僕の忘れられない夏

碧島 唯

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 アリス――3

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 カーテンから漏れる光に目が覚めていく。
 ベッドの柔らかさがもう少し眠っていたいと思わされるが、右腕があるべきものを探して、空なのに気付くと完全に目が覚めて飛び起きる。
 一瞬まだ夢を見ているのかと思ったが、何も着てないのに気付いて思わずシーツを引き寄せる。
「おはよう、シュー。
 今日の朝食はコンビーフとハム、どっちがいい?」
 髪を頭の後で編みながらアリスが僕に振り向いた。
「……あ…ハムで。
 いや、その……おはよう……」
 なんだかアリスの顔を見るのが恥ずかしい。
 急いで服を探して着ているとアリスが笑っていて、昨日までの事は皆夢だったんじゃないかって錯覚に陥りそうになった。

「食べ終わったら移動しよう。
 あと2キロくらいで目的の場所に着くはずだ」
「ここが目的の場所じゃなかったのか?」
 電気もあってお湯も出る、てっきりここが目的の場所だと思っていた。
「違うよ。
だってお前の服やカバン、食料も調達しなきゃいけないだろ。
 あと、弾の補充もしたいな」
 ずっとこのまま、ここで暮らせたらいいのにと思ってた甘い考えは、現実に引き戻された。
 確かに服とカバンをなんとかしようって目的があった。
「なぁ……下にある店とかから調達できないのかな……。
 ホテルの下にも店はあるだろ?」
 ホテルならブティックとかパティスリーとかがあったはず、と言ってみたが、笑い飛ばされて終ってしまった。
「高級ブランドのスーツを着て、ブランドの、飾りみたいなカバンを?」
「ごめん」
 高級ホテルにある店なんて高級ブランドだらけで、実用的なものは無いのを失念していた。
 たとえZが居ないとしても、下で調達することはまずないだろう。
「そうだ、いいものがあった」
 ポットとかの置かれている棚を開けて、何やらごそごそしてると思ったら、小さい洋酒の瓶を床に広げていた。
「これと、これなら使えるかな」
「……アリス、お酒飲むの?」
「違う。
 度数の高い奴なら火炎瓶の代わりになるだろ?
 あいつらの目をそらすのに使えるかも」
 アリスが床に広げた瓶から取り上げたのは三本、ブランデーとウイスキーとウォッカ。
「上手くいくかな?
 火炎瓶ってガソリンとか石油とか燃料を使うんだろ?」
「気休め程度にはなるんじゃないかな。
 今は手に入るものでなんとかしないと」
「こんなに小さい瓶でちゃんと燃えるのかなぁ」
 デモなんかでテレビで見たことのある火炎瓶はビール瓶かコーラの瓶くらいの大きさがあった、それに比べるとこれは……小さくないだろうか。
 あいつらZが小さい火でなんとかなるんだろうか?

 出発の準備も出来て、動いているエレベーターで下りる。
 正面玄関のある一階ではなく、地下駐車場に向かった。
 まだ動く車があるかも知れない、動かなくてもガソリンは手に入る。
 ガソリンがあればちゃんとした火炎瓶の材料になる、と考えたからだ。
「シュー、急いで」
 エレベーターのドアが開くと同時にアリスが銃を構えて外に出る。
 炎上している車が数台あるせいか、Zの数は少ないように見える。
 あいつら、火が苦手なんだろうか。
 鍵のついたままの車を見つけると乗り込んで、エンジンをかける。
「乗って、シュー」
 一応見張りをしてた僕も車に乗り込み、アリスの運転で外へと出ていく。
 駐車場から出てきた車の音にどこにそれほど居たのかって思うくらいのZが道に出て来て、僕らの進路を塞いで来た。
「しっかり掴まってて!」
 スピードを上げた車はZを何匹か撥ね飛ばし、踏みつけながら走り出して、2キロ先の目的地に数分で着いた。
「マクガイヤーガンショップ…?」
「ちょっと待ってて」
 僕を車に残したまま、それだけ言ってアリスはその店の鍵を開けて中に入って行った。
 一人きりになって、数分をこんなに長いと感じたのは初めてだと思う。

 アリスが店から出て来た時には数分しか経ってなかったというのに、僕は一時間は待たされていた気分だった。
 無言で車に乗り込み、車が走り出してから漸くアリスが口を開いてくれた。
「……あの店、私の家だったんだ」
「そう……なんだ……」
 アリスが家族を亡くした家、父親だったZを葬った場所、そう思うと何も言えなかった。
「これ、シューが持ってて」
 ずっしりと重い包みを渡される。
「……何……って聞かなくても分かるか……僕の銃のだよね?」
 アリスはもう何も言わずに運転をしていて、僕は包みをそのまま非常袋に押し込んだ。
 時折車の前に、Zが出て来ては衝撃と共に跳ね飛ばされていくのが見えた。
 わざとZを轢くように蛇行してるように思えて、でも、そうするアリスの気持ちも分からなくはなくて、僕は何も言わずにシートに凭れ掛かった。
 窓から外を見ると、空の青さが以前のまま綺麗で、思わず泣きたい気分になった。

「シュー」
 アリスに声をかけられて、前を見ると車は止まっていて、まさか僕は寝ていたのかと、何のんきに眠ってたんだと、神経が図太くなったのか、ちょっと自分自身に呆れてしまった。
 こっそり、涎が出てないかと口元を袖で拭っておく。
「銃の弾倉に弾を詰めて。
 予備の弾倉もさっきの包みに入れてあるからそれにも」
 どうやら目的地に着いたらしい。
 弾を弾倉に詰め込んで、セーフティロックを外す。
「用意出来たよ」
 こく、と頷いて車のドアを開けるアリス。
 助手席の僕の方もゆっくりドアを開ける。
 手招きされて建物に近づくと、建物全体がショッピングモールのようだった、いや、小規模のデパートというのだろうか?
「入るよ」
 アリスはショットガンを手にしながら、肩で重いドアを押して、僕も後ろを警戒しながら入っていく。
「油断しないで」
 着飾ったマネキンの後ろからゆらゆらと歩くZの後姿が見えた。
 アリスはショットガンをサイレンサー付のハンドガンに持ち変えて、Zを狙う。
 一匹だけを狙うならハンドガンの方が効率がいい、らしい。
 対してショットガンは威力が大きいだけに的にした一匹の周りも巻き込んでふっ飛ばす事が出来る、とかなんとか。
 これはアリスに教えてもらった。
 僕が余分に銃を持つならショットガンを選ぶといいと、使い方も教えてもらっていたが、僕はまだ、クッションの的以外に、銃を撃ったことがなかった。
 その時が来たら、撃てるんだろうか、いや、撃たなきゃ……いけないんだ。
 小さいデパートだからか、ドアが自動ドアではなく、やたらと重かったせいか、思ったよりZの姿は無いように見えた。
 アリスが撃ったZは綺麗に額に穴が開いていて、床に転がっている姿はまるで眠っているだけのように思えた。
 そして、それを見ても何とも思わなくなってきている自分に驚いてしまった。
 慣れ、というのはこういうものかと苦笑する。
 僕もいずれ近い内に平気で銃をZに向けられるようになるんだろう。
その時は、躊躇いもなく撃つんだろうなと、漠然と感じていた。
 アリスが前に言ったように、それが壊れていくってことなのかも知れない。
「シュー?」
 何も言わずアリスの背を追っていた僕を、アリスが振り返って心配そうに見ていたのに気付いて笑いかける。
 ──僕はちゃんと笑えているんだろうか?

 小さなデパートで新しいリュックに荷物を詰め替えて、服を着替える。
 非常袋のリュックの中身はアリスの隠れ家で食料を補充したり、弾丸を補充したりしてあって、入れ替えると新しいリュックの半分くらいになった。
 リュック以外に服もアリスが選んでくれた。
 リュックは軽く丈夫で大きいものを。
 服は動きやすいように、それでいて丈夫なものをということで、黒い皮のズボンと長袖のTシャツをチョイスされた。
「出来れば暑くても我慢してこれも着た方がいいと思う」
 分厚い皮のジャケットを渡されて、思わず嫌そうにそれを見てしまう。
「それなら腕を咬まれても中まで通らないと思う……まぁ絶対に、とは言えないけど」
「ジャケットも黒……?
 何だかターミネーターとかみたいだなぁ……」
「……似てないよ?」
 がっくりと肩を落とす。
 体格も身長も、そりゃあ似ても似つかないけど、即答はないだろう、即答はっ。
 アリスは僕の事ちょっとは好きなんだと思ってただけに、落ち込みは激しかった。
「ねぇ……アリス」
「何、シュー?
 黒は好きじゃない?」
 いや、色の問題じゃなくて。
 そうじゃなくて…聞きたいのは。
「僕の事、少しくらいは好き?」
「好きだよ?」
 これも即答で返ってきた。
 そうか…好いてくれてるんだ。
 やけにはっきり好きって言ってくれるな──と、気付いた途端、顔が赤くなっていくのが分かった。
「シュー?
 顔赤いけど熱でもある?」
 近づいたアリスの額が僕の額に当てられる。
 大きな青い目が僕を見つめていて、その青の中にびっくりした顔の僕が映っている。
「熱は──ないみたいだけど。
 どこか痛いとか?」
「だ、大丈夫、なんともないからっ」
 アリスの目から逃れるように顔を俯かせる。
 これ以上、みっともないところを見られたくない。
 男が顔を赤くして照れてるなんて、あまりにもみっともないじゃないか。
 ああ、もうっ!
「アリスっ」
 どうしたんだろうって顔をして僕を見ているアリス。
「僕も、アリスが好きだ」
 少しは男らしく伝えられただろうか、僕の気持ちを。
 にこっと笑うアリスの笑顔に見惚れていたら、僕はまたアリスにキスをされていた。
「うん、ありがとうシュー」
 ……やっぱりアリスには適わないなぁ。
 僕よりずっとカッコイイじゃないか。

 着替えてると今度はアリスが底のゴツいブーツを持って来た。
 これって…ジャングルブーツとかいうやつじゃないか?
 しかも、これもまた黒だ。
「あ、意外に履きやすい」
 スニーカーをブーツに履き替えると思ったよりも歩きやすく、重くなくてちょっとびっくりした。
「こうしてみると僕もちょっとはかっこよくみえるかな」
 鏡に映る姿は真っ黒で、ブーツの分、背も少し高く見える。
 映画のヒーローとまではいかなくても、ヒーローの仲間くらいには見えるだろうか?
「シュー、着替え終わった?」
 どこから持って来たのかアリスがベルトと大型ナイフを僕に差し出していた。
「よく切れるから気をつけて」
「いったいどこからこんなもの…」
「この階の隅にちょうどアーミーショップがあったから、ちょうどいいと思って」
 そう言ったアリスの腰のベルトにも大振りのナイフが下げられていた。
「本当はもっと刃の大きいのがいいんだろうけど、ちゃんと振り回せるか分からなかったから小さめのにしたんだ」
 これでも僕には十分大きいです、とは口に出来なかった。
「銃にばかり頼るのは良くないからね」
 ああ、それは僕にも分かる。

 ──弾切れだ。
 弾だって限りがある、無限ではない。
 いつか、弾を使い果たす時が来る。
 その時、銃の代わりになるものが必要なんだ。

 もらったばかりのナイフを持ってみる。
 銃とは違った鋭く冷たい金属、鞘から引き抜けば鈍い光が反射する。
「銃より使うのに覚悟がいりそうだ」
 引き金を引けばいいだけの、命を奪うのに実感のない銃。
 それに対してナイフは肉を裂く感触が直に手に伝わってくるだろう。
 躊躇わずに使えるのか、とナイフの刃を見ながら自分に問いかける。
 いや──使わなきゃいけないんだ。
 ナイフを鞘に戻して、鏡の中の自分を見る。
 守られてばかりじゃいけない、と。
強くなろうと心に決める。
 守りたいものがある。
 生きていたい。
 少し離れた場所のアリスを見る。
 アリスと、生き残りたい。

 祈りにも似た、願い。
 こんな世界の中でも、生きていたい。
 神様なんて困った時の神頼み、なんて言われてたし、僕も普段は神様なんて意識したことなかったけど。
 神様、お願いです。
 僕は、アリスと、二人で生きたい──。

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