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9.一途に

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 佐原のマンションの場所は、社長夫妻から教えてもらった。

 公園近くの都会にしては静かな低層マンションで、もともとは社長の不動産投資用のものだったらしい。
 佐原が日本に帰国してきたときに、ちょうど空きが出たため佐原に貸すことにしたと聞いた。



 佐原は二十三時を過ぎる時刻にも関わらず、和泉を部屋に迎え入れてくれた。

 佐原の部屋はウォールナットの木材と黒のスチールアイアンの家具で統一されており、モデルルームのように物が少なく、全体が整っていた。
 広いリビングダイニングに、アイランド型のキッチン。奥にもまだ部屋がふたつあるようだ。


「コーヒーくらい飲んでくか? この前、お前にちょうどよさそうなコーヒーを見つけたんだ。カフェラテにするとよく合うコーヒーらしい」

 佐原はキッチンに立ち、コーヒーを淹れる準備を始めた。

「いいよ。すぐ帰るから」
「そう冷たいこと言うな。コーヒーの一杯くらい飲んでけよ」

 佐原は「そこに座って待ってろ」と和泉にリビングのソファーに座るように促してきたが、和泉は首を横に振り、佐原のいるキッチンにとどまった。

「佐原。それよりお前に話がある」

 気持ちがはやる和泉の様子を見て、佐原は「あぁ、あのことか」と何か合点がいったような様子を見せた。

「俺に感謝して、わざわざ礼を言いに飛んで来たのか? そんなのメールひとつで構わない」

 佐原は和泉の首元に視線をやり、和泉が着ていたジャケットの襟元をめくって中を覗いた。

「せっかくなんだからカラーをつけてくればよかったのに。お前の白くて細い首にはよく似合うデザインだった」

 やはりそうだ。佐原は社長が和泉のマンションを訪ねたこともその理由も知っている。むしろ和泉の住むマンションの場所を教えたのは佐原なのではないか。


「社長が夫婦でわざわざ俺の家を訪ねてきたんだ。尚紘のパートナーだったSubをずっと探してたって。そのとき、佐原から聞いたって言ってた。でもお前しかいないよな。俺の秘密を全部知ってるのは佐原だけだ」
「まぁな。尚紘にも黙ってろって言われてたけど、もうさすがに時効だろ」

 さっきから佐原は、和泉とまともに目を合わせようとしない。コーヒーを淹れる作業の片手間に話している。


「どうだ? 最愛のDomからカラーを贈られた気分は。嬉しくて泣いただろ」

 佐原の言うとおり、嬉しくなかったわけじゃない。だがそれ以上に和泉の心を占有してやまないことがある。



「あれは、和泉に対する礼のつもりだったんだ」
「礼……?」
「ああ。お前、ディフェンスを起こした俺を助けてくれただろう? だからだよ。その恩に対しての礼だ。お前のおかげで、お前がディフェンスを解いてくれたおかげで俺は悪者にならないで済んだ」

 佐原のコーヒーの淹れかたはとても丁寧だ。こんなときにも落ち着きを払っている佐原が憎らしくなる。

「これであいつのことをもっと好きになっただろ? 尚紘の強い気持ちが五年半越しにやっと和泉に届いて、あいつも心底喜んでるだろうな。あいつはずっと和泉に気持ちを伝えたがってたから」

 コーヒーを淹れ終えた佐原は、和泉を振り返った。


「ありがとな、和泉。身体を張って俺を助けてくれて」

 やっと佐原と目が合った。佐原の漆黒の瞳で見つめられるのは久しぶりだ。

 この目を見ただけで愛おしくなる。やっぱり好きだ。今すぐ抱きつきたいくらいに大好きだ。
 


「礼を言うのは俺のほうだよ。Domに無理矢理コマンドで命令されたときも、俺がサブドロップしたときも、全部、全部佐原が助けてくれたんだろ」

 あのとき佐原が現れなかったら、ディフェンスを起こして無理矢理Domの支配から解放してくれなかったら、和泉の身は無事ではなかった。
 あのまま浜谷の家に連れて行かれたら、浜谷の支配的なプレイに耐えきれずに精神を壊してしまっていたかもしれない。

 サブドロップしたとき、佐原がもしそばにいてくれなかったら、和泉はあの暗い闇の淵から這い上がることはなかった。途中聞こえた声もコマンドも、佐原の懸命さを感じるものだった。きっと佐原はパートナーでもない和泉のために手を尽くしてくれたに違いない。

「ありがとな。それだけ、伝えたかった」

 佐原に微笑んでみせる。これで和泉の用件は済んだ。面と向かって佐原に感謝の気持ちを伝えることができた。佐原の元気な姿をこの目で見ることができた。それだけで十分だ。

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