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十月 親衛隊は心変わりしたらすぐに推しが変更されるルール
3.
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次の日。今日は楯山が帰ってくる日だ。
学校も休みなのでのんびりベランダでTシャツを干していると、不意に歌が聴こえてきた。
声の主は隣の部屋だ。誰がどう聴いても上手いと認めるほどの綺麗なファルセットにビブラート。さらに抑揚のある歌い方が感情を揺さぶり心を抉る。
これって、まさか、音喜多の声か?!
音喜多の歌声は聞いたことがない。あんな無愛想な奴のどこからこんな感情的な歌声がと思うくらいのギャップに驚いた。
思わずベランダの柵から身を乗り出して隣を覗いてみる。そこには白のワイヤレスヘッドホンを付けた音喜多が、ベランダの柵に腕を置いてぼんやりと外を眺めながら、歌を口ずさんでいる姿があった。
途端、音喜多と目が合った。吉良が見ているのに気づいた瞬間、音喜多は歌を止め、ヘッドホンを外し、そっぽを向いてしまった。
「いい曲だな!」
音喜多の無愛想な態度には慣れているので気にせずベランダの柵越しに音喜多に言ってやる。
「お前の声、すごくいいな。もう少しだけ歌えよっ!」
と、声をかけた。すると音喜多はこちらを振り返り、ゆっくり近づいてきたかと思うと、軽い身のこなしで柵を乗り越えて吉良の部屋のベランダに降り立った。
「音喜多お前もか……」
鳴宮といい音喜多といい、平気で柵を越えてくるなよ……。二人は似た者同士なのかもしれない。
「吉良、なんでお前はいつも俺に話しかけるんだ?」
「え? いや、だって部屋も隣だし……」
隣部屋同士、毎日のように顔を合わせていて、何も話さないのも気まずいだろうが。
「俺が無視しても、俺に構ってくるのはどうしてなんだ?」
音喜多がずいっと迫ってくる。吉良が一歩二歩と後退しても、音喜多も部屋の中にまで侵入してきて迫ってくる。
今日の音喜多はどうしたんだ?! いつもならろくに返事もくれないのに。
「いや、お前は元々そういう奴だし、無視されるのにも結構慣れたし……」
「へぇ。そんなこという奴、吉良以外にいねぇんだけど」
音喜多が迫るのをやめ、フッと少し微笑んだ。音喜多が笑うのなんて初めて見た気がする。
「吉良、さっきの曲、聴くか?」
吉良が「ああ」と頷くと音喜多は首にかけていたヘッドホンを吉良の耳にあててきた。
「これは俺の好きな曲なんだ」
音喜多はスマホを操作して、曲を再生する。ヘッドホンからはさっき音喜多が歌っていた曲が流れている。君のことをもっと知りたいと、君には届かないと、恋愛のように歌っているが比喩が多く、捉え方の多い奥の深いリリックだ。
音楽に聞き惚れていたが、ふと音喜多を見ると、音喜多は何か吉良に話しかけているようにも見え、吉良はヘッドホンを外そうとする。だが、音喜多はそれを許さず再び吉良の耳にヘッドホンを押し当ててきた。
吉良の勘違いかもしれない。
耳は塞がれ、音喜多の声は聴こえない。
でも、音喜多の唇は確かに動き、吉良に何かを伝えようとしているような……。
あ、今、音喜多は「吉良」と声を発したようにみえる。
その後に続くのは、す・き——。
突如割り込んできた誰かが、音喜多の身体を強い力で引き離す!
楯山だ。
帰ってきたばかりだろうか。ヘッドホンをしていたせいでその音に気がつけなかった。
吉良はヘッドホンを外して「楯山じゃん、おかえり」と呑気に声をかけようとしたが、とてもそんな雰囲気じゃない。
楯山は音喜多の胸ぐらを掴んで鬼気迫る表情だ。
「バカやめろっ! 何言っちゃってんだよ!」
楯山は音喜多に対して怒ってる……?
「本人に伝わってないならセーフだろ。これがルール違反で、退学になるならそれでも俺は構わないが」
楯山はばっと振り返り、吉良の様子を確認している。その視線は吉良の手元にあるヘッドホンに注がれているようだ。
「なぁ、音喜多。ダメだろ……。お互いここまで耐えてきたんじゃないか」
音喜多の胸ぐらを掴んでいた手を離し、慰めるようにぽんぽんと音喜多の肩を二度叩く。
「だって可愛い……」
「あーあーあー! 音喜多お前は危険だからこれ以上話すな! ほらっ! さっさと出てけっ!」
楯山は音喜多の話を遮って、ぐいぐい背中を押しやって、音喜多を部屋から追い出してしまった。
「帰ってきていきなり度肝抜かれたな」
楯山はやっと胸をなで下ろした様子だ。楯山も音喜多もこいつら何をそんなに焦ってるんだよ。
「で、言い忘れてた。吉良、ただいま!」
気を取り直し、楯山は笑顔を向けてきた。
「おかえり!」
「吉良、俺がいない間、無事だったか?」
楯山は吉良の顔を覗き込んでくる。
「は? 当たり前だろ」
「誰かに何か、されなかったか……?」
「ないない」
「テストは?」
「だ、大丈夫……」
そっちはちょっとヤバいな。
「そうか……? それならいいんだけど。とにかく戻ってきて、吉良を見て安心した。やっぱり一日の終わりにお前の顔を見ないと落ち着かないな」
冗談めかしてそんなことを言う楯山に「嘘つけ」と返す。
とにかく楯山が帰ってきてくれてほっとする。やっぱりひとりはつまらなかったから。
そういえば洗濯物を干している途中だったと、そちらを片付けたあと、吉良は自分の机の椅子に座りながら、荷解きをする楯山の姿をなんとなく眺めている。
「向こうはどうだった? 楯山は卒業したら、やっぱり海外に行くのか?」
吉良が声をかけると荷解きの手を止め、「んー。わかんね」と楯山は曖昧な返事。
「大学は気に入ったんだ。バスケもできるし、カリキュラムもすげぇ楽しそうだ」
「おーいいじゃん」
「まぁな……」
楯山は気に入ったと言うものの、何か引っかかるものがあるようだ。
「ま、あと少し考えてみるよ」
そうだよな。将来有望な男の決断だ。悩むことも多いのだろう。
かっこよくて優しくて語学もバスケも堪能。本当にこの学校には優秀な奴しかいないなと自分と比べるたびに思い知る。
「なぁ、楯山は誰かの親衛隊に入ってるのか……?」
荷解きを続けている楯山に、何気なく聞いてみる。楯山は以前『推し活』うんぬんの話はしていたが、親衛隊に加入しているのかどうかは聞いたことがなかったから。
「えっ! な、なんでそんなこと俺に聞くんだよ」
ビクッと反応し、急に楯山が慌て出した。
「いや、そういえばどうなのかなって思って……」
「まぁ、一応……」
楯山は耳まで真っ赤になっている。こんなに照れるなんて、結構マジでそいつのことを想ってるのかな。
「やっぱ間違えた。一応なんてもんじゃないな。昔からずっと、この学校に入ってその人に出会って、自分でもよくわからないうちに好きになってて、今ではもう、そいつのことばかり考えるようになって……」
「そっか……」
同室だったのに、こんな真剣に楯山の親衛隊話を聞いたことなどなかったな、と改めて思った。
そして同時に襲ってくるのは寂しさ。楯山の姿を見るのも少し苦しくなって、つい机に視線を落とす。
楯山はまだ片想いなのかもしれないが、なんだかそいつに大切な親友をとられたような気持ちになる。
「……今でも変わらずそいつの親衛隊なのか?」
楯山にさりげなく訊ねながら、スマホを操作して親衛隊サイトを開いてみる。そこには当然、親衛隊0人と表示されていた。
「そうだけど」
楯山の揺るぎない返事に胸が痛くなる。
楯山は一体誰の親衛隊なのか、気になってしょうがないが、そんなことを聞けるはずもない。
「楯山は一途なんだな」
「まぁな」
「心変わり、するとかそういうことはないのか?」
チラッと楯山の様子を伺ってみる。
「え……」
楯山はこっちを見たまま動かない。
「だって楯山はそいつにずっと片想いしてるってことなんだろ? それでも振り向いてもらえないならそいつのことを諦めたり嫌いになったりしないのかなって思って。そろそろ手近にいる平凡な奴でもいいかなって心変わりしたりしないのか……?」
「ない」
楯山は即答だ。それもすごく真剣な目をして言う。
「俺は心変わりなんてしない」
ああ。楯山は本気だ。
そこに誰も入り込む余地もないくらいに真っ直ぐにそいつのことを想ってるみたいだ。
「そっか。楯山らしいな」
吉良は親衛隊サイトの更新のアイコンをタップする。
何度更新してみても、そこには相変わらずの親衛隊0人の表示。
——なんで俺、落ち込んでんの……。
楯山が心変わりすることなんてきっとない。自分に親衛隊なんているわけないってわかってたくせに。
——楯山は友達だ。俺の大切な友達。
学校も休みなのでのんびりベランダでTシャツを干していると、不意に歌が聴こえてきた。
声の主は隣の部屋だ。誰がどう聴いても上手いと認めるほどの綺麗なファルセットにビブラート。さらに抑揚のある歌い方が感情を揺さぶり心を抉る。
これって、まさか、音喜多の声か?!
音喜多の歌声は聞いたことがない。あんな無愛想な奴のどこからこんな感情的な歌声がと思うくらいのギャップに驚いた。
思わずベランダの柵から身を乗り出して隣を覗いてみる。そこには白のワイヤレスヘッドホンを付けた音喜多が、ベランダの柵に腕を置いてぼんやりと外を眺めながら、歌を口ずさんでいる姿があった。
途端、音喜多と目が合った。吉良が見ているのに気づいた瞬間、音喜多は歌を止め、ヘッドホンを外し、そっぽを向いてしまった。
「いい曲だな!」
音喜多の無愛想な態度には慣れているので気にせずベランダの柵越しに音喜多に言ってやる。
「お前の声、すごくいいな。もう少しだけ歌えよっ!」
と、声をかけた。すると音喜多はこちらを振り返り、ゆっくり近づいてきたかと思うと、軽い身のこなしで柵を乗り越えて吉良の部屋のベランダに降り立った。
「音喜多お前もか……」
鳴宮といい音喜多といい、平気で柵を越えてくるなよ……。二人は似た者同士なのかもしれない。
「吉良、なんでお前はいつも俺に話しかけるんだ?」
「え? いや、だって部屋も隣だし……」
隣部屋同士、毎日のように顔を合わせていて、何も話さないのも気まずいだろうが。
「俺が無視しても、俺に構ってくるのはどうしてなんだ?」
音喜多がずいっと迫ってくる。吉良が一歩二歩と後退しても、音喜多も部屋の中にまで侵入してきて迫ってくる。
今日の音喜多はどうしたんだ?! いつもならろくに返事もくれないのに。
「いや、お前は元々そういう奴だし、無視されるのにも結構慣れたし……」
「へぇ。そんなこという奴、吉良以外にいねぇんだけど」
音喜多が迫るのをやめ、フッと少し微笑んだ。音喜多が笑うのなんて初めて見た気がする。
「吉良、さっきの曲、聴くか?」
吉良が「ああ」と頷くと音喜多は首にかけていたヘッドホンを吉良の耳にあててきた。
「これは俺の好きな曲なんだ」
音喜多はスマホを操作して、曲を再生する。ヘッドホンからはさっき音喜多が歌っていた曲が流れている。君のことをもっと知りたいと、君には届かないと、恋愛のように歌っているが比喩が多く、捉え方の多い奥の深いリリックだ。
音楽に聞き惚れていたが、ふと音喜多を見ると、音喜多は何か吉良に話しかけているようにも見え、吉良はヘッドホンを外そうとする。だが、音喜多はそれを許さず再び吉良の耳にヘッドホンを押し当ててきた。
吉良の勘違いかもしれない。
耳は塞がれ、音喜多の声は聴こえない。
でも、音喜多の唇は確かに動き、吉良に何かを伝えようとしているような……。
あ、今、音喜多は「吉良」と声を発したようにみえる。
その後に続くのは、す・き——。
突如割り込んできた誰かが、音喜多の身体を強い力で引き離す!
楯山だ。
帰ってきたばかりだろうか。ヘッドホンをしていたせいでその音に気がつけなかった。
吉良はヘッドホンを外して「楯山じゃん、おかえり」と呑気に声をかけようとしたが、とてもそんな雰囲気じゃない。
楯山は音喜多の胸ぐらを掴んで鬼気迫る表情だ。
「バカやめろっ! 何言っちゃってんだよ!」
楯山は音喜多に対して怒ってる……?
「本人に伝わってないならセーフだろ。これがルール違反で、退学になるならそれでも俺は構わないが」
楯山はばっと振り返り、吉良の様子を確認している。その視線は吉良の手元にあるヘッドホンに注がれているようだ。
「なぁ、音喜多。ダメだろ……。お互いここまで耐えてきたんじゃないか」
音喜多の胸ぐらを掴んでいた手を離し、慰めるようにぽんぽんと音喜多の肩を二度叩く。
「だって可愛い……」
「あーあーあー! 音喜多お前は危険だからこれ以上話すな! ほらっ! さっさと出てけっ!」
楯山は音喜多の話を遮って、ぐいぐい背中を押しやって、音喜多を部屋から追い出してしまった。
「帰ってきていきなり度肝抜かれたな」
楯山はやっと胸をなで下ろした様子だ。楯山も音喜多もこいつら何をそんなに焦ってるんだよ。
「で、言い忘れてた。吉良、ただいま!」
気を取り直し、楯山は笑顔を向けてきた。
「おかえり!」
「吉良、俺がいない間、無事だったか?」
楯山は吉良の顔を覗き込んでくる。
「は? 当たり前だろ」
「誰かに何か、されなかったか……?」
「ないない」
「テストは?」
「だ、大丈夫……」
そっちはちょっとヤバいな。
「そうか……? それならいいんだけど。とにかく戻ってきて、吉良を見て安心した。やっぱり一日の終わりにお前の顔を見ないと落ち着かないな」
冗談めかしてそんなことを言う楯山に「嘘つけ」と返す。
とにかく楯山が帰ってきてくれてほっとする。やっぱりひとりはつまらなかったから。
そういえば洗濯物を干している途中だったと、そちらを片付けたあと、吉良は自分の机の椅子に座りながら、荷解きをする楯山の姿をなんとなく眺めている。
「向こうはどうだった? 楯山は卒業したら、やっぱり海外に行くのか?」
吉良が声をかけると荷解きの手を止め、「んー。わかんね」と楯山は曖昧な返事。
「大学は気に入ったんだ。バスケもできるし、カリキュラムもすげぇ楽しそうだ」
「おーいいじゃん」
「まぁな……」
楯山は気に入ったと言うものの、何か引っかかるものがあるようだ。
「ま、あと少し考えてみるよ」
そうだよな。将来有望な男の決断だ。悩むことも多いのだろう。
かっこよくて優しくて語学もバスケも堪能。本当にこの学校には優秀な奴しかいないなと自分と比べるたびに思い知る。
「なぁ、楯山は誰かの親衛隊に入ってるのか……?」
荷解きを続けている楯山に、何気なく聞いてみる。楯山は以前『推し活』うんぬんの話はしていたが、親衛隊に加入しているのかどうかは聞いたことがなかったから。
「えっ! な、なんでそんなこと俺に聞くんだよ」
ビクッと反応し、急に楯山が慌て出した。
「いや、そういえばどうなのかなって思って……」
「まぁ、一応……」
楯山は耳まで真っ赤になっている。こんなに照れるなんて、結構マジでそいつのことを想ってるのかな。
「やっぱ間違えた。一応なんてもんじゃないな。昔からずっと、この学校に入ってその人に出会って、自分でもよくわからないうちに好きになってて、今ではもう、そいつのことばかり考えるようになって……」
「そっか……」
同室だったのに、こんな真剣に楯山の親衛隊話を聞いたことなどなかったな、と改めて思った。
そして同時に襲ってくるのは寂しさ。楯山の姿を見るのも少し苦しくなって、つい机に視線を落とす。
楯山はまだ片想いなのかもしれないが、なんだかそいつに大切な親友をとられたような気持ちになる。
「……今でも変わらずそいつの親衛隊なのか?」
楯山にさりげなく訊ねながら、スマホを操作して親衛隊サイトを開いてみる。そこには当然、親衛隊0人と表示されていた。
「そうだけど」
楯山の揺るぎない返事に胸が痛くなる。
楯山は一体誰の親衛隊なのか、気になってしょうがないが、そんなことを聞けるはずもない。
「楯山は一途なんだな」
「まぁな」
「心変わり、するとかそういうことはないのか?」
チラッと楯山の様子を伺ってみる。
「え……」
楯山はこっちを見たまま動かない。
「だって楯山はそいつにずっと片想いしてるってことなんだろ? それでも振り向いてもらえないならそいつのことを諦めたり嫌いになったりしないのかなって思って。そろそろ手近にいる平凡な奴でもいいかなって心変わりしたりしないのか……?」
「ない」
楯山は即答だ。それもすごく真剣な目をして言う。
「俺は心変わりなんてしない」
ああ。楯山は本気だ。
そこに誰も入り込む余地もないくらいに真っ直ぐにそいつのことを想ってるみたいだ。
「そっか。楯山らしいな」
吉良は親衛隊サイトの更新のアイコンをタップする。
何度更新してみても、そこには相変わらずの親衛隊0人の表示。
——なんで俺、落ち込んでんの……。
楯山が心変わりすることなんてきっとない。自分に親衛隊なんているわけないってわかってたくせに。
——楯山は友達だ。俺の大切な友達。
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