僕の忘れられない夏

碧島 唯

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第六章 新たな決意

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 朝日が昇って明るくなった頃に、僕はルークさんとジェインさんに挨拶をして、このコミュニティを出て行こうとしていた。
 そして、僕はまだ答えを出せないでいた。
 一晩中迷って、迷った末に。
 僕がここに留まるなら、迷わなかった。
 その責任の一端を担う事が出来るから。
 でも、僕は今日ここを出ていく人間だから、迷って、迷って、未だに言い出せずにいた。
「シュウ、これを」
 ジェインさんが包みを僕に渡してくれた、それは手にまだ温かくて、朝焼いてもらったパンだと聞かされた。
「ありがとうございます」
「シュウ君、これを。
 預かっていた君の荷物だ」
 ルークさんが、来た時の僕の荷物と、武器を手渡してくれた。
 気のせいかリュックが前よりも重くなっていた気がして、ルークさんを見ると、にっこりと笑って、ささやかだけど、君への贈り物だよと、言ってくれた。
「ありがとうございます、ルークさん……」
 やっぱり、この人にだけは、と口を開こうしたら、笑って頭を緩く振るルークさんが何もかも分かってるよと言ってるようで、黙って俯くしかなかった。
「シュウ」
 マリアが、部屋の隅にいて、僕の名前を呼んでいた。
「マリア、元気で…」
 お別れの言葉を口にしようとすると、マリアが駆け寄って来て、僕の腕を手に取った。
「私も、行くから。
 連れてって、シュウ」
 ルークさんとジェインさんがその事を知っていたかのように、マリアに肩からかけるタイプのカバンを渡していた。
「シュウ君、彼女から聞いているから、君は何も心配しなくていいんだよ」
 驚いてマリアを見ると、マリアが頷いていた。
 少し目の下が黒かったのは彼女も迷って、迷った末に相談したのだろうか。
「後の事は僕らに任せてくれればいいよ。
 君は安心してくれていい」
 何もかも、知っていたのだ。
 僕が迷っていた事も、何もかも。
 やっぱり、この人はここのリーダーだ。
 この人が居れば、ここは安心だ。
「はい、はい……ルークさん……」
「君が家に帰るのを、私は祈ってるよ。
 でも、もし疲れたら私やここの事を思い出して欲しい。
 いつでも、君を、君たちを歓迎するよ」
 優しい微笑みに、ずっとここにいてもいいかもとか思いかけて、思い直す。
二人に送られて、来た時とは逆に見張り役の人と共に階段を降りていく。
長い階段を降りて、1階に着くと銃の装弾を確認し、バリケードの外に出る覚悟をする。
「気をつけて、な」
 見張り役の人たちに送られて、僕とマリアは外に出た。
「……マリア、君は……」
 何となくは分かっていた。
 神に許されるはずがないと、神に許しを乞う姿に、彼女にはここに居る事を自分自身に許す事が出来ないだろうって。
 にこ、とマリアが僕に笑いかける。
「今度は、足手まといになんかなりませんから。
 一緒に行かせて下さい」
 真剣な目でそう言ったマリアに、アリスが僕にしてくれたように、ハンドガンを渡す。
「使い方は分かる?
 分からなかったら教えるから」
「はいっ」
 ここを目指した時とは違った気持ちで、二人で歩き出す。
 僕が家を思い出して、家に帰りたいと思ったように、マリアもきっと母親の待つ家を思い出したのだろう。
 マリアを待つ人がいる。
 僕を待つ人がいる。
 だから──僕たちは、進む。

 Zの姿は見当たらない、奴等の気配も音もしない。
 進む方向は決めてある。
 港のような船のある場所、もしくは川に下りられるような、そんな場所。
 そう、ニューヨークを出るんだ。
 確かニュースでは、ニューヨークを川を隔てて繋いでいた橋は、テロで全て壊されたと言っていた。
 でも、実際はテロなんかなくて、Zが氾濫してパニックになっていただけだ。
 つまり、橋はパニックの人々でもZでもなく、明らかに意図をもって爆破されたわけで。
 おそらくは、軍の仕業。
 Zがニューヨークだけに留まっているという証拠じゃないだろうか。
 それなら、橋がなくても、川さえ渡れば安全だ。
川を越えて、ニューヨークを封鎖しているだろう軍に助けてもらえるんじゃないか、というのが僕の今考えていた事だ。
 奴等は泳げない、それは実際に見て分かっている。
 水の中なら安全だろう。
 ここは都心部だから、この島の端に、川岸に移動さえすればなんとかなるだろうと、僕は考えていた。
 マリアにも島から出るつもりだと伝えて、ハドソン川からニュージャージーに渡ろうというプランを提示してみた。
「フェリー乗り場が川岸にいくつもありましたし、その考えはよいのではないでしょうか」
 マリアが言うには大きなフェリー乗り場は島の南端にあり、かなりの距離があるが、このまま西の方向に向かえばいくつも乗り場がある、ということだった。
 運がよければ船が残っているかも知れない。
「ただ、心配なのはリンカーントンネルを通ってあのZたちがニュージャージーに渡っていないかって事ですね。
 トンネルはハドソン川の方だけではないですけど……」
 それを聞いて少し不安になった。
 もし、トンネルを通って奴等がこの島から出て行っていたら?
 いや、きっと橋を爆破するくらいだからトンネルだって……、と思う事にした。
 周りに注意を払いながら西に向かうのは本当に遅々とした歩みで、時折焦ったりすることもあったが、大量のZには出会うことは今の所はなく、休憩をどこかで取ることにした。
 アンティークショップの並んだ通りで、Zが見当たらないのを確認して、一軒のドアを開ける。
 外からはショーウインドーで丸見えになるけれど、少しの休憩だけだからと中を調べて回る。
どこかの部屋につながりそうなドアは鍵がかかるか、開かないかを確かめて、鍵のかかるドアは鍵をかける。
 そうして、入って来られないと確かめると床に二人して座り込む。
「ちょっと疲れましたね、シュウ」
「そうだな……まだほんの数時間しか経ってないのに」
「私、疲れた時に食べるようにってジェインさんからもらったものがあるんです。
 今出しますね」
 マリアのカバンから柔らかな不織布で包まれたものが出されて、包みを開くと固焼きのクッキーみたいなものが出てきた。
「……クッキーでしょうか」
 ……すごいな、あそこの厨房。
 こんなものまで作れるんだ。
 マリアに進められてひとつ手に取って口に入れてみる。
「いただきます」
 ほんのり甘くてしょっぱい味が広がっていく。
 砂糖と塩の……味?
「ソルトクッキーですね、これなら疲れが取れそうです」
 ああ、塩クッキーか。
 日本でも塩キャラメルやら、塩チョコだの色々流行ってたっけ。
 砂糖の甘味が疲れを癒し、塩が水分の……蒸発を防ぐんだっけ?
 ともかく、スポーツなんかでは、疲れた時は塩分だって言ってた気がする。
「ジェインさんが作ってくれたんですって」
 マリアの言葉にクッキーを喉に詰まらせそうになった。
 あの、いかにも前はキャリアウーマンでしたって感じの、キリっとした人が、このクッキーを焼いた?
 イメージできなくて、詰まらせかけたクッキーを胸を叩いてようやく飲み込んだ。
「何だか……ルークさんが作ったって言われたほうが納得しちゃいそうだ」
 ルークさんがエプロン、しかもひらひらフリフリのをつけて作ってるのを想像して、似合いそうだが、それはない、と頭を振って想像のルークさんを頭から追い出す。
「ルークさんって何でも出来そうな人でしたよね」
「うん、あの人だったら何でもやってそうな雰囲気があるよね」
 本当は何をしていた人なんだろう。
 後の事は任せてって言ってたから、優しい人みたいだけど、やる時はやるって感じの人なんだろうか。
 まぁ、ああいう所だし、厳しいだけじゃあ人は着いてこないだろうし、人当たりのいい方が安心されるのかも知れないけど。
「ジェインさんとルークさんって一緒の仕事をしてたんですって。
 同僚だったとしか聞いてないので、何のお仕事かは教えてもらわなかったんですけど」
 それを聞いてまたびっくりした。
 本当に、一体何の仕事をしていた人たちなんだろう。
「仲がいいから恋人同士かなとか思ってたけど、同僚だったんだ…」
 何となく二人の仲が良いのも納得してしまった。
「ねぇ、シュウ。
 どうしてこんなに朝早くに出て行くことにしたんですか?」
「え?」
 それを聞かれるとは思ってなかったので、まぬけな声で応えてしまった。
「シュウがルークさんからもらったパン、温かかったでしょ。
 私ね、ジェインさんと厨房に居たから、朝早くにパンを焼くことになった人に文句を言われてるの聞いちゃったんです」
「ああ……そういえば一日二食なんだっけ……あそこって」
「そうなんです。
だから朝少しだけ焼くのは燃料が勿体ないからって朝から昼の分のパンを全部焼かなきゃいけなくなった、もう少し寝てたかったのにって。
 ジェインさん、ちょっと困った顔をして謝ってました。
 私もそれを聞いて、シュウがお昼くらいに出ることにしてたらよかったのにって思ってたんです」
 ああ、それは悪い事をしてしまった。
 単純に朝出た方が安全かもとか、また温かい食事を食べたら、自分が揺らぎそうだからって理由だったんだけど……、そんな風に迷惑かけてしまってたんだ。
「朝ならZも数少ないから外に出やすいかなって…それだけだったんだ」
 正直に答えるとマリアがくすくす笑って肩を震わせる。
「マリアは……あそこに居れば安全なのに、僕と来ることにしたのは……やっぱりあれを見ちゃったから?」
 静かに息を吐いて、マリアは頷いた。
「穢れのある場所に居る事は、神がお許しになりません」
 凛とした厳しい表情で言われてしまった。
 外はZだらけで穢れてないとは思えないけど、少なくとも、Z相手に性欲を満たそうって人は居ない、と思う。
「それに……」
 別の理由もあるとマリアが話を続けていた。
「父は……もう手遅れでしょうけど、母と兄とが家におりますし、会いたい、と…」
 ああ、マリアも温かいシチューで家の事を、家族の事を思い出したのに違いない。
 僕が、アリスの復讐戦をしようと考えていた僕が、日本の家族を思い出したように。
「マリアの家族はどこに住んでるの?」
 ここ、ニューヨークじゃないといいな、と思う。
 川の向こうなら、きっと無事だって言えるけど、ここだったら、そんな甘い希望は口に出来ない。
 マリアと僕が出会わなければ、マリアは──。
 僕も、アリスと出会わなければ、きっと──。
「ワシントンに」
 そう聞いてほっとした。
「きっと無事で、君の事を心配してるよ。
大丈夫、ここを脱け出して、家に帰ろう」
 僕も、マリアも、生きてここから出る。
 家族に会う為に。
 新たな決意を胸に、僕はショットガンの金属をなぞる。
 何匹、何十匹、Zを倒しても、マリアとここを出るんだ。
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