ポンコツ半魔の契約書

鳫葉あん

文字の大きさ
8 / 9

08

しおりを挟む
 ぱちりと開いた視界には見慣れてしまった部屋を背景に、男の顔だけが見えた。リーフと契約を結んだ主。魔王の子。リーフを自由に縛るレックスは常なら笑顔を浮かべて朝を告げるというのに、今日は怪訝そうにリーフを見つめていた。

「おはよう。レックス」
「おはよう……リーフ、何かしていたか?」
「何を? 疲れて寝て、覚えてないけど夢を見てたくらいだよ」

 母はリーフの気配を探るのに邪魔されていると言っていた。悪魔として高い実力を持つ母の力を遮ることが出来る存在は限られているだろう。
 結界のようなものを張られているのかもしれない。リーフの答えにレックスは腑に落ちない顔をするが、自分の力を破ってリーフと接触出来る者がいるとも思えないのだろう、納得の姿勢を見せてリーフの額に口付けた。

「まあいい。今日は何をするんだ?」
「ベアちゃんが暇だったら何か作ろうかなって」
「お前に誘われたらあいつはいつだって暇だろ」

 言葉を続け合いながら、レックスの手がリーフの身支度を整えていく。今日もいつもと変わらない一日が始まる――ように見せなければならない。
 リーフは帰らなければならない。母の為、父の為に。



 城の厨房は日夜忙しい。夜が明ける前に主達の朝食を、朝の終わりには昼食を、夕方には夕食の支度が始まる。竈の数は多いけれど食事の準備が始まれば全て埋まり、休みなく稼働する。
 けれど常に一瞬たりとも空くことがない、という訳でもなく。


「昼過ぎくらいなら使っていいそうよ」

 厨房に竈の使用許可を貰ってくれたベアトリクスは自室に持ち込んだまな板の上で黄色い球をこねるリーフへそう伝え、それは何かと尋ねる。

「小麦とかバターとか砂糖を混ぜた生地だよ。竈で焼いてクッキーにするんだ」

 型抜きはないのでリーフの手でちぎられ、平べったく丸い形に整えられていく。父と一緒によく作ったな、と思い出を懐かしみながら手を動かす。

「どうしてお菓子作り?」
「何となく作りたくて……あとは…………ベアちゃん」

 生地へ向けていた視線を上げ、ベアトリクスを見つめる。美しい顔を僅かに染めて「なあに?」と聞いてくる彼女を、リーフは躊躇いなく巻き込んだ。

「お願いがあるんだ」
「……あら。私にお願い? それも何だかただごとじゃなさそう……」
「聞いてくれたら僕の手作りクッキーあげるよ」
「何でもするわ」

 あっさりと承諾を得たリーフの頼みを教えられ、ベアトリクスは面白そうな顔をした。目の前の矮小な半魔が何を企てているのか、その全貌はまだわかっていなかった。



「あげるね」

 その日の夜。仕事を終えたレックスが部屋へ帰ると、リーフが何か差し出してきた。皿に乗せられた数枚のクッキーは美味しそうに茶色く焼け上がっている。礼を言って一枚囓るとほんのりとした甘味が食べやすかった。

「美味いな。今日のおやつだったのか?」
「うん。クッキーなんて久しぶりに作ったけど上手く出来たよね」
「……お? え? 作った?」

 うん、と頷いてリーフも一枚食べる。幼いリーフの為に父が作ってくれたクッキーを、いつの頃からかリーフも一緒になって作るようになった。二人で作ったクッキーを母に差し出すとバリボリ勢いよく食べられて、美味しい美味しいと抱いて褒められたものだ。

「先に言えよそういうことは!」

 叫びと共に皿の上のクッキーは一枚残らず食べられてしまった。よほど気に入ってくれたのかと目を丸くするリーフにレックスはクッキーを食べながら返す。

「お前が作った物なら全部食べたいに決まってるだろう」

 そう言われて嬉しくないと言えば嘘になる。レックスの執着は疎ましくもあるけれど、喜ばしくもあった。嫌いではない、むしろ情は抱いている。
 それでもリーフには譲りたくないものがあるのだ。



(毒薬……は効かないだろうな。少なくとも僕が手に入れられる素材で作るような物じゃ無理だろう。そもそもレックスを害する行為は契約書に咎められる)

 言葉にせず、頭の中で呟く。初めて会った日に察した生命力の高い肉体に、生半可な毒物が効くとは思えない。何より主に逆らってはならないという前提があった。
 母の言葉を思い出しながら、リーフは懸命に考えた。レックスの嫌がること。利用できるもの。犠牲にするもの。一つ一つを選び出し、組み立てて答えを作り出す。



「この手紙を届けてほしいんだ」

 クッキーを作った翌日、リーフを訪ねてきたベアトリクスへリーフは手紙を渡した。宛先に住所はなく、代わりに『母さんへ』と綴られている。

「……お義母様に?」
「うん。きっと……わかってくれる筈だから」

 転移魔術を扱えるベアトリクスならリーフの母が暮らす森へ向かうのは文字通り瞬く間のことだ。手紙を手に姿を消し、部屋にはリーフだけが残された。
 リーフの解答は手紙に書いた。母の採点とレックスの選択は一致するだろうか。してもらわないと困ってしまう。
 ぼんやりと物思いに耽っていたリーフのもとへベアトリクスが帰って来たのは空が赤らみ始める頃だった。彼女のか細い指が差し出す小さな小瓶が及第点だったことを教える。

「貴方、何をするつもりなの?」

 ベアトリクスの問いにリーフは答えない。最後まで巻き込まれてくれなければ話すことは出来なかった。

「ベアちゃんに頼みがあるんだ。ベアちゃんにしか頼めない、頼れないことが」

 じっ、と黄金の瞳を見つめる。真剣な眼差しを見返すベアトリクスの表情は冷めている。

「まあまあ。私を使い走りにしようだなんて」
「手伝ってくれるなら頭撫でてあげる」
「何でもするわ」

 危険かもしれないと一言置いてから、リーフは答えを教えた。ベアトリクスの表情は訝しげなものから段々と、愉快なそれに変わっていく。

「貴方って……本当に……」




 レックスは仕事を終えると真っ直ぐ自室へ向かっていた。昨日はリーフの手作りクッキーが食べられる嬉しい驚きがあったが、今日も何かあったりしないかとちょっとだけ期待していた。リーフがいるだけで嬉しいけれど、そんなリーフからもたらされるものがあったらどんなことでも嬉しい――なんて頭に花畑が出来たような考えは即座に否定されることとなる。

「ただいま、リーフ」

 声を掛けながら部屋へ入り、先ずはリーフを探す。ベッドの上に横たわる姿を見つけ、昼寝でもしていたのかと思いながら近付き、異変の欠片を見つけていく。
 リーフはレックスに背を向けて崩れるように横たわり、伸ばされた手元には小さな瓶が転がる。眠る直前まで握っていたのだろうか。

「リー……」

 可愛い寝顔を覗き込めば、その目は閉じずに開かれていた。狸寝入りですらない。ただ横たわっているだけのリーフに異様を感じる。

「リーフ」

 声を掛けてもリーフは反応しない。人形のようにじっと動かず、それは手足だけのことではなかった。レックスが見つめている間、瞼は一度も閉じていない。

「リーフ?」

 思わず手首を掴んで脈を測る。ゆっくりながらも確かに、とくとくと命の鼓動は続いている。

「どういうことだ」

 それは呟きではなかった。音も立てずレックスの背後へ立つ侵入者に向けて、目的を問いただしていた。

「リーフさんは薬を飲んだの。仮死の薬。意識はあるけど体全体の感覚を失い、手足の動かし方もわからなくなる薬よ」

 振り返らずともわかる。幼馴染みの声は淡々と続いた。

「今のリーフさんは何も出来ない。目を閉じることすら出来ないんだもの」
「何が目的だ」
「『契約が破棄されないなら死ぬ』そうよ」

 悪魔の作った魂の契約書。契約者達の魔力を要に結ぶ契約は絶対だ。自由になるには契約の遂行か、契約主が破棄するか、死ぬしかない。

「人間は水を飲まなければ三日ともたないんですって。半魔のリーフさんはもう少しもつのかしら。それとも人間とそう変わらないのかしらね?」

 くすくすと楽しそうに話すベアトリクスの首を、いつの間にか距離を詰めたレックスの手が掴んでいた。

「ぐっ……」
「解毒薬を出せ」
「……ないわ。そんなものっ……ぐ、っううっ……


 脅しを込めて一瞬、ベアトリクスの首が締め上げられる。すぐに力は弱まるがレックスの目は二度はないと語っていた。

「……この、げほっ、薬は……私でも、リーフさんが作ったものでもない。私もリーフさんも作り方を知らない。解毒薬なんてもっての他よ」
「……」

 首を掴む手に力を込められるが、喉を締める程ではなかった。

「リーフさんを助けられる存在を、知ってるのは私だけ。仮に突き止めたって私以外には手を貸さない。リーフさんが……望まぬ結果で死ぬのなら、仕方ないと思ってるもの。私も、リーフさんもね」
「……」

 怒りのままに再び喉を絞められても、ベアトリクスは言葉を続けた。

「リーフさんと一緒に! 死ねるなら本望よっ。この世で結ばれなくたって、次の世で逢ってみせるわ!」

 叫び、恍惚に笑う女の顔は邪悪に狂っている。レックスの目にはそう見えた。あともう一息で殺せる、という所でレックスはベアトリクスを解放した。

「……リーフ」

 物言わず横たわる小さな体を抱き上げる。焦点の合わない瞳は何を見つめているのだろうか。

「…………破棄した所で何も変わらないだろう」

 リーフを抱えながら懐から紙を取り出す。おぞましい魔力を帯びた羊皮紙は、リーフとレックスを縛り結び付ける契約書だ。
 いつかのリーフがそうしたように、レックスは手中の紙を一瞬で燃やした。炭も残らず消え去ったと同時にリーフとベアトリクスも姿を消す。
 何処に行ったかなんてレックスにはすぐにわかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

塩対応の同室αが実は俺の番を狙っていた

雪兎
BL
あらすじ 全寮制の名門学園に入学したΩの俺は、入寮初日から最悪の同室相手に当たった。 相手は学年でも有名な優等生α。 成績優秀、運動もできる、顔もいい。なのに—— めちゃくちゃ塩対応。 挨拶しても「……ああ」。 話しかけても「別に」。 距離も近づけないし、なぜか妙に警戒されている気がする。 (俺、そんなに嫌われてる……?) 同室なのに会話は最低限。 むしろ避けられている気さえある。 けれどある日、発情期トラブルで倒れた俺を助けてくれたのは、 その塩対応αだった。 しかも普段とは違い、必死な顔で言われる。 「……他のαに近づくな」 「お前は俺の……」 そこで言葉を飲み込む彼。 それ以来、少しずつ態度が変わり始める。 距離は相変わらず近くない。 口数も少ない。 だけど―― 他のαが近づくと、さりげなく間に入る。 発情期が近いと察すると、さりげなく世話を焼く。 そして時々、独占欲を隠しきれない視線。 実は彼はずっと前から知っていた。 俺が、 自分の運命の番かもしれないΩだということを。 だからこそ距離を取っていた。 触れたら、もう止まれなくなるから。 だけど同室生活の中で、 少しずつ、確実に距離は変わっていく。 塩対応の裏に隠されていたのは―― 重すぎるほどの独占欲だった。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *本編完結しました

何故よりにもよって恋愛ゲームの親友ルートに突入するのか

BL
平凡な学生だったはずの俺が転生したのは、恋愛ゲーム世界の“王子”という役割。 ……けれど、攻略対象の女の子たちは次々に幸せを見つけて旅立ち、 気づけば残されたのは――幼馴染みであり、忠誠を誓った騎士アレスだけだった。 「僕は、あなたを守ると決めたのです」 いつも優しく、忠実で、完璧すぎるその親友。 けれど次第に、その視線が“友人”のそれではないことに気づき始め――? 身分差? 常識? そんなものは、もうどうでもいい。 “王子”である俺は、彼に恋をした。 だからこそ、全部受け止める。たとえ、世界がどう言おうとも。 これは転生者としての使命を終え、“ただの一人の少年”として生きると決めた王子と、 彼だけを見つめ続けた騎士の、 世界でいちばん優しくて、少しだけ不器用な、じれじれ純愛ファンタジー。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

処理中です...