に彼を見つめている――と思ったら、ふと何かに気付いたようにレックスの背後に控えるリーフを見た。
レックスとは光彩の輝きが違う金色と目が合った瞬間、リーフの背筋に言い知れぬ悪寒が走る。何故か、何かはわからなかった。
「…………殿下、失礼致します」
リーフの存在には触れず、ベアトリクスの細い手がレックスの額へ伸ばされる。敵意がないからか大人しく委ねているレックスと彼女の間に一瞬、とても強い魔力の干渉が起きた。
「俺は」
「貴方は?」
「レックス。俺はレックスだ」
「そう。ならその背に庇うお方はどなた?」
「リーフ。俺の恩人で主で」
「主? そうなのですかニウェウス」
魔力の干渉の直後、はっとした様子のレックスに向けてベアトリクスの問いが始まる。返された答えの一つに反応し、確認したベアトリクスへニウェウスが頷いた。
「では私めのことは覚えてらっしゃる?」
「勿論だ、ベアトリクス。全て思い出せた。ありがとう」
「構いませんわ。私と殿下の仲ですもの」
微笑むベアトリクスは本当に嬉しそうな顔を見せた。媚びの欠片もないそれは自然体そのもので、二人が親密な間柄だという証明に見えた。少なくともリーフはそう思った。
安堵した様子のニウェウスがベアトリクスへ礼を言う。それにも笑顔で応えた彼女の視線は最後の一人、リーフへ向いた。
「リーフ、さん?」
「はい」
確かめるように名前を呼ばれ、再び合わさった視線に背筋が凍る。うすら寒い何かを感じながらも態度に出さないよう必死に堪えながら、リーフは美しい魔女を見た。
「私、この城で魔術師……調合師? なにかしら。魔女と呼ばれてるベアトリクスと申します。どうぞ仲良くして下さいね」
「……あっ、えっと、はい。あの……レックス……殿下をお助けして、城へ連れてきてもらったリーフといいます。よろしくお願いします」
「ええ。ええ。ええ。ぜひよろしくされたいわ。何か困ったことがあったら私にご相談下さいね。私は……」
「ベアトリクス。悪いが殿下とリーフ様は長旅でお疲れだ。これで失礼するよ」
「…………ええ。また。いらしてね」
ベアトリクスの名残惜しげな目に見送られながら、三人は部屋を出る。
「顔色が悪い。疲れたんだろう。もう俺の部屋へ行くからもう少し辛抱してくれ」
リーフを抱え上げながらそう声を掛ける姿は出会った頃から変わらない。過ごした時間は短いがレックスはレックスだと、そう思う。
先導なく動き出した足の歩みに迷いがなくとも。彼は彼だった。
「……粗食ですけど。良かったらどうぞ」
そう言って相手の前に自分と同じようにスープとパンを並べるリーフ。その隣には訝しげなレックスが座る。
「ありがとうございます。いただきます」
二人と向き合う形で席につき、礼を言うのは真っ白い美貌の男。ニウェウスと名乗った彼はその美貌に似つかわしい美しい所作で出された食事に手をつける。
三人共に黙々と食事を進め、頃合いを見たレックスが口を開いた。
「……で。お前は俺の何なんだ。俺に何があったんだ」
「私は貴方の従者です。貴方はこの魔界を統べる王――のご子息。次期魔王となるべきお方です」
ニウェウスは語る。ことのあらまし。レックスに何があったのかを。
「殿下は魔王様のご子息だけありとても強い力をお持ちです。記憶はなくともそれくらいはわかりますよね」
魔力がほとんどないリーフにもわかる。それ程に彼の身に潜む力は凄まじく桁違いだった。本人も頷いている。
「魔王様の跡を継ぐのは殿下以外にありえない。誰もがそうわかるというのに、己の力量がわからない者がいたようです」
「……後継者争い?」
「ええ。そうです。まぁ争いになってないんですが」
尋ねたリーフへ肯定を返すニウェウスの顔は苦々しい。
魔王となる者の子は強い力を受け継ぎそのまま新たな王へ選ばれることが多いというだけで、魔王の座は世襲ではなく完全な実力主義になる。
兄や弟という間柄など関係なく、ただ強い者が全ての頂点に君臨するのだ――が、レックスの兄は弟の力量を認めず自分こそが次なる王だと吹聴しているらしい。
レックスはレックスで兄を捨て置いていた。敵とすら思っていなかった驕りを突かれ、行方不明になっていたのだという。
ニウェウスの吐き出した深いため息が経緯の面倒さを物語る。
「愚痴を言っても仕方ありませんね。殿下、帰りましょう」
「いやだ」
ニウェウスの顔に再び驚愕が浮かぶ。断られるとは微塵も考えていなかった。何故と問う彼に、レックスは白けた顔で答える。
「王なんてやりたい奴がやればいい。俺はリーフとこの森で暮らす」
「殿下」
白く美しい相貌が険しく歪む。鋭く細められた目がリーフを睨むと小さな悲鳴が溢れた。
「俺はリーフに助けられなければ獣の餌にでもなって死んでいた。リーフの下僕になっただけの男だ。魔王なんて知らないな」
「……獣の餌? 貴方が? 笑えない冗談だ。何があったというのです」
険の取れたニウェウスの問いにリーフが答える。血塗れで倒れていたレックスを拾ったこと。その手首にはめられていた魔封じの腕輪。
言葉にすると記憶のない彼と過ごした日々が思い返されていく。高位の魔族だとは予想していたが次期魔王だなんて考えもしなかった。
「命の恩人であるリーフとは主従の契約をした。俺はリーフから離れるつもりはない」
リーフは契約書のことは伏せて経緯を語ったのだがレックスに補足されてしまう。当然ながら契約書について尋ねてくるニウェウスに大人しく白状し、懐にしまいこんでいた魂の契約書を見せる。
短く簡潔な文面に添えられた署名と血判。しっかりと結ばれた契約書を掲げられればニウェウスも黙るしかない。
膨大な力を秘めた契約書は名前で縛られたレックスの魔力を利用し守られている。主であるリーフ以外は切れ込み一つ入れることは出来ない。
諦めたとばかりに大袈裟なため息をついたニウェウスはリーフへ頭を下げた。
「どうか殿下と共に城へお越し下さい。我々には殿下が必要なのです」
「えっ……あっ、僕……は。いい。レックス、城に帰っていいよ。僕のことは気にしなくていいから」
森から離れるつもりのないリーフの返答に、レックスは逞しい腕で細い体を抱き寄せる。驚いて声を上げる頭に頬が寄せられた。
「リーフと一緒なら帰る」
ニウェウスから懇願の目で見つめられ、拒否することの出来ないリーフは静かに頷くしかなかった。
リーフは森を出たことがない――というと語弊がある。森の外にある村になら数えきれない程行ったが、それだけだった。
生まれ育った森とその近くの村。それだけで世界が完結していたリーフは生まれて初めて魔獣に乗った。魔王の配下たる兵士達は知性と魔力を備えた獣であっても恐れることなく輓獣として従えている。
リーフを見て鼻で笑う魔獣達だが、その背後に控えるレックスを見るや頭を垂れて恭順の意を示す。半端な知性は強者への服従を促す。
「リーフ、俺の前に乗れ」
抱え上げられたリーフは馬によく似た魔獣に乗せられ、その後ろには言葉通りレックスが跨がった。胸板へ凭れるリーフをしっかりと受け止めてくれる。
「……何だか手慣れてるね。何か思い出した?」
「いや全く。体が自然と動いたな」
「殿下は遠乗りや狩りがお好きでしたから。記憶がなくとも体が覚えているのでしょう」
同じく魔獣に跨がったニウェウスが近付いてくる。その姿は絵物語の主人公のように凛とし、思わず目が奪われる。
呆けたように見惚れるリーフの頬を長い指がつつく。
「兵が先導し、私は随伴致します」
「ああ、頼む」
ニウェウスが合図を出すと魔獣に騎乗した兵が動き出す。前方と後方に別れた彼らに守られながらレックスも走り始めた。
平原を進み行く背後で故郷の森が、通い慣れた村が小さくなっていく。一刻もしないうちに完全に見えなくなってしまうと望郷の寂しさや初めて目にする景色に不安が募るが、同じくらい胸おどる興奮もある。
一生出ることはないと思っていたリーフの世界から踏み出し、魔界の中心地である都へ行くのだ。厄介事に巻き込まれている予感はあれど、楽しみでもあった。
ひ弱とはいえ若いリーフに代わり映えしない暮らしは退屈だった。安寧の喜びを知るにはまだ幼すぎたのだと思い知るのはこれからなのだから。
魔界の端にあるセロの森から中心地たる王都までの道程自体は平坦なものだった。
地平まで続くような広い平原を進み、時折森のような林のような、木々の群生地を抜ける。
二回挟まれた夜営は常にレックスに抱え守られて過ごし、迎えた三日目の昼。地平の向こうに城が見えてくる。
距離を縮める程に全貌が明らかになっていく。王の治める都は壮大な城の下に家々が建ち並んでいる。
村とは全く違う光景に大口を開けて固まるリーフだが、すぐに気を取り直し背後のレックスへ声を掛けた。
「どう? 何か思い出したりした?」
「…………わからない。懐かしい気もするし、そうでもない気もする」
「そっか」
レックスが記憶を取り戻すに越したことはないが、リーフとしては戻らなくとも支障はない。だが付かず離れず距離を保ち随伴するニウェウスは明らかに落胆した様子だった。
首だけで振り返り、盗み見たレックスの表情に焦りや落胆はなく、ただじっと遠くに見える都の姿を見つめていた。
騎乗を前提に躾られた獣の足は速く、統率されている。日の傾かないうちに都へ着いた一行は門番兵に迎えられ、都の大通りを進む。
住人達は慣れているのか道を開け、各々の営みを続けている。中にはレックスの存在に気付き声を掛けてくる者もいた。
「殿下は民にも気さくに話し掛けていたのです。手でも振ってやって下さい。怪しまれます」
潜めたニウェウスの声に従い、レックスが手を振って応える。民もそれに返し、笑顔を浮かべていた。
微笑ましいだろう光景にリーフは黙り込んでいた。
街並みに目を向けるとリーフにはよくわからない店や店のように見えただけのお洒落な家。装飾から食品まで幅広い品揃えの露店達。村とは全く違う暮らしが広がっている。
「お金。持ってくれば良かった」
母に譲ってもらった素材で作った魔道具を売り貯めた、リーフが自由に使える金は家に置いてきてしまった。出発前に村で手にした金は殆ど食費に消え、せっかく魔界の流通拠点である都へ来たというのにリーフには何も買うことが出来ない。
「ニウェウス。俺が魔王の息子だというのならリーフへの小遣いくらいやれるよな?」
「勿論。殿下の恩人ですからご用意致します」
ただその前に向かうべき場所があると言われ、獣の歩みは止まらず城を目指す。図々しいねだりをするつもりはなかったが、珍しい品が手に入る機会はそうそうないのでリーフは甘えることにした。
しばらくこき使われるだろうが、帰ったら母に頭を下げて金を返してもらえばいい。そんなことを考えていた。
遠くから眺める城も壮大だったが近くで見ると迫力が違った。石造りの城壁は年代を感じさせる。それを守る兵士達の視線は鋭く、レックスの連れた貧相な少年を一様に睨む。
思わず息を呑み、怯えを隠せないリーフを逞しい腕が抱く。大丈夫だと伝えるように。
「お前達。この方は殿下の恩人です。無礼があってはなりませんよ」
「はっ」
「失礼致しました」
ニウェウスの言葉でリーフへの猜疑は消え、視線は外された。恭しい敬礼を示されながら城門を過ぎる。中庭まで来ると獣から降ろされ、兵士達が連れていく。
「一休みしたいでしょうが、もう少しお待ちを。
殿下に会わせたい者がおりますので」
ニウェウスに導かれるまま城へと入る。城内に入ってすぐに大きく立派で頑丈そうな扉があり、その先には玉座の間へと続く階段があるとニウェウスに教えられる。
「レックスに会わせたいのって、魔王陛下?」
「いえ。殿下に会っていただきたいのは魔女です。記憶喪失について、魔術的な手法で治せないか確認したいのです」
城内を右手に進み、長い回廊の先にある部屋の扉を叩く。美しい声に「どうぞ」と返され、ニウェウスが扉を開けた。
中へ入ると極彩色の液体がなみなみとはられた大釜や壁を埋め尽くす棚に詰め込まれた本。机には広げっぱなしの本や実験器具が置かれ、椅子に腰掛けていた人物が手を止めて振り返る。
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見知らぬ知人らしき彼女へ言葉を返せないでいるレックスに代わり、ニウェウスが挨拶をするとレックスの記憶が失われたことを話す。
「ベアトリクス。殿下の異変がわかるか」
「ええ。ええ。わかります。普段なら乱れ一つない美しい魔力が……ズレがあります。それが殿下を邪魔している」
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レックスとは光彩の輝きが違う金色と目が合った瞬間、リーフの背筋に言い知れぬ悪寒が走る。何故か、何かはわからなかった。
「…………殿下、失礼致します」
リーフの存在には触れず、ベアトリクスの細い手がレックスの額へ伸ばされる。敵意がないからか大人しく委ねているレックスと彼女の間に一瞬、とても強い魔力の干渉が起きた。
「俺は」
「貴方は?」
「レックス。俺はレックスだ」
「そう。ならその背に庇うお方はどなた?」
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安堵した様子のニウェウスがベアトリクスへ礼を言う。それにも笑顔で応えた彼女の視線は最後の一人、リーフへ向いた。
「リーフ、さん?」
「はい」
確かめるように名前を呼ばれ、再び合わさった視線に背筋が凍る。うすら寒い何かを感じながらも態度に出さないよう必死に堪えながら、リーフは美しい魔女を見た。
「私、この城で魔術師……調合師? なにかしら。魔女と呼ばれてるベアトリクスと申します。どうぞ仲良くして下さいね」
「……あっ、えっと、はい。あの……レックス……殿下をお助けして、城へ連れてきてもらったリーフといいます。よろしくお願いします」
「ええ。ええ。ええ。ぜひよろしくされたいわ。何か困ったことがあったら私にご相談下さいね。私は……」
「ベアトリクス。悪いが殿下とリーフ様は長旅でお疲れだ。これで失礼するよ」
「…………ええ。また。いらしてね」
ベアトリクスの名残惜しげな目に見送られながら、三人は部屋を出る。
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